テラーノベル
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ガツンッと鈍い音が鳴った刹那、僕の意識は灰色に飲み込まれていった。
狭まっていく視界の中、唯一くっきりと見えたのは、
こわい顔をした父親と、次々と浴びせられる唾。
【 お前なんか引き取るんじゃなかった 】
ごめんなさい
【 目障りなんだよ 】
ごめんなさい
【 ××してやる 】
消えゆく意識の中、それだけは頭を思いきり突き抜けて、
本能なのか、まだ微かに希望があると思ったのか、
僕は全身の力を振り絞って父親を押し退けた。
【 待て!!!! 】
厳冬の中、罵声だけが冷気にかき消されていった。
今日は月が冴えている。 酷い寒さだ。
残雪を踏んだ足裏がひりひりと痛む。
裸足で薄着の儘でも、寒さは躊躇う事なく僕の頬を抉った。
『 ……さむい…… 』
震える手で携帯を取り出す。
回らない頭で、無意識に手は電話リストを開いていた。
でも……
誰に?
涙が這い上がってくる。
『 ……誰か、だれか…… 』
スワイプしていく度、視界がどんどん霞んでいく。
先輩は駄目だ、後輩も駄目だ、友達も……
『 だれか、たすけて…… 』
か細い声は白い湯気となるだけで、何処にも届きやしない。
だれか、たすけてくれるひとは……
『 …… 』
「芥川 龍之介」と書かれた名前を見て、思わずぴたりと手を止める。
『 ……否々、こんな時間に起きてる訳ないよな…… 』
『 というか第一、彼奴は僕の事なんて嫌いだし…… 』
『 …… 』
助けを求めるというのか。
嫌いな彼奴に。
莫迦な思考も大概にしろよ、なんて自嘲的な笑みが零れる。
『( ……でも、同い年で、或る意味気を遣わなくていいし…… )』
追い出されたら、もういっそ野宿しよう。
半ば投げやりの思考の儘、通話ボタンを押した。
『 …… 』
無機質な送信音が耳を抜けていく。
何度も何度も繰り返され、その度に諦めで黒く塗られていく。
『 ……はは、矢っ張り駄目だよな…… 』
ツーツー……という音が訊こえた途端に、力が抜けてへたりこんだ。
知ってる。知ってた。
大丈夫、大丈夫。
『 ……家、帰った方がいいのかな…… 』
そう呟いた時
『 !?あ、え……?着信音……? 』
慌てて画面を見ると、「芥川 龍之介」と間違いなく名前が表示されていた。
暫し携帯を握りしめた儘沈黙する。
『 ……っ 』
『 ……ぁ、…… 』
もしもし、と云おうとした声は、寒さに枯れて唯の息となった。
酷く緊張しているのか、全身震えている。
なにか、なにか、いわないと。
「 ……何だ 」
通話を始めて数秒。
痺れを切らしたのか、急かすように問いかけられる。
『 ……芥川、 』
ほんの少しだけ、雪の冷たさが和らいだ気がした。
「 ……如何した 」
もう一度、問いかけられる。
如何しよう、何を云えばいい。
助けて? 否、違う。
なにか、なにか……
『 あ、あのさ…… 』
『 きゅ、救急箱……貸して、くれないかな……? 』
莫迦みたいに震えた声だった。
案の定、電話の向こうから「は?」と返される。
「 急に何だ。抑も、今何時か判って云っているのか 」
『 その…… 』
『 今、家がさ、入れなくて…… 』
『 御免……本当に御免ね。頼れるのが、芥川だけで…… 』
薄っぺらい口実だった。
誰かに会いたいというだけ。唯それだけの理由。
もっと何か、あった筈なのに。
「 ……用事はそれだけか 」
『 え? 』
予想外の反応に反射的に声が出る。
『 あ、嗚呼……うん 』
「 なら、僕の家に来い。場所は判るな? 」
『 あ、うん……有難う 』
乱暴に切られた電話。
たった二分の短い会話。
彼奴らしくないな、と吐き出した息は、宙を舞って静かに消えていった。
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少し錆びた階段を上がれば、目の前に芥川が住む部屋が佇んでいた。
芥川は、大学進学と同時に一人暮らしを始めたらしい。
僕は成り行きで家にお邪魔した事があった為、なんとか家は覚えていた。
『 ……よし 』
笑顔で振舞って、
何でもない振りをする。
深夜でしかも怪我をしているなんて不自然だけど、きっと大丈夫。
彼奴なら、何でもないって何時ものように暴言を飛ばして終わりだ。
ガチャッ
インターホンを押して数秒後、扉が開かれる。
さあっと空気が頬を掠めた。
『 あ、芥川……急にごめんね 』
「 …… 」
何時も通り挨拶をする。
だが芥川は何も返さず、少し目を見開いて僕の顔を凝視していた。
きっと、躰中に付けられた傷に驚いているのだろう。
『 あ、あはは……酷い傷だよな。一寸怪我しちゃって…… 』
自分でも驚く程乾き切った声。
そんな本音を隠すように分厚く貼った笑顔だけは、なんとか崩れないように。
「 ……____ 」
『 ?何か云った? 』
「 ……何も云っておらぬ 」
「 早く入れ。救急箱が欲しいのだろう 」
『 あ、うん…… 』
