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「ヨアヒムさま、ご足労いただき、ありがとうございます」


約束した時間通り、ヨアヒムが『七色の夢商会』の店舗を訪れた。

今日は旅装姿で、お供をしているバートも、同じくローブをまとっている。

ファビオラは応接室に二人を迎え入れ、ソファに腰かけてもらうと、まずは丁重にもてなした。


「相談内容は、複雑だと言っていたね」


ファビオラが手ずから淹れたお茶を、ゆっくりと飲んだ後にヨアヒムが切り出す。


「私事で、お恥ずかしいのですが……ヘルグレーン帝国の方に助けてもらいたくて」

「カーサス王国の侯爵令嬢という身分があっても、解決が難しい問題ということか」


ヨアヒムが、考え込む。

その真剣な様子に、ファビオラは相談を続けた。


「私は現在、カーサス王国の学校に通っている途中で、長期休暇の間だけ、ヘルグレーン帝国に滞在しています。そして今年度末で、卒業する予定なのですが……」


そこで、ひとつの区切りを置いた。

ヨアヒムにとっては知っている内容だったので、頷いて先を促す。


「しばらくの間、ヘルグレーン帝国に身をひそめたいのです。……できたら20歳になるまで」

「それは、学校を卒業してから?」

「そうだったら良かったんですけど……」


アダンが言うには、レオナルドが動くのは、この長期休暇中だ。

卒業式には出席したかったが、諦めなくてはならない。


「やむを得ない事情があって、できれば今からでも」


もどかしい言い方になってしまうが、何と説明したらいいのか分からない。

これではヨアヒムにも、正しく伝わらないだろう。


「好きなだけ滞在したらいいと思うのだが、それでは解決しないのだな?」


だがヨアヒムは、言葉少ない中から、ファビオラの状況を読み取ってくれる。

嬉しくて、ファビオラはこくこくと首を縦に振った。


「ヘルグレーン帝国に留まる、何らかの理由が必要なのか」


腕組みをしたヨアヒムの隣で、バートも一緒に考えてくれている。

ファビオラは自分で思いついた案を言ってみる。


「仮病を使うのはどうでしょうか。感染するから病室に閉じ込めておくしかない、という理由で――」

「なんだか物騒ですね。侯爵令嬢として、それはありなんですか?」


驚いたバートが口をはさむ。

重大な病気にかかった令嬢には、悪い噂がつきまとう。

それを考慮しての意見だろう。

だが、ファビオラの前にヨアヒムが否定した。


「それだけの瑕疵があってもいいから、帰りたくないのだろう。……もしかして誰かが、連れ戻しにくるかもしれないのか?」


閉じ込めておくという強硬な手段に、ヨアヒムがそう推測する。

レオナルドの執着の深さを知っているファビオラは、その可能性を否定できない。


「なるほど、拘束レベルの理由が必要なのか。侯爵令嬢であるファビオラ嬢が拒めない相手で、私であれば何とかなるかもしれない相手……つまり、カーサス王国の公爵家か、または王家か」


