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芸能界の世界だけを見てきた稜にとって、今回の選挙は、はじめてのことだからこそ、政党から応援の手をを借りて事務所を設立し、選挙のプロである選挙プランナーも手配していただくことになった。
「ついにこの日がきちゃったね、相田さん」
事務所の中を忙しなく動く関係者を手伝いながら、大きなダルマを手にした稜が、後ろにいる俺に微笑みかける。
折り畳まれたパイプ椅子を持ったまま微笑み返したら、足早に目の前を去って行った。さっきまで微笑み合って、視線を合わせていたことがなかったような所作に、思わず寂しさを感じる。
周りの人間を含め、俺が稜の恋人だということは周知の事実なれど、徹底的にクリーンな状態を維持してほしいと、政党の幹部から念押しされてしまった。
稜の口から出る自分の名字読みは、はじめて出逢ったときにされたものより、どうにも違和感を覚えた。たったそれだけのことに、見えない距離があるようで、こんなにも切なくなってしまうなんて――
頭を振り、手に持っていたパイプ椅子を机に設置していたら、勢いよく事務所の扉が開いた。
「お疲れ様です!! 皆さん盛大に、頑張っていらっしゃいますね」
(ああ、やって来たのか。問題の選挙プランナー)
彼のことは、政党にいる幹部から紹介された。
『私の不肖の弟なんだが、選挙プランナーとしての腕は確かだ。勝率はほぼ8割、手掛けた選挙を確実に勝利へと導いている』
「不肖の弟ということですが……?」
眉根を寄せて説明する姿に、思わず質問を投げかけてみる。このとき稜が不在だったので尚更しっかり、説明を聞かなければいけないと考えた。
『本人には、きつく注意をしているんだが、行く先々で問題を起こすものですから。見境なく、相手に手を出す有り様で』
英雄、色を好むということなのか――何にせよ、事前に聞いておいて良かったというべきだろう。
「わかりました。そういう問題が起こらないよう、こちら側でも目を光らせておきますね」
『若いが腕は間違いないので、その点は安心して頂きたい。この選挙、勝ちましょう』
そう言って握手をし、互いの信頼を分かち合った。若い選挙プランナーの問題を共有することによってなんて、情けない話だけど。
勿論このことは、稜の耳にも入れておいた。見境なくという点で、間違いなく彼も標的になってしまうだろう。
その心配があったから、気を付けるように念押ししたというのに。
「ぷっ! 面白そうなヤツが来るんだね。どんな男なのか、ちょっと楽しみかもしれない」
なんて、のん気な顔をして言い放った。俺の心配する気持ちが、全然わかっていない言葉に、どうにも落胆を隠せなかった。
それがあったせいで昨日、あんなふうにしつこく、何度も抱いてしまった。
しかもまだ気持ちの切り替えがうまくいかない中で、問題の選挙プランナーと顔を合わせることになるなんてな。
軽くため息をつき、渋々扉へと視線を飛ばした。
「四国から直接ここに来たものですから、身なりがなっていなくてすみません」
足元にリュックサックとアタッシュケースを置き、顔を上げながら姿勢を正す姿に、事務所にいた者たちは皆、彼に視線を向ける。
見境なく相手に手を出すと聞いていたから、どれくらいチャラチャラした男なんだろうかと想像していたのだが、その期待を見事に打ち砕かれてしまった。
身なりがなっていないと言っていたのに、体のラインに合っている仕立ての良さそうなスーツに、グレーのカラーシャツといういで立ちは、自分の方が身なりがなっていないと思わされる。
それだけじゃなく、暗めの茶髪に銀縁のメガネからは、真面目そうな印象を受ける。隙を見せないきちんとした姿勢や物言いも、好青年という感じだった。
(出来過ぎた彼を陥れるべく、誰かがデマでも流しているんじゃないか!?)
「はじめまして!! この度、革新党の要請を受けてこちらに参りました、二階堂はじめと申します」
ぺこりと一礼をしてから足元のカバンをそのままに、上座にいる稜の元へと靴音を立てて歩いていく。突然現れた好青年に、誰も声をかけられず、何が起こるんだろうと見守るしかなかった。
「二階堂さん、はじめまして。これから――」
にこやかに微笑み、挨拶をした稜に向かって首を振る。
「お話の前に二、三聞きたいことがあります。答えていただきたい。その返答によってはこのお話を、なかったことに致しますので」
(何を考えているんだ、この男は)
「稜……」
どうにも心配になり駆け寄ろうとしたら、真顔になった稜が無言のまま、左手を突き出して俺の動きを止める。
そんな手の動きから、二階堂は視線を移してこっちを見、どこか蔑むような眼差しを飛ばした。
「ああ……貴方は、彼の恋人でしたっけ? 部外者はこの件について、立ち入らないでいただきたい」
「部外者じゃない、俺はちゃんとし」
「相田さんっ、大丈夫だから。俺がきちんと、答えればいいだけの話でしょ!」
苛立ちを含んだ稜のセリフで、心配した気持ちに冷水を浴びせられてしまった。仕方なく、口を引き結ぶ。