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「朝の番組は“モーニングカフェ”です。月曜日から金曜日まで、5人のパーソナリティさんが日替わりで番組を担当しています。今日は金曜日なので、古宮楓子(こみやふうこ)さんです」
言いながら環希は先ほどの6人の横に並んでいる10枚の写真のうち、1枚を指さした。
そこには年齢不詳のおかっぱ頭の女性がニコニコと微笑んでいた。
「今の時刻が5時過ぎです。番組が始まるのは6時半です。この1時間にまずー」
言いながら環希はコピー機の前に移動し、そこからプリントを何枚か取り出した。
「まず、天賀谷新聞社から、今朝のトップニュースの原稿がFAXで送られてきます」
見ると、マスの大きい原稿用紙に印字されたニュースがあった。
「これにルビを振ります」
「ルビを?」
「ええ」
言いながら環希はカウンターにプリントを置くと、赤いペンでルビを入れていく。
「そんな、『今日』とか『午前』とか、そういう簡単な文字にも入れるんですか?」
「そうです。簡単な漢字にも、難しい漢字にも、全部、です」
環希は全ての漢字にルビを振ると、こちらを見上げた。
「生放送で原稿を読んでいると、いくらプロのパーソナリティーさんと言えど、ど忘れというものがあります。一つの漢字を忘れ原稿が読めなくなると、パニックになったりもします。
あとは、長年気づかないまま読み仮名を勘違いして生きてることもありますしね」
言いながら環希は白紙のコピー用紙を1枚取り出し、何かを書いた。
「林さん、これはなんと読みますか?」
言いながら紙を掲げる。
【出生率】
「……しゅっせいりつ?」
「ぶっぶー!!!」
環希は口を窄めて勢いよく言った。
「正解は、しゅっしょうりつ!です!」
ニコッと笑う。
(―――そんな、馴染みのない言葉言われても……)
「あ、今、そんな字、自分と縁がないしって思ったでしょお!」
当たらずも遠からずだ。
林は苦笑した。
「パーソナリティーさんだって同じ。全然知らない話題が突然トップニュースになることもあります。なんなら地元の記事なのに、パーソナリティーさんは地方出身だったりするし。その場合読めないじゃないですか。“天賀谷(あまがや)”も、隣の市の“時庭(ときにわ)”もね」
「……なるほど」
「だから平等にルビを振るのです。いいですね!」
そのプリントを持って環希が歩き出す。
昨日とは違う“スタジオ”に入ると、それをデスクに置いた。
「これは卓(たく)と呼びます。こっちにある音量調整の機械をミキサーと呼びます。横にあるのがCDを入れたり、MDを入れたりする機械です。
今はコンピューターで音を出力するラジオ局も多いですが、私たちはそんな予算はないので、ほぼアナログ。CDやMDに頼っています」
(MDとか、見るのほぼ初めてなんだけど…)
「ここは、あっちのスタジオと違うんですね」
昨日収録に使った部屋を指さすと、環希が「ああ」と頷いた。
「あちらはレコーディングスタジオです。生放送ではなく、収録に使います。ゲストさんと収録スタッフが別にいて、ミキサーの操作も100%スタッフがやります。
でもこっちのスタジオは、パーソナルティ自身が、収録したり、生放送したりすることもできます。まあ、朝の番組はイレギュラーなことが起こるので…」
言いながら環希がマイクが置いてあるデスク側ではなく、ミキサーが設置されている側に腰を下ろした。
「私たちが番組を運営します」
「これがモーニングカフェの台本です」
「え」
林はその冊子を手にして目を丸くした。
「台本なんてあるんですか?アドリブばっかりだと思ってました」
言うと、今度は環希が目を丸くした。
「もちろん話してることはほぼアドリブだったり、前日や当日に考えたことだったり、ですけど、細かいタイムスケジュールはもともと決まってますよ」
林は台本を覗き込んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6:30 オープニングジングルーーーーー
おはようございます!
