とある機械工場。かつて技術力と強大な権力で全てを支配していた企業は、昨夜に跡形もなく姿を消した。
残ったのは各地に残されたビルと工場。そして工場内に点在した命。その全てが、壁や床に自分を撒き散らして倒れ込んでいる。
一夜にして死と破壊が繰り返された廃工場。その中心に位置するタワーに人影がぽつんと立っている。
容姿は十八歳前後の女性。全身黒スーツに髪を束ねたポニーテールがよく似合う黒髪。黒の要素がない部分を述べるなら肌の部分しか見つからない。
その腕には、命を刈り取ることに特化した黒い刃を携えている。
全身を黒で塗り固めた女性、神藤舞奈は全てが終わった工場跡を一瞥する。
ふと右ポケットから携帯端末を取り出し、「私だ、終わったぞ。いつもの口座で頼む」一方的に要件だけを伝えた舞奈はピッと連絡を断つ。
それから右ポケットに収まる箱を取り出し、至福の一本に火をつける。
フーッと煙を吐く。有害なモヤが端の方から空気に溶けていく様を見ながら、現場後を見下ろす舞奈。
しばらく経って、至福の時間が終わろうとしていた最中、再び端末を取り出す。手慣れた操作で画面に番号を打ち込み、右耳に押し当て、三回呼び出し音が鳴ると、プツッと軽快な音で電話が繋がる。
「私だ。あぁ、真下だな。すぐに降りる。クッション? いらん」
そう言って右手に握る刃を勢いよく振り下ろすと、下ろした先の壁に血液が不着する。
タワー屋上の鉄柵に直立する舞奈。
足場は数センチほどしかなく、一歩踏み外せば落下するだろう。
しかし舞奈の心情は落ち着いていた。
いつものことだと言わんばかりに、ゆっくりと体を九十度の角度から真後ろの百八十度に傾ける。
バサバサとコートが風に揺らされる。そのまま下にいる相棒の後部座席目掛けて落下していく。
通常の人間であれば、間違いなくこの後に全身の骨がバラバラに砕けて絶命する。しかし舞奈はそうはならなかった。
接触まで残り数十メートルのところで、落下する舞奈の体が減速し始めたのだ。
舞奈はしばらく重力へ抵抗した後に、ゆっくりと相棒が操るオープンカーの後部座席に着地する。
「おせーぞ舞奈。たばこは車の中で吸っていいって言ってるだろ? 時間は有限なんだよ」
相棒の寺島龍平は悪態をつく。舞奈は何の悪びれもなく、
「至福の時間は静かに過ごすものだろう。貴様がハイブリッドに変えるのなら、考えてやってもいいがな」
このように偏屈を述べては遅刻して寺島の車に飛び降りて乗車してくるのである。
舞奈の発言には多少うなづける部分もある。よく見ると寺島の車には天井がない。雨の日に天井が閉まるタイプでもないのでかなり不便だ。完全なオープンカーなのだ。
「うるせぇ。我が家は代々オープンカーって相場が決まってんだよ」
「ハイブリッドにもオープンカーはあると思うんだが。今度の休暇に、お前の好きなメーカーのディーラーでも周るか?」
「俺はブンブンとエンジンを吹かす車も好きなの」
どちらも譲れないものがあるようだが、これを折衷案で片付けようものなら、それこそ無理がある。いつもの議論に飽き飽きした寺島は、右足でアクセルを目一杯押し込み、車を発進させる。
風がびゅうびゅうと靡く中、車内での会話は無く、風の音だけが延々と続いている。
遠くに街の光が見える。ギラギラと眩しい光を放つネオンライトの光が遠くからでも車内の二人に届く。
「そういえば証拠、撮ったのか? 今回の取引相手、かなり用心深いやつなんだろ?」
「ああ。それはもう、二度と墓の下から挨拶できないくらいにしてから、ツーショットでな」
舞奈は寺島の運転席に取り付いたミラー越しに、端末の画面を反射させる。
そこには、顔面や服など至る所に血液を付着させた舞奈と、阿鼻叫喚の地獄絵図を描き切った後の現場が写真として映し出されていた。
