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髪を乾かして、寝る前のストレッチまでした記憶はある。
けれど――ベッドに倒れ込んだあとの記憶が、すっぽり抜け落ちていた。
筋肉痛でギシギシと軋む体と、カーテンの隙間から差し込む眩しい日差しが、私が「盛大に寝落ちした」のだと雄弁に物語っている。
ふと自分の格好に目をやると、寝間着を着ていたはずなのに、今は下着姿だった。
しかも、腕や腰、背中、脚の要所要所に、冷湿布がぴたぴたと貼られている。
「寝る前に貼ったっけ……?」
「やっと起きたんだね、おはよ。お姉ちゃん」
隣を見ると、同じように布団に潜り込んでいた沙耶が、ぱちりと目を開けてこちらを見ていた。
「おはよう、沙耶。やっと……って?」
「何もかにも2日も寝てたんだよ。寝苦しそうにしてたから脱がせて湿布貼っておいたよ」
……二日。
さらっと言ったけど、二日。
なんて気が利くんだこの子は、と素直に感謝が込み上げてきて、思わず添い寝している沙耶をぎゅっと抱き寄せた。
沙耶は「もっと褒めるが良いぞ」と言わんばかりのドヤ顔を浮かべる。
ありがたいので、まずは両手でその頬をむにむにと揉みくちゃにしておく。
指を離すと、ここぞとばかりに私の胸に顔を埋めてきた。
「湿布くさっ!!」
「沙耶が貼ったんでしょ……」
冷湿布特有のハッカの匂いが、自分でも分かるくらい強烈だ。顔をしかめて離れた沙耶を見て、心の中で「それは自業自得ってやつだよ」とだけ呟く。
それにしても――二日間も寝てしまったのか。
ミノタウロス戦の負荷が、想像以上に体に残っていたらしい。
沙耶をそっと抱き離し、ベッド脇に置いていた仕事用端末の電源を入れる。
立ち上がった画面に並んだ通知の数に、思わず眉が跳ね上がった。
不在着信40件、未読メッセージ30件……。
着信の内訳を確認すると、小森ちゃんと職場の後輩からが大半を占めていた。
メッセージも同じ顔ぶれだ。
内容をざっと読む。
テレビやネットのニュースを見て、ミノタウロスと戦っていたのが私なのではないか――と疑いつつ、安否と真偽の確認をしたい、といったものばかりだ。
「何みてるの?」
「昨日一昨日に送られてきた通知」
「へぇ……小森さん? からは来てた?」
「来てたよー」
沙耶が珍しく、他人のことを気にしている。
やっぱり沙耶も、小森ちゃんとは友達になれそうだと感じているのだろう。
無事を伝えると共に、「今度よかったら食事でも」と誘うメッセージを打ち込む。
送信ボタンを押して数秒もしないうちに、「行きます!」と元気な返事が返ってきた。
(早いな……元気で何よりだけど)
いつにするか、沙耶も一緒でいいか、スケジュールをどう合わせよう――などと考え始めたところで、家のチャイムが鳴り響いた。
同時に、職場の後輩からメッセージが届く。
『伝えることがあるんで出てほしいっす』――ということは、このチャイムの主はほぼ確実にあいつだ。
玄関モニターを覗くと、案の定、後輩が一人立っていた。
寝ぼけた頭を軽く振ってから玄関に向かい、ドアを開ける。
「ちっす! せんぱ――、って何て格好で出てくるんすか!?」
「あ、そうだ。下着だった……まあいいや。上がって」
「よくないっすよ!? ウチが狼だったら貞操の危機っすよ??」
相変わらず元気でうるさくて、そしていらないところまで気が利く奴だ。
遠慮なく家に上がってくる後輩――|小島《こじま》 |七海《ななみ》は、くりっとした大きな瞳に、短めの金髪ツインテール。
身長は150センチくらい。
胸はそこそこあって、語尾に「っす」をつければ敬語になると本気で思っているタイプの生き物である。
「相変わらず殺風景……あれ? あの美少女だれっすか?」
「二つ下の妹の沙耶だよ。沙耶、この騒がしいのは職場の後輩の七海」
「小島 七海っす! よろしくっす! 妹さん!」
「……沙耶です。私の姉がいつもお世話になっております」
テンプレート的な社交辞令を添えて頭を下げる沙耶。
知らない人に対する態度になった瞬間、さっきまでの甘えた表情が嘘のように消えている。
沙耶は、少し人見知りなところがある。
姉に甘える時と、外に向ける顔のギャップが、見ていて分かりやすい。
そんな沙耶の空気を、一瞬で嗅ぎ取ったのか――七海の目が、きらりと光った。
そしてすっと距離を詰め、沙耶の耳元に口を寄せる。
「妹さん……同盟組まないっすか?」
「同盟……? 何のこと?」
「ウチには分かってるっす。妹さんも同類っすよね?」
「勝手に一緒にしないでもらえますか? 私は姉に気づかれることなく発散してるんで……そんな欲丸出しな視線を送る貴女とは違います」
……え、今なんて言った?
