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次の日から、ヘラの言う通り食事を届けるのは、少女ではなく彼に変わった。
彼は少女がしていたようにテーブルに盆ごと食事を置くと、グラスに水を注ぎ入れる。
そして俺に近寄ると、鍵で手錠を外す。
トイレに行く間も扉を閉めることは許さず、じっと俺の排泄を見ている。
用を足しテーブルにつくと、そのまま入り口付近に立ち、何を言うわけでもなくこちらを窺っている。
食べ終わると同時にまたベッドに俺を促し、先ほどと同じように拘束して部屋を後にする。
食事は日に2回。排泄も日に2回だったが、以前のように水分を水道から自由に取れなくなったためか、それに関しては苦痛に感じなかった。
ヘラはあれ以来現れていない。
つまりーーー。
俺はあれから風呂に入っていない。
6回の食事。
3日間経過、というところだろうか。
動かないので、空調の効いたこの部屋では汗をかくこともほとんどない。
トイレに行ったついでに頭や顔を洗ったり、濡れたタオルで清拭するくらいはできる。
だからそこまで不快でもないのだが……。
一番の問題は、彼が見張っているため、スープを吐き出せなくなったことだ。
思考が再び濁っていくのを肌で感じる。
―――クソ。せっかくここまで回復してきたのに……!
どうにかしなければ。
俺は今日も明らかに変な味がするコンソメスープを口に入れながら、無表情の彼を睨んだ。
―――勝負に、出るか……。
◇◇◇◇◇
「………痒い」
仕掛けたのは、食事が終わり彼が手錠をベッド柵に固定するため俺に跨った瞬間だった。
「なんか、痒い」
突然言葉を発した俺に驚いたのか、彼は小さな目を見開いた。
「チンコが痒い」
「―――――」
彼の視線が俺の上を滑り、ジーンズに包まれた股間に移動する。
「外してくれよ。ちょっとでいい」
言いながら手首をガツンガツンとベッド柵に打ち付けて見せる。
「―――掻くだけ」
「ダメだ」
彼は小さな声で、しかし抑揚なく言った。
視線の動きで、背後にあるカメラを気にしているのがわかる。
「じゃあ……」
俺は彼の目を見ていった。
「あんたが掻いてくれるか?」
彼が息を飲む音が、狭い部屋に響き渡った。
再び彼の視線が俺の股間に移る。
「ーー掻いて。裏筋のほう」
「―――――」
俺の股間を見つめる目がどんどん大きくなっていく。
「―――早く。カメラにはあんたのたくましい背中が死角を作ってるから見えないだろ。それか俺が小便漏らしたから拭いていたとかなんとか言えばいい」
「――――」
彼の視線が揺らぐ。
迷っている。もう一息だ。
「―――んん……早く……」
俺は膝を立てた。
彼の股間を軽く刺激する。
―――やっぱり。
俺は視線を上げた。
彼もこちらを見つめる。
そしてゆっくりとその視線はまた落ちていく。
「…………?」
しかし彼はベッドから降りると、スタスタと俺から離れていった。
―――そんな簡単にはいかないか……。
軽く失望していると、彼は出入口ではなくバスルームに向かった。
「――――?」
首だけ起こしてそちらを見ると、彼はタオル掛けから拝借したらしいフェイスタオルを持ってやってきた。
「――――」
そしてそれを手にもう一度俺に跨ると、ジーンズのチャックに手を伸ばした。
ジーーーーー。
チャックを開ける音が部屋に響く。
しかしその音はカメラには入らない。
だからか、彼の動作は性急で迷いがなかった。
俺のボクサーパンツに手をかけ、一気に睾丸のあたりまで下ろし、俺の陰茎を取り出すと、傍らに置いておいたフェイスタオルでソレを擦った。
「――――」
コクンと唾液を飲み込む音がする。
その喉に、突起はない。
屈んだ首元から胸元が見える。
「―――やっぱり、女か」
大きな体でカメラの死角に入っていることを確認した上で、俺は彼に言った。
途端に彼は顔を上げ、驚いた顔で俺を見つめた。
俺もほぼ初めて、彼の顔を真正面から見つめた。
小さく窪んだ目。
高く大きな鼻。
