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ニュートはただただ走っていた。息を切らしても、喉が張り付いても、呼吸音がもどかしくなっても、血の味が染みて来ても、足の感覚が失われつつあっても、時折足が縺れて躓いても。それくらい…否、そんなことよりも大変な事がニュートには迫っていた。アスファルトの凹凸が走り疲れた足裏を叱咤して、唾液線が喉への負担を減らそうと口内へ水分を供給する。それが追いつかなくなるくらい必死に…魔法という存在を忘れるくらい必死に足を動かした元凶は他でもない、兄だった。
常に逞しい背中を見せてくれて、ニュート・スキャマンダーとして生きる為の道を作ってくれて、疲れた時にはその優しい掌でわしゃわしゃと撫でてくれる兄が掠れつつあった。その背中が見れなくなる、抱き締めてくれなくなる、撫でてくれなくなる、その声が聞けなくなる……。ニュートはもういっぱいいっぱいだった。ただでさえ兄との距離を掴み倦ねていたというのに、そのまま兄と会えなくなるなんて弟としても、ニュートとしてもあんまりだった。
兄をここまで追い詰めた大きな理由をニュートは知っている。知っているどころか、ニュートだってその場に居た。墓地で行われたあの悪夢のような集会。その前から様々な鍵を見付けてはひとつずつパズルを解いて行った。その旅の中で仲間たちとの関係はより深まりニュート自体大変ではあったがそれよりも大きな幸福感に包まれていた…のも束の間、集会が始まればかつての親友であり兄の婚約者であったリタ・レストレンジを喪った。
「愛してる」
そんな言葉を残して彼女は逝ってしまったのだ。兄は勿論、ニュートもかなり傷心していた。晩年離れ離れであっても、兄の婚約者になっても、リタを思っていたのだから。だが、ニュートはリタよりも好きな人が居た。それは……言わずもがな今必死に求めている兄である。あの日から心配になり毎日家に通っていたのだがだんだん窶れていく兄やそれに比例するようにどんどん荒んでいく部屋。心做しか暗く感じる部屋で1人用のソファに身を沈め何を見るでもなく天を仰ぐ兄の姿にニュートは耐えられなくなっていた。普段の逞しい”局長”としての姿など無く、ただそこには”鰥夫”と化した兄の姿しか無かった。でも、ニュートにとってはどんな兄でも兄だったのだ。変わらず愛情を注ぎ、兄の精神を安定させるべく出来ることは片っ端からしてやろうという魂胆で通い続けていた兄の家。今日はいつも通りでは無かった。少しずつ普段の様子を取り戻し始めた兄が家に居なかったのだ。机の上の置き手紙に目を走らせては彼にもなにか魂胆があったのだと気付かされ走り始めた。何処に行くかなんて全く決めていないし、皆目見当もつかないが兄との日々を手掛かりにただ只管に走り続けたのが始まりだった。
“僕は元気になったし魔法省に戻る。ニュートも自分の家に戻って子供たちの面倒を見るといい。本当にありがとう。”
そんな置き手紙を見たので最初に向かったのは魔法省。勿論、居る訳が無かった。その点においてはニュートの想定内なので良しとする…が、魔法省に兄が行方を眩ませた事が知れ渡ってしまった訳で。上層部が黙っているなんて事が有り得ることも無く兄を取り戻そうと闇祓い局を総動員させた。初めはその内の数人がニュートに付き纏っていたがニュートが嫌がり続け、それこそ兄と同じように行方を眩ませようとするので定期的に魔法省に訪れる事を条件に1人行動を許された。そこから走り続ける日々が始まり今日で3日ほどだろうか、碌に飲み食いせずただただ走ってはその辺で少し睡眠を取る程度でニュートの足も限界を迎えつつあった。
───ガッ・・・
大きめの石に足を持って行かれたらしい。ニュートは疲れきった身体で受け身を取れる訳もなく鈍い音を立ててアスファルトに突っ伏した。はぁはぁ、と胸を膨らせ酸素を取り込む。後から痛みが走る頬に顔を歪ませながらもじわり、と滲む涙を堪えた。何分走ったのだろう、ようやく休みを得た身体はもう動けないと言わんばかりに重くなってゆく。鉛のように重くなった身体を起こせるほどの体力なんてもう無いが為にひんやりとしたアスファルトに倒れ込む形でニュートは横たわっていた。頭がじんじんと痛んで全身に血が駆け巡る感覚がする。身体に鞭を打って身動ぎ仰向けになっては空に輝く星々を眺めた。
(そういえば今日は満月だったなぁ…)
そんな考えも虚しく意識と共に暗い闇の中に葬り去られた。
───ト……! ──ート!!─ュート!