例)さて今日も始まりました、モーニングカフェ。●曜日のお相手は私、●●です。
(オープニングトーク)
さっそく今日の1曲目です。
(できればリクエストで)
●●で、●●。
―――音楽―――
6:08コーナージングルーーーーー
天賀谷市のイベント。コミュニティセンター
(完パケ)
(感想)
それでは本日2曲目は●●で、●●。
―――音楽―――
6:48 ニュースその他ーーーーー
□天賀谷新聞のニュース。
□道路情報
□天気
―――音楽―――
お送りしたのは●●で、●●でした。
7:00コーナー。ファミリー葬儀。(完パケ)
(感想)
メッセージ紹介
曲紹介
続いては●●で、●●です。
―――音楽―――
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「――――」
そこまで読んで林は軽く吐き気を覚えた。
(なんて分刻みで細かい…)
「完パケって何ですか?」
とりあえず目についた耳慣れない言葉を聞いてみる。
「完パケって言うのは、BGMやCMやステッカーもついている完璧な状態の収録してある流すだけのものです」
「ステッカーって何ですか?」
「ジングルのことです」
林はもう一度、台本を見た。
「―――ジングルって何ですか?」
もう何が何やらわからない。
環希は林を覗き込んだ。
「……林さんてラジオ聞きます?」
痛いところを突かれる。
「さ、最近はあまり……」
「考えてみてください。ジングルって何のことだと思います?」
「――――」
「ラジオには絶対必要なんですけど」
尚も上目遣いで見つめてくる。
ジングル……?
ジングル…。ジングル…。
「――――く」
「く?」
「……クリスマスと、関係あります?」
言った林の言葉に、環希は「プハッ」とアニメっぽく吹き出した。
番組が始まってからの2時間半は、それはそれはてんてこ舞いで、走り回る環希の後ろを追っていくことしかできず、パーソナリティー楓子の、のんびりした口調とは裏腹に、嵐のように時が過ぎた。
番組が終わり、放送が“ミュージックハート”という24時間の音楽配信番組に変わると、林はそこでやっと息をついた。
「お疲れ様でしたー」
環希がスタジオのドアと窓を開けて、換気をする。
50代と思しき、エキゾチックな色合いのロングスカートを身に着け、どこか占い師を連想させる容姿のパーソナリティーは、春の風を受けながらニコニコとこちらを見つめた。
「林君、やるじゃない」
言いながらわざとらしい拍手をくれる。
「はじめてにしては落ち着いてるし、飲み物とかリクエスト曲の準備とか、気が利くし。私、気に入っちゃったなー」
顔を寄せられると、アジアン系のお香の匂いがした。
「わお。すごい。初対面で楓子さんに気に入ってもらえるってあんまりないんですよ」
環希も隣で嬉しそうに微笑む。
「だって。楓子さん。視える人だから…」
思わず環希を振り返る。
「視える?何がですか?」
その顔を両手で自分に向き直らせると、楓子はこちらを僅か10センチの至近距離で見つめた。
「オーラとか、その人が抱える問題とか、いろいろ、よ?」
「え」
(んな馬鹿な)
こういうのは大抵の場合、「視える気になっている」だけだ。
「うーん。君はきれいな魂の持ち主ね」
そして相手も「視られている気になっている」だけだ。
「あー、なんかわかるなぁ。林さんって純粋って感じがするもん」
環希が笑う。
「もしかして、女の子と付き合ったこととかないんじゃないですか?」
「―――は?」
失礼な……と言おうとして口をつぐんだ。
確かにない。
女の子とは。
「……今の発言、聞き捨てならないな」
振り返ると、いつの間にか、ドアの向こうに和氣が立っていた。
「諸君、ブレイクファーストの時間だよ?」
◇◇◇◇◇
今日のメニューはワッフルに抹茶アイスとフルーツが乗った、ワッフルサラダとジャガイモの冷製スープだった。
「―――うまい」
お世辞も誇張もなく、ものすごく美味しい。
そこら辺のカフェでもこんなレベルのものは食べられないかもしれない。
