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説明を終えると、メリルがゆっくりと顔を上げた。その瞳には、先ほどまでの冷酷な魔女の面影はなく、ただ縋るような、脆い光が宿っている。
「……ショウ君。一つだけ、お願いがあるの」
「なんですか」
「一度だけでいいわ。……私のことを、『お母さん』と呼んでくれないかしら」
震える声だった。不老不死を失い、死を自覚し始めた彼女が、最期に求めた「家族」という名の救い。だが、僕は燕尾服の襟を正し、冷徹なマジシャンとしてのポーカーフェイスを崩さなかった。
「……それは、できません」
メリルの肩が、小さく震えた。
「僕にとっての母親は、二十五年間、どこにもいなかった。そして、マジシャンは舞台の上にしか存在しない。今の僕を作ったのは、あなたの愛ではなく、あなたが僕を捨てた後の、あの孤独な時間です」
「……そう。そうよね」
メリルは力なく笑った。その笑顔には、どんな呪いよりも深い悲しみが刻まれている。彼女はゆっくりと立ち上がると、振り返ることなく、夜の闇が広がる玄関へと向かった。
「いい夜だったわ。……おやすみなさい」
扉が閉まる直前、彼女はこちらに振り向いた。
「あなたの名前、あなたのお父さんがつけてくれたんだけど……ショウって言うの。周囲を照らす魔法の呪文に使われる言葉からとったの。本当よ。」
メリルの気配が完全に消えた後、僕は大きく息を吐き出した。
すると、廊下の影から抑えきれない啜り泣きが聞こえてきた。
「……ルーシー、全部聞いていたのかい」
現れたルーシーは、目元を真っ赤に腫らし、タオルを握りしめて号泣していた。
「だって……っ、あまりに、悲しすぎるじゃない」
「泣きすぎだよ。そんなに顔を腫らしてたら、本の文字が読めなくなるぞ」
僕はポケットからシルクのハンカチを出し、鮮やかな手つきで彼女の目の前で振ってみせた。
「ほら、涙を拭きなさい。ごわごわのタオルだと顔が腫れるよ」
「……ううっ、ショウのバカ。……っ」
ルーシーの背中を軽く叩いて慰める。彼女の温かさと、人間らしい涙の熱さだけが、今の僕には唯一の現実だった。寝室からティルの幸せそうな寝息が聞こえてきた。
「……ワ……ムニャ……もう食べられない……なら、その肉をウチに寄越せ。もっと肉を持ってくるのだ……」
そのあまりに平和な寝言に、僕とルーシーの間に、ほんの少しだけ緩やかな空気が流れた。
僕の異世界生活は、どうやらここからが本当の幕開けになるらしい。