「カピバラって横を向いてる分には可愛いが、真正面から見たらそうでもないな……」
陽翔がそう漏らすものだから、百子は吹き出してしまった。
「そう? ちょっと間抜けに見えるのも可愛いと思うよ? 確かに横から見た方が美人かもだけど」
カピバラに満足した二人は、再び淡い青の空間に入る。アザラシやアシカといった水棲哺乳類が、岩の上で寝そべっていたり、水の中を優雅に泳いでいた。彼らの泳ぐ様子を見ていると、何となくだが一緒に泳ぎたくなると百子はひっそりと思う。泳ぐというより潜ると表現する方が正しいだろうが。
陽翔が黙り込んでしまったので、百子は彼の目線を追って、水の抵抗を物ともせずに動き回る彼らを観察していたが、ちらりと彼の方を見ると、熱っぽくなった彼の双眸がじっと百子を見つめ、彼の顔が近づいたと思えば離れていった。
(え……?)
陽翔は人が多くいる所では、頬か額にしか口付けしないため、百子はぶわっと顔に熱が集まるのを感じて口元を押さえる。そんな反応に満足したのか、陽翔は次のエリアへと百子を促した。満足そうに笑っている陽翔に理由を聞きたかった百子だが、スーパーの鮮魚コーナーに並んでいるような魚達が泳いでいるのを見つけて百子はあっと声を上げた。
「あ……! みてみて陽翔! ご飯がいっぱい泳いでる! 美味しそう!」
(は……?)
陽翔は百子が唐突に何を言い出したのかと驚いたが、やがて呆れたように息をついた。
「何だよそれ……お前本当に食い意地張ってんな……」
百子が指差したのは、アジやウツボのいる瀬戸内海エリアである。先程までの甘い空気や静謐な空気は、彼女の一言で見事に粉砕されてしまった。とはいえ、体を銀にきらめかせながら泳ぐ彼らは見ていて飽きない。しかし底の方で壺らしきものに入っている、獰猛さで知られるウツボがいるのは不可解だった。
「すごいな。ウツボもいるのか。凶暴な筈なのに、他の魚と一緒にしていいのか?」
陽翔の疑問に、百子はあっさりと答える。
「ウツボって陸に揚げたり、突っつかないと攻撃して来ないらしいよ。本当に凶暴なのはハモで、ハモは何もしなくても噛んでくるって聞いたことがあるわ……それにしてもウツボって美味しそうね。ウナギみたいに蒲焼きにしてみたいかも」
陽翔は思わず額に手を当てて目を閉じ、首を軽く横に振った。アジなら一尾まるごと売ってるので、美味しそうと発言する彼女の気持ちはまだ分からなくもないが、生きたウツボを見て美味しそうだと言う彼女の感性には、流石の陽翔もついていけない。
「あんな凶悪な見た目の魚が旨いって思えないんだが……」
「え? 見た目は確かに怖いかもだけど、目がまんまるで可愛いよ? それに、脂が乗ってて美味しいんですって」
陽翔は無理やりウツボと目を合わせる。すると彼の視線を受け取ったのかいないのか、もぞもぞと壺の中から這い出すと、そのまま体を大きくくねらせて、二人の前で向きを変えた。
「すごい……! ウツボってそうやって泳ぐのね……!」
魚というよりは蛇に近い動きをしているが、潜んでいた時よりはその獰猛な見た目は緩和されている気がする。百子の指摘した通り、つぶらな目をしており、それがよく見えるからかもしれないが。
「それにしても……見慣れた魚が多いな」
時折カワハギやクロダイ、スズキなどの、スーパーの鮮魚コーナーに並ぶような魚達も、鱗をきらめかせながら二人の目の前で悠々と泳いでおり、それらを目で追っていた百子の胃が小さく鳴った。
「陽翔、今日の晩御飯はお魚がいい!」
陽翔は笑いながら、全く食い意地が減っていない百子の提案に頷いて、彼女の手を引いて次のエリアに移動する。アオリイカやコウイカのいる水槽や、チンアナゴが何匹か顔を出している水槽、イソギンチャクやクマノミなどの、熱帯に住む生き物の水槽、タカアシガニなどの深海の生き物のいる水槽といった、比較的小さな水槽が並んでおり、陽翔はまるで個室のようだと感じた。先程までの、様々な種類の魚のいる大きな水槽は、さながら修学旅行の大部屋だろうか。
(同じイカでも、よく泳ぐのもいるし、底でじっとしてるのもいるのね)
百子はすいすいと泳ぐアオリイカと、砂の上でじっとしているコウイカをかわりばんこに見ながら感心したように唸る。陽翔は陽翔で、色とりどりのイソギンチャクやサンゴ、小さな熱帯魚やチンアナゴを見て目を輝かせており、お互いが好きな生き物の豆知識や、意外な生態を、エリアを移動しながら代わる代わる語り合った。メインの最も大きな水槽に、一際目立つ二頭のジンベイザメの姿を認めた二人は、会話を忘れて、水玉模様の巨体が楽しげに輪を描いている様子をしばし観察する。
「サメの癖にこんなにでかくて、魚を食べないってすげえな……」
アクリル越しにすいすいと、他のサメに視界を妨害されながらも、陽翔はそう呟く。百子はそれに肯定して陽翔の手を握り返した。そしてちらりと彼の方を盗み見る。淡い青に染まった彼の横顔は、どういう訳かいつも以上に精悍に見える。冷静沈着な彼の性格も相まって、この場に酷く似つかわしくもあった。穴が開くほど彼の横顔を凝視していたのがバレたのか、陽翔はニヤリとして彼女の手を引いた。そして水槽の端に設置されている二人がけの椅子に、百子の腰を引き寄せて座り、その頬に陽翔の唇が触れる。
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