テラーノベル
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息を呑む程に、美しい白磁。
生命の面影が、完全に取り払われている。
近づけば、其の中では止まっていた様な、此処迄の長い年月が、硝子に映る。
そして、二つ三つの、棺に開いた穴。
本来、異様で在る筈の、展示品。
然し何故か、此の部屋では余りにも自然と存在する。
俺は、俺達を隔てる硝子に手を付き、言葉を零す。
やっとだ。
『―俺も、今――――――――』
太宰が死んで、一週間が経った。
俺はあの後、首領の情けで三日の休暇―忌引と云った処だ―を取った。
意識は朦朧として、曖昧だった。
其れでも部屋で目覚めた時には、とうとう認めざるを得なかった。
俺はもう、太宰に逢う事は出来ない。
其処には確かに、硝子張りの棺が、太宰が居た。
だが其れこそが俺の喪失感を助長させた。
然し俺には、やらなければならない事が有った。
予想外にも甚大な精神的被害を負った自身を鞭打ち、其れを三日以内に終わらせた。
其れは、
太宰の小説の読了だった。
混迷する脳では、中々読み進めるのにも時間が掛かって仕舞った。
お蔭様で、俺は寝不足だった。
内容は、彼奴の一生を連ねたものだった。
懐かしさすら込み上げる。
そう思って読み進めた。
だが、途中で様子が変わった。
其の太宰は、ポートマフィアに戻っていない。
至極平然に、其の先の人生が連なる。
在って当然、其れこそ正しい人生。
そう語られた気がした。
此処に太宰が書いた、本来の未来とでも云うのか、其れが如何求められたものなのか。
迚も、必然的で、ぞっとした。
太宰が此方に戻らなかった現実が、確かに其処に在った。
特段目を引いたのは、
『本』だった。
――本。
最後まで読めば、確信に変わった。
と云うのも太宰がはっきり示していたからだ。
左側、空白の残った下方でこう述べていた。
『此れを本に書け、何としても』
荒々しい、殴り書き。
其れでいて、力強く、芯の在る言葉。
――此れは俺が果たさなければならない、義務だ。
そう思った。
其れからは、本の捜索を死物狂いで進めた。
首領にも協力を俺の全力を以って頼んだ。
首領は云った。
『面倒な事に成るよ?』
『君の死物狂いが此の先何年も、ずっと必要に成る。』
『其れでも良いならば手を貸そう。』
『但し、条件が一つ有る。』
『ポートマフィアを動かす程の条件にしては、君なら易いものだよ。』
『ふふふ…条件は――――』
其れから、二年。
様々な組織との対立を生き延び、組織に貢献した。
そして驚くべき事に此の短期間で、
六枚、十二頁が手に入った。
此れだけ集まったのは、組織を挙げての捜索が有ったからこそだった。
如何やら首領は探偵社にも裏から手を回してくれたらしかった。
俺個人でも探偵社を訪れていたが。
首領にも何頁か渡った様だが、此方も此れで足りる。
五枚、十頁。
此れで、小説の現実は全て、書ける。
俺は、二日の休暇を申請した。
其の間に全て書き切って仕舞おうと思った。
然し首領は俺に三日を渡した。
今立て込んでいる仕事も無いし、徹夜明けの俺を何時も通りに働かせるのは合理性に欠けると。
実際、此の二年で多くの対立組織を潰して来たのでポートマフィアにも余裕が有った。
だが然し、拭えない違和感が有った。
何故首領は此処迄俺に飴を与える?
二年で大きな戦果を挙げたから、首領に直接そう云われたら渋々納得出来るものの。
首領は何も云わない。
休暇に入り、俺は書き始めた。
省略して仕舞えば、途端に歯車が廻らなく成る気がして、一文字と洩らさず書いた。
其の文章を見ている内に、可怪しな気がした。
太宰が、居る。
下を向いている俺には視えないが、
確かに左隣で見ている。
机に肘を立てて、頬杖を付いている。
顔は?
