テラーノベル
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死後の世界があるのかどうか、僕にはまだわからない。
惨劇のあの日、視力がずいぶん落ちていた僕にでもはっきりわかるくらい世界は赤かった。赤く、熱く、痛い。これまでにないくらい緋の眼の存在を感じた。僕のそれは怒りというより恐怖によるものだったかもしれない。昨日まで笑いあっていた人たちが一人、また一人と酷い方法で奪われていく。最後まで僕を守ろうと、逃がそうとした大人たちも。
どんなに願っても奇跡は訪れない。僕たちに救いはない。それを理解した最期の瞬間、それでも、君がここにいなくて良かったと少しだけ安堵したんだ。それから、これでやっと目の前の悪夢より酷い現実から逃れられると。
そう思ったのに。死はすべての終わりではなかった。僕たちの世界には幽霊という概念はなかったけれど、君と二人でこっそり読んだ外の世界の話でそういう考え方を知っていた。つまり、今の僕は幽霊みたいな存在なんだろう。
最初に目覚めたとき、誰かが泣いているのがわかった。あまりにも悲しく、同時に怒りに満ちた、心を引き裂くような泣き声。だんだんと視界がきくようになってきて(幽霊がどういう仕組みで見聞きできるのかは今でもわからない)、そこによく見知った姿があったとき、僕は自分が最期に思ったことが間違いだったと感じた。君も一緒に行けたほうが良かったのかもしれない。
そこにいたのは、クラピカだった。おそらくどこかの宿の一室。床に新聞が何種類もちらばっている。その紙面には、僕たちの身に起きたことが事細かに記されていた。君の大きな瞳は僕も見たことがないほど鮮烈な緋に染まっていた。そこから止まることを知らないかのように涙があふれている。こんなときなのに、きらきらと宝石のような綺麗な涙。
それから君は一日以上泣きつづけ、何度も吐いて、それなのに何度も新聞を読み直して、糸が切れたように唐突に意識を手放した。たぶん、緋の眼でいる限界が来たんだろう。それから一日以上眠って、ずっとうなされて、目を覚ましたときにはもう泣いていなかった。代わりに、瞳の奥に底のない絶望と怒りを宿していた。君は怒りっぽかったけれど、その怒りはいつもカラッとしていて、こんな君は見たことがなかった。
あれ以来、君は一度も泣かない。事の真相を知るために、ネットでさらにむごい情報を見ても、僕たちに対する謂われなき誹謗中傷にさらされても、怒りはしても泣くことはない。それがつらい。僕は見ていることしかできない。
僕の意識は普段は途切れていて、前触れもなく不意に世界とつながる。それはたぶん、君が強い感情を抱いたとき。そしてうぬぼれでなければ、僕を呼んだとき。だけど僕の声が君に届くことはない。たとえ君に触れられる体がなくても、ここにいるよってせめてそれだけでも伝えられたら良いのに。
一人残された君が生きていくのは簡単なことではなかった。いずれ里に戻るつもりでいるのと、もう帰る場所がないのとでは境遇がまったく違う。君は、体を鍛え、お金と情報を集めることに集中するようになった。危ないことは数え切れないほどあった。緋の眼がバレるんじゃないかと何度も思ったけれど、君はよく自制していた。君は僕が知っている以上に身体能力も思考回路も優れていた。それをただひたすら復讐のために使う君をみているのは辛かったけれど。
ただ、君の師匠。あの人に出会えたことは幸いだった。我流だった戦い方が随分洗練されたし、ずっと昏い眼をしていた君が、明るさを取り戻したのはあの人のおかげだ。ちょっといい加減な人ではあるけれど。君もあの人に会ったから、ハンターになろうと思えたんじゃないかな。思ったら行動せずにはいられない君は、まだ早いと止める師匠とケンカして結局飛び出していってしまったけど。
ハンター試験はいろいろあったけど総じて楽しかったね。良い仲間にも出会えて。僕としてはちょっと寂しくもあったけど、君が一人の世界に閉じこもるのを止めたのは嬉しかった。このまま復讐なんて忘れてくれても良いと思ってたくらいに。
だけど君が志を曲げる人ではないとうのは、僕が一番知っている。念能力を身に着けて君はより強くなったけれど、また昏い眼をするようになった。それでも、念の修行のためにあの師匠に再会できたのはせめてもの救いだったと思う。そうでなければもっと破滅的な結果になっていたと、そう思うんだ。
ヨークシンからの一連の出来事は、君を大きく変えた。復讐を達するとき、君は僕を呼ばなかった。君は一人きりでそれを成し遂げた。その頃から、君は僕をあまり呼ばなくなった。 もしかしたら、君は僕のことに気づいているのでは。そう思ったことがある。だって君は、きっと僕に見せたくない場面で心の中から僕を追い出している。君は感情を封じるのが随分巧くなった。
