コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第2話
仕立て屋から受け取った特注のドレスを纏い、許嫁であるロレンツォ第三王子とともに公会堂へと赴く。
ゲーム初期のイベント、聖サリエール学園の新入生歓迎パーティだ。
広いホールを貸し切って行われるパーティだが、その内容は主に学園の新入生と在校生、教師陣のみで互いに親睦を深めるという、ささやかな内輪イベントである。とはいえ私自身を含めたロレンツォなど身分の高い者たちを警護する騎士や衛兵たちはあちこちに配置されており、料理人や給仕係も配備されているので、会場内の人数はそれなりに多い。不審者が数人程度、会場内に紛れ込んでいたとしてもすぐ気付けないぐらいには。
そう。このイベントのゲーム上の目的は、会場内に忍び込んだ反乱分子に命を狙われたロレンツォを、たまたま近くにいたヒロイン、須藤リタに庇わせることだ。今回のイベントを手始めに、いくつかの行事をこなして彼の好感度を上げることでロレンツォのルート、つまり私にとっては断罪ルートへと突入することになる。
「アディ、どうかしたかい? 顔色が優れないようだが」
「いえ……何でもありませんわ」
いけない。あまり視線をあちこちに動かしていると怪しまれてしまう。会場内に目を向けつつ、私はロレンツォに微笑みかける。彼はそんな私を見て少し頬を赤らめた。政略結婚の予定ではあるものの、彼は今のところ私のことをそれなりに好いてくれているらしい。
会場の壁にかかった時計を見やり、例の不審者騒動は何時頃起こるのかしらとぼんやり考えていたその時。不意にどこからか飛んできたナイフが、私とロレンツォの間をかすめて背後の壁に突き刺さった。
「キャアアアアッ!?」
一斉に会場内の皆から悲鳴が上がり、突然の出来事に動揺が走る。私も思わず後ずさったが、間髪を入れずに刃物を持った給仕係――正確には給仕係として会場に潜入していた反乱分子の男――が、ロレンツォに向かって突進してきたではないか。
「国民から暴利を貪る腐った王家め! 覚悟!」
あまりに唐突な出来事のため、衛兵たちも出遅れてしまっているようだ。
「危ない!」
近くにいた黒髪の少女、ヒロインであるリタが、ロレンツォを庇うかのように彼を突き飛ばす。
「うおおっ!?」
彼は何とか凶刃を避けることができたものの、反乱分子は邪魔をした少女、リタに目標を変えたようだ。
「この小娘が! 邪魔しやがって!」
反乱分子の男はナイフを振りかざしてリタを威嚇するが、彼女もまた怯むことなく睨み返す。
「あなたこそ、その物騒なものを捨てたらどうです? この場には何人もの警護者がいるのですよ。あなたに勝ち目があると思って?」
「このガキッ……!! おい、お前ら出てこい! こいつも殺るぞ!!」
男がそう叫んだ瞬間、会場内から刃物を振りかざした者がさらに二人現れた。皆がますます動揺する中、ロレンツォがリタを庇う形で前に出る。
「君たちの目的は僕だろう! 彼女や周囲の人間にも危害を加えるのなら、我が王家ひいては王国そのものを敵に回すと思え!」
「うるせえ、こっちはハナからそのつもりだ!!」
男たちが襲いかかる。「危ないっ!」と叫んだリタがロレンツォを守るように抱きしめた。
ゲームの内容としては、ここでヒロインは怪我を負うものの、衛兵たちが反乱分子を取り押さえることに成功し、彼女は医療施設に運ばれる流れになるはずだ。その過程で医師見習いの青年や療養施設の温室を整備する若い庭師と知り合うから、これはヒロインがさまざまな攻略対象と出会うきっかけとなるイベントでもある。
だからこれは、リタの幸せにとって必要なこと。必要なこと、だけど。
(誰かが今まさに傷つけられようとしているのに、黙って見ているしかないの……!?)
