テラーノベル
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私とジャックの間に沈黙が生まれた。
さっきまで畳みかけるように質問していたせいか、急に何を話せばいいか分からなくなる。
何を聞くべきか、どこまで踏み込んでいいか考えていると、その間を割るように、明るく響く声が飛んできた。
「アンタら! 注文は何にするんだい!」
顔を上げると腕まくりをした女将が腰に手を当ててこちらを見下ろしていた。
年季の入ったエプロン、油と香草の混じった匂い、手の甲についた小さな火傷のあと。どう見てもこの店を切り盛りしている本人だ。
壁には木の板に手書きされたメニューがずらりと並んでいる。
ざっと目を通すが見たこともない料理名ばかりで正直どれが安全圏なのか分からない。
「ジャック。この店のおすすめは?」
「あ、ああ……オークの香草焼きだ。それを二人前頼むか」
「あいよ! 飲み物にエールはどうだい!」
「それも頼む」
「まいどあり!」
女将は景気よく答えると、くるりと踵を返して厨房に声を張り上げる。
すぐに小樽に入ったビールらしき飲み物を二つ持って戻ってきた。
「お待ち! 香草焼きは時間かかるから先にこれ飲んで待ってな!」
ジャックが受け取り、私の前にも木のカップが置かれる。
立ち上る匂いに顔を寄せると安いアルコール独特のツンとした香りが鼻の奥を刺した。
喉が、少しだけ拒否反応を示す。
けれど、ここまで世話になっておいて顔をしかめるのも気が引ける。
社交辞令のつもりでカップを持ち上げ、ジャックと軽くぶつけた。
「とりあえず、乾杯、かな」
「ああ。ここまで辿り着いた新入りに、乾杯だ」
二人で一口だけ流し込む。
「……うぇ」
思わず、素直な声が漏れた。
口の中に広がるのは、苦みというよりアルコールそのものの刺すような味。炭酸になった消毒液を飲まされている気分だ。
「すまねぇな。飯はうまいが……酒はいまいちなんだ」
ジャックも顔を少ししかめながら、同じように笑ってカップを置いた。
一言で言うなら、アルコール度数だけが取り柄の液体だ。
地球で飲んでいたビールの複雑な苦みや香ばしさはどこにもない。
「そういえば私、お金持ってないよ?」
ふと思い出して口にするとジャックは肩を竦めて笑った。
「新入りだったら皆そうさ。この魔石で十分に釣りが出る。気にするな」
「ここの通貨ってどんな感じ?」
「これだ」
ジャックは懐から皮の袋を取り出し、テーブルの上に三枚の硬貨を並べた。
金色、銀色、銅色。光の反射で細かな模様が浮かび上がる。
「一枚一枚、ドワーフが手作業で装飾してる。細工が精巧すぎて、偽装通貨はまず作られない」
「へぇ……」
指先でそっと触れてみると、表面に信じられないくらい細かい線が刻まれているのが分かった。
模様だけじゃない。文字とも紋章ともつかない印が何層にも重なっている。
ドワーフが物づくりの種族と呼ばれるだけはある。
これを一枚ずつ手で作っているなら、確かに偽物を作る方が難しい。
「金が欲しいなら、この後にでも素材買取所に案内してやるよ」
「ありがとう。お願いするよ。ところで、ジャックは何でそこまで人に親切にするの?」
じとっと視線を細めてジャックを見る。
道端で会ったばかりの、素性も分からない相手にここまで世話を焼くのは正直言って不自然だ。
「やめてくれ。お前さんをどうにかしようなんて心は微塵にも無いさ」
気まずそうに視線を逸らし、ジャックはエールを一気にあおる。
その横顔には、軽口だけでは隠しきれない影が落ちていた。
笑ってはいるのに眼の奥に居座っているのは哀愁と、長く積もった疲労と、それでも折れない何かだ。
「なあ、本当に風竜を倒したんだよな?」
「倒してるよ。素材が欲しいの?」
