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1時間ぐらいは車に揺られていただろうか。
窓の外に流れていく景色は、最初こそ見慣れた街並みだったのに、いつの間にか建物の密度が減っていき、背の低い倉庫や広い空き地が目立つようになっていた。
東京に住んでいると言っても、私は都内をくまなく知り尽くしているわけじゃない。
駅と家とダンジョン、それから職場とコンビニ。日常の行動範囲なんてその程度だ。だから今、自分がどのあたりに居るのかはさっぱり分からない。
ただ、背の高いフェンスと、遠くに見える鉄塔のようなアンテナ群、そしてところどころに立っている迷彩服の人影を見れば、ここがどこかの自衛隊基地だということぐらいは理解できた。
車が停まり、黒服が無言でドアを開けてくれる。
示された方へ降りると、乾いたアスファルトの匂いと、わずかに油の混じった金属の匂いが鼻をくすぐった。
黒服の後ろに付いて歩き、人気の少ない通路を曲がって、さらに奥へ。
無機質な白い壁と、どこにでもありそうな天井の蛍光灯。けれど、窓の外にチラリと見えた戦闘車両の影が、ここが「非日常」の真ん中だと教えてくる。
しばらく歩いて、建物の中の1室に通された。ノックの音に続き、黒服が扉を開ける。
「よう、嬢ちゃん。昨日ぶりじゃな」
最初に飛び込んできたのは、聞き覚えのある、よく通る老人の声だった。
「相田さん……だったっけ。昨日ぶり」
部屋の中ほどの椅子に腰掛けていたその人――相田さんは、昨日玄関前で会ったときと変わらない、飄々とした笑みを浮かべていた。
その姿だけ見れば、近所の公園で将棋を指しているおじいちゃんと大差ない。けれど、その身体に刻まれた古い傷跡と、立っているだけで空気が引き締まるような存在感が、冗談じゃなく「偉い人」なのだと主張している。
ここに向かっている途中、私はスマホでこっそり自衛隊の階級表を調べた。
そして知ってしまった。
――この人、上から二番目の階級って書かれてたんですけど。
正直、胃が痛くなった。けど、だからといって態度を変える気はない。
私は呼ばれて来ている身だし、命を懸けて戦ったのは実際のところ私の方だ。
年長者であることは尊重するけど、立場としては対等。だから、敬語は使わない。そう決めた。
「情報部の林です。よろしくお願いします」
隣に座っていた、細身で神経質そうな男が、かしこまった口調で名乗った。
いかにも「情報部です」と言わんばかりの、メガネにスーツ、きっちり整えた髪型。テンプレートみたいで逆に感心してしまう。
「あ、そうだ。どうやって特定したか聞きたかったんだよね」
正直な話、対策本部がどうとかよりも、そっちの方が気になっていた。
【神速】で視界から完全に消えて、そのまま駅から離脱したはずなのに、たったの3日で自宅まで特定されたのだ。
気味が悪いと言えば、少しは悪い。
林さんが、メガネのブリッジを指でくいっと押し上げてから、早口で話し始めた。
「人工衛星です。対策本部から連絡があったときから衛星を使って渋谷駅を確認していました。人化牛を貴女が倒した後、渋谷駅から半径10キロの駐車場を洗いざらい探して……」
衛星。
その単語だけで、昔ニュースで見た軌道上の機械を思い出す。
そこから、さらに話が続く。
「あれだけのことがあったのに普通に車を動かしてるところを発見しました。その近くの防犯カメラから車種と番号を特定して、後はそこから所有者を特定し貴女であることがわかりました」
マシンガントーク。
情報を出し惜しみする気ゼロのその説明は、正直、半分ぐらいしか頭に入ってこなかった。
けれど、「上から見て」「全部洗い出して」「カメラで追って」「所有者を突き止めた」という流れなのは分かる。
……つまり、私の消え方が悪かったんだろう。
あれだけ派手に暴れて、その足でいつも通り車を運転してれば、そりゃあ怪しまれるか。
林さんは話し終えると、どこか誇らしげに胸を張っていた。
失礼にならない程度に扱うなら――ここは、拍手だ。
「おお……」
パチパチ、と軽く手を叩くと、林さんはさらに得意そうにメガネを押し上げた。
「さて、儂から本題に入らせてもらおう。日本は……いや、世界は今、危機を迎えている」