私には聞こえないギリギリの音量で会話しているらしく、内容はまるで拾えない。
蚊帳の外にいるのは若干納得いかないが、ここで「何の話?」と首を突っ込むのも怖いので、私は台所へ退散することにした。
ケトルに水を入れてスイッチを入れ、湯が沸くまでの間、ふたりの様子を眺める。
「知らないっすよね? 仕事中の先輩の姿」
「うぐっ……確かに知りませんけど私は幼少期からの姿を……」
どうやら、私の話をしているらしい。
沙耶が、ちょっと動揺しているのが遠目にも分かる。
(年も近いし、仲良くしてくれるといいんだけどなぁ)
七海がスマホを取り出し、何やら画面を沙耶に見せ始めた。
「これは仕事中、髪が邪魔で後ろで縛る先輩っす」
「っす――――」
「そしてこっちはクソみたいな条件を出してきた会社の外で、その会社の看板に中指を立てる先輩っす」
「……組みましょうか、同盟」
「そうこなくちゃっす」
「ID教えるので後で送ってください。私も厳選したの送ります」
「助かったっす。捗るっす。タメ語でいいっすよ」
「じゃあ七海さんで」
「ウチは沙耶ちゃん呼ばせてもらうっすね」
……何を共有するつもりなのかは、あえて聞かないでおこう。
なんとなく胃が痛くなりそうな予感がする。
湯が沸いたので、インスタントコーヒーをマグカップに溶かす。
コップをトレーに乗せ、リビングへ向かうと――ちょうどふたりががっちりと握手をしているところだった。
「これからよろしくっす! 沙耶ちゃん!」
「七海さんもよろしくね!」
……どうやら、予想以上に仲良くなれそうだ。良かったのか、良くなかったのかは、まだ判断を保留しておく。
トレーをテーブルに置き、ようやく私も寝間着に着替える。
すると、やけにニコニコした沙耶が、私と入れ違いで寝室へ入っていった。
ちょうどいいタイミングだ。七海からの「伝えること」とやらを聞いてしまおう。
「七海、伝えることって?」
「そのことなんすけど……あれっ!? 車の中に忘れ物したんで取ってきていいっすか!?」
「いいよ」
「ちょ、ちょい取ってくるっす!」
七海は鞄を抱えて、ばたばたと玄関へ駆けていった。
残されたリビングは、一気に静かになる。
さっきまでの賑やかさが嘘みたいで、少しだけ寂しさを覚えた。
気分転換に、とりあえずコーヒーをひと口啜る。
リモコンを手に取り、なんとなくテレビをつけると、お天気占いのコーナーをやっていた。
ちょうど星座ランキングの発表のタイミングらしい。
「一位の星座はかに座の方! 恋愛運が急上昇!? もしかすると複数の人から狙われるかもっ!」
私は――7月3日生まれなので、かに座だ。
「……はいはい」
1位だったけれど、当たってもいない占いに、私は小さく鼻で笑った。
複数どころか、一人相手するだけでも手一杯なんだけどなぁ――と、湿布の匂いが残る自分の体を見下ろしながら、心の中でだけぼやいておいた。