テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「はぁー」
名前はベンチでお腹を撫でて、お弁当に手を合わせた。
「ご馳走さまでしたぁ…んー…」
ざぁあ、と桜が吹雪いて名前は髪を押さえる。伸びをした。
「先輩たちいつも所轄の書類に文句しか言わないし…わたしはいつも資料庫と往復だし…あぁ…自然ってすごいやあ。お腹も元気も満タンだあ~」
あはは、と桜の木の下に座り見上げる。
「きみはすごいねぇ」
桜が揺れる。
「ずっと何を見てきたのかな」
暖かい空気が頬を撫で、名前はうと…と瞼が重たくなる。
「ちょっとだけ…」
と名前はその木の幹に寄りかかり、だんだんずり落ちていく。
「すぐ……起きる…から」
名前は桜の木の下で横になってしまった。
まるでお風呂に入っているみたい。春が終わればすぐ夏だ。夏は長野といえど暑いから、もうしばらくしたら外で休憩できなくなる。
だから少しだけ……名前は完全に眠ってしまった。
かさ…と草を踏む音がしていたが、夢か現実かわからない。近づいてくる。
「(…だれ……)」
そのまま自分を覗きこんだのもわかっていた。でも影でよく見えない。
「春眠、暁を覚えずーー」
はっ!と名前は目が覚めた。ざあっ…とまた桜が吹雪く。
「え、これ…」
自分にスーツの上着がかかっている。そうだ、寝てしまって……夢うつつに誰かの存在を感じたが思い出せない。
辺りを見回すが、犬と散歩する老婆…ベビーカーを押す女性…休憩しているサラリーマンーーどんどん視界を上にあげていく。名前の職場が木の上に見える。
長野県警ーー…名前はまたはっとした。
「や!今何時!?やばーい!急がなきゃ…!」
走り戻りなんとかベルに間に合い、名前はそのスーツを椅子にかけた。
「誰が…」
私にかけてくれたのなら、その人だけはスーツの上着がないはず。名前はちら、と辺りを見回したが、今日は気温が高かった。上着を脱いでいる人間が多い。それは外にいた警官以外も例外はない。だから県警の人間がかけてくれたとは限らないが、名前は確信していた。
「(あの紋章の跡…外されてたけど桜の形をしてた…絶対警察官の人……)」
だが外はまだ風があると肌寒い。早く持ち主を探さないと…
「名字」
「はいっ!」
ぎょ、と名前は振り向く。走ってカウンターに行くときにちょっとこけそうになりながら。
「お、お疲れ様です」
敬礼する名前にばん!と書類が出されてひっ、とたまらず肩をすくめる。
「ナンバープレートの照合。今すぐだ」
「はぃい……」
名前はよろよろ戻る。
「大和警部」
はあ、と他の刑事が呆れた顔でいう。
「いくら新卒の名字でも頼み方ってもんがあるでしょう?」
「るせぇ。こっちは急いでんだんなことやってる間に犯人が…まだか!」
「きゃー…」
名前はすごい勢いでエンターを押しコピー機に走る。
「すっ、すぐ!すぐ…」
「あ、かんちゃ…大和警部!」
と後ろから上原刑事。
「また指示無視して勝手に動いて!」
ひぃー…と名前はまたよろけながらカウンターにそれを向きを変えているうちにもぎ取られた。
「ごめんなさいね、名字さん。いつもいつも」
「い、いえ!」
名前はまた敬礼した。
「私にできることならいつでも……」
「てめぇ、いつもふ抜けた顔しやがってなーーまったく新卒ってのは危機感が足りねーんだよ!き、き、か、ん!」
「ご、ごめんにゃさ…」
一課の大和警部。こわい。
「かんちゃんいい加減にして!ごめんなさい名字さん。ほんとに失礼な無理なお願いをいつも…」
上原刑事、優しい。
「杞人憂天…」
かつ、かつ、と階段から音がしてやがて彼は大和警部の隣から名前を見た。
「きじんゆうてん。中国の周代に存在した杞国の人のことです。杞の国の人が、天が落ち、地が崩れることを心配して、食事も睡眠も取れなくなったという逸話が由来です」
「諸伏警部……」
難しい。名前はただ見ていた。ふ、と目が合い名前はぱちくりする。
「取り越し苦労。彼女には十分危機感はありますから…」
「なんでそんなこと知ってんだよ、高明」
「急いでいたのでは?」
と逆に返され大和警部はふん!と言いながら背を向けた。
「お、お気をつけーー」
名前は後ろを向いた諸伏警部の襟の裏からーー桜がひとひら、目の前までふわりと落ちてきたのを瞬きもせずに見ていた。
はっ!と名前は声をかける。
「諸伏警部…!」
全員は振り向く。名前は上着を持ってカウンターから出た。
「っも、諸伏警部……昼間…もしかして外出されたのでは…」
「なぜ?」