促される儘、おずおずと芥川の部屋へ踏み入れた。
部屋に入ると、なんだか肩の力が緩んだ気がした。
案内されるが儘ソファに座っていると、
目当ての救急箱、そして何故かマグと毛布も持って現れた。
『( 芥川……こんなに僕に気を遣うっけ )』
表情も変わらず、嫌味も何一つ云わない。
知らない人を見ているような気がした。
……まあ、芥川にも人の心位はあるってことかな。
『 ……有難う 』
両手で包んだホットミルクの熱さが、冷たい指先からじんわりと伝わった。
『 ……本当にごめんな。その…… 』
『 僕の事を家にも上げたくなかったのは…判ってるけど…… 』
「 愚者め。僕とて鬼ではない。火急の用事なのだろう 」
『 うん……ごめんね 』
言葉を発する度、惨めな思いになっていく。
之迄、ずっとずっと上手く隠せていた。
けれども、こんな形で迷惑をかけるなんて、本当に不甲斐ない。
勘がいい芥川なら、もう気づいてしまったのかもしれない。
……そんな思考の連鎖を続ければ、自然と下を向いてしまう。
「 ……まだ、寒いか 」
無言に耐えかねたのか、芥川はらしくもない言葉を振ってきた。
『 え?あ、い、否…… 』
「 なら手当をする。顔を此方に向けろ 」
『 え、あ、い、いいよ……!自分でできるし…… 』
「 其の凍傷を負った指で、か? 」
『 …… 』
……気づいてたのか。
『 ……御免 』
「 …… 」
本当、情けないなぁ……
芥川は、普段の態度からは想像も出来ない程丁寧な手つきで手当を始めた。
血を拭き取り、傷を消毒し、そしてガーゼを貼っていく。
黒々とした瞳は、相変わらず何を考えているか判らなかった。
顔が終わると、次は躊躇なく腕を捲る。
【 ××してやる 】
『 ひっ…… 』
腕に触れた刹那、父親に掴まれた感覚が蘇る。
血流が止まって、ズキズキと痛みが走る、その感覚。
『 っ……御免、続けて大丈夫だから…… 』
「 云われなくともそうする心算だ 」
『 うん…… 』
消毒液が染みたと勘違いしたのか、芥川は何でもない顔をしていた。
この時ばかりは、芥川の厳しさを有難く思ってしまう自分がいた。
手当ももう直ぐで終わりという頃。
僕の躰は、見事に白いガーゼで埋め尽くされていた。
そんな光景をぼうっと見つめながら、ふと考える。
『 ……なぁ、芥川 』
「 ……何だ 」
短く呼ぶと、少し鬱陶しそうな顔をした芥川と目線が合う。
『 ……訊かないのか? 』
「 何をだ 」
芥川は、察しているのだろうか。
躰中に付けられた傷と、深夜のインターホンで。
『 否……その、傷の事 』
「 貴様が怪我をしたと云ったんだろう。違うのか 」
『 !い、否!そ、そんなんじゃ…… 』
不味い。自分で墓穴を掘ってしまっただろうか。
『 ………… 』
『 ……御免 』
取り繕おうと思って出てきたのは、そんな薄っぺらい謝罪だった。
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「 終わったぞ 」
その一言で、弾かれたように顔を上げる。
『 深夜にごめんな。有難う 』
丁寧にお礼を云って、軽く会釈をする。
深夜の急なお願いにも対応してくれて、今回ばかりは此奴の事を見直したかもしれない。
『 ……それじゃあ、僕は帰るから…… 』
毛布を剥ぎ取ると、冷気が肌に障って、少しばかり寂しくなった。
……元はと云えば、僕は救急箱を貸して欲しいという事でお邪魔させてもらっただけだ。
ならば、地獄に帰るか、はたまた野宿か、何かするしかない。
「 ……待て 」
『 ん……? 』
刹那、じんわりと心に絵の具が滲んだ気がした。
「 今日は止まっていけ 」
『 え……? 』
大嫌いな彼奴にはあまりにも似合わない言葉に、僕は数秒停止した。
そんな僕はそのままに、畳みかけるように問いかける。
「 貴様、家には帰れないと云っただろう 」
『 …… 』
そういえば、そんな事を云ってた気も……
『 それは……そうだけど…… 』
じわじわと滲み始めた青色に、不覚にもほっとしている自分がいて。
『 お前、今日可笑しいな 』
「 何だ。其の儘無理矢理家に帰した方が善かったか 」
『 い、否…… 』
こんなの、気持ち悪くて、迷惑で、
でも。
『 ……泊まらせて頂きます 』
「 嗚呼 」
なぁ、芥川。
お前、そんなに優しかったか?
でも、
少しだけ、ほんの少しだけ……ほっとしてしまうのは
なんでなんだろうな。
コメント
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何度見ても素敵だな〜…✨ ねこゆの言葉選びが本当に天才的過ぎるよ…
まず1つ、題名のセンスが良すぎる。 題名があまりに好きで1回スマホ閉じました。 でもってお話の内容が本当に綺麗すぎる‼️‼️‼️ めっちゃ「ごめん」って言っちゃうのとか敦くんらしくて最高に好きだし敢えて踏み込まない不器用な優しさを持つ芥川も超好き。 将来小説家になりませんか??編集はやるので