テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
王宮の庭に、初夏の風が吹いていた。 果実の香りが漂い、紅茶の湯気がやさしく揺れる。 その日、アデルは静かに私の隣に座った。
「アイリス。君が王宮を変えたことで、私は一つの希望を見つけた」 彼の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「希望…ですか?」
「王宮が変われば、国も変えられるかもしれない。 君の目で、城下町を見てほしい。 そして、私に“風の通し方”を教えてくれ」
私は、深く頷いた。
「わかりました。 でも、王様が城下町に出るなんて…人々が驚きますよ」
アデルは、ふっと笑った。
「それも、変化の一部だ」
その日の午後、私とアデルは控えめな衣装に身を包み、城下町へと足を運んだ。 セレナとレオは、少し離れた場所から見守っていた。
表通りは、にぎやかだった。 果物を売る声、子どもたちの笑い声、パンの焼ける香り―― そこには、王宮と同じような“光”があった。
「ここは、風が通っているようですね」
私は、笑いながら言った。
「だが、路地は違う」
アデルが、静かに言った。
私たちは、表通りを外れて、細い路地へと入った。 そこには、別の空気があった。
壁は黒ずみ、窓は割れ、子どもたちは静かに座っていた。 笑い声はなく、風も通らない。
「…ここが、国の“影”ですね」
私は、胸がぎゅっとなるのを感じた。
「王宮と同じだ。 光が強くなるほど、影も濃くなる。 だが、君は王宮の影に光を差した。 だから、ここにも風を通せるかもしれない」
私は、路地の隅でパンを売る老婦人に声をかけた。
「こんにちは。パンの香りが、とても優しいですね」
老婦人は、驚いた顔で私を見た。
「…こんな路地に、王宮の人が来るなんて。 でも、ありがとう。このパンは、孫のために焼いてるの」
私は、そっと一つ買って、アデルに渡した。
「王様、味見をどうぞ」
アデルは、パンを一口かじり、静かに言った。
「…素朴だが、心がこもっている。 君の母のパイを思い出すな」
私は、思わず笑った。
「それなら、渋みは少なめですね」
そのやりとりに、老婦人がくすりと笑った。
「あなたたち、風みたいね。 通り過ぎるだけじゃなく、空気を変えていく」
その言葉に、アデルは深く頷いた。
「この国に、風を通したい。 君の目と言葉が、その道を照らしてくれる」
私は、路地の空を見上げた。 狭くて、歪んでいて、でも確かに空はあった。
「じゃあ、まずは窓を開けましょう。 風が通るには、入口が必要ですから」
空を見上げ光り輝く太陽を仰ぐ。誰にでも平等に降り注ぐ光を感じて希望を描いた。
城下町の路地に、風が通り始めていた。
アデルの命で、王宮から職人たちが派遣され、壊れた窓や壁が少しずつ修復されていく。
でも、家があっても、仕事がなければ人は生きていけない。
「アイリス、住まいは整いつつある。 だが、働く場がない。特に、子どもや年配者にとっては難しい」
アデルが、地図を広げながら言った。
「それなら…冒険者ギルドに相談してみませんか?」
私は、ふと思いついた。
「ギルド?」
レオが目を丸くした。
「はい。王宮の外で、物資の運搬や採集、簡単な依頼を受けている人たちが集まる場所です。 子どもでもできる仕事もあるし、やる気をなくした大人にも、少しずつ関われる機会があるかもしれません」
セレナは、静かに頷いた。
「それは、王宮では思いつかない発想ね。 あなたの“外の目”が、今こそ必要なのね」
その日、私はギルドの門を叩いた。 中には、剣を磨く若者、地図を広げる老冒険者、そして受付で忙しく働く人々がいた。
「すみません。王宮から来た者です。 路地の人々に、仕事の機会を作りたいんです」
受付の女性は私に応対して名前をミラと名乗った。彼女は私の提案を聞いて驚いた顔で見つめてくる。
「王宮の人が、路地を? …話は聞きましょう」
私は、路地の現状を話した。 子どもたちが笑わず、大人たちが目を伏せていること。 家はあっても、心が空っぽなこと。
ミラは、静かに言った。
「子どもには、薬草採集や荷物運びの仕事がある。 大人には、依頼の管理や地図の整理もできる。 でも…やる気をなくした人に“仕事”を渡すのは、簡単じゃない」
「わかっています。 でも、誰かが“あなたを必要としてる”って言えば…少しだけ、動けるかもしれません」
その言葉に、ミラは目を細めた。
「…あなた、ただのメイドじゃないわね」
「毒を食べたメイドです。 でも、今は王宮の“空気係”です」
ミラは吹き出した。普通の人の反応で少し安心する。
「面白い人ね。じゃあ、ギルドとして協力する。 ただし、彼らが“自分で選ぶ”ことが条件よ。無理強いはよくない。どちらにとってもね」
私は、深く頷いた。
「それが一番大事です。 誰かに“やらされる”のではなく“やってみようかな”と思えること」
数日後、ギルドの掲示板に、路地の人々向けの依頼が貼り出された。 「荷物の仕分け」「薬草の選別」「果実の乾燥」―― どれも、力がなくてもできる仕事だった。
子どもたちは、少しずつ集まり始めた。 でも、大人たちは動かなかった。
「…やっぱり、難しいですね」 私は、路地の隅でつぶやいた。
そのとき、アデルが静かに言った。
「君が、彼らに“名前”を呼んでみてはどうだ?」
私は、目を見開いた。
「名前…ですか?」
「王宮が変わったのは、名前で呼び合うようになったからだ。 君が、彼らを“誰か”として呼べば――心が動くかもしれない」
私は、古びた椅子に座る男に近づいた。
「…ルースさん。果実の乾燥、得意だって聞きました」
男は、驚いた顔で私を見た。
「俺の名前…知ってるのか?」
「はい。ギルドの人が教えてくれました。 あなたの乾燥果実は、保存がきいて、味もいいって」
ルースは、しばらく黙っていた。 そして、ゆっくりと立ち上がった。
「…久しぶりに、やってみるか」
その瞬間、路地に風が吹いた気がした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!