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8/|/aB(旧アイビー)
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#AI
不価値
36
三月の終わり、桜はまだ蕾だった。
高校二年の湊は、毎朝同じ時間の電車に乗る。
向かいのドアにも、いつも同じ人が立っていた。
一つ上の先輩、玲。
話したことはない。ただ、目が合うと小さく笑う人だった。
その笑顔だけで、一日が少し明るくなる。
ある雨の日。
電車が遅れ、ホームには人があふれていた。
「傘、忘れた?」
突然声をかけられ、湊は驚いて振り向く。
玲だった。
「……はい。」
「駅までなら、一緒に入る?」
差し出された透明な傘の下は思ったより狭くて、肩が何度も触れた。
「名前、なんていうの?」
「湊です。」
「そっか。俺は玲。」
知っている名前を、初めて本人の口から聞いた。
それだけなのに胸が熱くなった。
それから二人は毎朝話すようになった。
好きな音楽。
苦手な教科。
将来の夢。
特別な約束なんてなくても、朝の十五分だけは二人だけの時間だった。
ある日、玲が言った。
「俺、卒業したら県外なんだ。」
その一言で、世界が少し静かになった。
「大学ですか?」
「うん。だから、この電車もあと少し。」
湊は笑って「応援してます」と言った。
本当は、「行かないで」と言いたかった。
卒業式の日。
駅のホームで玲が待っていた。
「これ。」
小さな栞だった。
押し花の桜が挟まれている。
「春になったら思い出して。」
湊は何も言えず、代わりに制服のポケットから一本のシャープペンを渡した。
「これ……よく貸してもらったので。」
玲は笑った。
「返し忘れてたな。」
「返さなくていいです。」
少し沈黙が流れる。
電車がホームへ滑り込んできた。
扉が開く。
玲は乗る前に振り返った。
「湊。」
「はい。」
「好きだった。」
時間が止まった。
「返事はいらない。」
そう言って玲は電車へ乗った。
扉が閉まる瞬間、湊は思わず駆け出した。
「先輩!」
玲が窓越しに振り向く。
「僕もです!」
電車はゆっくり動き出す。
玲は少し照れたように笑って、小さく手を振った。
一年後。
桜は満開だった。
朝のホームに、懐かしい声が響く。
「湊。」
振り向くと、少し大人になった玲が立っていた。
「ただいま。」
湊は笑う。
「おかえりなさい。」
春はちゃんと、二人のところへ戻ってきた。
コメント
1件
ああ、もう、素敵なお話でした…!電車という限られた空間と時間の中で育まれる距離感が、本当に繊細に描かれていて、胸がぎゅっとなりました。「好きだった」の伝え方も、返事を求めないところも、玲先輩の優しさがにじんでいて。そして一年後、満開の桜の下で「ただいま」って——もう、涙が出そうになりました。湊くんの「おかえりなさい」に、待っていた時間の全部が詰まっている気がして。不価値さんの描く感情の温度が、とても好きです。また続きがあれば教えてくださいね🌷