ファビオラは鋭いヨアヒムに目を見開く。

黙っていても、レオナルドに辿り着いてしまいそうだ。


「そうまでして、呼び戻したい理由は何だろう?」

「ファビオラ嬢もお年頃ですからね。婚約とか、そっち方面じゃないんですか?」


バートも的確だ。

この主従の前では、隠し事など出来ないのではないか。

観念したファビオラは、早々に白旗を揚げる。


「その通りです。王家からの婚約の申し込みを、受けたくなくて……」


場が静まり返った。

時が止まってしまったヨアヒムと、そんな主を横目で見ているバート。

もじもじしながら、ファビオラは現況を打ち明ける。


「カーサス王国の王太子殿下から、ずっと贈り物が届くんです。お茶会やパーティへの招待状も、連日のように送られてきます。でも私は、嫌なんです」

「王家からの打診を断り続けるのは、侯爵家には荷が重いだろう」

「両親は頑張ってくれてますが、それにも限界があるでしょう」


それは身分差がある以上、仕方のないことだ。

命じられたら、臣下として逆らえない。

ファビオラは両親を、危ない目には合わせたくなかった。


「だから雲隠れしたい訳か」

「王太子殿下の婚約者候補に選ばれるのは、名誉なことだとは分かっています」


ただし、それに気持ちが追い付かない。

予知夢の中の恐怖は、相変わらずファビオラを襲う。

震える指先を握りしめる様子を、ヨアヒムはじっと見つめた。


「私の母上が、ファビオラ嬢との晩餐を希望している。よければ、場を設けさせてもらいたい」


ヨアヒムからの唐突な申し出だったが、これまでの話と無関係とは思えない。


「私は構いません。夜ならば仕事も、あらかた終わっているでしょうし」

「母上は側妃だが、権力に関してはヘルグレーン帝国の第三位だ。なんらかの解決策を、もたらしてくれると思う」

「っ……! ありがとうございます」


言うなれば、側妃であるウルスラの立場は、第二皇子のヨアヒムよりも上だ。

よりレオナルドに対抗できる手立てとして、顔合わせをさせてくれるのかもしれない。

ファビオラはヨアヒムの提案に感謝した。


「あまりにも突然の相談だったのに、親切に対応していただいて――」

「畏まらなくていい。助けになりたいと言ったはずだ」


ヨアヒムの赤い瞳に見つめられ、ファビオラの心臓が跳ねる。、


「母上の名前で、晩餐の招待状が届くだろう。当日はこちらから馬車を向かわせるから、準備をして待っていて欲しい」

「分かりました」


話し合いが終わり、ヨアヒムとバートが立ち上がる。

二人が帰るのを見送るため、ファビオラが扉を開けようとすると、さっと隣にバートが寄った。

そして取っ手を握り、細く開けた隙間から外を検めて、ゆっくり扉を開いた。

勝手をしてごめんね、とバートが謝る。


「うちのヨアヒムさまは大人気だから、警戒しないといけないんです。決して、商会の人を疑っている訳じゃないから――」

「大丈夫です。皇位継承争いについては、私も存じております」


ファビオラがそう返したとき、ヨアヒムが右肩を手で押さえた。

なんとなく、その位置にあるものをファビオラが想像していると、唐突にバートから質問をされる。


「ヨアヒムさまは面と向かって聞けないと思うから、俺がファビオラ嬢に聞いていいですか?」

「何でしょうか?」

「よせ、何を言う気だ」


ヨアヒムがよく動くバートの口を塞ごうとするが、それよりも前に言い放つ。


「あの恋物語は、読み終えましたか?」

「ええ、最後まで読みました。……大人の恋だなって思いました」


大した質問ではなかったので、ヨアヒムが脱力する。

そしてその隙に、バートは本命の質問をぶつけた。


「ファビオラ嬢は今、誰かに好意を寄せていますか? 急に恋物語を読みだす人って、そういう人が多いのかなって思ったんですよね」

「っ……!」

「っ……!」


あの本屋で、初めて恋物語を手に取った二人が、揃って紅潮し言葉を失くす。

しかし質問されたファビオラは、答えなくてはならない。


「あ、その、好意というか、気になっている男の子はいます」


まさか、背後にいるヨアヒムに恋をしているとは言えず、咄嗟にファビオラはあの男の子を持ち出した。


「一度、少女時代に会ったきりなんですけど……ずっと忘れられなくて……今も、探しているんです」


それを聞いて、ヨアヒムは叔父イェルノの言葉を思い出す。


『その子が帰る間際に、不思議なことを尋ねてきたんだ。殿下と呼ばれる身の上で、朱金色の髪をした男の子を知っていますか、ってね』


そのときの喜びが、再びヨアヒムに込み上げる。

きっと真っ赤になっているだろう頬を隠すため、フードをばさりと被った。

そんな主の動作を目の端に留め、バートはこちらも負けず赤い顔をしているファビオラに、にこりと微笑んだ。


「見つかるといいですね」

「は、はい!」


◇◆◇◆


なぜかぎくしゃくしていたヨアヒムが去ってから、ファビオラはソファに背を預け、いつまでも火照る頬を手でパタパタと扇いだ。


「もしかしたら、ヨアヒムさまがあの男の子かもしれないのに、私ったらなんてことを口走ってしまったの!」


ヨアヒムのことを隠そうとして、あの男の子へと話をすり替えたが、すり替わっていなかった疑いがある。


「皇位継承争いの件が出たとき、ヨアヒムさまは右肩を押さえていたわ。あの男の子が、矢で貫かれたのと同じ場所を――」


ファビオラも左胸を押さえた。

そこには古い、星型の矢傷がある。


「やっぱり、ヨアヒムさまがあの男の子なのでは?」


だとしたら、ファビオラが髪を朱金色に染めれば、気づいてくれるだろうか。

そっと手のひらの上にのせた髪は、美しく光を放つ銀色だ。


「でも銀髪のおかげで、神様の恩恵を受けられたのだと思えば、このままの方がいいのかしら?」


予知夢を見たのは一度だけ。

それ以降は、いたって普通の夢ばかりだ。


「一人で考えても、堂々巡りね」


ひとまずファビオラは立ち上がり、晩餐に着ていく赤い色のドレスを選ぶことにした。

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