「ニュート!!!」
はっ、と意識が浮上した。慌てて身体を起こそうとすれば両肩に手を当てられ静かに止められ、エスコート付きで身体を起こされる。その手の主を目で追えば……
「テセ…ウス……」
ニュートは目を見開いた。探し求めていた兄が目の前に居るのだ。
「…此処は……?」
辺りをキョロキョロと見回すも先程まで横たわっていたアスファルトではないし思い返してみれば身体の怠さも感じない。
「あぁ、此処は私のお気に入りの場所だ。きっとニュートも気に入ってくれると思ってね。」
「…へぇ、すっごく心地良いよ……」
「そうだろう?お前も走り疲れた筈だ。ゆっくり休みなさい。」
ニュートは目を瞑り優しく頬を撫でる風を感じた。風に揺られる度に草木の揺れる音がして、暖かい陽の光に当たりながら木の幹に上半身を預けた。そして優しくて大きな兄の掌が頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ニュート」
「……なぁに?兄さん。」
兄がゆっくりと顔を近付けた。そっと、細められるマジェスティックブルーの眸の奥にはメラメラと別の熱が燃えていて揺らめいていた。ニュートはハッ、と息を飲み兄を突飛ばす。
駄目だ、こんなこと、兄にさせてはいけない。幾ら”夢の中”だからと言って兄に不埒なことをさせるなんて弟として、今まで助けて貰った身として有り得ない。こんなの、夢だ。夢で兄に会えたからと調子に乗りすぎた。
ニュートはまた走り始めた。現実とは違って数百倍も軽い足で地を蹴って走った。後ろからは兄が声を上げながら追いかけて来るのが分かる。それでもニュートは走った。仕方の無い事なのだ。
「兄さん…テセウス……!僕が欲しいのは貴方じゃない!」
「ニュート…?何を言っているんだ、!!止まりなさい!」
「僕が欲しいのは…僕の名前をあげた貴方だ!!」
ニュートはそのままの勢いで目の前の湖に飛び込んだ。ケルピーに連れ去られるように湖の深い暗い水底まで沈んで行ったニュートは静かに目を閉じた。
───ピィ・・・ピィ・・・・・
耳元で聞き慣れた金切り声がした。夢の中であれど湖に飛び込んだからか、息苦しさに思わず咳き込みながら意識を掴み取った。
「──ゲホッ…ゴホッ……、」
死にそうなニュートを心配する小さな緑の友達はそっとニュートの頬を撫でた。
「ごめっ──、ピケット…ッ、」
漸く落ち着いてきた呼吸に胸を撫で下ろす小さな緑の友達を見て思わず微笑んだ。そしてそのままキョロキョロと辺りを見渡せば空はすっかり明るくなっており、遠くからは人々の声や車の音が聞こえていた。人通りの少ないところで良かった、なんて安心する暇もなくニュートは倒れ込む前よりかは幾分マシになった身体を起こした。
「…行かなきゃ。」
ニュートは小さな緑の友達を胸ポケットへ誘導してはもう一度走り始める為に靴紐を結び直した。ふぅ、と短く息を吐いては兄との思い出を振り返る。
実家然りニュートや兄の家、ホグワーツ…そして……墓地。
___墓地、そうだ。墓地かも知れない。
そこまで考えてニュートは漸く姿晦ましを使った。
墓地に着いたニュートは再び肩を上下させていた。いくら緊急とは言え墓地に姿現しなんて少し不敬だと感じたニュートは近くの公園に飛び、そこから走ったのだ。何とか酸素を取り込みながらゆっくりと墓地を歩く。かつて集会が行われた其処は人っ子一人居らず閑散としていた。するとバシッ、と聞き慣れた音が聞こえては振り返る。
「スキャマンダー。」
闇祓い局の副局長だ。兄を通じて知り合ってから少しづつ話して1体1でも何とかなる位まで親睦を深めた人の1人。ニュートは突然のその人に少しきょとん、と首を傾げながら返事をした。
「……はい」