何を思って、どんな顔を向けているのか、
笑っているのか、不機嫌に口を尖らせているのか。
俺は顔を上げたかった。
でもそうすれば、立処に消えて仕舞う気がした。
だから、我慢した。
其の儘丸々二日掛けて、全て書き終えた。
今迄の書類仕事が実を成した気がした。
そう云えば、食事を取っていない。水もだ。
そう思って立ち上がり歩く。
俺は冷蔵庫に歩を進めた筈だ。
だと云うのに、俺は気が付けば、
太宰の前に居た。
――なァ太宰。
――もう、良いだろ。
俺は初めて硝子製の蓋を開けて、太宰に触れようとした。
其の瞬間、
衝撃音が耳を劈いて硝子に穴が空いた。
「…ぇ、?」
どくん、と鼓動が跳ねる。
「やぁ、中也君。」
「調子は如何だい?」
振り返れば、硝煙を吐く拳銃を片手に俺を見下ろす首領が其処に居た。
「っ、首、領…」
「わぁ、頑張ったねぇ此れ、凄い。」
頁を見て感心の言葉を掛ける。
俺は何か、恐怖に近いものを感じた。
息を呑み、瞳の狼狽えを必死に隠す。
「ねぇ中也君、」
「、ぁ…」
「そんなで隠し通せるとでも思ったのかい?」
ヒッ、と判りやすい俺の声を首領が聞き逃す訳も無い。
首領は俺に近づき屈むと、其の手で俺の首から頬を包む。
「賢い君の事だ、私との約束も忘れていないのだろう?」
「…!」
『―――ポートマフィアを動かす程の条件にしては、君なら易いものだよ。』
『ふふふ…条件は…』
『私が必要とする限り永遠に、組織に忠誠を誓い仕え続ける事だ。』
『ほら、簡単な事でしょう?―――』
「太宰君も、君も、流石に可哀想だと思ったからね。」
「せめて其れだけはあげようと思って。」
「でも、此処から先は別だ。」
俺の首を強く掴む。
「彼の後を追う事は許さない。」
十二時を告げる時計の音が、開いた儘の扉の向こうから響いてくる。
「……、?」
あれ、何だ…?
俺は、何をしていた…?
何に、怯えていた…?
……
俺が手を伸ばしている先の此奴は、誰だ……?
「良くやったね、中也君。」
「君は、今私が手にしている此の頁によって今日此の瞬間から」
「太宰治と云う存在を完全に忘れて生きていくのだよ。」
「君迄組織から消えて仕舞えば、上手く組織が回らなく成って仕舞うだろう?」
「其れをいとも簡単に避ける事が出来たのも君のお蔭だ。」
「此処迄君は組織に素晴らしい貢献をして来たから、其のお礼とでも云うのかな。」
「君だって、彼を忘れられずに生き続けるなんて迚も耐え難いだろう?」
「………」
「 じゃあ、此れからも宜しくね、中也君? 」
素敵帽子君が、此の頁を持って探偵社を訪れ一ヶ月が経った。
あの時は、皆が其々の思いに涙を溢し、一斉に非難の声を彼に浴びせた。
冷静に考えたら、彼一人に全ての責任を背負わせる様な、そんな真似は出来ない筈だ。
其れでも、僕達は平然とはしていられなかった。
然し僕には視えていた。
彼の其の暗い瞳の中に。
形容し難い様な苦しみの跡と、
其れでも揺れない絶対の意志。
彼は探偵社に、ある頁を預けに来たのだった。
彼は僕達に深々と頭を下げて云った。
『此の頁を探偵社で護って欲しい。』
渡された其の頁には、こう書かれていた。
―――
一、太宰治著作の小説は頁から独立した現実を成し、頁の状態に依って存在の有無が左右される事は無い。
一、中原中也が本の頁に因る改変を受けた場合、二十四時間後に其の改変を無効にする。
―――
僕は事情を察した。
要するに此れは屹度、彼の懺悔なのだ。
社員の皆は頭を下げられても変わらない態度を取っていたが、僕は、僕と社長は違った。
『そう云う話であれば、此方で預かろう。』
『破損する事の無い様大切に管理する故、安心して呉れ。』
彼は眼を見開いて社長を見た。
其の眼に映ったのは、喜びと、最期の安堵。
『…有難う御座います。心より感謝申し上げます。』
そう云った彼を見て、社長は切なげに微笑んだ。
彼の去り際、社長は云った。
『…元気でな。』
一瞬戸惑いを見せたものの、彼は直ぐに其の本意を理解し、笑って応えた。
『…はい、有難う御座います。そちらこそお元気で。』
十二時の鐘が鳴る。
其の頃私は一人執務室で、思案に耽っていた。
嗚呼、良かった。
此の二年程、大きな波乱に呑まれていたものの、漸く平穏が戻った。
矢張り太宰君は此の世界に於いての異端子だった。
だが、もう振り回される事も無い。
中也君にだってもう組織を裏切る要因は無くなった。
素晴らしく、合理的だ。
うーん、でも、汚辱が使えないのは勿体無い。
又今度頁でも使って、そうだね…与謝野君辺りを引き戻すのも良いかも知れない。
今日一日、中也君をよくよく監察して見た。
本、成る程素晴らしい物だと改めて感心した。
部屋に置いた物にも何の反応も示さなかった。
唯の死体だと、正しく認識していた。
私は何だか彼が確りと私の手駒として戻った様に感じられて、嬉しく思った。
此れ、エリスちゃんに話そーっと!
