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タクヤは、怪我人対応だけでなく、重機の運用や、王宮の一部破壊など、出せる許可をすべて出しまくった。
書類にサインを求められて一瞬とまどった。正式なフルネームなんて思い出せるわけがない。とにかく緊急事態なのだから自筆であればなんでもいいだろうと考え、すばやく「Ta」と書いてマルした。
やれることをやり終えると、祈りの部屋に戻った。
部屋には、立ちつくしたまま、あるいは床に崩れて、涙を流している者たちがいた。中央には、遺体がまだ三体横たわっており、その動かぬ者たちを前にして、ユリが放心してしゃがみ込んでいた。
タクヤは手をのばした。
「ユリ、外に出よう」
「……え?」
「君の仕事は、もう終わりだから」
祈りの間から外に出ると、空は荘厳なオレンジ色に染まっていた。
苦悩を乗り越えた多くの魂が、安らかな黄金の国に召されていく情景のよう。
タクヤはユリを支え、ゆっくりと庭園を通り抜け、防波堤の漆喰の階段を上がった。
支え合いながら、一歩一歩を踏みしめて。
二人で防波堤の上に立つ。
夕日を受けた海が目の前に広がり、やすらかな波音に包まれる。
「もう、夕方だったんですね」
「そうだ。一日たっちゃったよ」
「早いです。今朝、ここでタクヤ様とお会いしたのが、ついさきほどのことのよう」
「ねえ、ユリ」
「はい」
「提案していい?」
「なにか?」
タクヤは、決意していた。彼なりに考え、迷ったすえに、やはり提案するべき、という結論に達した。
「二人のときは、敬語、やめない?」
「……え?」
ユリは素直に驚いた顔をした。
タクヤは、前の漆喰の階段を指差した。
「とりあえず、そこ、腰掛けよう。そこなら向こうから見えないし」
「はい」
「まあ、無理はしなくていいけど、二人だけのときは。幼なじみだし」
「はあ……」
憔悴したユリを先に座らせると、タクヤも横に座った。
夕暮れの海風が、血と汗でもつれた重い心をほぐすように吹き抜けていく。
「それにしても、すごいな、祈り師って。自分がやってもらったからすごくわかる」
「祈り師として最初に教わるのは『命を削る行為』ということ。なのに、いきなり、これ。私なんかに大仕事すぎですよね。私なんて、本当の仕事といえるのは今日が初めてみたいなものだったのに」
「君が命がけでがんばったことは、僕にもわかるよ。ほうびは何でも言い。僕からの愛なんてどう?」
ユリが素直に笑う。
笑うはずみで身体の芯がぬけて倒れそうになると、タクヤは端正な肩を抱いて支えた。
ユリは「ふー」とため息をつき、一瞬迷った後、脱力して、彼の胸に寄りかかった。
「タクヤ様も、みなさんのために率先してお働きになって、素晴らしいと思いました」
「いや、だから、僕のことは『タクヤ』でいい。ユリなら大丈夫。まあ、僕が本当にタクヤならば、って話だけど」
「でも、やはり王子様ですから……」
「気にしなくていいって。幼いときはタクヤ様なんて呼んでなかったろ?」
「いいえ、たしか、そう呼んでいましたよ」
「いやまあ、そうかもしれないけど。そーかもしれないけど」
むくれたタクヤを、ユリは下から見て、小さくつぶやいた。
「タクヤ……タクヤ……、なれれば、できそうな気は、します」
「ていうか、僕なんかより、ユリの方が、よっぽどすごいよ。むしろ僕が『ユリ様』って呼びたいくらい」
「それは、ちょっと……」
「わかっている。……いや、こんなことになってさえ、まだろくに思いだしていないから、わかっているなんて言ったらウソだけど、でも、何となく、自分がどうあるべきかは、わかってきたような気がする。だから、ぜんぜん何もわからないで言っているわけじゃないんだ。その上で、ユリには、対等に親しくなってもらいたい。立場なんて関係なく」
「『親しく』ですか?」
「そう、だめ?」
「だめではありませんが、祈り師は、立場上……」
「立場のことは置いておいて。だって君だけなんだよ。メリルさんは、もういないんだから」
タクヤの本音。
ユリは身体を硬くした。
「ごめんなさい、私、何もできなくて」
「そういう話じゃない。これからのこと」
「そうね。でも、やはり人前では『タクヤ様』ですわ」
「はいはい、人前は、まぁ、しかたがない。ワタクシもその件に関しては目をつぶってつかわすぞ」
ユリが目を細めて笑う。
その笑顔がタクヤの心に残酷なほど食い込んだ。
「確かに、正直言うと、あなたって『王子様』っていうタイプではないよね」
「はあ? それ、どーいう意味よ」
「怒った?」
「べつに怒りはしないけど」
ユリは下から「じゃあ、なに?」と顔をよせた。
その眼差しを近距離で見つめたタクヤは、喉元が詰まったように苦しくなる。
「い、いや、なんでもないよ。ははは。ま、よけいなことは考えないでいいから、今はボーっとして、リラックスしなよ。ユリのことは、この王子様が身体をはって守るし」
「あ・り・が・と」
タクヤの内なる動揺をよそに、芯から疲労していたユリは身体を彼にあずけたまま目を閉じた。
「ねえ……」
「ん?」
「あなたが、メリルさんを運んできたときだけど」
「……」
「あのとき、横に、小さな子供が、いたでしょ?」
「子供?」
「憶えてない?」
「いや、憶えてる。大怪我なのに、ユリの祈りの下で、幸せそうだった。たぶん、微笑んでいた」
「私ね……友達、だったんだよ」
「友達?」
「そう。あの子、執事のスペンサーさんのとこのナナちゃんて言うの。ここでは、小さな子供は少ないから、よく、いっしょに遊んだりしていたの。ご本を読んだり、フルーツジャムを作ったり。あの入江にも来ていたし、イルカさんとも仲よしで。とても、すごくすごく、いい子だったよ。いつも、明るく笑って。私、大好きだった。本当に、大、大、大好きだったよ……ねえ、私……ちゃんと、祈れたかな? 私、みんなに、うまく、祈ってあげられたかな? ねえ……」
ユリは肩をふるわせた。
タクヤは、強く言った。
「大丈夫だよ。あたりまえだろ。みんな、一人残らず、安らかな顔をしていた。絶対、みんな、感謝しているって」
「ナナちゃん……ごめん……」
嗚咽するユリの背を、タクヤは手のひらでさすった。
「心配するなよ。この僕が見届けたんだから、間違いない。なにせ、この国の王子だよ。これ、本当だからな。ウソと思うかもしれないけどさ」
ユリは泣きながら、苦しげに笑った。
タクヤは続けた。
「心配ない。みんな、ユリに祈られて、天国に行った。だから、こんなきれいな夕日なんだ」
ユリは顔を上げて、夕日に目をやった。
泣き濡れたほほに、天然の紅色が広がる。
その横顔を見たタクヤは、息をのんだ。
崇高な芸術絵画のよう。
タクヤは、胸が苦しくなり、ユリを支える腕に力を込めた。