ほとんどゼロ距離で蹴り出された銃弾が届くまでの、コンマ数秒。その目には、弾丸の軌道がはっきりと見えていた。
◇◇◇
動体視力が優れているとは、具体的にどういうことか。それを説明するのにちょうどいい経歴があった。
克堂鋼一郎は今日まで、野球でホームランしか打ったことがない。────孤児院の球技大会や中学の助っ人試合と、野球には何かと縁のある方だったのだ。B・Uによって獲得した動体視力をもってすれば、子供の投げた玉なんて止まって見える。あとはバットの振り方と、力加減を覚えればさよなら逆転ホームランを飛ばすのも容易い。
同じ理屈で球技の類は軒並み頭が一つ抜けていた。同世代の中には鋼一郎より優れた体格や筋力を持つ人間なんていくらでもいる。その中でも鋼一郎だけが特筆して目立ったのは、「見てから、動ける」というアドバンテージが大きかったからだ。
そんな鋼一郎でも拳銃の弾は避けられないと、本人が自覚している。
一口に動体視力と言っても、上下左右に動くものを捉えるDVA動体視力と、遠くから近づいてくるものを捉えるKVA動体視力に二分される。
拳銃の弾を避けるのに用いるのは後者。そして、鋼一郎は集中力を高めることで、後者の特性をさらにワンランク上のステージまで引き出すことができた。
ざっくりと言えば、鋼一郎の目には拳銃の弾がスローモーションに見えるのだ。
しかし、それはスローモーションに見えるだけ。
見えていたとしても、体が動きに追い付けない……いや。きっと、恩師である百千桃ならば出来るのだろう。
彼女は、鋼一郎と極めて同じに近い目をしていただけでなく、身体能力までもが異常だったのだ。彼女の場合、B・Uによって身体能力のリミッターも外れていたのだろう。
◇◇◇
「────は?」
避けはできずとも、見えるのだから着弾点をズラす程度のことはできる。内臓へのダメージを少しでも減らすために脇腹で受けた。
「がっ……!!」
焼けるような痛みで後ろへと仰け反る鋼一郎へ、ホテルマンの男は再び照準を合わせる。今度は頭だ。眉間ど真ん中をフロントサイトがばっちりと捉えている。
……野郎、人を撃つことに慣れていやがる。
だが、それは同時にチャンスでもあった。男もまさか、こっちが一発目をズラして受けているとは思わないはず。
「────ッ!」
乾いた破裂音を合図に鋼一郎は弾丸を頭蓋で受けた。頭蓋のカーブに弾の先端を滑らせるように。凱機の装甲を斜に構え衝撃をいなす技術と容量自体は同じだ。額の肉が数十センチえぐり取られるも、腹筋を頼りに仰け反った体制を立て直す。
「なんだと!?」
まさか、頭を撃った相手が立ち上がるとは思っていなかったのだろう。鋼一郎は驚愕の間抜け面にきつく結んだ裏拳をねじ込む。
「現役の祓刃隊員を相手にしたのが悪かったなッ!」
膝から崩れながらもホテルマンは両腕を前に構えを取る。キックボクシングか、その派生か。
ただ自分の目を相手にその動きでは遅すぎる。ガードの間を掻い潜るよう、ダメ押しの中段蹴りで意識を完全に刈り取った。
「どうした、お前さん!」
くつろいでいた白江も部屋の奥からが慌てて飛び出してきた。二発も銃声が響いたんだ。飛び出してきてもおかしくはない。
「その傷……まさか、撃たれたのか!?」
「っ……油断しただけだ。急所は外してある。それより、すぐに準備しろ! 囮作戦は中止、すぐにここから逃げるぞ!」
鋼一郎は血が目に入らぬよう、上着の袖を破って傷口を縛った。すぐに血で滲んだが、ないよりはマシだ。
「寧ろ、弾が抜けてない分、脇腹の方がキツイな……」
これもないよりはマシ、寧ろ護身用には必須だと判断し、ノックアウトした男の拳銃を取り上げる。グリップにあるのは星マーク。中国から大量のコピー品が流れた背景をもつ、54式(トカレフ)か。
銃自体はヤクザといった連中の御用達で、大して珍しいものでもない。珍しいのは、そこに装填された真っ白の弾だ。明らかに見慣れない色の銃弾だが、鋼一郎はこれに極めて近いものを知っていた。
「……凱機のアサルトライフルに装填される対妖怪弾」
トカレフに装填されたそれは、凱機用の弾丸をスケールダウンしたようなものだった。弾の原料となる白聖鋼は特殊な製法でしか加工することが出来ない。そして、その製法を知るのは祓刃のメカニックと、凱機の制作に携わる奈切コーポレーションの二つだけだ。
「……ダメだ。痛みのせいで思考をまとめてるだけの余裕がねぇ」
