地面に広がって行く赤黒い其れは、濃い鉄の臭いがした。やがて朝日がのぼり、目の前の生々しい光景とは相反する眩しい朝日と、晴れた空が広がった。朝になりかけの、とても美しい其の光景は、酷く皮肉に思えた。
———そう言えばあの時も、綺麗な朝日を見たっけ。
ほとんど回らない頭で、不意に思い出したとある日の事を、五条はゆっくりと想い巡らせた。
確か、其の日は、久しぶりに一段と忙しい日だった。
朝から授業やら葬式やらで、やる事が有り過ぎて疲れ果てていた。昼間に休息は取れたが、夜も任務やら何やらで忙しかったのを覚えている。其の日は、何度溜め息をついたのか分からない。
深夜の3時だった筈、神社での任務があった。東京からは遠く離れた場所で、田舎かと聞かれればまぁ、東京よりは田舎だけど、ザ・田舎か、と言われれば、そう言う訳でもない感じの、微妙なラインの所だった。観光地としては、まぁまぁ知られているらしいが、深夜となれば、人一人居なかった。
海沿いにある神社で、海からの潮風の影響で、老化が元々早いみたいだった。でも、もう修復が追い付かないし、管理する事が出来ないから、取り壊される事になったらしい。其処の、様子見みたいな感じの任務だった。一応、神様が祀られていた場所だから、なんかまぁ、呪術的な事が起こる可能性があるからと言う様な感じだった。
朝から働き詰めで、碌に休憩も取れず、其の所為で度々襲ってくる睡魔に、五条はイライラしていた。
「…何も起こんねェじゃん。」
(傑)「万が一だよ。」
「あ″ー……これで何も起きなかったら、休めた筈の時間がパーになったって事じゃん。」
「大体、今日は流石に働かせ過ぎだろ。」
(傑)「それに関しては私も同感だが、今は任務中だ。」
「今は任務に集中しな。」
「悟。」
「はぁ……。」
「…へーへー。」
朝から晩までずっと働いて、真面に休憩出来たのは、昼の数時間だけだ。流石に眠くて、再び襲ってきた睡魔に負けそうになっていた時だった。キラリと、横から眩い光が差し込み、反射的に目を閉じた。
(傑)「…もう夜明けなのか。」
「……わ……っ。」
暖色にほんのりと色づいている雲と、空。
そして、海の向こうの水平線から、顔を出した朝日が、明るく海面を照らしていた。
開けた海沿いから見る其の美しい光景に、思わず目を見開き、視線を外すことが出来なかった。
朝日でキラキラと光る海面、澄んだ空に、新しい朝の空気で胸がいっぱいになった。
眠気は消え失せ、任務の事すら忘れて、夢中になって見惚れた。
「……キレー……。」
五条は思わず呟いた。
此れ程、『綺麗』と言う言葉がぴったりな景色は、今まで見た事がなかった。
(傑)「……そうだね…。」
「…良かった。」
「何が?」
(傑)「…今日は色々忙しくて、正直ちょっとしんどかったけど、悟と此処に来れて良かったと思ってね。」
「此の美しい景色を、悟と二人で見れて本当に良かったよ。」
「……?!」
サラッと恥ずかしい事を言った傑に驚き、反射で五条が傑の方を振り向くと、傑はそっぽを向いていた。よく見ると、傑の耳が赤らんでいるのが分かった。
いや、お前が照れるのかよ…。
そう思いながらも、五条も顔が熱っていた。
気まずい訳じゃないけど、何だか口を開きにくい様な雰囲気が、二人の間に漂った。
(傑)「悟、もう太陽があんなところまでのぼっているよ。」
「そうだな。」
(傑)「…さて、そろそろ切り替えないとね。」
「…葬式の事?」
(傑)「嗚呼、まさか、亡くなるとは思ってなかったから。」
「突然過ぎて、驚いたよ。」
朝から忙しかったのは、知り合いの呪術師の葬式に呼ばれたからと言うのもあった。ソイツとは、連絡先を交換していたし、まぁまぁの頻度で連絡も交わしていた。めちゃくちゃ仲が良いのかと聞かれれば即答は出来ないが、仲が悪い訳ではなかった。
偶々、予定の空きが揃ったもので、今度、ソイツと俺と傑の三人で遊びに行く約束もしていた。だけど、約束をしたソイツが亡くなったと知らされた時、葬式に参列した時も、特に、悲しいとか、寂しいと感じる事は無かった。葬式で、任務と授業の時間が押されて、勿論、葬式に行く予定なんてなかったものだから、それで後々のスケジュールがぎゅうぎゅうになった事を、面倒に思った程度だった。
我ながら薄情だと思う。それでも、一々仲間が死ぬ度に悲しんでいてはキリがない。此れは、防衛機制と呼ばれる物が働いているからなのだろう。
「……。」
五条は、何となく携帯を取り出し、ソイツとのやり取りを遡ってみた。
『今度遊びに行く所どうする?』
『何処でも良い。』
『おいおい、もっと真剣に考えてくれよ。』
『そんな事言われても分からない。』
『じゃあ俺が決めても良いか?』
『楽しい所なら。』
『傑も行くし、美味い蕎麦屋がある所が良い。』
『注文の多い奴だな。』
『じゃあ此処はどうだ?』
『良い感じじゃん。』
『それはどうも。』
『何やら楽しそうな施設もあるけど、予約が必要っぽい。』
『じゃあ予約よろしくな。』
『そう言われると思って、三人で予約しといたよ。』
『ありがと。』
…三人で予約してたのに、一人いなくなったらキャンセル料が発生するじゃん。
死んでる人間が払える訳もなく、必然的に、五条達が負担する事になった。
(傑)「三人で遊びに行きたかったな。」
傑は、ぽつりとそう零した。
「だな。」
久しぶりの休みに遊びに行けることになって、あわよくば、硝子達も誘おうかなとか、色々考えているうちに、何時の間にか、その日が待ち遠しくなっていた。
俺も、意外と楽しみにしてたんだな。
そして、自分が思ったより、アイツの死をきっぱり割り切れていた訳ではなかったみたいだ。
やっぱ、防衛機制、掛かってたんだろうな。
(傑)「…でも、何時までも悲しがって、蹲ってはいられないから。」
そう言って、遠い目で朝日を見つめる傑は、苦しそうな顔をしていたのを覚えている。
「はぁ……。」
目尻が熱くて、鼻の奥に、ツンとした痛みを感じた。
今更こんなの、知りたくなかったなぁ。
知らない儘だったのなら、分からない儘だったのなら、どんなに楽だったんだろう。
自ら殺めた親友を、五条は抱き寄せた。
抱き寄せた体は、鼻をつく濃い鉄の臭いがして、まだ微かに残る、体温の熱りを感じた。
眩い朝日も、澄んだ空も、新しい朝の空気も、今はただ、皮肉にしか思えない。肺に吸い込んだ朝の空気に、胸の奥の方が、痛苦しい程、ぎゅっと締め付けられる。
「ねぇ、傑。」
「今だけだからさ。」
「今だけは、蹲っても良いかな。」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!