テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
1件
日下さんの「100%で聞く」という言葉にもう胸がいっぱいでした。震えながら過去を話す美紗ちゃんと、真琴ちゃんの彼氏でありながら真摯に聞いてくれる日下さんの優しさが沁みました。勇太くんが真琴ちゃんのお兄さんだったという展開も衝撃的で、「加害者の家族」を簡単に割り切れない美紗ちゃんの叫びに涙が出ました。結婚を自ら壊してしまった選択、続きがとても気になります。
「……じゃあ、今から話すことは話半分で聞いてください。先に言っておきます。私の口からは真琴ちゃんの悪口しか出てきません。主観が入らない様に話そうとは思いますが、どうしても恨み辛みが出てきてしまうと思います。私の一方的な言葉になります。真琴ちゃんのいないところで、真琴ちゃんの意見も聞かずに欠席裁判みたいになるのは卑怯だと思うから」
ペットボトルをぎゅうっと握り、意を決する。
「何て言うか……律儀だね、美紗ちゃんって。話半分でなんか聞かないよ。100%で聞く。大丈夫。後で真琴からも100%で聞くから。どっちの話も真剣に聞く」
日下さんが、ペットボトルを握りしめながら俯く私の頭を撫でた。
『100%で聞く』と言ってくれた日下さんの誠意に応えたいと思った。
目を閉じ、思い返すことさえ避けていたあの頃の記憶を呼び起こす。
小さく息を吸い、言葉を吐く。
「……真琴ちゃんと私は、中学の同級生です。……私は中学の時、真琴ちゃんから苛めを受けていたんです。何が原因だったのか分かりません。私が何かしてしまったのだと思います。何がいけなかったのか気付きもしない鈍感さも、嫌われる原因だったのかもしれません」
少しずつ蘇る、思い出とは到底呼べない記憶。
ペットボトルを持つ手が震え、中に入っていた水が『チャプチャプ』と音を立てながら波を打った。
「……中学時代の真琴ちゃんは、いつも女子の真ん中にいて、先頭に立っていました。反対に私は、目立つこともなく自分の席でひたすら読書をしている様な人間でした。本が好きだったんです」
どこから話せば良いのか分からない。核心部を話すのも怖い。当たり障りのない話を紡ぐ。
「真琴と美紗ちゃんが同じグループに属することはあり得ないよね。だとしたら、分かんないかもね。苛められた原因」
日下さんは、眉間に皺を寄せながら宣言通りに真剣に私の話を聞いてくれる。
話さなきゃ。ちゃんと話さなきゃ。
分かっているけれど、喋ろうとすると喉の奥が締まる。
「兆候が分からなかった。突然苛めが始まりました。私と違って人気者だった真琴ちゃんの言葉に、真琴ちゃんのグループの子たちも、そうじゃない子たちも賛同しました。いつのまにか、クラスの女子対私になっていました」
記憶と一緒に涙が溢れ出る。せめて呼吸が乱れない様に、必死で平静を保とうと気を張る。
「きっついね、それ」
なのに、日下さんが同調してくれるから、あの頃の自分が慰められている様で、涙が止まらなくなる。
「……きっつかったです。正直。本当に……」
ヒックヒックと背中が動き、否応なしに呼吸が浅くなってきた。
「何をされたの?」
日下さんが私の背中を摩りながら、1番聞かれたくないことを質問してきた。
「……最初は、教科書を隠されたり、制服を捨てられたり……でした。……それから、体育倉庫に監禁されたり、トイレに閉じ込められたりしだして……。どんどんエスカレートしていって……便器に顔を押し込まれて溺れさせられたり、口の中に土と虫を詰め込まれたり……してました」
話した途端に、ペットボトルも持っていられないくらいに、手どころではなく身体全体が震え出した。
手からペットボトルが滑り落ち、足元を転がった。