(何でこんなにうまいんだろう。ワッフルはホットケーキミックスをとワッフルメーカーを使って手作りだとして、抹茶アイスもフルーツだって、付け合わせとしてはありきたりなのに…)
こう見えても料理は勉強している。紫雨と半同棲状態になってからはなおさらだ。
ワッフルを出したこともあるが、こんなにおいしくは焼けなかった。
「これ、どうやって作ったんですか?」
隣に座る脇を振り返ると、彼は頬杖をつきながら笑った。
「企業秘密!」
言いながらカウンターの中でコーヒーを淹れている環希を指さす。
「こいつ、このワッフルを食べたいがために、大手ラジオ局の勧誘を蹴って、こんな小さな会社にいてくれてるから。作り方がバレたら困る」
環希が笑う。
「そうですよー。このワッフルがあるから、ここにいるんですぅ」
言いながらコップを両手でつかんでニコニコと微笑んでいる。
「ワッフルだけじゃないわよ」
もう一方の隣に座っている楓子がこちらも頬杖を突きながら林の向こうにいる和氣を覗き込む。
「洋食でも、和食でも中華でも韓国でもタイでもベトナムでも、なんでもござれだもんねー?和氣君?」
「楓子さんの胃袋を満足させるためなら、手間暇を惜しみませんから、僕!」
和氣が親指を突き出して見せる。
今日の格好は、まだ肌寒い季節なのに、半袖の黄色いTシャツにダメージジーンズと、洋画に出てくるガソリンスタンドの兄ちゃんのような恰好をしている。
ゾンビ映画で一番初めに殺されるスタイルだ。
―――これが。社長か。
改めて和氣をまじまじと見つめる。
セゾンエスペースの社長は60を超える初老の男性だが、会ったのは、入社式の時の1回きりだ。
しかも営業課、設計課、工事課、本部の新入社員1000人が一堂に返したセレモニーホールで、舞台の上にいた社長なんて、豆粒ほどにしか見えなかった。
イベントや講演会、さらにはクレームを言う客が二言目には発する、「社長を出せ!」のセリフに応えて出ていくのは、もっぱら支部長であり、社長まで客の声が届くことはまずない。
誰かがふざけて彼の存在を、「セゾンエスペースの象徴」と呼んだが、本当にその通りだった。
メディア向けの広告塔。
表彰されたり、テレビ番組に出たり。
社長の仕事と言えばきっとそのくらいだ。
それに比べ―――。
この社長は、朝も早くから社員やパーソナリティーのために朝食を作り、よれよれの普段着を着て、自分の仕事も特になさそうなのに、カウンターに腰掛けている。
つい昨日まで、スーツを着て、定時に出社し、タイムカードを押してデスクに座りパソコンを開いて、業務に当たっていた自分とはかけ離れたこの世界に、林は悔しいほどにうまいワッフルを口に頬張りながら、瞬きを繰り返した。
「そうだ。林君、今日は俺と一緒に、広告主様と契約に行ってくれる?」
思わぬ提案に目を見開く。
「あ、でも俺、今日、こんな格好ですよ?」
自分を見下ろす。すると、
「大丈夫。俺もこんな格好だし」
(え。その格好で行く気なのかよ、この人……)
再度彼を上から下まで眺める。
「そうと決まったら、車回してきて!」
言いながら和氣がキーを取り出す。
「社用車。道路向かいの契約駐車場に停めてあるからさ。社名入ってるからすぐわかると思う」
「あ、わかりました」
残りのワッフルを口の中に詰め込み、林は和氣と楓子に一礼すると、ドアから外に出て言った。
「―――んで?どうなの?」
和氣が林がいなくなった空席を突き抜けて楓子を見る。
「え、なあに?」
「やだなあ、とぼけちゃって」
和氣が微笑む。
「あの子、本当に女性経験ないの?」
「あ、知りたーい」
環希もカウンターから覗き込んでくる。
楓子は林が去っていったドアを見て、ふっと笑った。
「んー。女の子はないけど、経験はあるみたい」
「えー?わかんなーい。どういう意味ですか?素人童貞ってこと?」
環希が不満そうに眉間に皺を寄せる。
「―――へえ。それは……興味深いね」
和氣は楓子と目を合わせてふっと笑うと、カップの中のコーヒーを飲み干した。