「すみません、わざわざお時間頂戴してしまいまして」「いえ、お気になさらず」
指定されたのは高級ホテルの最上階にあるラウンジの一角で、ここだけ個室のような造りになっている。
「あの、桜乃さんは?」
「ああ、結萌は部屋でシャワーを浴びてから来ると言っていますので、今暫くお待ちください」
「そうですか」
まあ、我儘な彼女の事だから原さんも逆らえないのだろう。
彼女が来るまでの間、原さんと仕事の話をしていたのだけど、途中で急激な眠気に襲われてしまう。
(何だろ……凄く、眠い)
相変わらず睡眠時間は削られているし、朝から晩まで働き詰めなのでそれも仕方ないと思うも、今日はいつになく眠気が酷い。
「南田さん、どうかしましたか?」
「いえ、ちょっと……」
いくら眠くても人がいる前で眠る訳にはいかないので、側にある水の入ったコップを手に取って一気に流し込んで目を覚まそうとしたのだけど、更に睡魔は酷くなる一方。
「……すみません、何だか少し気分が優れないので、お話はまた日を改めても大丈夫でしょうか?」
「それはいけません。タクシーをお呼びしましょうか?」
「いえ、車で少し休めば大丈夫ですので……」
「そうですか、では車までお送りしますね。すみません、お会計をお願いします」
原さんは近くに居たボーイさんに声を掛けてお会計を済ませると、睡魔と頭痛で立ちくらみを起こした私の身体を支えながら歩いてくれた。
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いえ。マネージャー業は大変ですからね。睡眠時間も削られるし、体調が優れない事、僕もよくありますよ」
そんな会話を交わしながらエレベーターに乗った所までの記憶は確かにあったのだけど、
「……南田さん?」
「…………」
原さんのその呼び掛けが微かに聞こえて来たのを最後に私の意識は闇へと堕ちていった。
そして、それからどのくらいの時間が経ったのか、ふと目を覚ました私は自分が置かれていた状況に、驚愕した。
「……え?」
私は何故かベッドの上で寝かされていたのだ。
しかも、服や下着がベッドの下に散乱していて、私は何も身に付けていない。
「な、んで……?」
あまりに衝撃的過ぎて頭が回らずに混乱する。
そこへ微かにシャワーが流れる音が聞こえて来たことで身体が酷く震え出す。
(誰か居る……。まさか私、その人と?)
今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られるも、相手を確認した方がいいのか悩むところ。
そんなさ中遠くの方で私のスマホの着信音が聞こえて来た。
(この着信音……雪蛍くんからだ……)
とにかく、一刻も早くここから出よう。
そんな思いが勝った私は急いで服を着てささっと身なりを整えると、荷物を手にして逃げるように部屋から出て行った。
私が居たのは原さんと待ち合わせたホテルの一室。
意識を失う直前まで彼が側に居た事を考えると、シャワーを浴びていたのは恐らく原さん本人かもしれない。
車に戻ってきた私はバッグからスマホを取り出して見ると、雪蛍くんからの着信やメッセージが大量に来ていた。
その時間から私は二時間近くも眠ってしまっていたようだった。
彼からのメッセージを目にした瞬間、私の瞳からは大粒の涙が溢れ出ていた。
私が電話に出ない事やメッセージを返さなくて心配している旨が書かれている。
今日原さんや桜乃さんと話をして来ると言った時、雪蛍くんは自分も同席すると言って聞かなかった。
だけど、彼も疲れているし、桜乃さんの事を嫌っているのも知っているから、私一人で行くと言った。
それなのに、こんなに心配を掛けた挙句、私は……。
(どうしよう……私、雪蛍くんに、何て説明したらいいの……?)
ホテルの一室で服や下着を着ていなかった事や誰かがシャワーを浴びていた状況、そして、酷く皺になっていたシーツ。
意識がはっきりしていなかったとは言え、私はきっと、雪蛍くん以外の男の人に身体を許してしまったのだ。
「……っ……ごめ、……雪蛍くん……」
どうすればいいのか分からない私は雪蛍くんに連絡する事も出来ず暫くその場から動けなかった。
そして、それから三十分程経った頃、ようやく落ち着きを取り戻した私は、何度目か分からない雪蛍くんからの電話に出た。
「も、もしもし……」
「莉世! 良かった、ようやく繋がった……。お前一体何処に居るんだよ!? 桜乃に聞いたらお前はとっくに帰ったって言うし、桜乃経由で原に聞いたけど同じ答えだし」
雪蛍くんのその言葉にドキッとする。
桜乃さんが来る前に私はラウンジから引き上げてしまったからその話に嘘はないけど、原さんまでもが同じ返答というのが引っかかる。
「おい、聞いてるのか!?」
「ご、ごめん……実は何だかすごく体調が悪くなっちゃったから暫く車で仮眠をとって、今さっき起きたところなの……」
「はあ? つーか、平気なのかよ?」
「うん、もう大丈夫。これからアパートに帰るから」
「マンションに来いよ」
「ごめんね、今日はちょっと……もう少し休みたいから……」
「……分かった。アパート着いたら必ず連絡しろよ、いいな?」
「うん。心配かけてごめんね」
何とか平常心を保ったまま雪蛍くんとの電話を終えた私は何だか本当に具合が悪くなってしまい、頭痛や吐き気に耐えながら何とかアパートへ帰り着いたのだけど、この日以降私は本格的に身体を壊してしまったようで、暫く仕事に行く事が出来なくなってしまうのだった。
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