* * *
記憶を取り戻してから一週間が経つ朝。
フェリシアは髪を一つにくくり、高貴な軍服姿をしたエルバートと居間で会う。
けれど、記憶を取り戻してから、エルバートの正式な花嫁候補になったという自覚が強くなり、目を上手く合わせられない。
「今日は挨拶してくれないのか」
(…! ご主人さまがわたしの挨拶を待っている!?)
フェリシアは目をなんとか合わせ、挨拶をする。
「ご主人さま、おはようございます」
「あぁ、フェリシア、おはよう」
エルバートは手をフェリシアの頬に当て、優しく微笑む。
(こんなの、まるで、新婚さんのようだわ)
* * *
その後、しばらくして、エルバートは高貴な馬で宮殿入りし、皇帝の間へと向かう。
今日はルークス皇帝にお呼び出しされているというのに、
(フェリシアが目をあまり合わせてくれないものだから、今朝はやり過ぎてしまった……気を引き締めなければ)
皇帝の間の扉が門番により開かれ、髪を一つにくくり、高貴な軍服姿のエルバートは中に入る。
すると、王座の階段の前に何者かが立っていた。
床に敷かれた長いレッドカーペットの上を歩いて行くと、王座の階段の前に立つ高貴な軍服を着た者の姿が鮮明となった。
この気高き壮年の男はクランドール・ホープ。
自分より3歳年上の先輩にあたる軍師長で、自分とは違う軍を束ねており、司令長官を任された際には特に頭が切れ、とても頼りになる存在だ。
「エルバート、久しいな。姿を見ない間に正式な花嫁候補まで作るとは成長したな」
まさか、ルークス皇帝が玉座から見ておられる前でそう言われるとは。恥ずかしい。
「クランドール閣下には敵いませんが、お褒め頂き、光栄にございます」
「ふたりが再会でき、何よりだ。ではこれより本題に入る」
ルークス皇帝にそう命じられ、エルバート達は並んで跪き、見据える。
「帝都郊外の神隠しに合うと恐れられた森にて前皇帝の命を奪った魔の姿を見かけたとの情報が入った」
「よって、お前達の軍に魔祓いの任務を与え、クランドール、お前を今回の魔祓いの司令長官に任命する」
「はっ」
「そしてエルバートよ、お前はクランドールと共に万全を整え、一ヵ月後の初冬に軍を引き連れ出立し、魔を必ず浄化せよ」
「かしこまりました」
エルバートは跪いたまま、深々と頭を下げる。
(今宵、フェリシアに伝えなければ)
* * *
「――え? ルークス皇帝から魔祓いの任務が下った?」
その晩、フェリシアは書斎でエルバートに尋ねる。
「あぁ、一ヵ月後の初冬に出立し、しばらくの間、家を離れることになる」
エルバートの言葉を聞いた瞬間、寂しさで包まれる。
「フェリシア?」
呼びかけられ、ハッと我に返り、後ずさると、壊れた鮮やかなブルーのブローチがドレスのポケットから床に落ちる。
「あっ」
短く声を上げ、エルバートがそのブローチを拾う。
「これは両親の形見のブローチか?」
「は、はい……懐かしくなり、久しぶりに持ち歩いておりました」
「出会って間もない頃、お前から壊れたと聞いていたが、この壊れ方。ローゼに割られでもしたか?」
(まさか、今になってバレるだなんて……)
フェリシアが頷くとエルバートは息を吐く。
「そうか、ではしばらくこれは預かる。良いな?」
(ご主人さま、怒ってる? ずっと黙っていたせいかしら……)
「か、かしこまりました……」
「それからフェリシア、出立する前にお前と出掛けたい」
「え?」
フェリシアは短く声を出して固まる。
「私と出掛けたくないか」
「と、とんでもありません! その、驚いてしまって……」
「ご主人さまが宜しければ、わたしもお出掛けしたいです」
エルバートはふっ、と笑い、頭をぽんっと優しく叩く。
「では、出掛けよう」
* * *
そして、出立の一週間前の午後。
エルバートがようやく半日お休みをもらうことができ、
フェリシアはお洒落をし、一緒にお出掛けすることになった。
けれど、ディアムが横で手綱を持ち支えているエルバートの高貴な馬の前で固まる。
いつもお勤めの際にお乗りになられるエルバートの馬を間近で見るのは初めて。なんてご立派な馬。
(馬で一緒に行くことは事前に聞いていて、こっそり、クォーツさんと練習はしていたけれど……)
不安で仕方ない。それに緊張で手汗がすごい。
「フェリシア、馬に乗るのは今日が初めてだったな。乗るのが怖いか?」
銀の長髪を流したエルバートが心配そうに問う。
「あ、えっと、それもありますが、ご主人さまの馬にほんとうにわたしなどが乗っても大丈夫かと……」
「大丈夫に決まっている。フェリシア、お前は私の正式な花嫁候補なのだから」
エルバートはそう言い、手を差し出す。
フェリシアはその手に自分の手を添え、
足を乗降段に乗せ、横乗りで馬に腰かけた。
するとエルバートが後ろに飛び乗り、ディアムに代わって馬の手綱を持つ。
後ろから自分が落ちないよう、支えてくれている。
「フェリシア、しっかり掴まっていろ」
「は、はい」
短く答え、ぎゅっとエルバートの腕を掴む。
(着くまでずっとこのままだなんて、頬が熱いわ)
エルバートが右手で手綱を引くと、
行ってらっしゃいませ、とディアムが頭を下げ、馬はゆっくりと歩き出した。
* * *
それからしばらくして、湖に辿り着いた。
湖の清澄な水面には美しい花が浮かんでおり、綺麗な蝶が飛び交う神秘的な場所で、
白い小鳥や鹿が水を飲みに来ていた。
