僕の弟は昔から体が弱かった。
流行りの病には絶対かかるし、季節の変わり目には風邪を引く。
その度に学校を休む代わりに、僕は帰ってからお世話をしてあげて、今日の勉強を宿題代わりに教えてあげて、一緒にバーモンドカレーの甘口を食べる。
それは高校まで続いた。
僕たちは他の兄弟や双子よりも特段仲が良かったから彼も嫌がらないで。僕も、大好きな弟だから。
社会人になってからも。回数は減ったものの体を壊して寝込んでいることはよくある。そういう時は仕事を早く終わらせて、言の家に飛んで行って、看病をしてあげる。
僕の大好きな、唯一無二の弟だから。
朝からオフィスに行く日で、到着した後に弟からLINEで「やすむ 言っておいて」と入っていた。
ふくらさんに言う前に、何かあったのかと訊く。直ぐに返信が返ってきた。「風邪ひいた」と。
すぐさまふくらさんの元へ駆け寄ると彼はふわふわした声で声をかけてくれた?
「どうしたの?」
「言が酷い風邪ひいて休むらしいんですけど、」
彼は笑って、何かを企んでいるような雰囲気を醸し出している。
「心配なんでしょ。今日は休みにしておくから、早く行っておいで」
「いいんですか」
「だって問、いかにも心配そうな顔してるよ」
僕はお礼もほどほどに、オフィスを飛び出した。
早く問ちゃんに会いたいな――ぼーっと、ベッドに横たわったまま天井を見上げて思っている。
体が火照って熱い。この感じは何十回も、何百回も経験しても嫌だ。喉もカラカラで頭も重い。頑張って床に足をつけて、水を取りに行こうと歩き出す。
昔からそうだ。俺は体調を崩しやすい。1回崩すとすこぶる悪くなる。そのせいでまともに学校に行けていない。
それでも問が勉強を教えてくれたから。そのおかげで俺は今東京大学に行けている。
冷蔵庫を開けようと力を入れるも上手く入らない。風邪でここまでやられるとは。
そのまま床に座り込む。床のひんやりした感触が気持ちいい。
寝っ転がって、また天井を見上げる。
ふと子供の頃、問が俺の頭を撫でていた感触が蘇る。温かい手が俺の髪をふわふわと撫でて、早く元気になってね、って。
閉じていた瞼を開けてみると、そこには会いたいと願っていた人物が。
あのころと同じように、俺の髪を柔らかな手で撫でている。
「食べ物買ってきたよ。ほらおいで」
問ちゃんが当然のようにいることはもう、気にしたって仕様がない。どうせふくらさんか河村さんにことわって来たんだ。
重い腰を上げて、ベッドに行った問ちゃんの後を追う。
「何食べる?」
「みず」
カスカスの声しか出ない。聞こえたかも危ういのに問ちゃんは水を手渡してくる。
ありがとうも言わずにキャップを開けようとしても、また力が入らない。どれだけ衰弱しているのか。
「…もんちゃん」
問ちゃんに助けを求める。ポリ袋を漁っていた彼は俺から水を取り上げて、キャップを開けて渡す。
「何もしなくていいからね、何食べる?」
「…なんでもいい」
「おっけー」
俺の額に冷えピタを貼って、ベッドの横に経口補水液を置く。
それから俺をベッドに入れて、毛布をかけて台所へ行こうとする。
「もん」
そんな彼の服を引っ張って、ほぼ息遣いのような声で呼ぶ。
「風邪の時は暖かくして寝てるのが一番だよ、ちょっとまってて」
俺の手の甲にキスをして、今度こそ台所に行った。
キスに満足した俺は、しばらく目を瞑っていると寝てしまった。
目を開けて枕元の携帯で時間を見る。午前の11時。
水を持って問ちゃんがいるはずであるリビングへ行く。
「あ、起きた?今持ってくるから」
問ちゃんと向かいあわせの席に座って、彼がテーブルに広げていたクイズの問題集を眺める。
「どーぞ」
問ちゃんが味噌汁とみかんゼリーを持ってきてくれる。
「僕が作ったの。早く元気になってね」
ありがとう、と言おうと思ったが俺の口から出たのは酷い咳だった。
もんちゃん、マスクした方がいいよ、とスマホに打ち込んでみせる。
「ありがと」
きっと家の主にはマスクをさせない主義なんだろうか。はたまた弟に息苦しい思いをさせたくないからだろうか。
とやかくお腹に食べ物を入れようと、味噌汁を口に含む。温かくて体の芯から温まる。
「おいしい」
ちゃんと言おうと思ったのにまた声が出ない。それでもその雰囲気を感じて、問ちゃんがまた感謝を述べる。
「僕たちテレパシー使えるから。喋らなくても僕が全部尽くすよ」
なんて言ったって、言ちゃんのお兄ちゃんだから――誇らしそうに胸を張る問ちゃんは、確かに顔でそう言っていた。
それから味噌汁をゆっくり飲んで、また布団に潜り込んだ。
問ちゃんはベッドの隣に椅子を置いて腰掛けて、静かに本を読んでいる。
目を閉じていたけれど中々寝付けなくて、隣にいる問ちゃんの横顔を見つめる。
垂れ目にサラサラの髪の毛。
かっこいい兄に溺愛されて、俺は幸せだなあ――そう思いながら問ちゃんを見つめていると、ふと目が合う。
「どうしたの?」
なんでもない、そう伝えたつもりが問ちゃんはまだ首を傾げている。
「んー、わかんないや。文字で教えて」
携帯に”大好き”と打って見せると、みるみる問ちゃんの頬が赤くなる。そんなに刺激が強かったか。
「僕もだよ、言ちゃん」
抱きつきたそうにこちらを見ている。
問ちゃんを満たせるのは今のところ俺しかいないんだ。
重い上半身を持ち上げて、両手を広げる。
「おいで」
問ちゃんが飛びついてきて、一緒に布団に入る。
「あったかい、言ちゃんの匂いがする」
仕事を休んでまで来てくれたんだから、今度は俺が恩を返す番だ。
「起きたらカレー作るよ、ちょっとでもいいから食べてくれる?」
静かに頷いて、ふっと口角を上げた。
ふたりで腕を背中に回して、俺たちは俺たちだけの夢の中へ落ちていった。
俺の大好きな兄へ、お前は唯一無二の俺の兄だ。
fin
コメント
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語彙がすげぇ、 さすがですわ