足元には人であったモノとそこから溢れ出す紅い川。銀色の髪を靡かせ、まるで目の前の川の色を吸ったかの様な緋色の目をした少年は、ソレをあたかも何も無いかの様に踏みつけにし、ソレらが積まれた、ヒトならば見ただけで卒倒する程の、惨い山の頂へ座り、辺り一面に広がる悲惨な景色を京の寺院から望む極上の風景かの如く眺めながら、自分の乗っているソレの懐を弄って得た腐りかけで蛆や蟻の沸いた握飯を喰らう。ヒトならば吐き出すが、彼の空腹状態は既に死の一歩手前まで迫っていた。増しては、俺はオニなのだ。そう思い込んだ彼は気に留める事を知らない。白米と呼べるのか定かでは無い程に変色したパサパサの米を咀嚼すると同時にプチプチとした虫を噛み潰す食感がした。殆ど味のしない握飯に染み込んだ血の味は、味を感じるものを食べた事の無い彼にとっては良いアクセントになった。もうこの場所に生きたモノは横たわった屍を啄く烏と彼しか存在しなかった。と、思われたが、彼の足元でげこお、げこおと汚らしい鳴き声を上げたモノがいた。
蛙だ。
「これ、喰えるかな。」
最早彼の空腹は腐りかけの握飯一つなどでは満たされない。彼はそれをひょいと捕まえ、何の躊躇いもなく口に入れた。咀嚼の瞬間ぐええ、という断末魔が聞こえたが、そんなことには意も介さず噛み続けた。ばりぼりと骨を噛み砕く様な音、そしてびちゃびちゃと汚く血液の滴る音だけが辺りに響いた。
やがて全て飲み込み、胃の中に溜まった頃には彼の口元には真っ赤な花が咲き乱れていた。それをぺろっと舐め取り、周辺をきょろきょろと見渡す。蛙を探しているのだ。生き物の肉なんて初めて口にした彼は、生肉であるそれがどれほどの危険を持つモノなのか知らないため、ただ己が感じた美味しいという感情に身を任せていた。だがその行動も虚しく、既にもうこの死体の山には喰えそうな生き物はいなかった。
「仕方ねえ。」
彼は目の前の骸に向かって徐に歩き出し、彼の傍に突き刺さったきっと目の前のソレの所有物であった刀をその腕に向かって振り下ろした。びちゃっと返り血が彼の白い肌についたが、気にせず切り取られた右腕を持ち上げる。手に持った刀は地面に突き刺し、まじまじとそれを見つめる。切断面からは骨が飛び出し、肉が丸見えになっていた。
「さっきのが喰えるんだ。これもいけるはず。」
彼は丸出しの切断面を喰った。彼は、とうとう齢四、五にして屍を喰らう鬼に成り果てたのだ。
だが、腐敗し土に還りかけていたそれを飲み込めるはずもなく、げぼっと吐き捨てた。
「なんだ、喰えねーのかよ。まじい。」
そして彼は立ち上がり、その紅い花の咲く顔を洗おうと川へ繰り出した。先程亡骸を斬った、地面に突き刺して置いた刀に反射した顔を見て、このまま放置していたら堅く固まってしまうと気付いたからだ。
その傍で、とぼとぼと歩く彼を悲痛な表情で見つめる六つの影が揺らめいていた。
「銀ちゃん、お代わり。」
「へいへい。」
桃色の髪を二つに結いた少女は、目の前に座る男に茶碗を差し出す。差し出された男ー坂田銀時ーは気怠げに茶碗を受け取り、米櫃からご飯を装うと、相変わらずの少女ー神楽ーの食いっぷりに溜め息をついた。ほらよ、と渡してやると神楽はにこにこと食べ始める。そうしてまたすぐにお代わり、と来るのだ。神楽の隣で朝食を食べる少年ー新八ーは今後の食費の心配で思わず肩を窄めた。
ところで。
「銀さん、体調悪いんですか。隈、凄いですよ。アンタまさかまた二日酔いで眠れなくなったんですか。いやでも昨日は此処でジャンプ読んでいた筈。」
「そうネ。今日は銀ちゃんは当番じゃないのに新八が呼びに来る前に起きてご飯作ってたヨ。明日は槍が降るアルな。」
今朝、彼は早朝、丁度寅の刻から卯の刻へと移り変わろうとする時間に目覚めた。はあはあと息を荒くし、冷や汗が体を濡らす。その顔は青褪めていて、普段から白い彼の肌は、もう病人と言われる程血の気を失っていた。
「くそ。思い出したくねえ事思い出しちまった。」
彼は魘されていたのだ。人生最大の恩師と出会う前から我が家の下に店を構える恩人に出会うまでの経緯を。まるで人生のドキュメンタリー映画の様に断片的に、己の精神的に弱い所を突いてくる夢に、彼がどの様に感じたのかなんざ、他人には知る術がなかった。二度寝をする体力も残っていなかった為、仕方なく朝食を用意してやろうと台所へ向かった。
「んなこたねーよ。それより、今日は真撰組の屋根工事だろ、今日は玉回してくるから、オメーら二人で行ってこい。」