「大丈夫。大丈夫だから。もう、中学時代に戻ることはないんだから」
日下さんは、地面に落ちたペットボトルを拾うと、砂を払いながら私の膝の上に置き、私を落ち着かせる様に何度も『大丈夫』と言い聞かせた。
「『美紗の何もかもがムカつく』と言われました。直して苛めがなくなるなら直したいと思って、真琴ちゃんに何がいけないのか聞いたんです。そしたら『そういうところだよ』って言われました。どういうところなのか最後まで分からなかったし、今考えても分かりません。自分を【正しい人】だとか【善人】だなんて全く思っていませんが、少なくとも真琴ちゃんに嫌がらせをしたり、困らせたりしたことはなかったと思います」
【主観は入れない】と言っていたくせに、どうしても感情的になってしまう。事実だけを平然と話せるほど、私にとっての中学時代は、淡々とした時間ではなかった。
日下さんは余計な言葉を挟もうとはせずに、ただ私の話に耳を傾けた。
「学年が上がって、クラスが変わっても苛めは続きました。真琴ちゃんたちは、毎日私がいるクラスにやって来ました」
喋りながら唇が震えた。上下の歯が『ガチガチ』と音を鳴らす。押し寄せる過去の恐怖に身震いする。
「親にはそのことを言わなかったの? 苛めを受けると分かっていて、毎日学校に通っていたの?」
日下さんは上着を脱ぎ、私の肩に被せると、その上から私の肩を摩った。
「……ウチ、母子家庭なんです。幼い頃に両親が離婚していて。母は『親の都合で別れておいて、子どもにひもじい思いをさせたり、子どもの進路の選択肢を狭める様なことはしたくない。大学にだって行かせたい』と言って、私の為に必死に働いてくれました。……とても言えなかった。学校に行きたくないなんて。母に余計な心配かけたくなかった。『死にたい死にたい』と毎日思っていたけど、母を想うと出来なくて……逃げ場がありませんでした」
「……良かった。美紗ちゃんのお母さんが素敵な人で。お母さんがいてくれて良かった。お母さんの存在が美紗ちゃんを踏みとどまらせてくれたんだね。美紗ちゃんが死ななくて良かった」
日下さんはそう言ってくれるけれど、
「その頃の私は、母さえいなければ気兼ねなく死ねるのにって、母の存在を疎んでいました」
中学時代の私は、母に感謝出来るほど、心にゆとりなどなかった。
「それは嘘だよ。だって美紗ちゃん、お母さんのことが大好きでしょ? 自分の為に頑張ってくれるお母さんを疎ましく思うわけない。簡単にお母さんとお別れしたいと思うわけがないよ。だけど、相当追い込まれてたんだね。よく踏ん張ったね。偉かったね」
日下さんが中学時代の私を褒めながら、私の頭を撫でた。
耐え抜いて良かったんだと思えて、涙が溢れだす。
「出会うのが今じゃなかったらなー。美紗ちゃんの中学時代に出会えていたら、絶対に助けたのに」
日下さんが、泣きじゃくる私に笑いかけた。
「……いましたよ。中学時代に日下さんみたいな人。全力で遠ざけました。巻き込めるわけないじゃないですか。私と同じ目に遭わせてしまったら最悪じゃないですか。優しい人にそんなこと出来ないです」
あんな思いを誰かと共有したいだなんて、微塵も思えない。
「イヤイヤイヤ。俺が女子に負けるわけがないでしょうが。束で掛かって来ても蹴散らすわ。俺のこと、どんだけ非力だと思ってんのよ。心外。謝って」
日下さんが、さっきまで優しく撫でてくれていた私の頭を掻き荒らした。
「……ごめんなさい」
グスグスと洟を啜りながら、乱れた髪を手櫛で直す。
「美紗ちゃんってさ、素直なんだか頑固なんだか分かんない子だよね。とりあえず【信念が強い】ってことだけは分かったけど。美紗ちゃんのそういう強さは男前でカッコイイと思うけど、女の子なんだし、弱さとか隙とか見せた方が絶対モテるよ。それが出来ないなら、計算ずくの強がりを披露するとかさー」
