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🌿番外編:仕入れは静かに、そして熾烈に
午前十一時。まだ《Fleur》の扉は開かれていない。
秋の気配がにじむ薄曇りの空の下、カインは黒いロングコートの襟を立てて、リュカと肩を並べて歩いていた。
「……あのさ。別に僕が一人で行ってもよかったんだけど?」
「信用ならない」
「ひどくない!? まだ何もしてないよ!?」
「まだ、ではなく“すでに”だ。前回、酒屋と値段交渉をして“もう売らん”とまで言わせたのは誰だ?」
「……焼き菓子で許してもらえたもん!」
「謝罪が成功しただけだ。交渉ではない」
リュカは口を尖らせたままもぐもぐと反論しようとするが、結局言葉が出ず、肩をすくめてごまかす。
そんな調子の二人が目指すのは、魔道市場の中でも特に特殊な品が揃う奥地――【マリオネ通り】。
この通りには、普通の商人や飲食店では扱えない“裏ルートの素材”が集まる。
曰く、心を鎮める光を宿す“銀涙樹の樹液”。
曰く、感情を増幅させる香りを持つ“夢見果の種”。
曰く、月明かりにしか姿を見せない“幻晶ハーブ”。
それらすべてが、《Fleur》の“特別な一杯”に欠かせない。
「ま、仕入れに来るたびに思うんだけどさ……魔道市場って、普通の店だったら一歩も入れないよね。なんか、未許可魔力の検知とかされそうな雰囲気あるもん」
「事実、されている。“魔素濃度センサー”を通過する際、少しでも不審なエーテルを検知すれば即通報される」
「こわ……よくこんなとこ通ってるね、僕ら」
「通っているのではない。“認められている”のだ。《Fleur》の名でな」
それは、カクテルをただの嗜好品で終わらせない、“癒し”として成立させる技術と実績がある証でもある。
魔道の世界でも名を知られる“癒しの一杯”を提供するために、妥協のない素材選びは欠かせないのだ。
「お、来たなカイン。……おや? 今日も相棒連れか?」
通りの一角にある香料店の店主、魔術蒸留家ヴェルトが笑いながら顔を出す。白髪の乱れ具合も、無骨な革手袋も、いつもの彼だ。
「……相棒ではない」
「わー、またそれ言った! もうそれ言い続けて何ヶ月目?」
「事実を訂正しているだけだ」
「訂正しすぎて相棒感が深まってるんだけどね?」
リュカはにっこりと笑って、背中に手を当てたカインを軽く押した。
「ほらほら、せっかくなんだから、今日は仲良く買いましょうよ。争いは酒の場だけにしよう?」
「それもどうかと思うが」
ヴェルトが持ち出してきたのは、光をほのかに反射する琥珀色の小瓶。
「今日の目玉だ。“星見草の蜜”。月蝕の夜にだけ咲く花から抽出したエキスでな。精神安定の効果がある。ちょっと高めだが、質は保証する」
「買う」
カインの即答に、リュカがすかさず制止をかけた。
「ちょっと! 値段も見ずに即決はやめて!? 原価率跳ね上がるってば!」
「必要なものだ」
「ううっ……“必要なら値段は問わない”って、かっこいいけど帳簿をつける僕の胃には悪いんだよぉ……」
結局、カインが値段交渉の余地なしで購入を決定。リュカは泣きながら支出欄に魔力染みた文字で“星見草の蜜(高)”と書き込んだ。
その後も、使い魔の羽根から作る“風読み香”や、氷界で採れる“永久霜の結晶”などをチェックしながら、真剣な眼差しで素材と対話するように仕入れていくカイン。
一方、リュカは「あ、これ君に似合いそうな香り」「この瓶、形がオシャレじゃない?」など、まるでウィンドウショッピングのノリで素材に触れようとしては叩き落とされていた。
そんな小競り合いを繰り返しながらも、仕入れの精度は恐ろしく高い。
午後二時過ぎ。ようやく全ての仕入れを終えた帰り道、リュカは大袋を両手に抱えてふぅとため息をついた。
「……やっぱり一緒に来ると、効率も精度も段違いだな。僕一人じゃこうはいかない」
「当然だ。“適当”な素材で、癒しのカクテルは作れない」
「バーテンダーの鏡みたいなこと言うよね、ほんと」
「事実だ。《Fleur》は妥協しない」
「うーん、言ってることは正しいんだけど、態度がなんかこう……ツンツンしててかわいくない」
「かわいさは不要だ」
「いや、あると癒し空間としてはポイント高いよ?」
そんなふざけたやり取りをしながら、二人の影は傾きかけた陽射しの中に重なって伸びていく。
夜になれば、《Fleur》の扉が再び開かれる。
そのカウンターに注がれる“たった一杯”のために――
その裏では、妥協なき仕入れと、職人たちの静かなる戦いがあった。
🍃あとがき
癒しのカクテルは、ただ“美味しい”だけでは成立しない。
それが“心に効く”ものであるためには、素材の質、扱い方、組み合わせ、すべてが精緻でなければならない。
《Fleur》が愛される理由は、そんな目に見えない努力の積み重ねにある。
そして、支えているのはカインとリュカ――
相棒じゃないけど、どこか相棒みたいな、絶妙すぎる凸凹コンビだ。