そう言いながら腕をくいっくいっと回す。それを聞く従業員は普段なら烈火の如く怒り狂う所だが、今日の彼の様子を見て調子が悪い事は一目瞭然。新八は仕方無いと溜息混じりに吐き溢し、神楽を引き摺り万事屋を後にした。新八は気の利く少年なのだ。稀にこの普段は無気力なマダオが、朝早くに目覚め、自分の当番ではない筈の日に朝食を作っている事がある。そんな時は決まって依頼を押し付けるのだ。
新八は、銀時が過去に何か大きな出来事があった事を察している。時折見せる儚く、哀愁を感じさせる、寂しい表情に気が付いたからだ。そんな時は、銀時を気遣って、そういう時は大抵渋々一人にしてやるのだ。
少しくらい、頼って欲しいな。
そんな新八の心の内とは裏腹に、神楽が晩御飯は豪華にしろと叫ぶ様子を一瞥し、又大きく息を吐いたのは新八だけの秘密だ。
とんとん、とんとんとん。真撰組屯所の屋根の上からは、時々金槌の音がする。それを聞いて、今日は賑やかになりそうだと隊士達が和気藹々と話し出すのは、最早恒例行事だと言っても良い。
だが今日は違った。いつも通り屯所内の隊士は一刻の休みも取らず忙しなく働いていた。が、屯所内には数人しか残って居なかった。普段ならば沖田がバズーカを乱射した為に呼ばれた銀時含めた三人の万事屋が真撰組局長である近藤に出迎えられ、甘味と共に世間話やお妙の話に花を咲かせ、そこに見廻から帰った沖田と土方がそれぞれ神楽、銀時と喧嘩を始め、その後直す筈の屋根の穴を広げてしまう迄が一連の流れなのだ。だが今日に限っては誰も居ない。居たとしても非戦闘要員や監察のみ。応接不可、東奔西走な彼等を一瞥する。
「討ち入りでもあったのかな。こんなに人が居ないんじゃ、大物過激派攘夷志士の捕縛かもね。」
「そんなのどうでもいいアル。兎に角、あのクソサドのせいで呼ばれたのに食い物の一つも出さないなんて酷いアル。あのゴリラ、どんな教育してるアルか。」
「まあまあ。後で居残りらしい山崎さんに聞いてみよう。」
「あのジミーに食い物強請るアルな。任せるネ。一つ残らず搾り取ってくるヨ。」
「あのう、聞こえてますけど。」
屋根の下から声がする。噂をすれば、とはよく言うものだ。ふと身を乗り出して姿を確認すると、そこには青筋を浮かべた真撰組監察、山崎退が居た。二人は屋根に架けられた梯子を伝って降り立ち、話を聞こうと屯所の客間へと向かった。
「実は、先日大きい攘夷志士政党の本拠地に討ち入りに行ったんだけど、これまた厄介で、とある代物を開発してたんだよ。」
「なになに、何アルか。新八の眼鏡製造機アルか。」
「いや何でだよ。何で僕の眼鏡攘夷志士に製造されないといけないんだよ。」
山崎は語り出した。
「その政党は、過去攘夷戦争を経験し、終結後東北に身を潜め、粛清を免れた者の集まりだったんだ。攘夷戦争の頃は一番戦火の強かった白夜叉隊に所属していたそうで、酷く白夜叉を信仰崇拝してたよ。でも白夜叉がリーダーって訳じゃなくて、戦争後姿を消した白夜叉を捜索しつつテロを起こそうって算段だったらしい。それにね、白夜叉は既に死亡したって説も出てるからね、目的は幕府への復讐かな。」
「え、白夜叉ですか…?」
新八、神楽はその表情を曇らせる。君達も、名前ぐらいは知っているだろう、あの、攘夷戦争時代の英雄の事さ。山﨑の言葉に、何か言いたげに、そして同時に何か隠している様な、そんな二つの矛盾した感情の葛藤が行われている。普段は何かと怒鳴られることも多い山﨑だが、彼は優秀な真選組監察である。何かと表情を読む能力に長けた山崎は、二人の表情はまるで何かとても嫌な事が起きるのを予知している様だと思った。
「そして、その研究していたもの…過知夢という天人の技術の使われた違法薬物を使って、江戸を崩壊させようとしていたんだ。それは、過去の自分の嫌な思い出を思い出させ、精神崩壊を起こす危険な物。討ち入りの際、数人がそれを持って逃走しちゃって。今はその逃げ延びた攘夷志士の居所を探っているんだよ。そこでやっぱり白夜叉の存在が大きくなる訳なんだけど、白夜叉は攘夷四天王と呼ばれる嘗ての英雄の中でも最も謎とされている人物で、まるで幕府側から情報が揉み消されているかのような痕跡があったんだ。だから一旦諦めて、監察で残党のアジトを突き止める事になったんだ。」
そこまで語ると、はあ、と溜息を吐き、空を仰いだ。今から張り込みなんだよ、と天に嘆く山崎を傍目に、新八、神楽は心配そうな表情を浮かべる。