生前は刑事として、多種多様な事件に関わった。時には聞いているこちらが辛くなってくるような目にあった被害者の話を聞いたり、他者を傷害することに抵抗のない輩と徒手空拳で渡り合ったりしたこともある。
そんな私にとって今、目の前で起こっている出来事は、決して目を逸らすことができないものだ。
私は現在、ゲームの登場人物アドリアナ・グラジオラスとして生きている。ここで勝手な振る舞いをすれば、きっと今後のシナリオ進行に少なからず支障が出るだろう。
それでも私の中に、この状況でただ突っ立ったままでいるという選択肢は、存在していない。
「アドリアナ様!?」
「アディ! 来るんじゃない!」
離れた場所で衛兵に守られている生徒たちと、ロレンツォが叫ぶ。しかし私はそんな悲鳴を歯牙にもかけずに、ヒールを脱ぎ去った裸足の状態で反乱分子たちの方へ駆けていく。
「何だこの女!?」
「邪魔するんじゃねえ!!」
口々に叫びながら、彼らは私に刃を向ける。
「アディ!」という叫び声は誰のものだっただろうか。
私は男が振り下ろした腕を掴み、前方へと引っ張った。そうして前のめりになった男の体を、背負うようにして投げ飛ばす。
一本背負い。現役時代には空いた時間に一人、寂れた公園の木を相手によく打ち込みの練習をしていたっけ。
固い床に背中から叩きつけられた男は、「がっはぁ!?」と苦しそうな悲鳴を上げた。
「こ、このアマ!!」
床に伸びる男をしばし呆然とした様子で見ていた別の反乱分子が躍りかかってくる。直線的にナイフを突き出してくる手を軽く掴んで引っ張りながら、私自身は横にスライドするように移動して攻撃をいなした。自らの勢いでつんのめりつつも振り返った男の顔面に、すかさず左ジャブと右ストレートを順に繰り出す。そしてがら空きになったボディの方に左フック。最後にトドメの右ストレート。
「うぶぅっ……」
男はうめき声を上げて床に倒れ伏す。ワンツーで顔面の方にガードを上げさせて、空いたボディにパンチを叩き込むという、学生時代にボクシング部の先輩から習った取り回しだ。
「ち、畜生ぉぉぉぉぉ!!」
最後に残った男が、私に向かって突進してくる。私はドレスの裾を踏まないよう注意を払いつつ、姿勢を低くした。狙うのは男の両膝だ。私の体勢に驚いたらしい男が怯んだ一瞬の隙を突き、その懐に潜り込んで私は両手で彼の両足を抱き込んだ。そのまま後ろへ押し倒すように体重をかければ、男の体は背中からあっけなく床に叩きつけられる。
「ぐぁっ……!」
男が立ち上がる前に回り込み、鳩尾に向かって真上から拳を叩き入れた。
「ぐぇぇっ」
腹を押さえてのたうち回る男は、しばらく起き上がれそうにない。
双手刈。柔道国際ルールの変更で公式試合での使用は難しくなったが、身内でやる乱取りでは時々使ったことがある。上手く決まった時に畳へ相手を沈める瞬間は結構快感で……。
畳。畳?
「しまった……! ここ畳じゃなかったわ……!」
固い床に打ち付けられた男たちは皆、苦しそうにうめいており。私は頭からさあっと血の気が引いていくのを感じた。
「だ、大丈夫かしら。脊椎とか逝ってないわよね?」
「おい、連中を早く拘束しろ!」
「皆を安全な場所へ!」
一人でオロオロする私をよそに、衛兵たちは反乱分子たちに縄をかけていく。
「アディ! 怪我は!?」
真っ青になったロレンツォが駆け寄ってきた。彼は私の手を取ると、心配そうな顔で私の全身を見回す。
「私は大丈夫ですわ、殿下」
「しかし……!」
「それよりリタを……彼女をケアしてあげてください。きっとすごく怖い思いをしたでしょうから……」
脇にいる黒髪の少女に視線をやり、彼女の保護を促す。ロレンツォは何やら名残惜しそうにして私の手を離さなかったが、「アドリアナお嬢様も念のために検査と治療を」と言う医療班の言葉に従い、後ろ髪を引かれるようにしつつもリタの方へと駆けていった。
「お怪我はありませんか」「痛むところは?」などと訊かれながら、再びロレンツォとリタを見る。するとリタの方と視線がかち合った。乙女ゲームのヒロインを張る美少女と目が合ってしまったのが少々恥ずかしくなり、私はすぐに視線を逸らす。
あの娘の頬が少し赤くて瞳もきらきらと輝いていたように見えたけど、気のせいよね。