常人にはその顔すら作ることも不可能に近いだろうが、舞奈は違う。
その表情は、他人に見せつけるかのようにニカっと微笑んでいる。写真上部には、赤絵の具を手に塗りたくった色白の舞奈の細腕が、何か黒くて細いものを掴んでいる。
ちょうど車はトンネルに差し掛かったため、黒くて細いものの先がよく見えない。
しかし寺島は脳内でその部分を容易に想像できた。
黒くて細いものはおそらく髪の毛だ。そしてそれを軽々と楽しげに持ち上げながら写真を撮る舞奈。
坂道をゴロリゴロリと、アンバランスなフォルムで転がりそうなそれはーー
トンネルを出ると、舞奈はぶすっとつまらなそうな表情で端末を懐に締まっていた。
それでいいと寺島は安堵する。先ほどの写真を正気で眺められるのは、おそらく殺人鬼かその手の道に通ずる闇医者かの二択に絞られる。
にしても今の表情はなんだと、寺島は舞奈をミラー越しに睨みながら話す。
「おい舞奈。何も仏の首を引きちぎるなんて物騒なことはしなくていい。死体だけ確認すればいいんだ」
寺島は説教の後に訪れるクールタイムのテンションで舞奈に言いつける。
しかし、当の本人は先ほどの写真を確認した影響なのか、ハァハァと息を吸いながら両肩を腕で抱きながら俯いている。その様子は、自身が作った惨劇の舞台に興奮しているのかただ疲れていて熱っぽいだけなのか、そのどちらにも見えた。
「アイツら、私が斬っても生きてたから。とどめを刺してあげないと……可哀想……」
車は赤信号で停止する。車両が止まるのを待っていたのか、舞奈は好機と言わんばかりの勢いで座席から立ち上がる。
「舞奈?」
「まだ生きているはず。だから私が……ヒヒッ……! また殺してあげなーー」
寺島が立ち上がり、すかさず彼女の口元を掌で覆う。 席から立つ瞬間、寺島はポケットから取り出した錠剤を掌に忍ばせ、それをうまく舞奈の口にスルッと押し込む。
顎を掴んでゴクリと喉を無理やり鳴らさせると、寺島は安心して運転席に戻る。
時間にして僅か五秒。
慣れた手つきで流し込まれた錠剤は、彼女専用の薬だ。
彼女には殺人衝動と呼ばれるものが存在している。
人は想像力が豊かな知的生命体であるが、自身に起きるであろうイフを脳内で想像することができる種でもある。彼女の衝動はそこから来ており、幼い頃から人を殺す想像をしすぎた結果、それを現実で起こそうと行動に出る癖がついてしまった。
詰まるところ、人を殺さずにはいられないという特異なものだ。
今飲ませたのは彼女の衝動を抑える鎮静剤のようなもの。
彼女が殺人を想像するようなものを見なければきっかり十時間はその効力を発揮する。
信号は赤に変わり、舞奈は助手席のシートにぽすんと座り込む。
ぼうっとする意識の中、彼女は相棒の後ろ姿を視界に映すと、ゆっくりと話し出す。
「また……抑えられなかった」
「いい。いつものことだろ。さっさとヤニ吸って落ち着け」
先ほど吸ったばかりの煙草を取り出すべく、右ポケットに手を忍ばせる。
箱を取り出し、トンと人差し指で叩くと二本の煙草が起立する。
「いる?」ぐったりとした様子の舞奈が運転席に向かって言う。
「止めてたんだけどな。今回ばかりはどうしようもない。本当に、どうしようもないから吸って忘れることにするよ」
ボウッと煙草の先がライターの火で炙られ、独特な香りと煙が車内一帯に満ちる。 と言っても走行中のため、それは風で流されるわけだが。
車内から立ち上る二つの煙が、同じ軌道を描きながら走行中の車の風に流される。
二人は口を揃えて煙草を咥えたまま呟く。
「やはり仕事後の一服は、格別だな」
コメント
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誰か知らないけど
オオ!?ついに出したのですね!