母から聞いた。私が産まれる前、兄がお腹の中にいた。母も父も初めての子が出来てとても嬉しかったそうだ。毎日話しかけ、毎日名前を呼んだ。「早く生まれてきてね〜。」、と。
無事に産まれてくるはずだった。原因は不明。初めての流産を受け入れることが難しかった。祖父も少しおかしくなった。そんな中、私ができた。同じように毎日話しかけた。
無事に産まれてしまった。
“奇跡の子”
私が赤ん坊の頃、父は仕事が原因でうつ病だった。仕事もしず、家事もしず、私の世話もせず、母に全部任せっきり。母が仕事の間、私が泣きわめいていた。母が帰ってきてからも。父は耳を塞いで部屋の隅でうずくまっていた。
私は幼稚園の頃勉強が好きで、遊びも勉強だった。英語と数学が得意だった。幼稚園児で掛け算ができる子なんか聞いたことがない。でも、私はできた。勉強だけが私の自慢だった。私は皆とはちがう。見た目も。頭も。私は遺伝で肌が元々白かった。びっくりするほど。それが原因でいじめられることもあった。時には羨ましがられたり、褒められたり。私はそれが嫌いだ。肌をやこうとしてわざと日に浴びるようになった。これで皆と同じになれると思ったのに。日光アレルギー。そのせいで未だに肌はこのまま。でも、変わったところならある。英語と数学が苦手。何もかもできない。自慢なんてひとつも無い。自信もって話せることなんか考えてる間に死んでしまうくらいだ。親からは、叱られ、友達からは「何ができるん笑」と見下され、先生からは「頑張れよー」の一言だけ。頑張ってもみんなと同じになれない。頑張ったところでどうせ終わりが来る。将来に光なんてものは存在しない。どこを歩いてるのかすら分からない。暗くて、寒くて、何かが追いかけてくる。怖い。自分が嫌いだ。幼稚園のころはできたのに、今じゃ何にもできない。皆、「幼稚園のころは可愛かったなぁ〜」「あの頃はいい子だったのに」「あの頃は努力の天才だったな」「あの頃にもどってほしいなー」って。母は「産まなきゃ良かった」父は「死ねばいいのに」って。私だってこんなんになると思ってなかったよ。私だって戻りたい、あの頃は良かったのに…。今の私は、昔の私じゃない。知らない誰かだ。こんなの求めてない。どこで間違えたのかどこが間違ってるのか、分からない。どうしたらいいの。なんで兄は死んで私が生きてるの。親も祖母も他のみんなも、こんなやつがいたって居なくたってどーでもいい。兄が生きてた方が良かった。私は生きてていいの?何も出来ない奴が、お先真っ暗のやつが生きてたって金の無駄。言わないだけでみんなそー思ってる。私が、私自身にそー感じるから。皆は優しい。死にたい。消えたい。この気持ちが消えない。消えることは無い。だって、死んだところで悲しむ人なんか居ないもん。悲しむ人が欲しいとかも望んでない。何が悲しいの?何が嬉しいの?何が楽しいの?。もう分からない。私はなんなのか。私は誰なのか。いっそ最初からこの世界に私という存在をいなかったことにして欲しい。それだけが、唯一の願いだ。
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