宮殿の窓越しからしか見えなかった月が、僕を導くようにあたりを照らす。月明かりで煌めく海が見える所まで来て、柔らかく細い芝生に腰を下ろした。
大きな街の中、危険だからとめったに人が訪れない海に面したこの崖丘は、芝生で広く覆われている。
この街はこの幻想的な星空が魅力なのに、今目の前に広がる海を添えて見ないのは実に勿体ない。
無意識に息を吐く度、それが半透明に白く色付けされ、風に運ばれて空気に溶けていく。
このまま景色を眺めているわけにもいかず、芝生へ沈み込むように寝転がる。
眠気が少しずつ瞼を重くする反面、しかし冷たい北風も負けじと肌の上や服の隙間を通り抜ける。
まぁ、流石にコートとマフラーだけでは、快適にこの夜を越せないだろうな。
「…なにしてるんだい、少年?」
意識が少しふわふわしてきた頃、目の前に影が落ち、上から声が降りかかった。
「こんばんは。」
その全容を見ようと起き上がる。
暗い中でも、深く被られたフードから覗く目と目が合ったのがわかった。
「もしかしてだけど、こんな寒い中で野宿しようと?」
「…家出してきたんだ。」
「そんな軽い荷物で?」
君くらいの歳だったら、もっと念入りに準備すると思うけどなぁ。
口角を上げながら、核心を突くように言われる。
強がりだったわけではないが、まぁ確かに、彼の問いへの答えが嘘だったのは本当。
「貴方こそ、なんでこんなところに?」
今度は同じ口調で、僕が問いかける。
「僕は宿を探しに来たんだよ。」
そしてまた同じように口角を上げて、同じように言葉を紡ぐ。
「宿なら街に沢山あるよ。でも、街に行くまでにここを通るとは思わないけどなぁ。」
自分を真似されたことに彼はぽかんとして、すぐに面白いものを見たかのように笑った。
「正解だよ。あんまりにいい眺めだったから、街に行く前に寄ったんだ。宿に行くのは本当だけどね。」
「それで、君は?」
突然の踵返しに今度は僕がぽかんとする番だった。
「僕は正解を言ったのに、君は言ってくれないの?」
ほう、この人もなかなか面白そうだ。
「そっちも正解。家出じゃなくて、追い出されたんだ、家から。」
散歩かとでも思っていたのだろうか。予想外の答えに、彼は数回ぱちぱちと瞬きをして、
そっか、と呟いた。
「大荷物だけど、街にしばらく居座るの?」
「いや、街には1日しかいないよ。3日くらいで国を出るし。」
僕はいろいろなところを旅してるんだ。
そう説明する彼が、なぜか大きく感じられた。
あの小さな城に閉じ込められていた自分を、広い世界を旅する彼と、比べているのだろうか。
「一緒に来る?」
彼を見つめる僕を気遣ったのか、街まで一緒に歩いてくれるらしい。
「街まで行っても、家には帰れないよ。無計画だけど、このままどこかを彷徨う予定だったし。」
彼の誘いにお断りを入れる。そこには諦めが少し滲んでいた気がする。
だが、またまた予想外の答えだったのか、彼はぱちぱちと数回瞬きをする。
「街まででいいの?」
…街まで?街につれていくという意味じゃないのか?
どうやら僕の解釈が違ったらしい。
「僕は、一緒に旅についてくる?って意味だったんだけど。」
風が、芝生をさあっと駆け抜ける。
旅についてくる?
僕を、一緒に旅に連れて行ってくれる、と?
「…いいの?」
そうなの?とか、え?とか、普通は自分の解釈と違う答えに戸惑ったりするのだろう。
でもなぜか、その言葉が最初に口をついた。
そんな僕の言葉に、彼はゆっくり微笑んで、僕の前に手を差し出した。
「いいよ、もちろん。」
差し出された手と、その言葉が、月明かりでとても輝いて見える。
ゆっくりと、しかし迷わず、僕は彼の手を取った。
引っ張られた手がよろめきながらも体ごと起き上がらせる。
立っても彼のほうが背は高かったが、さっきよりも顔の輪郭がはっきりと見える。
「そう言えば、名前を聞いてなかった。」
僕の手を握ったまま、君の名前は?と問う。そう言えば言ってなかったな。
「…テルベニ。貴方は?」
無意識に吐かれた息が、半透明に白く色付けされ、風に運ばれて空気に溶ける。
「僕はシノノメ。よろしく、テルベニ。」
ぶわっと、優しくも勢いのある風が吹いて、彼のフードをめくる。
星空の光を浴びた、きれいな銀の髪。
そして、ふっと笑った、綻んだその笑顔が、とても綺麗だった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!