「うわぁあああっ!!」
「⋯わああぁぁっ!?」
自分自身の叫び声と
それに応える様な叫びに
ハッと私は意識を取り戻す。
勢いに任せて躯を起こすと
そこは生徒会室だった。
ー⋯夢!?ー
長机から副会長と補佐が
驚いた顔で此方を見ている。
流れる暫しの沈黙に
荒い私の呼吸と
暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く。
「か、会長ぉ〜!
驚きましたよ!」
間延びした声で副会長が
胸を撫で下ろす。
「悪い夢でも見たんですか?
お顔が真っ青ですよ」
細工が見事なカラフェから
グラスに水を移しつつ
補佐が寄ってきた。
「⋯すまない。
あぁ、何とも長い悪夢を見ていたようだ。
私はどれ位眠っていた?」
グラスの水を受け取ると
静かに口に流す。
レモンピールの爽やかな香りと
ほんのり後から来るほろ苦さに
漸く鼓動も気分も落ち着きを戻した。
「3時間程ですかね。
自室に戻って
お休みになられた方が良いのでは?」
窓を見遣ると
確かにまだ星空が見える。
「⋯そうさせて貰おう。
君達も休日前とは言え、もう遅い。
そろそろ切り上げて休みたまえ」
起き上がり、二人が脱がしたのであろう
ローブをサイドテーブルから抱えると
代わりに空のグラスを置き
私はソファから扉に向かい歩を進める。
長机に座ったままの副会長の後ろを
過ぎる辺りでふと思い立った。
ペンを手に取ると
ぎこちなく紙に滑らせる。
「⋯これが、読めるかね?」
夢で見た、大樹の横にあった
石碑に彫られた文字を写してみた。
「え?これ文字なんですか?
う〜ん。
自分にはさっぱり⋯」
副会長が小首を傾げながら、後頭部を擦る。
補佐も副会長の後ろから覗き込んで挑むも
やはり結果は同じ様だった。
「やはり解らんか。
いや、気にしなくて良い。
では、先に失礼する」
「は、はぁ⋯?
おやすみなさいませ、ロロ会長」
疑問で溢れかえった顔が二つ並ぶのを尻目に
私は生徒会室を後にした。
ローブを羽織り直し
私が向かったのは
自室ではなく鐘楼だった。
鐘楼ではなく
大人しく自室を選ぶべきだったかと
今にして思ってしまうが
私は重い脚を何とか鐘楼の頂上へと登らせる。
ー魔力を吸われたからかー
セイリュウの傷を癒す為に消費した魔力が
重みとなって脚だけではなく
全身に残っている。
この気怠さが先の鐘楼や大聖堂の事を
夢での出来事だと裏付けている様で
何とも不思議な気分だった。
頂上に辿り着くと
冷たい風が頬を撫でて過ぎて行く。
階段を登ったおかげで
火照った躯に心地良い。
救いの鐘まで歩を進め、鐘の口径内に入る。
内面にも精巧に彫られた
純潔と崇高を表現されている
フルール・ド・リスが美しい。
「救いの鐘よ。
その御力を少し分けて頂けないだろうか」
祈りの手を組み許しを乞うと
甲で鐘の内側を軽く叩く。
澄み渡った鐘の音が口径内に響くと
音の波に魔力が運ばれ私の躯を満たしてくれた
先程までの気怠さが
嘘の様に軽くなっていく。
ー皮肉だな⋯ー
魔力も魔法も否定する私が
こうして魔力によって癒されている。
しかし、やはり鐘の音は好きだ。
憎しみと愛おしさという矛盾した感情に
救いの鐘を前にすると
いつも戸惑いを覚える。
「大丈夫。
魔力が失くなったとしても
貴方は変わらず美しいだろう⋯」
鐘にそっと躯を添わせ
手や頬から伝わる質感と温度を
目を伏せて感じる。
そう、彼女もきっと
魔力を失おうと美しいだろう。
口径内から躯を出すと
白み始めた空からの陽光を反射させる鐘に
眩さから目を細めた。
街並みにも光が差し込み
ソレイユ川の水面が煌めき美しい。
ーほら、魔法など無くともー
「必ず私が〝正しき〟世界へ導く。
今は未だ、私より悪魔の力が強くとも
必ず成し遂げてみせる⋯!」
私はハンカチを取り出すと拡げ
朝焼けの世界に透かす。
深紫の夜空が、四角くそこに現れる。
あの子はこの街の夜空が
それはそれは好きだった。
ーそう、私はあの子に誓うー
ハンカチに頬擦りすると
絹の柔らかな感覚が
あの子の手を想起させる。
私より先に魔法が顕現したあの子を
自慢に想う傍ら、妬ましくもあった。
しかしあの子は、
そんな心を知ってか知らずか
私にいつも笑顔を与えようと
魔法への試みを重ねた。
私が綺麗だねと笑うと
慈しむ様に頬に触れてきた
あの手にはもう⋯。
ハンカチを抱き締め
もう戻らない感覚に想いを募らせる。
「おー!居た居た!