そこで、相田さんが重く口を開いた。
先ほどまでの柔らかい空気がすっと引き締まり、室内の温度が少し下がったように感じる。
確かに、その通りだ。
ダンジョン――この世界では「異次元亀裂」と呼ばれているらしいソレは、世界各地で発生している。
ニュースでは、アメリカがモンスターの大群を核で吹き飛ばしたとか、ヨーロッパの某都市がほぼ壊滅したとか、物騒な単語が毎日のように飛び交っている。
この前の渋谷駅もそうだ。
現代兵器の象徴みたいな戦車砲が直撃しても、ミノタウロスにはかすり傷ひとつ付かない。
「人間の側の常識」が通じない相手が、当たり前のように出てきている。
「儂らが分かっている事は3つ。亀裂の中に入ると別世界が広がっていること、亀裂に入ると超常的な力が手に入ること。そして一定の期間亀裂に入らないと異形のモノが出てくること」
「そこまで分かっているなら何を聞きたいの……?」
思わず本音が口から滑り出た。
ダンジョンの基本仕様とも言える部分を完全に理解しているのなら、後は攻略するだけじゃないか――というのが率直な疑問だ。
相田さんは、言いづらそうに一度だけ息を吐いてから続けた。
「儂らの実力不足が露呈するようで言いたくないが……超常的な力――スキルがあっても倒せない異形が居る。他のやつより一際大きい異形だ。銃も効かず原始的な武器で戦うしかない」
「そうだね。【剣術】や【槍術】だったりね」
私は頷いた。
スキルには、現代兵器に対応したものがほとんど存在しない。
あったとしても、それが真に機能するのはダンジョンの内部だけだ。
銃器や戦車砲を強化するスキルなんてものは、少なくとも私の知る限り存在しない。
代わりに多いのは、剣、槍、弓、素手……そういった、どこか古臭くて原始的な武器を対象としたスキルばかり。
例外的に【魔法】と【支援】スキルがあるけれど、それもまた「兵器」ではなく「個人」の能力だ。
「儂らは兵器を扱うのに慣れてはいても原始的な武器を扱うのには慣れていない。練度不足と言えばソレまでなのだが……今は一刻を争う。異形が出てくるのを防ぐために死刑囚を使ってはいるが限りがある」
初めて聞く話だった。
他国ではダンジョンからモンスターが溢れ出している映像が散々流されているのに、日本は比較的落ち着いているように見えていた。
その裏側で、そんなことをしていたなんて。
死刑囚を使っての攻略。
倫理的にどうとかいう話は、この状況で意味を持つのだろうか。
そう考えかけて、頭を振った。今、私が考えるべきはそこじゃない。
「それで? 対策本部が私に求めることは?」
問いかけると、相田さんの視線がまっすぐこちらに向けられた。
「話が早くて助かる。亀裂を塞ぐ術を教えて欲しい」
「それならさっき言ってた一回り大きいやつを倒せば消えるよ」
「やはりか……」
一回り大きい異形――ボス。
突発型ダンジョンなら、その個体を倒すことで亀裂は消滅する。
持続型の場合は残るが、そのあたりは、この話が一区切りついてから説明すればいいだろう。
「力を、貸してほしい」
短く、けれど重い言葉だった。
「具体的には?」
「儂らの現状では亀裂を塞げない。できるだけ可能な限り亀裂を塞いでほしい」
相田さんが、すっと椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。
――あぁ、この人はやっぱり「いい人」なんだ。
自分の立場やプライドよりも、今この瞬間、何を優先しなければならないのかを理解していて、そのうえで頭を下げられる人。
こういう人には、私もそれなりに応えたくなる。
……決して、「合法的にダンジョン行き放題」「合法的にレベル上げし放題」という甘い響きに釣られたわけではない。
多分、きっと、おそらく。
「分かったよ。明日から可能な限り攻略する。手続きとか無しで入れるようにしてくれる?」
「助かる……。林、すぐに特例許可証を発行しろ」
「承知しました。失礼します」
林さんがまた素早く立ち上がり、足早に部屋を出ていった。
仕事が早い。顎で使われている感は否めないけれど、こういう人がいるから組織は回るんだろう。
――で。これで、ダンジョン入り放題ってことかな?
