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ある日、女主人は帰った途端、トレンチコートを脱がず、帽子までとらずに、和室に入っていった。
「――――」
気になり廊下から中を覗いた。
「―――これで満足?」
彼女は彼と同じ顔をした遺影を睨みながら、まるで念仏のように抑揚のない低い声で言った。
「そっちの世界には元奥さんも、愛人もいて、忙しいわね?ヒロタカさん」
ヒロタカさん―――?
それが遺影の男の名前か。
地下の彼とはどんな関係なのだろう。
すると彼女はおもむろに立ち上がり、両手で遺影を掴んだ。
それを頭の上まで高く掲げると、思い切り畳に叩きつけた。
バリン。
派手な音が家中に響き渡る。
「―――ああ、スッキリした」
そう言いながら、彼女は笑った。
そしてそのまま何かに憑りつかれたかのように、上半身を引きつらせた異様な歩き方で、地下室へ向かった。
ドアの鍵が開錠される。
もう一つのドアが開く音がする。
彼女の来訪に気づいたらしい彼の、手錠が擦れる音がする。
直にその部屋から、彼のうめき声と、彼女の喘ぎ声が聞こえてくるだろう。
私はエプロンのポケットに入っているソレを握りしめた。
女主人は、完全に失念している。
私がまだ、地下室と、手錠の鍵のスペアを持っていることを―――。
◆◆◆
私は言いつけられた草むしりをしながら家を見上げた。
位置と方向からして彼の部屋はこの北側の地下。
風呂とトイレの真下にあるはず。
私はトイレの換気扇の銀色のカバーを見上げた。
その脇にそれよりも大きな浴室の換気扇がある。
私は視線を落とした。
ーーーだとすれば、これは?
私は目線よりも少し低いところに設置されたもう一つの換気口を見つめた。
何だろう。
穴が開いたゴムキャップのようなものが嵌められている。
「――――」
それに手をかけようとしたところで、何かが聞こえてきた。
キャップから手を離し、耳を澄ませる。
「………、…………、……、…………」
それは―――女主人の喘ぎ声だった。
「ーーーーー」
間違いない。
この排気口は彼のいる地下室に通じている。
このゴムキャップは、十中八九、地下室の声を外に漏らさないため。
そして人工的に開けられた穴は、空気穴だ。
こんな細い穴で彼の細い命が繋がれていると思うと、言い様のない怒りを覚えた。
彼を―――助けてあげたい。
今度こそ、外に放ってあげたい。
そのあと彼がどう生きるのか、そもそも生き延びられるのかはわからない。
それでも、こんな悪魔が巣食った鳥籠からは、一日も早く逃がしてやりたい。
彼にまだ、羽ばたく力が残っているうちに……。
「………!…………!!…………!!」
女主人の喘ぎ声が高くなる。
ーーー駄目だ。今日はもう、駄目だ。
セックスが終わる。
彼女が地下室から出てきてしまう。
機会を見てこの換気口から彼にコンタクトをとる。
そして隙を見て彼を連れ出す。
私は、換気口を睨みながら、ポケットの中の鍵を握りしめた。