まるで先生のような視線に、名前は上着を抱き締める。
「襟の裏から桜が…わたし桜の木の下で眠ってしまって…そしたらこれが」
と上着を見せる。
「それがわたしのものだと?」
「桜の木の下で寝てたぁ!?」
はあ!?という大和警部に上原刑事が肩を引いた。
「は、はい…」
名前は上着を着ていない諸伏に一気にそばに寄って首元まで顔を近づけた。
「やっぱり!」
名前は満面の笑みになり、上着を両手で渡した。
「おんなじ匂いだもん!」
どっと交通課は笑いに包まれた。
「とんだ【迷】探偵だよ」
「クリーニングして返し…」
「だから言ったでしょう」
と諸伏はそれを着る。ふ、と笑みを浮かべて。
取り越し苦労だとーー…
急に鳴り響いたベルに皆が頭上のスピーカーを見た。
「2丁目のスクランブル交差点で車が飛び込んできた事故発生!!重軽傷者多数!!至急!!至急交通課に整備を要請!!映像出しますーー繰り返します…」
「ひどい……」
皆あがる黒煙の規模と、パニックになった交差点で人だらけの映像を見て唖然とした。
未だ処置がされず転がっているような人を見て、名前は真っ青になった。
「何ぼさっとしてーー」
大和警部が口にした瞬間、何かが風のように横を通りすぎた。
「名字さん!!」
上原が叫ぶ。名前は一目散にパトカーに向かう。
「…え!?」
捜査一課の全員が名前のパトカーに乗り込む。
「早く出せ!」
「規制には人数が要るわ!手伝います!」
何か言いたげに助手席の諸伏が口を開こうとした瞬間だった。名前はハンドルを握り締め表情が変わる。
「諸伏さん」
「はい」
「今だけはーー」
ガチッ!とギアを引く名前に皆静まり返る。
「難しいこと!言わないでーー!」
弾丸のように発車したパトカーに上原は悲鳴をあげた。
「警察車両!通ります!道を開けて!!」
名前はスピーカーに叫び、踏み切りの点滅する信号に向かってアクセルを踏み込む。
「きゃあーー!!」
踏み切りのバーを軽々と飛び越え、名前はさらにスピードをあげる。80キロ近く出ていた。ちら、とそれを見る諸伏。
「わかってる!!」
と名前は叫んだ。またギアを引くが、角を曲がった瞬間悲鳴と人の波、大量に動けなくなった車で通れる状態ではなかった。名前はたくさんのサイレンが追ってくるのを聞きながら車から降りて走り出した。
「警察です!!緊急車両が通ります!道を開けて!!お願い!!」
「無理言うなよ!」
と怒号に名前ははっとする。
「前が行かねーから動けねぇんだよ!」
「ああ!?こっちだって同じだよバカが!」
「なんだと!?」
たくさんの人間に肩を当たられ、名前はようやく心臓が動いた気がした。
だめだ……こんなの制御できない……!人数がまったく足りない!!
名前は心肺蘇生法をしている救急隊員に叫んだ。
「救急車が通れない!!」
「負傷者が多く、我々も重傷者から離れません…!」
「隊長!心肺さがっています!」
遠くからたくさんの医療従事者が駆けてくる。
「ああ!みほちゃん!みほちゃん!目を開けて!!」
「下がって!AEDは!?」
お姉ちゃーん!
目の前の横断歩道から渡ってくるその声がした気がした。
「名字さん」
はっ!と名前は振り向いた。
「私達は人々の避難を最優先します」
「上原!」
「はい!」
「救急車が通れません!交通規制を!!はやく!」
隊員が叫ぶ。
名前の頭のなかはぐちゃぐちゃだった。何をしたらいいかわからないーー足が動かないーー
「邯鄲之歩」
名前は唖然とした。
「も、諸伏警部…今そんなーー」
ぐっ、と諸伏は名前の両腕を押さえる。
「燕の田舎者が、趙の都・邯鄲の人々の洗練された歩き方を真似ようとしたが、習得できず、自分の歩き方まで忘れてしまった」
「意味わかんな…」
「あなたらしく」
「!」
そのときすべての音が戻ってきて、名前は泣いていた目を拭った。
パトカーからスピーカーに向かい、すぅ!と息をした。
「うるさぁああああああああい!!!」
全員が一瞬静まり返り、聞こえるのは届かないサイレン。
「今から交通規制を始めます!!目の前の警察官に運転手は従いなさい!!!」
「ばっかやろーー!協力したくたって前が……」
名前はばん!!とその車の前に手をつけた。
「今!!目の前で大事故が起きました!わたしはーーわたしはあなたたちの命も守る義務があります!!」
あなたを助ける!!
名前はまたスピーカーをとる。
「そしてーー!自分の命も守れないやつに…ハンドルを握る資格はない!!!今すぐ!!今すぐにぎりぎりまでお互い譲り合ってーー」
道を開けなさいーー!!
