「おいし。朝一番で買ってきたんです?」
「ん、チャリで十分ぐらいのパン屋」
「なんと! 速水尊が自転車! 愛車の名前は?」
自転車に名前はつけないだろうと思って、フリで言ったけれど、尊さんはちょっと目を泳がせてからボソッと言う。
「ホワイトサンダー号……」
「んぶふっ」
色んな意味でヤバイ名前を聞いて、私はクロワッサンを咥えたまま噴き出す。
……あ、鼻息でクロワッサンの皮飛んだ……。
「し、白いチャリなんだよ。だから……」
「オーケイ、オーケイ。……可愛いところあるじゃん、尊さん……」
「おい、生温かい笑みを浮かべるな」
「分かってますって。……んぷ」
「おい、犯すぞ」
「こわーい」
「……まったく……」
そのあと尊さんは照れ隠しのためにテレビをつけ、ニュースを見る。
「……ねぇ、尊さん」
「ん?」
「……そのー……、凄く俗っぽい事を聞きたいんですが……」
「今さらなんだよ。なんでも言ってみろ」
彼はクスッと笑い、小首を傾げる。
「このマンション、色々ごついじゃないですか」
尊さんが暮らすマンションは、低層マンションだけれど、四十階前後ある高層マンションに比べて低いという意味だ。
実際は十四階あり、ヨーロッパのお城を思わせる白い錬鉄の門に守られ、敷地には四棟の建物がある。
このマンションは歴史のある高級日系ホテルのサービスと連携していて、コンシェルジュは勿論、車を管理するバレー、クリーニングや色んなお願いを聞いてくれるバトラー、荷物持ちのポーターにドアマンまでいる。
共用の建物と四棟のマンションの間には綺麗に整えられた庭があり、四季を楽しめるようになっている上、敷地内にはコンビニ、カフェやレストランもあるっぽかった。
「ごつい……。……うん、まぁ、色んな表現があるけど」
尊さんはバゲットを切って、スモークサーモンとオリーブのスプレッドを塗って頷く。
スプレッド一つにしても、海外の高級ショコラトリーのチョコスプレッドを普通に置いているので、速水家は恐ろしい……。絶対この家の子になりたい。
「共有部分って、何があるか聞いてもいいです? ……あんまりそういう、お金持ちの部分に興味を示すのって、下品かなと思って言えずにいたんですが」
そろりと尋ねたけれど、彼は得心のいった表情で頷いた。
「あー、そっか。全然案内してなかったもんな。悪い。そりゃ気になって当然だわ」
あっさり理解したあと、彼はサラリと応える。
「俺がよく使うのはコンビニにジム、プール、サウナや風呂、岩盤浴とかスパ……。週二ぐらい酸素カプセル」
「なんですそれ? ……飲むの?」
酵素カプセルなら聞いた事があると思って言ったけれど、違った。
「病院にも置いてるし、美容目的でも使われてるけど、カプセルに入って寝て酸素をスッハーするやつ。リラックスや疲労回復とかに効くらしい」
言われてでかいカプセルに尊さんが入ってるのを想像し、ポツンと呟いた。
「SF映画のコールドスリープみたい」
「まぁな」
私の言葉を聞いて、尊さんはぶふっと笑う。
「あとはレストランやカフェも使ってる。ゴルフレンジもあるけどそんなにやらねぇし、シアタールームは実際映画館に行きたい派だから使わない。ワークスペースは、家で集中力切れた時に使ってる。敷地内にBBQやる所やヴィラもあって、涼が使いたがってるけど、野郎二人でBBQやるのしんどいから今のところ使ってない」
「ほへぇ……」
雲の上の世界を知った私は、しばらくボーッとしてモシャモシャとサラダを食べる。
それから、震え声で尋ねた。
「……私、本当にここに住んでいいんです? 場違いで怖いんですが」
「はぁ? いいに決まってるだろうが」
彼は呆れたように言い、ウィンナーを囓る。
「まぁ、正式に同棲するなら不動産会社に一言いって、入居申込書も書かなきゃなんないけど……。ここ、賃貸じゃねぇし、何も問題ないと思うけど」
「……というと?」
尊さんの言いたい事が分からず、私は首を傾げる。
「同棲カップルが賃貸物件の審査に落ちる場合があるんだ。良くない別れ方をした時、マンションに残った奴が家賃を払わない怖れがあるからなぁ……」
「ほえー」
誰かと住む前提で家を借りた事なんてないので、私は目を丸くして感心する。