「え? では、ルージュさん達と同じ班にいるヨハン・クルロックという青年は、昔、ルシフルが助けた子供なのですか?」
余程驚いたのだろう、ルルが大きな目を見開き、口元を手で押さえる。
「いいや、私が助けてもらったと言うべきだ。ヨハンのご両親は、命を賭して私を救ってくれた」
「それで、あの子を気に掛けているのですね?」
「ああ。せめて金銭的な援助だけでもと思っているんだが、ヨハンの祖母はなかなかの頑固者でね。一切の金品を受け取らないんだ。ただ、今年の頭に、アルバレイス学園の試験を受けるから、ヨハンの後見人になってくれと書状が届いてね」
「まあ、それでルシフルが後見人になったのですね?」
「ああ、可能ならば受験料と支度金もと思ったんだがね、やはり断られてしまった。仕方なく、私はヨハンの後見人の欄にサインをしただけだ」
「それでは、ルージュさんと同じ班にヨハン君を入れたのは、それも彼のためを思ってですか? ルージュさんやアリアス君と同じ班なら、確かに合格はし易いと思いますけど……」
ルルは頬に指を当て小首を傾げる。こうしていると、まだ十代前半の幼い少女のように思えてくる。公務では厳格な王女の一面を覗かせるが、二人きりの時はこうして少女のような仕草をする。
ルルの仕草に目を細めながら、ルシフルは温くなった紅茶を口に運ぶ。温くなり、苦みが増した紅茶で喉を湿らせると、口元に笑みを浮かべる。
「その逆だよ。ルージュの為にヨハンを入れたんだ。彼は良い青年に育っていると、報告を受けている。ルージュは様々な才に優れるが、人との関係を築くのが下手だ。そういう風に育ててしまった私達の責任もあるのだろうが、ルージュは自分の価値観に会わない人物を見下し、排除してしまう」
心当たりがあるのか、ルルは「確かに」と神妙な面持ちで頷いている。
「だから、ヨハンをルージュと一緒の班にしたんだ。短い期間だが、彼ならばルージュの価値観を変えてくれるかも知れないと思ってね」
「それは分かりましたけど。ルージュさんと同じ班と言う事は、それなりに危険ですよ? このセンスを見る限り、ヨハン君、無事で戻って来られればいいけど」
ルルは心配そうに、ヨハンの適性試験のプリントを見る。ルシフルは、そんなルルを見て微笑んだ。彼女には言わないが、ヨハンにはもう一つ大きな秘密がある。果たして、それが吉と出るか凶と出るか。
その時、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「はい」、と硬質な声を上げたルルの顔から少女の面影は消え、王女としての威厳に満ちた表情が浮かんだ。ルシフルもルルに習って表情を引き締める。時刻は十時を指そうとしている所だ。こんな夜中に人が訪れると言う事は、良い報告であるはずがない。
「夜分申し訳ありません、ルシフル様、ルル様」
頭を下げて入って来たのはバルザックだ。彼は顔面蒼白で、握りしめられた手は小刻みに震えていた。
「バルザックどうした?」
ルシフルが尋ねると、バルザックは奥歯を噛み締め目を閉じた。
この時間に報告があると言う事は、やはり悪い知らせのようだ。脳裏に出発前日に見たルージュの笑顔と、遠目で確認したヨハンの笑顔が過ぎった。
「どうした?」
動揺を悟られまいと、ルシフルは努めて冷静な声を発した。
「ククルの森で、ルージュ様の消息が不明となりました。報告によると、オークに襲われた模様です」
傍らで、ルルが息を飲むのが分かった。彼女は毅然とした態度こそ保っていたが、目は震える子犬のようにルシフルを見つめていた。
「死体は?」
「それが確認できません。私が後見人を務める、シシリィ・オーガスも、ヨハン・クルロックも同じく行方不明です」
「アリアスは? アリアス・サーバインはどうしたのですか?」
「……アリアス・サーバイン様の行方も、不明です」
バルザックは目を伏せた。震える彼の口から、「残念です」と沈痛な言葉が漏れた。
バルザックとは対称的に、ルシフルはホッと胸を撫で下ろした。ルージュ一人が行方不明だというのなら心配もしたが、ヨハンとアリアスが一緒ならば心配も吹き飛ぶ。サーバイン家の至宝と言われるアリアスと、ヨハンが一緒ならば何も問題はないだろう。正規のルートからは外れているが、今頃ククルの森を抜けているはずだ。あと少しすれば、アリアスからビヨンドに連絡が来るだろう。
「やはり、貴族派の手引きでしょうか? ククルの森で数体の死体を発見しました。傷跡から察するに、ルージュ様達が撃退したものと思われます」
「人間の暗殺者は、貴族派だろうな。しかし、人間が魔物を操れるとも思えない。事を性急に決めつけるのは良くない。取りあえず状況確認が先決だ。彼らがルートから外れている可能性もある。念のため、ククルの森を重点的に捜索してくれ」
「はい、畏まりました」
「ビヨンド・サーバイン殿には、私の方から連絡を入れておく。ありがとう、バルザック」
入って来た時と同様、恭しく頭を下げたバルザックは部屋から出ていった。
「あなた、ルージュさんが!」
扉が閉まりきるのを確認すると、ルルは鉄面皮を崩し、縋るようにアリアスの腕を取った。
「大丈夫だ、ルル。心配はない。アリアスも行方不明と言う事は、ルージュと一緒にいると言う事さ」
「ですが、相手は魔物です! いかにアリアスさんでも、一人では……」
「大丈夫」
ルルの口を人差し指で塞いだルシフルは、含みのある笑みを浮かべた。
「相手が魔物なら何も問題はない。自らの創造主に勝てる魔物は、恐らくこの世界には存在していないからな……」
「え?」
目をパチパチさせるルルをそのままに、ルシフルはテラスへ出ると、西側にある手摺りに体を預けた。
煌びやかに輝くアルバレイス。ここは不夜城だが、一歩外へ出ると深淵の闇が広がっている。原初の恐怖を思い出させる闇。その闇を打ち払うべく、人は火を手に入れた。火は魔晶へと代わり、ルシフル達は魔晶術を手にした。だが、いくら生活が便利になったとしても、闇が恐怖の対象であることには変わりない。
今頃、ルージュ達は火を囲んでいるに違いない。
ルシフルは、頭上に広がる満点の星空を見上げた。願わくば、可愛い末妹であるルージュが、人の心を理解し、良き仲間と巡り会える事を。
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