「私の行ける範囲で行くから亀裂……ダンジョンの位置情報の一覧とかって貰えたりする?」
「嬢ちゃんはダンジョンって呼んでるのか、横文字のほうが若者に浸透しやすいかもな。異形はなんて呼んでいる?」
「モンスターだよ」
「なるほど。そっちに統一しよう。位置情報に関しては書類に纏めて林に持ってこさせよう」
「ありがとう。あと、私が連れてく人も入れるようにして欲しいかな」
「良いぞ。嬢ちゃんが連れている人なら何人でも入れるようにしておく」
よし。
これで、沙耶のレベル上げも堂々とできるし、機会を見て小森ちゃんと七海も連れて行ってみよう。
いい感じのスキル構成に育てられたら、バランスのいいパーティーが組めるかもしれない。
その後、私は相田さんに、今の世界で把握しているダンジョン関連の基礎情報を一通り話した。
モンスターが溢れ出る周期、スキルと|技能《アーツ》の関係性とレベルの伸び方、ダンジョン攻略時に手に入る金貨のこと――そして、それが「いずれ通貨になる」ことも。
金貨の話になると、相田さんの目の色が明らかに変わった。
軍事としてだけでなく、経済としての影響もすぐに計算しているのだろう。
色々と話を詰めているうちに、相田さんは腕を組んで考え込んでしまった。
――なるべく早く通貨が変わってくれると助かるんだけどなぁ。
アイテム袋の奥底で眠っている、約四千万枚の金貨。
あれが一気に紙くずから「資産」に変わってくれたら、色々と楽になるのに。
そんなことを思いながら、サンプルとして数枚の金貨を渡しておいた。
そうこうしているうちに、ノックの音がして林さんが戻ってきた。
「こちらが許可証です。そして現在我々が把握している亀裂のリストです」
差し出されたのは、ICカードのような硬いカードが1枚と、厚みのある紙の束。
カードには、相田さんの階級章と同じマークが刻まれている。仕組みは分からないけど、要するに「このカードを見せれば大体通れる」ということなのだろう。
問題は、紙の束の方だ。
手に取ると、ずしりとした重みが伝わってくる。ざっと見ただけでも、200枚はあるだろうか。
都道府県ごとに分かれていて、各シートに30のダンジョンが記載されている。
東京都だけで40枚。つまり、都内だけで1200箇所以上のダンジョンがある計算だ。
その中に、私の知っている「下水道ダンジョン」の情報は無い。
一度も出現していないのか、単にまだ発見されていないだけなのか。
「ありがとう。行けるところから潰してくよ」
「恩に着る。明日からよろしく頼む。我々は地方のダンジョンに出向こう」
相田さんがそう言った。
私と対立しないように、つまり「ダンジョン取り合い」になるのを防ぐために、わざわざ行先をずらしてくれているのだろう。
その配慮に軽く感心しつつ、私は口を開いた。
「東京都内の下水道。調べたほうが良いよ」
「……なに? 地上だけではないのか!?」
「うん、多分もう溢れてる。しっかり武装しないと大変かも」
「貴重な情報をありがとう。林、今すぐ裏を取れ」
「はい!」
林さんがまた飛び出していく。
この人、今日だけで何往復しているんだろう……と、どうでもいいことを考えてしまった。
相田さんは腕を組みながら、何かぶつぶつと独り言を呟いている。
要件はほぼ済んだ。もうそろそろ帰りたい。
――あ、そうだ。最後にひとつ確認しておかないと。
「そう言えば私が何者だとかは気にしないの?」
私の問いに、相田さんは即座に答えた。
「嬢ちゃんが何者か気にしてるやつは沢山居るぞ。政府の人間とか大企業の社長とかな。だが、皆自身の保身のために嬢ちゃんを利用したいだけなんだ。儂らは嬢ちゃんが何者なんて些細な事はどうでもいい。例え悪魔であろうが鬼であろうがな」
屈託のない笑みと共に続けられた言葉は、思っていた以上に真っ直ぐで、少しくすぐったい。
「儂は嬢ちゃんが自分の意思で渋谷で戦ったことを知っている。八王子に住んでる嬢ちゃんがモンスターが溢れ出るって分かってる日に渋谷に出向いたんだ。この国の|英雄《ヒーロー》を信じないで何を信じるってんだ?」
真正面からそんなふうに言われると、さすがに照れる。
頬が熱くなっていくのを誤魔化すように、人差し指でそこを掻いた。
「ダンジョンから溢れ出るって知ってるの分かってたんだね」
「少しでも考える頭があれば分かることだ。じゃなきゃあの日あそこに居た辻褄が合わない」
「お手上げだなぁ……」
本当に、人が出来すぎている。
こういう人が上に立っているのなら、この国はしばらくの間は、きっと大丈夫だ。
私は席から立ち上がり、相田さんに向かって右手を差し出した。
「結束の握手。私は攻略と情報を」
「儂はダンジョンの位置と情報の統制を」
互いの手がしっかりと握られ、短く、しかし力強く上下に振られる。
その瞬間、この国の未来が少しだけマシな方向に進んだ――そんな予感がした。
握手を終え、私は対策本部の部屋を後にした。
基地の建物を出ると、少し強めの風が頬を撫でていく。
空はよく晴れていて、さっきまで室内で感じていた重苦しさが、少しだけ遠くに感じられた。
そこでふと気づく。
――どうやって帰ろう……?
ここがどこの基地なのかすら分からない。
いい感じに話をまとめておきながら、「すみません、帰り方が分からないので案内してもらえますか」と戻るのは、なかなかに恥ずかしい。
どうしようかと考えあぐねていると、正面のゲートの向こうから、見覚えのある黒い車が滑るように近づいてきた。
あっという間に私の目の前で停車し、運転席からさっきの黒服が降りてくる。
「相田陸将からお送りしろ、と」
「ありがとう。戻ったらとても感謝してたって伝えておいて……」
口から出た瞬間、自分で言っておきながら顔が熱くなる。
――何だこの、思春期みたいな台詞。
赤面するほど気恥ずかしくなって、私はそのままそそくさと車に乗り込んだ。