日下さんが笑いながら、自分で乱した私の髪を一緒になって整えだした。
「……計算ずくて」
「女子の『強がってないもん‼』て、健気を装って涙目で言うパフォーマンス、バレてないと思ってた? 何気に男も少女マンガ普通に読むからね。男もキュンキュンしたいのよ、たまには。だから、女子の強がりアピールからの男子による『俺の前で強がんなよ』待ちの一連の流れが女子の大好物であることは分かっていて、それでもやっぱり可愛いから負けてるだけ」
「パフォーマンスて。ていうか、結局負けてるんじゃん」
「可愛いければ何でもいいんだよ、男なんて。それに、負けといた方がモテることを知った上での計算を、男だってするわけさ」
「なんか、引くんですけど」
日下さんに白い目を向けると、日下さんが舌を出しておどけた。
『クックックッ』
そして2人で私の頭を整えながら笑い合う。
「日下さん、私が泣くからわざとしょうもない話を挟んだでしょ? 優しいですね」
私だって気付いている。日下さんが、苦しそうに話す私のことが見るに堪えなくて、意図的にふざけていることに。
「しょうもないて。優しいのは間違いないけど」
私に『優しい』と言われて、日下さんが照れ笑った。
「今、こうして美紗ちゃんに無理に話をさせておいて何だけど、俺は基本的には言いたくないことは言わなくていいと思うし、聞かなくてもいいって考え方の人間なのね。だけど、美紗ちゃんの話は吐き出すべきだと思う。きっと思い出したくないんだと思うけど、心の中で上手く埋葬出来なかったから、しこりになって今疼き出しちゃったわけじゃん。自分ひとりの力で成仏させられなかった思いなら、他人に聞かせてスッキリさせて葬ればいいと思う。でも、それを話すって苦しいことだとも思う。だから、ゆっくりでいいよ。美紗ちゃんの話したい言葉で、美紗ちゃんのペースでいいよ。俺、全然付き合う。合わせるから。休み休み話せばいいよ」
日下さんが「それまでくだらない話しようぜー」と私の髪を自分の人差し指に巻き付けて遊んだ。
「……なんで、自分の彼女の悪口を言う私に、そんなに優しく出来るんですか?」
私には出来ない。勇太くんを悪く言われるのは絶対に許せない。
「半信半疑だから。ごめんね。100%で聞くって言っておいて美紗ちゃんを信じ切れてなくて」
日下さんが申し訳なさそうに笑った。
なんて正直な人だろう。だから私は、この人に正直な気持ちを言えるのだろう。
「……日下さんは、真琴ちゃんのどんなところが好きなんですか?」
私には恐怖でしかない真琴ちゃんは、日下さんにとってはどんな存在なのだろう。
「私の頭は便器に突っ込まないところー」
日下さんは笑いを取ろうと言ったボケなのかもしれないが、ダークすぎてちょっと笑えない。
「……中学を卒業して、真琴ちゃんたちとの関わりを一切なくしたくて、通学時間すら被らないように遠方の高校に行きました」
また、ポツリポツリと話し出すと、日下さんは「うんうん」と静かに相槌を打った。
「それからは平穏無事に生活をしていたんです。もう会わなくて済むんだ。これからは何にも脅えずに過ごせるんだ。だから中学時代のことは忘れようって思ってました。というか、記憶から消したかったんです。高校・大学を卒業して、今の会社に入って、彼に出会って。彼が同じ市出身だと聞いて、私と同じ歳の妹がいると言われたのに……。彼、真琴ちゃんと同じ苗字なのに……幸せすぎて、頭の中がお花畑過ぎて気付かなかった。彼が真琴ちゃんのお兄さんだったことに」
勇太くんを好きになったことを後悔なんてしていないし、したくもないのに、それに似た感情が顔を出す。
「【佐藤】って、クラスに1人はいる珍しくない苗字だもんね」
日下さんが苦々しく笑った。
「で、彼氏の家に行ったら真琴がいて動転しちゃったわけだ」