「エリスちゃ〜ん!一寸聞いてよ〜!」
「……」
「あれ?如何したの?エリスちゃん、」
「…リンタロウ、チュウヤ、」
「中也君が如何かした?」
「チュウヤ、見に行った方が良い。」
聞いた途端私は、弾ける様に走り出した。
廊下に響く、十二時を告げる時計の音。
瞬間、俺の意識が浮上した。
眠りから覚めた様に、思い出した。
――太宰!!
俺は自分の部屋へ急いだ。
――太宰…太宰、太宰!!
全力で走った、勘付かれる前に、と。
「着いた…!!」
静かな部屋。
相変わらず其処には、硝子の棺に横たわる太宰が居た。
息を呑む程に、美しい白磁の肌。
生命の面影は、完全に取り払われているものの。
近づけば、其の中では止まっていた様な、此処迄の長い年月が、
二年と云う、長い年月が、硝子に映る。
そして、二つ三つの、首領が棺に開けた銃痕。
俺は、俺達を隔てる硝子に手を付き、言葉を零す。
やっとだ。
「…俺も、今、其処に行くから」
「一寸だけ待ってろ、太宰。」
棺の蓋を開ける。
其処には、本当に、本当の太宰が居た。
嗚呼、安心した。
手前は未だ其処に居たんだな。
左手が、自然と太宰の顔に伸びる。
俺は所持していた拳銃が充填されている事を確認し、そして其れを右手で蟀谷に宛てる。
――太宰、済まなかった。
其れでも、手前の最期の望みは叶えてやったぞ。
若し許して呉れるなら、俺はまた手前と話がしたい。
手前は俺を憎んでるのか?
俺を許せねぇか?――
そう、小さく語り掛けて、ふと此奴の顔を見遣れば、
其の顔に薄っすら微笑みを浮かべていた。
俺は胸の奥から熱くなって、目元を滲ませた。
此の生涯で、たったの一度の、満面の笑みを浮かべて。
「はッ、そーかよ…!」
俺は、引き金を引いた。
――バンッッ!!!
扉を開いた音に、重なった音。
私は、眼の前の光景を確り理解して仕舞う。
壁や床に飛び散った、鮮血。
夕陽色の髪にも、付着する。
其の右手には、硝煙と拳銃。
近づいて見れば、其処には
開いた棺に眠る太宰君と、上体を重ねて眠る中也君。
「……嗚呼ッ!!やられた!!」
「…一歩遅かったわね、リンタロウ。」
其の日、とある一幹部の部屋には、落胆した組織の首領と、其れを気にも留めずに眠りこける双つの黒が居た。
悲惨な死を遂げた双つの黒は然し、幸せそうな表情をのせて静かに眠っていた。
―終
―――――
以上でお終いと成りました。
如何でしたでしょうか。
幸せな結末を迎えられて良かったです。
此処迄読んで下さって稀有な読者様、有難う御座いました。
是非感想お聴かせ下さい。
アイデアが浮かんだらまた、次回お会いしましょう。
コメント
13件
メリバ大好きありがとうございます
す、すごい!! これはハッピーエンドなのかバッドエンドなのかわからん… メリバってことか
え、現役の小説家ですか?さいこうなんですけどぉ!!!