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第十九話「いないはずのない人」
その日。
山本美憂の帰りは、遅かった。
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本当は、すぐにでも帰れた。
でも——
「……っ」
涙が、止まらなかった。
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夜景の場所から動けなくて。
小太郎と二人で、崩れて。
声を出して泣いて。
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時間なんて、分からなくなるくらい。
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(……このまま帰れない)
分かっていた。
この顔で帰ったら。
絶対に、気づかれる。
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(……佳に)
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それだけは、ダメだった。
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洗面所に立つ。
冷たい水で顔を洗う。
何度も、何度も。
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「……っ」
鏡を見る。
目は赤い。
少し腫れている。
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(……大丈夫)
(バレない)
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無理やり、笑ってみる。
少し引きつる。
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(……いける)
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そう思い込んで。
家に帰った。
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「……ただいま」
「おかえり」
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高橋佳は、いつも通りそこにいた。
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その声を聞いた瞬間。
一瞬だけ、涙が出そうになる。
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(……ダメ)
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ぐっと堪える。
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「遅かったな」
「ちょっとね」
「どこ行ってた」
「……友達と」
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嘘じゃない。
でも、本当でもない。
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「そっか」
佳は、それ以上聞かない。
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その優しさが——
余計に、苦しい。
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食卓。
いつも通りの会話。
いつも通りの距離。
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でも。
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(……さっきのこと)
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頭から離れない。
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“愛してたよ、美憂”
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その言葉が、何度も何度も響く。
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「……どうした」
「え?」
「なんかぼーっとしてる」
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顔を上げる。
佳と目が合う。
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「……なんでもない」
笑う。
いつも通りに。
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でも。
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(……ごめん)
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心の中で、何度も呟く。
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その夜。
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「おやすみ」
「おう」
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電気を消す。
隣にいる気配。
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こんなに近いのに。
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(……遠い)
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背中を向けたまま、目を閉じる。
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涙が、静かに枕に染みる。
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でも。
声は出さない。
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そのまま——
二人は“いつも通り”眠りについた。
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——そして、次の日。
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放課後。
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「……昨日のことさ」
小太郎が、少しだけ真剣な声で言う。
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「……うん」
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カフェの席。
向かい合って座る。
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「正直、まだ整理ついてない」
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「……私も」
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目を伏せる。
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「でもさ」
小太郎は続ける。
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「佳、あれ全部一人でやってたんだよな」
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「……うん」
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胸が、また痛くなる。
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「……強いよな」
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「……うん」
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でもそれは——
強さじゃなくて。
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(……優しさだよ)
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言葉には出さない。
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少しの沈黙。
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そのあと。
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「……ねぇ」
美憂が口を開く。
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「ん?」
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「今日さ」
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少し迷って。
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「……佳に、会ってほしい」
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「……え?」
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「ちゃんと、紹介したい」
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自分でも、理由は分からない。
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でも。
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(……なんか)
(そうしたい)
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そんな感覚だった。
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小太郎は少しだけ驚いた顔をしたあと——
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「……いいよ」
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頷いた。
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帰り道。
二人で並んで歩く。
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どこか、少し緊張した空気。
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「……なんか不思議だな」
小太郎が苦笑する。
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「うん」
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「こういう形で会うとは思ってなかった」
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「……だね」
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短く笑う。
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家の前。
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「ここ」
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「……お邪魔します」
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ドアを開ける。
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「……ただいま」
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いつも通り、声をかける。
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返事が——
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ない。
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「……あれ?」
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靴を見る。
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(……ない)
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佳の靴が、ない。
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「……出かけてるのかな」
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リビングに入る。
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誰もいない。
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静かすぎる。
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「……佳?」
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呼んでみる。
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返事はない。
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部屋も、覗く。
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いない。
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(……おかしい)
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胸が、ざわつく。
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「……どこ行ったんだろ」
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ぽつりと呟く。
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でも——
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なぜか。
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嫌な予感だけが、強く残った。
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“いないはずがない人”がいないことに。
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まだ、この時は——
深く気づいていなかった。
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