疑問が解けた日下さんが「なるほどねー」と呟いた。
「彼に中学の頃の話を聞いたことがあったんです。私は受験しなかった組が行く地元の中学に行っていたんですけど、彼は私立の進学校出身でした。彼に妹さんがいると聞いた時、『きっと彼と同じ中学に行ったのだろう』と掘り下げて聞きませんでした」
どうしてもっと深く聞かなかったのだろう。どうして。どうして……。
「もしかして美紗ちゃん、『どうしてもっと詳しく妹について聞かなかったんだろう』とか思ってる? だとしたら、彼氏の妹が真琴だって分かった時点で別れてたの? 美紗ちゃんを苛めていたのは真琴でしょ? 彼氏は何も悪くないんだよ。自分が選んで真琴を妹にしたわけでもなければ、立候補して真琴の兄になったわけでもないんだよ?」
日下さんが私の胸の内を見透かした。
「……」
日下さんの言葉は正しく、反論の余地もなかった。
「ねぇ美紗ちゃん。『結婚やめよう』なんて思ってないよね? 加害者の家族は加害者じゃないよ。ねぇ、初っ端から俺を避けたのも、俺が真琴の彼氏だからでしょ?」
日下さんが鋭い視線を向けてきた。日下さんには何でもお見通しなのだろうか。だけど……。
「……もう遅いです。『結婚出来ない』って言って逃げてきてしまったので」
私は今、【考え中】ではなく、既に決断を下した後だった。
「どうしてそんな突発的に結論出しちゃうの⁉ それでいいの⁉ 結婚したいくらいに好きなんでしょ⁉ 彼のこと‼」
日下さんが私の肩を掴んだ。
「『加害者の家族は加害者ではない』それは分かってます。分かってるけど、日下さんが私の立場でもそう言えましたか⁉ 部外者が善人ぶって、被害者に肩入れして加害者家族を攻撃するのはどうかと思います。だけど、被害者は……被害者の気持ちはそんなに簡単に割り切れないんですよ‼ 怖くて怖くて仕方がないんですよ‼ 今は優しいけど本当は……って、そんな風に思いたくないのに疑ってしまうんですよ。そんな私と結婚して、勇太くんが幸せになれるわけないじゃないですか‼」
肩に乗っていた日下さんの手を振り払って立ち上がった。
もう、日下さんに話すことは何もない。全部話した。
日下さんは、中学時代の私の話を100%で聞いてくれたけれど、勇太くんと結婚したくて、結婚後の生活の夢まで見ていたのに、それを自らの手で壊した今の私の悔しさを理解してはくれないだろう。
あとは家に帰って1人で泣こうと、公園を出ようとした時、
「待って美紗ちゃん‼ 送るから‼ 今の美紗ちゃんを1人で帰らせられない」
日下さんが私の手首を掴んだ。
「大丈夫です。1人で帰れます。1人にしてください。お願いだから。真琴ちゃん、日下さんを待ってるんじゃないんですか? デートする約束してるんですよね? 私の話に付き合わせてしまってすみませんでした。もう行ってください。私、本当に平気なので」
日下さんの手を降ろそうとするも、
「じゃあ、せめてタクシーで帰って。心配だから。美紗ちゃんがタクシーに乗ったことが確認出来たら、真琴に会いに行く。じゃなきゃ、真琴のとこには行けない。美紗ちゃんを1人になんか出来ない」
日下さんは更に力を入れて私の腕を掴んだ。
「……分かりました。そうします」
家に帰るにはタクシーに乗るしかないらしい。真琴ちゃんの彼氏さんに送ってもらうなんて命知らずなことは、何があっても出来ない。
2人で公園を出ると、日下さんが手配してくれたタクシーに乗り込んだ。
「美紗ちゃん、帰ったら水分たくさん取ってね。いっぱい泣いたから」
窓の外で日下さんが心配そうに手を振った。
そんな日下さんに大きく頷き手を振ると、タクシーが出発した。
流れる景色を見ながら、「ふぅ」と息を吐いた。
やっと1人になれる。
やっと1人で号泣出来る。