「あ、そうだ。もう居場所は目星が付いてるんだけど、結構広い廃ビルで。今真選組は今度行われる終戦記念日のお祭りの警備や準備に追われてるから、人数が足りないんだ。もし良ければ、報酬はたんまりと、払うから依頼として、討ち入りに参加して欲しいな。逃げ込んだのはたったの数人という情報もあったし、旦那や君達の腕なら何ら申し分ないと思うよ。」
たんまりと、の間に副長が、と聞こえた気がした二人だが、今万事屋は碌な食事はドックフードのみという飢饉飢餓状態だった。本日の真選組の依頼に全てを賭けてきたが、残った数人の権力の大きさからして大した報酬は期待出来ない。更に、幾らでもお代わりしてやると意気込んだ普段なら出される筈の茶菓子すらも用意されない始末。依頼を請けないという選択肢はハナから無かった訳だが、白夜叉絡みとなると直ぐには頷けなかった。二人は万事屋で働き始めた頃に銀時から白夜叉であると明かされていた。討ち入りに参加し、銀時の存在が露見したら面倒臭い事になる。何より彼が嫌がるだろう。銀時が普段から己の身の上をあまり話したがらない事を知っていた。
「ちょっと考えさせてください。」
「そのうちに早く居場所突き止めとけヨ。」
そういうと、子供達は踵を返し万事屋へ帰って行った。
一人取り残されたジミーこと山崎は、庭でたった一人ぽつりと立ち尽くす。
「屋根壊れたまんまああああああああ!」
「あー、怠い。ジャンプが全く頭に入って来ねえ。鬼滅連載終わってんのに探しちまったよ畜生。あーあ、夢見も悪いしやってらんねえよ。もう銀さん更年期並みに動けねえよ。」
銀時は、社長席の前に並ぶソファに寝転がり、週刊少年ジャンプを顔に乗せ、寝転がった。彼の顔は蒼白で、目の下の隈は日に日にその存在を主張していった。ここの所、眠れていないのだ。
朝も新八にその隈や顔色を伺われ、気を使わせてしまった。早く治さなければ、と睡眠の体制になるが、船を漕ぎ始める頃には己の業が、罪が、忘れるな、忘れるなと頭の中で騒ぎ立てる。
「俺も、存外あの厨二チビ杉と同じ様な黒い獣…いや、白い獣でも飼っているんかねえ。あ、定春か。」
なんちて、と誤魔化した様に舌を出す。ここに居ても何も始まらないと、早速玉を回しに行こうと立ち上がった。今日は、こんな今日だからこそ、なんか当たる気がする。全く科学的根拠の無い、そして今までに一度たりとも当たった事すら無い、そんな出所不明の自信が湧き起こる。家に残った定春は、銀時の顔をぺろっと舐めた。きっとこの犬も、銀時の異変を感じ取っていたのだ。定春は一旦和式へ向かい、何かを咥えて戻ってきた。銀時の財布だ。中身は空。一円玉一枚すら入っていない。
「スタートラインにすら立てねえってか。」
何とも寒い懐事情に銀時の心も冷めていった。そんな時。
「タダイマヨー。」
「銀さんパチンコ行くって言ってませんでしたっけ?」
二人は片手に金槌、もう片手に釘を持ちながら帰ってきた。
「そのつもりだったんだけどよ、その、あの、一円も持ってなかった…。」
二人はじと、と冷ややかな視線でその朱眼を見つめる。
「て、てかお前ら、屋根工事途中なんじゃねえの!?依頼料は!?」
「「あ。」」
「おいいいいい!」
呆れた。では一体なぜ仕事を投げ出してまで戻ってきたのだろう。まさか神楽が穴を広げ過ぎて追い返されたとか…?流石にそれは弁償しきれねえな。銀時はうーんと考え込む。
「あ、そうそう、言いたいことがあって!」
多少無理やり話の腰を折られた感は否めないが、それだけ大事なことがあったのだと頭に言い聞かせ、どした、と聞き返した。新八は、真選組屯所内の忙しさについて語った。そして、白夜叉のことを伏せ、新たな依頼が入ったことも話した。
「どうしますか?でも、これ逃したら…。」
「もう三日もドッグフードネ…。定春も腹がペコペコヨ。」
銀時はあまり乗り気にはなれなかった。朝から何か嫌な予感がしていたからだ。彼の勘は良く当たる。攘夷戦争時代に鍛えた虫の知らせ、第六感が己の脳髄に警鐘を鳴らす。
「仕方ねえな。」
「本当アルか!?」
銀時はああ、と弱々しく頷いた。だが、数日も犬と同じ餌を口にして、飢えに飢えた育ち盛りの二人には、彼の違和感を感じ取る察知能力は無かった。
コメント
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続きを恵んでくだせェ
なんかもう……好きです!