言葉に出ないくらいに美しく心奪われ、少しの間、一緒に湖を眺めた後、緑の絨毯のような地面に並んで座る。
すると白兎が近寄ってくる。
「あ、かわいい……あの、ご主人さま、撫でても大丈夫でしょうか?」
「あぁ」
エルバートの許可をもらい、白兎を撫でてみる。
白兎は本で見たことはあった。
けれど、実際に見たのも、撫でたのも初めて。
ふわふわでとても触り心地が良い。
「ご主人さまもどうぞ」
フェリシアはそう言い、ハッとする。
(ご主人さまが撫でる訳ないのに……)
「も、申し訳ありません、出過ぎたことを……」
「気にするな」
エルバートはそう言って白兎を撫で、微笑む。
その顔を見た瞬間、自然と手が伸び、エルバートの頭を撫でる。
するとエルバートは驚き、フェリシアも固まる。
(わたし、今、何を)
ふとエルバートの耳を見ると、赤く染まっていることに気づき、フェリシアもまた自分の頬に熱さを感じた。
「遅くなったが昼飯にするか」
「は、はい……」
フェリシアがバスケットに入ったベーグルサンドを手に取り、どうぞ、とエルバートに渡そうとする。
するとそこへ美しい鳥が飛んできて、ベーグルサンドをくわえ、翼を広げ飛んで行く。
「あっ」
フェリシアが短く声を上げると、エルバートは冷ややかな気配を美しい鳥へ飛ばす。
(ご主人さま、とても怒ってらっしゃる…………)
その後も静かに怒りながら、ベーグルサンドを一緒に食べ、地面に寝転がり、手が重なる。
(ご主人さまは普通にこちらを見ている……わたしはドキドキで胸が壊れてしまいそうなのに)
「フェリシア、お前に返したいものがある」
「返したいもの……?」
エルバートが起き上がると、フェリシアも起き上がる。
「両手を出せ」
エルバートに命じられ、フェリシアは両手を出す。
すると、ブローチを置く。
これは両親の形見であるブローチ。
壊れておらず、鮮やかなブルーの光が増している。
「ご主人さま、なおして下さったのですか?」
「あぁ、時間は掛かってしまったがな」
フェリシアが号泣すると、エルバートは頭を優しく撫でた。
* * *
そうして、泣き止んだ後、フェリシアはエルバートと高貴な馬でブラン公爵邸に戻り、夢のような半日は瞬く間に過ぎ去り、初冬。
エルバートの出立の日となった。
「フェリシア、コートを着せてくれないか」
髪を一つにくくり、高貴な軍服姿をしたエルバートにそう頼まれたフェリシアは居間で魔除けコートを両手を通さずに羽織らせ、
エルバートの後を付いて玄関まで向かい、一緒に外に出る。
「ご主人さま、これを」
扉の外側でフェリシアは紙に包んだ特別なパンをエルバートに差し出す。
「焼いてくれたのか?」
「は、はい。リリーシャさんに教わって……」
「感謝する」
エルバートはパンを受け取り、鞄の中に入れる。
するとリリーシャ、クォーツ、ラズールも見送りに外に出て来た。
「この家とフェリシアを頼む」
エルバートがリリーシャ達に命ずると、かしこまりました、とリリーシャ達は答える。
「では、行く」
エルバートは背を向けて歩き出す。
分かっている、このまま見送るべきだと。
けれど、体が自然と動いた。
「ご主人さまっ!」
フェリシアが叫び、エルバートは振り返る。
すると、フェリシアは胸に飛び込み、エルバートは抱き締める。
肌寒さが消え、身も心も温かくなった。
フェリシアはエルバートから離れ、笑う。
「ご主人さま、行ってらっしゃいませ」
「あぁ、行ってくる」
エルバートはそう言い、高貴な馬に乗り、旅立って行った。
(どうか、ご無事に帰ってきて)
* * *
しばらくして、高貴な馬でエルバートは宮殿前に到着すると、
兵にその馬を引き渡し、宮殿前の広場へ向かい、階段を上がって壇上に立ち、出陣式に出席する。
そして静寂に包まれる中、ルークス皇帝が16列に並ぶ全4部隊に向けてお言葉を述べ、
続いて白き龍のような美のかたまりの容姿をした青年がお言葉を全軍に述べる。
このお方はゼイン・ヴェルト。自分より3歳年下で、ルークス皇帝と血の繋がりはないが次期皇帝だと噂されている皇太子だ。
ゼインは述べ終わると、エルバート達を見る。
「クランドール司令長官、 エルバート軍師長 、必ず、成果を挙げよ」
「はっ」
エルバートはクランドールと共に答え、
クランドール、そしてエルバートも全軍に向けて指揮を上げる言葉を述べ、
ルークス皇帝が再び前に出ると、エルバートは呼ばれ、ルークス皇帝の元まで歩いて行く。
「エルバートよ、これより、亡き前皇帝より受け継いだ剣をお前に託す」
「亡き前皇帝の無念を晴らし、必ず生きて帰れ。健闘を祈る」
ルークス皇帝はそう言い、鞘に入った剣を差し出す。
「はっ、必ず成し遂げてみせます」
エルバートは答え、ルークス皇帝から鞘に入った剣を受け取ると、鞘から剣を抜き、剣先を天に向けて構え、祓いの力を使う。
すると、眩い光が天に向かって放たれる。
「全軍、これより出立する!!」
エルバートが号令し、全軍、敬礼をして出陣式は幕を閉じ、
その後、エルバートは高貴な馬に乗って進み、
同じく高貴な馬に乗るクランドールと共に全軍を引き連れ、門を出る。
馬が進む度、エルバートの魔除けコートが靡く。
(フェリシア、必ず、生きて戻る)
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