そもそもだ。白江は高危険度の妖怪に狙われているのではなかったのか。それなのに襲ってきたのは、明らかに自分たちを標的にした「人間」の刺客だ。
鋼一郎の思考はそこで行き詰まってしまうだろう。
「準備できたぞ。……それより、これは一体どういうことじゃ」
「俺が知るかよ。妖怪に恨まれる覚えならいくらでもあるが、流石に同じ人間にまで恨まれることはしてねーよ!」
このホテルに入り込んでいる刺客が一人とも限らない。正直分からないことだらけで、頭の中がぐちゃぐちゃだ。元より頭を使うのだって、苦手の方なのに。
ただ一つ、ハッキリとわかることもある。
「今から、俺たちはこのホテルを出る。……敵の正体、人数、配置も分からねぇ以上、隣室の野郎がいきなり襲ってきてもおかしくない。なにより一番マズいのは、ここに俺たちがいるってことがコイツらがバレてることだよ」
「それは不味いのか?」
「ここは仙道指揮が秘密裏に滞在先として選んだ場所だぞ。それがバレてるってことは、まだまだ襲われる可能性があるってことだ」
騒ぎを聞きつけ、周辺の部屋からも宿泊客がゾロゾロと溢れてきた。誰が刺客かもわからない。増して、彼らが民間人ならば祓刃隊員として危険に巻き込むわけにもいかなかった。
「仕方ねぇ! 来い、白江ッ!」
問答無用で彼女の小さな体を肩に担ぐ。
「えっ、ちょっ……ワ、ワシになんて恰好をさせるんじゃ!」
「うるせぇ! これが鋼一郎流お姫様抱っこだ! 我慢しろ!」
彼女を米俵のように担いだまま、鋼一郎は走り出す。
「ワシをなんじゃと思っている!」
ホテルから脱出するには、まず一階まで降りなければならない。
だが、エレベーターを使うのは論外だ。スピードが遅い上に、刺客と鉢合わせた才の逃げ場がない。階段を使うのも当然ナシ。どうしたって待ち伏せられる可能性がある。
だからこそ、鋼一郎はエントランスの吹き抜けにアタリをつけた。
「まさか、お前さん……まさかじゃよな?」
「あぁ、そのまさかだよ」
深くひざを折り、落下防止用の柵を軽々と飛び越えた。下まではざっと五十メートルはあるんじゃないだろうか。一瞬の浮遊感から、すぐに二人の足元を重力が捕まえる。
「この馬鹿者がぁぁぁぁぁぁァァァァァァ!!」
大丈夫だ。この目はしっかりと見えている。
十八階からエントランスに叩きつけられるまでの間に、設置されたオブジェクトの真横を素通りする。そのタイミングをこの目で見定め、掴まることが出来れば────
「今ッだぁ!」
風切り音ががなる中、白江を抱えたのとは逆の手でオブジェクトの出っ張りを掴んだ!
途端にその腕一本に二人分の体重がのしかかる。
「ぐっ……! 桃教官仕込みの根性を舐めんじゃねぇぇぇぇ!!」
筋繊が一本ずつ千切られていくような痛みを根性で抑え込む。落下の勢いを押し殺し、彼女と腹の傷を庇うよう着地した。
「ッ……! セーフ! セ―――フッ!!」
「〝あうと〟じゃろうが、大馬鹿者め! 無茶苦茶しよってからに!!」
勢いよく、後頭部を白江にぶん殴られた。その細腕のどこにそんな力があったのか、脳みそがゴンゴンと揺らされる。
「痛ってぇな! 今のは必要な無茶だ! 殴ることはねーだろ! 殴ることは!」
確かに、彼女にしてみては自分を抱えていきなりの飛び降り自殺だ。怒るのだって無理はないが……
「ワシは己を壊すような無茶をするなと言っておるのじゃ! 護衛役が自分の身すら守れぬなど、論外極まりない!」
白江がジッと、鋼一郎を睨みつけた。つい最近も、同じようなことを言われたばかりだ。勢いに捲し立てられるまま、バツが悪そうに顔を逸らす。
「……わ、悪かったよ」
鋼一郎は一度、頭の中でこれからの順序を整理した。
抱えていた白江を下ろし、裏手に隠した凱機を回収。そのまま少しでも、ここから離れて仙道と合流し形成を立
て直す。
ここまでを確認し裏口にまで走ろうとする。だが、ガラス張りにされたホテルの正面玄関から、その向こう。一面に広がる闇の中で、鋼一郎は目を合わせてしまった。
「…………なんだ、あれ」
赤く輝くソレに生気は感じられない。妖怪の持つ瞳ともまた違う異質さだった。
ホテルから漏れる明かりが徐々にそれのシルエットを照らし出す。
全長にして、六メートル以上。夜間明細の施された装甲は分厚く、そして重圧の印象を与えた。恐らくはエンジンとコクピットの詰まったコアブロックから無骨な四肢を生やしたそれは紛れもなく凱機であった。
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