「いや……もし、だ。持っていればでいいんだが、翼竜の尾針は無いか?」
「あるけど……誰か殺すの?」
10層で倒した翼竜たちの素材は全て素材袋の中だ。
尾の針は毒性が高く、生き物に突き立てれば一時間もしないうちに命を奪える。
回帰前の地球でも暗殺用としてよく使われていた毒だ。だからこそ、ハンターたちは皆、自前の解毒薬を持ち歩いていた。
「本当に、本当に持っているのか?」
ジャックの声が震えていた。
冗談や思いつきの口調ではない。そこには切羽詰まった必死さが滲んでいる。
私は素材袋に手を入れ、目的のものを取り出してテーブルの上に置いた。
「あるよ。これだよね」
「……本物だ……」
ジャックの喉が、ごくりと鳴った。
「頼む。これを、これを譲ってくれないか」
「用途次第かな。人を殺すために使うつもりなら絶対に無理」
「解毒薬を作るためだ。俺には妹が居るんだ……」
ぽつりと落とされた言葉の重さに、空気が少しだけ変わった。
「兄妹でこの迷宮に入ったんだが、10層で妹が翼竜の毒にやられてしまった。常に上空の高いところに居るアイツらを倒せる仲間は居なかったんだ」
ジャックの視線はテーブルではなく、遠くの何かを見ていた。
その目には後悔と悔しさが折り重なっている。
翼竜は尾の針を当てた獲物が動かなくなるまで高度を下げてこない。
しかも飛べる高さが尋常じゃない。弓や魔法で狙っても届く前に風で散らされたり避けられたりすることがほとんどだ。
「毒に侵されてもう三年が経つ。高価な回復薬と妹のスキルで何とか持ちこたえているが……日に日に顔色が悪くなっていく。この前、医者に見せたら持って数日だって言われてる……」
そこまで話したところで女将が気を利かせたように静かに皿を置いた。
オークの香草焼きだ。立ち上る香りだけで腹が鳴りそうになる。
私は一口齧って肉の旨味を噛み締めながら、ジャックの続きを待った。
「だから頼む。翼竜を倒してこの階層に来る新入りなんて、妹が生きている間にほかに現れる訳がない。俺にできることなら何でもする。だから……」
ジャックの拳がテーブルの下で震えているのが分かる。
歯を食いしばる音が、かすかに耳に届いた。
私は香草焼きを最後の一切れまできれいに平らげて、喉に残った肉を全部飲み込んでから口を開く。
「いいよ」
ジャックの肩がびくりと揺れた。
「ただし、私の目の前で解毒薬を作ることが条件かな。話が真実かどうか私には分からないし、世の中には悲しい話を並べておいて全部嘘でしたってパターンもあるからね」
「それもそうだな……」
ジャックは一つ息を吐き、真っ直ぐこちらを見た。
「翼竜の尾針以外の素材は全部家にある。悪いが今から来てもらえるか?」
「大丈夫だよ。料理も食べ終わってるし」
「そういえば、ずっと食ってたな……。俺は持ち帰って食うとするよ」
ジャックは慣れた手つきで小さな木箱を取り出し残りの香草焼きを詰めて蓋を閉めた。
女将に食事代を渡し軽く会釈をする。
私も立ち上がりジャックの後ろに付いて店を出た。
◇
外に出ると先ほどより少しだけ空気が冷えていた。
石畳の大通りには人族だけでなく、獣人やエルフやドワーフが行き交っている。屋台や露店も並んでいて安全地帯という言葉に違わぬ賑わいを見せていた。
その大通りから二本ほど脇道にそれた先にジャックの家はあった。
木と石を組み合わせた小ぢんまりとした二階建ての家。派手さはないが手入れはされている。
「あまり綺麗じゃないが、上がってくれ」
「お邪魔するよ」
扉を開けると外履きのままジャックは中に入っていく。
この世界には靴を脱ぐ文化は無いらしい。床も土足前提で作られているようで特に汚れが気になる感じではない。
後を付いて廊下を進み、軋む階段を上がる。
階段の途中で独特の匂いが鼻についた。
毒に蝕まれて長く寝込んでいる人のそばで何度も嗅いだことのある匂いだ。