「私たちは一旦引き返す。」
「えっ?」
「闇祓い局全体で追っていた事件が解決したようでな、其奴の後処理と事情聴取、報告書から上への連絡…。その他諸々が沢山あるんだ。何せ凶悪犯だったからな。1日位でもう一度局長を探しに戻るから変に気を遣わなくても構わない。君はずっと局長を探していてくれ。」
「……は…い……」
ニュートが返事を言い終える前に再びバシッ、と言う音ともにその場から消えた。凶悪犯絡みの事件が解決…?闇祓い達は兄の捜索に出向いていたのに……?ニュートはどういう事だと頭を抱えた。
「……何処で起きた事件なのか聞けばよかったなぁ…」
今はもう居ない副局長が立っていた処を見詰めてはそう独り言ちた。
“ニュート、最近オックスフォードで凶悪犯絡みの事件が起こったらしい、気を付けるんだぞ。”
ふと、過去に話していた兄の声が脳内に響いた。オックスフォード…、そうだ、其処に行けばなにか手掛かりが……!!ニュートは墓地から走り出ては直様姿晦ましを使った。
オックスフォードに姿現しをしたニュートは一先ずボドリアン図書館に付属しているラドクリフ・カメラに転がり込んだ。過去に兄と訪れたことのあるこの場所で何か思い出せるかもしれない、そう思い足を運ぶも兄の影は見つかる訳も無く。大人しく外に出てラドクリフ・カメラを熟視すれば兄との思い出がまたひとつ浮かび上がった。
“此処にしてはいい天気だな、こんな日には日向ぼっこをしていたい気分だよ。”
“えぇ、もう少し何処か回ろうよ、まだテセウスと歩いてたい。”
“勿論構わないさ、アルテミス。お前は歴史に少し興味があるだろう?子供たちにも繋がるかもしれないからと言って良く本を読み耽ってるのを目にする。”
“うん…あるけど、それが何?”
“アシュモレアン博物館に行こう。”
“…!!ほんと!?やったぁ!!”
アシュモレアン博物館……!ニュートは人気の無い裏路地に身を隠せば姿晦ましをした。
美術と考古学の展示が中心でヨーロッパだけでなくの極東の国のウキヨエも展示してあるそこは歴史もあり洗練された素晴らしい観光名所。ニュートは外観を見ただけでほぅ、と感嘆の息を漏らした。兄なら中にまでは入らないだろう─それにニュート自身お金を持っていなかった─と外を歩き回るも兄の影が見付からず付近のベンチに腰を下ろした。
(日が落ちてきた…不味いな、)
ニュートは何故かは分からないが今日を逃せばもう二度と兄に会えないような気がした。本当に何故か分からないがただただそんな気がしてならなかったのだ。そんな自分に溜息を零しては腰を上げた。
── 此処は私のお気に入りの場所だ。
夢の中で兄が笑いながら言った言葉を思い出す。
「……なぁんだ、初めから答えを教えてくれていたんじゃないか。」
ニュートは片手で目を覆えば呆れから口元を緩める。通行人に変な目で見られない内にニュートはトランクのグリップを持ち直し歩き始めた。兄の──テセウスのお気に入りの場所に。
_ナショナル・トラスト – アッシュリッジ・エステート
“ニュート……アルテミス、おいで。”
“待ってよ、兄さん早い……!”
“早くお前に見せたいんだ。”
“目瞑れって言ったの兄さんでしょ、!それなのにそんなに早く歩かれても困る!!”
“あぁ…それは…僕の配慮が欠けていたよ。”
“っうわぁ!?ちょっとテセウス!?”
“こうすればアルテミスは目を瞑ることに集中しておけるだろう?”
“だからと言ってお姫様抱っこしないで!!”
“暴れないでくれ、アルテミス。落としてしまう、!”
︎︎⟡~ ̖́-
“よし、目を開けてご覧、アルテミス。”
“ん……わぁ、きれい……”
“だろう?お前の子供たちの新しい部屋の参考にでもなるかと思ってな。”
“流石だよテセウス、!”