その下にある溝は深く、厚い唇はどこか日本人離れしている。
つまり、一見して顔が濃い。
彼が男に見えるのは、日本人ーー取り分け女には見られないこの顔の凹凸も一因なのかもしれない。
さらに骨格が、女性にしてはというより男性と比べてもしっかりしている。
水泳でもやっていたのか、首は俺よりも太く、肩幅も俺よりも広く、その逞しい体つきは、どうみても女性には見えなかった。
しかしーーーー。
見た目と反して細く高い声。
喉仏もなく、屈むとわずかではあるが、胸に男性の胸筋とは違う谷間がある。
この狭い部屋の中で、一日中、正体不明の”俺”という男の身体を眺めるしかなかった自分だからわかる。
その骨格と筋肉のつき方を嫌というほど見てきた俺だから、わかる。
ーーーー彼は、男じゃない。
彼は動揺を隠せずに、額一杯に細かい汗の粒を浮かばせた。
しかし手は俺のモノを包み、律義にタオルで上下に拭いていてくれる。
女なら――――。
俺は息を吸い込み、軽く止めた。
目を瞑り、下半身に意識を集中させる。
彼の動きに合わせて感性を研ぎ澄ませる。
「――――っ!」
彼が動揺して息を吸い込んだ。
ーーーようやく勃ったか。
俺は静かに瞼を開け、硬くなった下半身を見下ろした。
そして戸惑っている様子の彼を見つめた。
「―――咥えて?」
再び彼の喉が鳴る。
彼が俺の誘いに乗るかどうか。
賭けだった。
しかし俺を見る目つきの中に、たまに交る鈍い光。それがほの暗い欲情の兆しだとしたら―――。
鏡ではっきりと見たことはないが、俺はきっと《《悪くない》》。
手足は長いし、脂肪のない体には適度に筋肉が乗っている。
肌艶も若いしヘラの瞳の中でしか見たことはないが、容姿も整っていた。
もし彼がこちら側に落ちればーーー。
完全に落ちなくても、《《漏らす》》くらいの隙を見せれば。
勝機はこちらに覆る。
「……………」
彼は黙って反り勃った俺のソレを凝視している。
よかった。捻りつぶされる危機はとりあえず脱したらしい。
彼の瞳は、未知の生物を鑑賞するような、驚きと興味に溢れている。
もしかして男の経験がないのだろうか。
見たところ、成人して間もない、というわけでもなさそうだが。
「―――奥様が」
咥えるかわりに彼は言った。
「奥様がもうすぐ外出なさるので」
彼は言葉少なにそう言い、チャックを上げタオルでシーツを拭う振りをした。
そして立ち上がると、胸を膨らませるように大きく息を吸い込み、振り返らずに部屋を後にした。
―――奥様。
彼は間違いなくそう言った。
つまり俺の推理は当たっていた。
ヘラは人妻。
そしてその夫は少女の父親。
殺された夫。
俺が殺した?
彼は何だろう。召使い?使用人?
視線が本棚に雑に入れられたままの“ギリシャ神話全集”に移る。
ーーーー《《彼》》と呼ぶのも失礼か。
“奥様”が、嫉妬深い神々の女王、ヘラだとしたら。
彼のことはこう呼ぶことにしよう。
英雄たちを勝利に導いた戦いの女神。
処女の誓いを立てた処女神。
その名はーーーーアテナだ。
◆◆◆◆◆
夢を見た。
いつもの工場。
ポニーテールの女性。
その腕の中には男が横たわっている。
――――?………動ける……?
いつもはその背後から二人を見ているだけなのに、今日に限って俺の身体は動いた。
ここ数日手をベッドに括り付けられ身体の自由が利かないためか、夢の中だというのに上手く歩けない。
手足がちぐはぐでなかなか正面に回り込めない。
しかし何とかあがくように歩き、回り込むとポニーテールの女性はこちらを見つめた。
美しい化粧っ気のない女性。
―――ヘラじゃない。
―――あの少女でもない。
視線を下ろす。
男だ。
誰だ―――?
わからない。
しかしその首には痛々しい赤い痕がくっきりと残っている。
もしかしたらこれがヘラの夫か……?
と、そのとき、カッと、死んでいるはずの男の眼が開いた。
―――この犯罪者が……!!
口は開かない。
脳みそに直接響いてくるような、しゃがれた声。
―――やはりお前なんか……
嫌だ。聞きたくない。
―――お前なんか、雇うんじゃなかった…!!