ロロぉ〜!」
ゴトリゴトリと無機質な音と共に
忌々しい声がぞろぞろと
近付いて来るのを察した私は
ハンカチを畳み口許を覆う。
「何だね?
騒々しい事この上無いな」
ガーゴイル達が鐘楼の頂上へ
続々と姿を現すが
どの顔も酷く煤けて汚れていた。
「いったい何なのかね?
そのみすぼらしい姿は⋯
その様な状態でよくも
救いの鐘の鐘楼に居れたものだな?」
余りの穢らしい姿に悪態を吐く私に
何故か此奴等はやたらと満面の笑みで
囲んでくる。
「夜更け頃に補佐君が来てね!
ロロが余りにも過労気味だから
掃除を代わってくれないかって言ったんだ!
なぁ、ロロ?
石で出来た俺達だって
少しは役に立つんだぜ!」
補佐め⋯
何とまあ、余計な真似を!
「あぁ、あぁ。
貴様等の親切心には感謝しよう。
だが、汚れきった貴様等が飛び跳ねては
また鐘楼が汚れるではないか!
大人しく、煤一つ落とさずに並びたまえ!」
急ぎ掃除用具箱から道具を取り出し
並ばせたガーゴイル達を磨き上げる。
先の夢での既視感を覚えるが
ここでまた夢の話はするまいと
一心不乱に手を動かし続けた。
鐘楼を汚れから護った私は
いつものカフェで
クロワッサンを2つ
ブドウを16粒
カフェオレを1杯と
内容を一貫させた昼食を取り店を後にする 。
向かう先は図書館だ。
途中、大聖堂の前を通るが
先の夢の事もあり
注視する事を避けてしまう。
最後に私を飲み込んだ〝アレ〟は
何だったのだろうか?
図書館に辿り着くと
取り敢えず各々の分野において
めぼしい物を 手に取っていく。
異世界
不死鳥
五花の樹
あの石碑の文字
いろいろと文献を漁るも
不死鳥に関しては御伽噺程度で
他の物は全くどの本にも記述が無い。
ー僕は⋯いえ〝僕達〟は
貴方に殺して欲しいのですー
不意にあの男の言葉が思い返される。
不死鳥をその身に棲み憑かせ
不死となった彼女が
凄惨で不幸な過去から逃れる為に
〝死〟を望むのは何となくだが解る。
しかし僕達という事は
あの男も何故また死を願うのか?
それはセイリュウもなのだろうか。
ふと不死鳥の文献を捲りながら
とある項目が目に付いた。
ー⋯ドラゴンかー
分厚い上顎
剥き出せば総てを畏怖させる様な牙
鱗に覆われた外皮
刃の様に滑らかに光る両翼
「セイリュウ⋯?」
不死鳥から庇い立てる様に立ちはだかった
セイリュウが変貌を遂げた姿が
正にそれであった。
ーセイリュウはドラゴンであったかー
先の夢で、私を飲み込んだ
あの口もきっと⋯
タタタ⋯!
ふと
文献を置いた机の対面を
幼子らしき頭部が過ぎって行くのが視えた。
「君!待ちたまえ!
図書館で走るなど迷惑になるだろう」
図書館で幼子を走らせるなど
保護者は何処で何をしているのか。
幼子に私の声は届かず
その後ろ姿は
本棚の一角の奥に走り去って行く。
「はぁ⋯」
私は席を立つと
幼子の後を追って本棚を覗く。
⋯が、
既に其処に姿は無く
顔を上げるとバタバタと音を立てて走り
一室に吸い込まれて行く姿があった。
「⋯まったく」
目に付いてしまったのなら
迷惑になる行為は見過ごせない。
保護者が責任を放棄しているのなら
私が戒めるより他に無いだろう。
追って私も、その一室の扉を開ける。
ーレストルームか⋯ー
幼子がどれかの個室に入っているのならば
用が終わるまで待って
その後に少し戒めれば良い。
ふと
文献を触っていた所為で
手がインクで汚れている事に気付く。
私はハンカチを取り出すと
その角を咥えて手を洗う。
ハンカチで丁寧に吹き上げると
鏡の自分と目が合った。
瞬間、 鏡面がまるで
ゆらりと水面の様に揺らめく。
揺蕩う鏡面を訝しげに覗き込んでいると
トン!
と、何者かに背中を押された。
「な⋯っ!?」
突飛な事に姿勢を崩した私の腕が
揺らぐ鏡面を通り抜け
その奥で何かに腕を引っ張られる。
「お、お前は⋯」
波立つ鏡面の奥に
見覚えのある顔があったが
言葉になる前に
私の躯は鏡に吸い込まれていた。
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