テラーノベル
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2003年、如月。いつもより少し早く目が覚めた。静けさを纏う朝未だきの空を見つめ、世界の存在を確かめる。
おはよう、今日は随分と早起きだね!
決して広いとは言えない部屋に、明朗な声が響く。明日、雨が降りそうな日の夕焼けのグラデーションに彩られた金糸雀色の髪。想いを真っ直ぐに宿した赤い、赤い左側の瞳。ユーゴスラヴィア、君がいるから、こんな世知辛い世の中でも日々を過ごせる。
「おはよう。君こそ珍しいね。今日は何か予定でも?」
寂寥。
幻聴か。君が地図上から姿を消して、1週間。毎日これだ。……だめだ。気を抜くとまた涙が出そうになる。ユーゴが消えてしまったあの日から、三日三晩泣きっぱなしだった。そう、文字通り。泣くのをやめたのは、一緒に国家連合を形成している隣国・ツルナゴーラ(モンテネグロ)からの一言だった。
「そんなのに泣いてばっかりだと、あの子も悲しみますよ。」
僕だってあの子の悲しむ姿なんか見たくない。だからやめた。本当は泣きたくて仕方ないけど。
あと、目が痛い。
きっとこんなことばかりを考えているから、泣きたい気持ちに苛まれてしまうんだろうな、と思う。気分転換に散歩でもしよう。この時間帯なら人もまだ少ないだろう。
そう言えば、あの子も好きだったな。散歩。
歩き慣れたベオグラードの街。ここで喧嘩もしたし、仲直りもした。懐かしいな、60年経ったのか。60年…か。短いな。最後に一緒に歩いたのはいつだっけ。
午前6時過ぎ。早い人はもう出勤か。ご苦労様。
人間は国を動かす。人間が街を、国土を行き交うのは、まるで全身に血が巡るよう。今、僕の上を歩く血は、かつてはユーゴの血だったもの。血は、正直だ。
まだ人のまばらな大通りを、ぽつりぽつりと、一歩ずつ噛み締めるように歩く。
今日寒いね。風邪ひかないでよ?
君との会話をひとつひとつ思い出しながら。
ねぇ、あれなんだろう。覗きに行ってもいい?ね、一瞬だけ!
君の声を忘れたくなくて。
100年先もずーっと一緒にいてね。約束だよ!
君とここで約束したのに!どうして今君はここにいないんだろう。どうして君は僕の隣にいられなかったんだろう。ずっと、ずっと君の存在が頭から離れない。君がいなかった頃の僕は、どうやって生きてきたんだろう。
一度染みついた記憶は簡単には消せない。消えないし、絶対に消したくない。記憶の中ではずっとそばにいるのに、どうしてこんなに胸が締め付けられるんだろう。
消えない、消させない、離れないし離さない。
君の一生の思い出でありたい。ずっと引き摺るくらいの思い出でありたい。いずれ君もこうなってしまう。だから、その時まで、一生記憶の中で隣にいさせてほしい。
「よくさ、『私が死んでも悲しまないで』ってセリフあるじゃん。なんでそう思うんだろうね。私はそうは思わないんだけど。私は、私がいなくなったら悲しんでくれる人がいた方が嬉しいな。だって、それだけ大事に思ってくれてるってことでしょ?それなら悲しんでくれた方が、私はいい一生だったなと思えるからそっちの方がいいかな。ねえ、もし私が何かの拍子でいなくなっちゃったらさ、君は私のこと悲しんでくれる?」
そんなことを言ったのが、約30年前。君は、私がそう望むのならそうするって言って約束してくれたね。今の君を見てると、あんな口約束、わざわざしなくてもよかったのかもね。あーあー、道端で座り込んで、子供みたいに泣きじゃくっちゃってさ。約束、ちゃんと守ってくれてありがとう。
「君はさ…っ、悲しんでほしいって、言ってたよね。ちゃんと約束っ、覚えてるよ……」
人通りも少なく、早朝でまだ静かだからか、声がよく響く。
どれだけ君の名前を呼んでも、どれだけ君への想いを口にしても、今更もう届くことはない。
ただ、震える情けない声で吐き出した言葉のひとつひとつが、澄んだ空気に混じって溶けてゆく。
君と生きていたかった、君の一番の理解者でありたかった。それなのに、世界は無情だ。
そろそろ夜が明けきる頃。人々が活動し始める。人がまばらだった大通りも、だんだんと人が増え始めた。
人目も気にせず、幼な子のように泣きじゃくる。その泣き声には、愛する者への深い想いと、純粋な少年の心が宿っていた。
冬の朝、凍てつく空気に声が冴ゆる、風が冴ゆる。
薄明りの空に、太陽が輝きを放つ。
透く月は、いつも近くに。
大丈夫、ちゃんと届いてるよ。
コメント
2件
良すぎます😭😭😭🩷🩷🩷🩷 ユーゴスラヴィアを思う🇷🇸が本当に尊い……🥹🥹🥹🥹