あまりの迫力に唖然としていた運転手たちが辺りを見回した。誰かが手をあげる。
「まだこっち下がれるぞ!」
「歩道に移動できるか!?」
「動ける人はこちらから!」
「まだこっちにも停まれる!」
はあ…と名前は飛び出しそうな心臓を握り締め前を見た。開いた道を縫い、救急車がゆっくり動き出していた。
名前はまたたくさんの横たわった人たちにはっとする。
「誰か!医療従事者はいらっしゃいませんか!!」
「はい!」
「医大生です」
「AEDくらいしか使えないけど…」
「構いません!!ご協力お願いします!」
「誰か!止血の為にここを押さえていてくれませんか!」
「12345678910…!意識戻りません!」
「首が折れてる!」
「教科書で補強したら!?」
現場は避難と救助がスムーズに進み、名前は辺りを荒れた息で見回した。
犯人を通り押さえている大和警部たちが頷く。
名前はようやく床に崩れ落ちた。
最後の救急車を見送り、名前はパトカーに戻ろうとしてふらりとした。わかっていたがあまりの疲れに手がつけそうにない…
「…え?」
誰かに支えられて、一瞬名前は口を開けた。
「…邯鄲の歩の若者は」
と諸伏は名前の肩を抱いたまま歩きだす。
「真似をするあまり、歩き方自体を忘れてーー帰るときは這っていったそうです」
諸伏は名前を見下ろす。
「でも、あなたは違う」
名前の顔は涙で歪んでいった。
「自分の歩き方で、今歩いています。お疲れ様でした…」
「わたしは!」
名前は立ち止まる。
「…警察官になってはいけなかった」
少し前から諸伏が振り向く。
お姉ちゃん!おかえりー!
「名字さん」
「弟は…わたしのせいで死にました…」
飲酒運転でした…と蚊の鳴く声で呟く。
「犯人は即死…弟は…横断歩道の向こう側からわたしが呼んだから…青信号で渡ってきてしまった」
でも、と名前はさらに俯く。
事故に遭う瞬間、名前は弟に押されていた。
膝で冷たくなっていく弟の重みに、名前はスカートを震えながら握り締める。
「…許してなんて言えない」
涙がぼろぼろ零れた。
「あのときも大渋滞だった…救急車は弟が息をしなくなってもまだ来なかった…それで警察官になった…交通課に配属願をだして…まるで贖罪みたいに…でも今日も!」
名前は顔を覆う。
「たくさんの人を助けられなかった…!わたしはもうーー」
急に名前は何が起きたかわからなかった。
耳元から諸伏の声がするまで。抱き締められていると。
「それ以上は言ってはいけません」
「…」
「あなたは、自分が選んだ道の責任をとらなければならない」
警察官という道を選んだ、責任を…
名前は泣き崩れた。それでも、諸伏は一緒に崩れて抱き締め続けた。
「最初は倒れているのかと思いました。でもよく見たらすやすや寝てるわけであって」
「名字さんらしいわね…」
くすくすと上原。
「あんのバカ…本当に警察学校出たのかよ?」
「ただ…彼女を甘く見るのはおすすめしませんよ。大和警部…」
と胸元に手を当てて出て行った。
「は?」
諸伏はスーツの胸元から名刺を取り出した。名字名前ーーと書かれている。
裏を見る。
お礼にお食事させてくれませんか?
080…
気づいたのはずっと後だった。返されたとき入れた様子はなかった。おそらく持ち帰りすぐに書いて入れたのだろう。
相手が誰かも知らずに。
「…情窦初开」
ぼそ、と諸伏は呟いて。少し笑いながら。交通課のカウンターへ立つ。
「あ、諸伏警部!」
名前はすぐに目の前に来て笑みを見せた。
「今日はなにか?」
と首を傾げる名前に、諸伏は名刺を取り出して見せた。
「あ、それ…」
「あなたのことを知りたい」
名前はきょとんとして立ち尽くした。
だんだんわなわな赤くなる。
「えそ…それって…ど、どんなことわざですか…」
「そのままの意味です。あなたが知りたくなった。ことわざにもできますが、私も…」
自分の言葉で伝えたいとーー
「そう、思っただけです」
「…」
「いけませんか?」
名前ははっと首を振る。
「では…行きましょうか」
「え??行くってどこ…」
昼休みのベルが鳴る。名前は彼の胸元にある桜の紋章に、満面の笑みでお弁当を持った。
「はい!」
コメント
1件
🌸読了したよ〜!!もう最初から最後までドキドキが止まらなかった!!😭💕 名前ちゃん、桜の木の下でお昼寝しちゃう天然さとか、スーツの匂いで諸伏警部を特定する嗅覚の鋭さとか、ギャップ萌えがすごい…!しかも事故現場で「うるさぁああああ!!」って怒鳴るシーン、めっちゃ鳥肌立ったよ…!自分の弱さと向き合いながらも、ちゃんと自分の歩き方で進んでるってところが本当にエモい…! そして諸伏警部の「あなたのことを知りたい」ってストレートすぎるだろ〜!!もう続きが気になって仕方ないよ!!次の話も絶対読むね!!✨