薬と汗とうまく言葉にできない何かが混じった、すんとした空気。
「ここだ。解毒薬の素材もある」
ジャックが扉をノックしてから開ける。
部屋に足を踏み入れると、簡素なベッドが一つ。その上に小さな人影。
「……あ、れ? お兄ちゃん……その、人は?」
掠れた声がベッドから届いた。
声の主はベッドに寝たまま頭だけをこちらに向けて私たちを見ている。
頬はこけ、眼窩は落ち込み、唇は血の気を失って青い。
けれど、瞳の奥には、まだしっかりと「生きたい」という強い光が残っていた。簡単には折れない芯のようなものが見える。
「お前の解毒薬の素材を持ってる人だ。もう少し、耐えててくれ。必ず治す」
「また……騙されて、ない……? 私と、同い年ぐらい、だよ……?」
ジャックの妹は私をじっと見ながら問う。
その言葉には諦めと警戒と、それでも期待を捨てられない苦さが混ざっていた。
自分が何もできないことへの悔しさ。
自分のために兄が走り回っていることへの申し訳なさ。
そういうものが全部、細い声に乗っていた。
胸の奥が少しだけちくりと痛む。
「ジャック。これで早く作ってあげなよ」
「……恩に着る。アリア、待ってろ」
ジャックは妹――アリアの頭をぽんと撫で、それから部屋の隅に置かれた机へ向かった。
机の上には、すでに道具が揃えられている。
乳鉢、すりこぎ、ガラス瓶、乾燥させた薬草、砕かれた魔石の粉末。
何度も試行錯誤を繰り返したのだろう。道具の配置や手つきは、迷いがなく滑らかだった。
私は邪魔にならない位置に立ち、黙ってその作業を見守る。
翼竜の尾針を慎重に切り分け、毒の部分だけを取り出す。
それを別の素材と混ぜ、毒性を逆利用するように調整していく。
薬草をすり潰す音、瓶の中で液体が混ざる音。部屋の中に細かな音だけが積み重なっていく。
ジャックの額にはうっすらと汗が浮いている。
失敗が許されない一回だと本人が一番よく分かっているのだろう。
「できた。恐ろしく苦いが我慢してくれ」
ジャックは深く息を吐き、どろりとした液体の入った器を持ってアリアの枕元に戻った。
液体は暗い緑とも紫ともつかない色をしていて匂いだけで胃がきゅうと縮む。
「ッッ……!」
器を傾けて口元に流し込むとアリアの目が大きく見開かれた。
喉がひくひくと上下し、顔が一瞬歪む。本当にとてつもなく苦いのだろう。
それでもアリアは顔を背けずに飲み続けた。
涙がじわりと目尻に浮かんでも喉はしっかりと動き、液体を一滴もこぼさない。
器が空になるまで数十秒。
そこからさらに数分。
時計がないから正確な時間は分からないが私にはずいぶん長く感じられた。
やがてアリアの呼吸が小さく変わる。
荒く息を吐いていた胸が少しだけ楽そうに上下を始めた。
「痛くない……どこも、痛くないよ……」
掠れていた声が、さっきより少しだけしっかりしている。
アリアは、ゆっくりと自分の体を起こした。
今まで力なく垂れていた腕にも、わずかだが力が戻ってきている。
「アリア……!」
ジャックは堪えきれず、その体を抱きしめた。
アリアも同じように腕を回し、兄の背中をぎゅっと掴む。
二人の目から大粒の涙がぽろぽろと零れた。
声にならない嗚咽が静かな部屋にじんわりと染みていく。
その光景を見ながら私は胸の奥で小さく息を吐いた。
この瞬間に私が言えることは特にない。
何か気の利いた言葉を挟むよりも、この感動の時間を邪魔しない方がいい。
私は音を立てないようにそっと踵を返し、ドアを開けて廊下に出た。
背中で扉が閉まる音を聞きながら壁に背を預けて一度だけ深く息を吸う。
ジャックとアリアが少し落ち着くまでこの静かな廊下でしばらく時間を潰すとしよう。
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