だからヨークシン以来、僕の知らないうちに君はマフィアの若頭なんて肩書きになっていて、気づけば緋の眼の大半を取り戻していた。その頃には、僕が呼ばれるのはあの地下室での祈りの時間がほとんどになっていた。
そんな君が船に乗ることになった。体のない僕が言うのは変だけど、なんだか胸騒ぎがした。君をずっと近くに感じるような。
『パイロ』
前に呼ばれてからどれくらい経っただろう。これまでにないほどはっきりと、クラピカが呼ぶのが聞こえた。意識がつながった僕はいつものように君の姿を探す。そして驚いた。君はたくさん怪我をして、たくさん血が出ていて、それでもなお美しく、鮮烈な緋色をたたえていた。その大きな瞳から、涙がこぼれた。月 宝石のようにきらきらと輝きながら落ちいく。その視線の先には同じ、
ああ、どうして僕だけがこうやって存在しているのか、今わかった。他の皆は瞳だけ残してこの世を去ってしまったけれど、僕は違った。それが君にとってどんなに残酷なことなのか。せめて今だけでも、僕の声が届いてほしい。僕にはもう怒りも悲しみもない。痛くもない。ただ、ただ、君のことが心配だ。
『パイロ』
記憶にある君の声より幾分低くなり、大人っぽくなった声。君のことをずっと見ていたはずなのに、なんだか今はじめてその声を聞いたような気がした。君はその腕をゆっくりと差し出して、ケースごしにそっと僕を抱いた。ぽたぽたと、涙が落ちる。
『迎えにきたよ。やっと会えた』
懐かしい僕たちの言葉。君は笑った。あまりにも悲しく優しく、美しい笑み。そのまま僕を抱えた君は歩き出す。
船内をどうやって抜けたのか。
僕の意識はまた途切れていたようだ。気づけば君が月夜に照らされ倒れていた。生気のない青白い顔。それに反するように鮮やかに輝き続ける緋色。それはこの世のものではないような、そんな美しさで。ごぽりと、嫌な音で君が咳き込んだ。色を失った唇が、鮮血に染まる。
「クラピカ!」
君の仲間たち。僕も知っている。彼ら彼女らが駆け寄ってきた。
「おい、しっかりしろ。わかるか?どうしたんだ?」
「クラピカ?クラピカ起きて!」
「王妃!クラピカが!」
「大変!脈が打ってないわ 」
寿命が。それは君と僕だけにわかることだった。君は僕を取り戻して、命を使い切ろうとしている。
そんなこと、あって良いんだろうか。急に、怒りが湧いてきた。どうして君がこんな目に遭わないといけない。君は裏社会にあってさえ、真っすぐに生きてきたというのに。君の帰りを待っている人はたくさんいるのに。
どんなに願っても奇跡は訪れない。僕たちに救いはない。それなら、僕たちが奇跡を起こせば良い。僕たちが君を救えば良い。
そう思った瞬間、里の仲間たちの顔が思い浮かんだ。祈りの空間に安置された緋の眼。それから、新たに取り戻された緋の眼。クラピカが、命を対価に取り戻してくれたみんな。それは、きっと君のために使われるべきだ。
どうやったのかはわからない。まぶしい光を感じた。それから緋色。それは怒りでも悲しみでもなく、どこか優しさを感じるものだった。そのなかで、ただ一人生き残った親友の生を祈った。
『パイロ』
やわらかな声が聞こえた。あたたかな手が、僕の頬をなでてくれた気がした。
『クラピカ、どうか生きて』
その声は届いただろうか。クラピカが、真っすぐにこちらを見ていた。緋色ではなく、琥珀を思わせる輝きのあたたかな茶褐色。僕の大好きな君の瞳。
『パイロ、ずっと会いたかった』
クラピカはたしかに僕に話しかけていた。奇跡が起きた。救いはあった。そう思った。
『クラピカ、僕はずっと君を見てたよ。君がずっとがんばってきたのを知ってる。本当にありがとう。僕はもう悲しくも痛くもない。何も恨んでない。ただ、君に幸せになってほしい。それだけが願い。だからどうか、僕たちの願いを受け取って』
『一緒には行けないのか?』
少し寂しそうに君が笑う。幼いような笑顔。
『まだ早いよ。君はきちんと生きることを楽しんで。それからまた会おう。そのときは今度こそ約束。楽しかった?って訊くから』
死後の世界があるとしたら、それが叶うと良いなと思った。
『オレはパイロたちと同じところには行けないと思う』
また昏い眼でそんなことを言うものだから。
『大丈夫。今度は僕が迎えに行くから。クラピカのためならどんなこともしてみせるよ。君がそうしてくれたように』
『頼もしいな。わかった。みんなにもらった時間を大切にすると誓う』
いつぶりかの、影のない綺麗な笑顔。それを見て、安心して、意識が薄れていくのを感じた。
『星が綺麗に見えるな』
『僕達の星だね』
『嗚呼、とても綺麗だ』
そしてクラピカは力無くふっと笑った
これからの君の日々に、どうか笑顔が絶えませんように。
コメント
2件
やばい感動しました😭