“アルテミスの為ならなんだってしてあげるさ。”
「____なんだって……ね。」
それなら……、
「───それなら…僕の前から居なくならないでよ。」
独り悲しく呟いたその声は夜空に煌めく星に吸い込まれた。返事なんて来ないただ静かなこの空間にそろそろ限界になりつつあった。
(へこたれちゃダメ…、兄さんを…、テセウスを探さないと……)
体力も限界が近くてあの日から何も食べていないからか空腹感も誤魔化せ無くなってきていた。ずっと使いっぱなしで感覚が無くなった足を無理矢理動かす他ないのが辛いところではあるがそこそこの距離を何度も飛び回っては魔力量も減るものだ。飛ぶことなんてもう出来ない…と言うかしたくない。今したらきっとバラける。ニュートの今の状態は正しく疲労困憊…否、満身創痍の方が合うのかも知れない。何はともあれ、心身共に疲れ果てていたのだ。
───ガサ、
叢を掻き分けては広がった大きな崖の近くに出た。ザザー、と海の音がして風が気持ち良い。輝く星空に吸い込まれるようにしてふら、と崖に近寄ってみれば1人の影が視界に入った。ふと視線を向ければ……
「…テセウス……?」
「…ニュート……?」
会いたかった、兄さん!!そう叫びそうになれば兄は慌てて距離を取った。
「ニュート、!来ちゃダメだ……!」
「兄さん…?どうして……」
「…帰りなさい、僕もすぐ帰るから…」
「……誰がその言葉信じると思うの?」
「っ……」
「魔法省に行くなんて嘘ついて…結局訪れたのは此処?」
「ニュート……」
「ねぇ、どうしたの兄さん?自殺でもしたかった??」
「……」
「沈黙は肯定。ねぇ兄さん、もし死にたいんならさ。」
「……?」
「その命僕に頂戴。」
「…は?」
「兄さんの一生を欲しいの。僕が何でもするから、だから兄さんとずっと居させて。」
「ニュー…ト……?」
「それも無理って言うなら無理矢理トランクに押し込めるまで……」
「ま、まて、!ニュート!」
兄が慌てて1歩足を下げればそこに床はなく崖から身を落とした。
「兄さん!!」
失いたくない、駄目だ、兄さん、そんな…そんなバッドエンドは求めてない……!!!
ニュートは考えるよりも先に杖を振った。途端、白い激しい光が兄を包み込み優しく崖上まで運んだ。
「テセウス…もう何処にも行かないで…」
気を失ったテセウスをぎゅう、と抱き締めた。
もう離さない、貴方の傷に漬け込んで僕だけしか考えれない身体にしてやる……。
ニュートはトランクを開けた。
「ん…」
「おはよう、兄さん。」
「ニュート…」
「今日からずっと僕のトランクに居てね。大丈夫、何も心配しなくていいよ。料理位はできるし、」
「違う、ニュート…、話し合おう、」
「何を?何を今更話し合う必要があるの?」
「…僕らのこれからについて、とでも言おうか?」
「…?」
兄は意味深に口角を上げた。そしてうっとりと細められる2つの眸は夢で見たソレと同じだった。
「僕はあの崖で死のうとしたわけじゃない。」
「え…」
「最後に思い出の場所を周ろうと思ってあの場所に居ただけだ。」
「最後…?」
「そう、最後。確かにリタの件でかなり辛い思いをした、でも僕は元々リタを愛していたわけじゃない。それはリタも同じだ。お互い共犯者だったんだよ。僕は実の弟が、リタは濡れ衣を着せた相手が好きだったからね。叶うわけもない恋心を分け合った後に2人で堕ち合おうってなったんだ。でも…、互いにニュートへの想いを消しされた訳じゃ無かったんだ。そしてそのまま…リタが亡くなった……。唯一の共犯者を失ってどうにかなってしまいそうだったよ。そんな時にお前が…ニュートが僕の前に現れたんだ。そこからだよ、僕の想いが加速したのは。もうどうにも出来ないほど膨れ上がってしまってね、自分のことだけれどお手上げだったよ。だから…ニュートの前から姿を消した方が早いと思って居なくなったんだ。その見納めとしてニュートとの思い出の地に足を運んでいたのさ。」
「…」
ニュートは黙りこくった。予想外の兄の告白に発する言葉を即座に見つけることが出来なかったのだ。
「……でも、どうだ??迷惑かと思って逃げたら追いかけて来てくれる想い人が居て、剰え求めてくれているだなんて…僕は感激したよ…。さぁ、アルテミス。僕は本当に大丈夫だ、今此処で大丈夫になった。アルテミスが僕を求めてくれているからね。だから、魔法省に戻っても良いかい?凶悪犯の後処理を手伝わないと。」
「…あの事件……テセウスが解決させたの?」
「嗚呼、実はね。自分から逃げたというのに思いの外暇でね。手持ち無沙汰を極めた結果1つの事件を解決してしまった。」
「……うわぁ、」
この兄…何処までぶっ飛んでるんだ。
ニュートは白い目をした。
「…ま、そうなら早く行ってあげないとね。但し、帰ってくるのは僕の家ね。分かった?」
「勿論だとも僕の女神様。」
「……ふふ、」
随分遠回りをしたしすれ違ったけれど結局は兄弟揃って愛していたのだ。熟似てるなぁ、なんてニュートは幸せそうに頬を緩ませた。
了