6月、梅雨の気配を纏った曇り空の下――私立ミセス学園の校舎に、重たい鐘の音が鳴り響いた。
大森元貴(おおもり もとき)は、いつものように屋上への階段に座り込んでいた。周囲には誰もいない。風が高くうねりながら、彼の制服の裾を揺らしている。
「……なんか、今日は変だな」
つぶやいたその声は、誰にも届かない。しかし、元貴には確かに“空気”が違っているように感じられた。ずっと同じはずのこの校舎が、今朝は少しだけ、色あせて見えたのだ。
――私立ミセス学園。
都内有数の進学校にして、創立80年の歴史を持つ伝統校。この場所には、ある“噂”があった。
『時計塔に触れると、時間が狂う』
学園の敷地の端にそびえ立つ、古びた時計塔。今は使われていないが、かつては時を告げる大きな役目を担っていた。けれど20年前、ある出来事をきっかけに塔は封鎖され、それ以来誰も近づかなくなった。
それでも――元貴は知っていた。
“涼ちゃん”こと藤澤涼架が、先週の夜にこっそりその時計塔に忍び込んだことを。
「元貴、ヤバいことが起きた」
教室でいつもより声を潜めて、涼架がそう言った。
「なんだよ、また変な本でも読んだんだろ?」
「違う、本当なんだ。あの夜、時計塔の扉が開いてた。中に入って、時計に触れたんだけど……そしたら……」
「……そしたら?」
涼架は目を泳がせた。言葉を探しているというよりは、記憶を整頓しようとしているようだった。
「変な“幻”を見た。見たことない制服の奴らが、学園の中を歩いてる……いや、それだけじゃない。校舎そのものの色が違ってた。教室の机も、椅子も、全部古い。まるで……」
「……20年前に戻ったみたいだってか?」
「……ああ」
元貴は苦笑いを浮かべた。こんな話、信じるわけがない。
――でも。
心のどこかで、“それは現実だったのかもしれない”という声が、微かに響いた。
なぜなら、今朝校門のそばで拾った**“あるモノ”**が、奇妙すぎたからだ。
それは、古びた学生証だった。
名前:若井 滉斗(わかい ひろと)
所属:私立ミセス学園2年B組
発行日:2005年4月1日
__________________________________________________________
その日の放課後、元貴と涼架は、こっそりと校舎の裏手へと向かった。錆びついた金属の門。今は使われていないはずの時計塔の入口は、確かにそこにあった。
「鍵が……開いてる?」
涼架が手をかけると、まるで待っていたかのように、重々しい音と共に扉が開いた。
中は暗く、埃が積もっていた。
2人はスマホのライトを頼りに、塔の中心へと進んでいく。
そこには、巨大な振り子が静止していた。壁に埋め込まれた歯車、止まったままの時計盤。だが、元貴が一歩足を踏み入れた瞬間――
カチリ。
微かに、何かが動いた音がした。
そして――世界がねじれた。
気づけば、元貴はひとりきりだった。
涼架の姿がない。
時計塔の内部も、先ほどとは明らかに違っている。
埃が消え、まるで人の手が入っているように整備されていた。振り子は静かに動き、壁の時計は**“2005年6月17日 午後4時12分”**を指していた。
「……ウソ、だろ……?」
塔の扉を開けて外に出ると、眩しい夕陽が元貴の顔を照らした。
目の前には、今と違う制服を着た生徒たち。
旧校舎。異なる景色。
そして、目の前に立つ一人の男子生徒が――元貴をじっと見つめていた。
「お前……誰だ?」
そう問いかけた彼の胸には、古びた名札が光っていた。
__________________________________________________________
若井 滉斗(2-B)
__________________________________________________________
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!