第21章「空席」
翌朝――いつも通りに始まるはずだった教室に、ひとつだけ空いたままの席があった。
霧島 涼。出席番号27番。
名前はまだ名簿にあるのに、本人の姿はどこにもなかった。
担任が淡々と口にする。
「霧島くんは、家庭の事情で本日より転校しました。」
その言葉が、美咲の中を鈍器のように殴りつけた。
「……え?」
誰かが、笑いながら噂する。
「なんか昨日、先生と話してたらしいよ。“もういいです”って言ったんだって。」
「“もういいです”?……なにそれ……」
美咲の手が震える。陽翔の表情も固まっていた。
「アイツ、そんなの一言も……」
胸の奥が、ぐらぐらと揺れ始める。
涼がいなくなったことよりも――いなくなるまで何も言ってくれなかったことが、痛かった。
探すという罰
その日の放課後、美咲と陽翔は無言のまま走った。
駅前。公園。旧校舎。図書室。
どこにも涼はいなかった。
「なぁ、美咲……あいつ、最初から――いなくなるつもりだったのか?」
陽翔の声は、かすれていた。
「わからない……でも……」
美咲は、両膝をついた。
「でも……っ、私、ちゃんと“ごめんね”って言ってなかった……!あの子、ずっと苦しかったのに、私たち……気づいてあげなかった……」
陽翔も立っていられず、その場にしゃがみ込む。
「言われたくなかった。傷つけたくなかった。……そればっか考えてた。涼が、あんな顔して話してくれたのに……俺、あいつのこと“恨んだまま”だった。」
ふたりは黙ったまま、空っぽの世界にうずくまる。
その姿は、まるで『罰を受けるように涼を探し続ける“罪人”』のようだった。
第23章「届かなかった声」
数日後――涼の使っていた机には、新しい生徒の名前が貼られた。
朝のホームルーム、美咲はそっと手紙を取り出して机に忍ばせた。
《涼へ。あなたがどこにいるのか、今はもうわかりません。でも、伝えたいことがあります。あなたがいた時間は、私たちにとって本当に“必要な痛み”でした。私はもう逃げない。ありがとう。そして――ごめんね。》
陽翔も、無言で机に小さなノートを置いた。
そこには、こうだけ書かれていた。
《俺もちゃんと、立ち止まる。お前が壊してくれたから、俺は変われる。だから……どっかで見てろ、バカ。》
机に置かれた二通の言葉は、涼には届かない。
――でも、彼が遺した“爪痕”は、確かにふたりを変えた。
墓前での再会
蝉の声がまだ残る、初秋の午後。
美咲と陽翔は並んで坂道を登っていた。
目的は、陽翔の父と、美咲の祖母――ふたりの親族が並ぶ墓地。
あの事故から、そして涼が消えてから、ちょうど3ヶ月が経っていた。
「涼……今、どこで何してんだろな。」
ぽつりと陽翔が呟く。
「……ちゃんと、ご飯食べてるかな。」
美咲もつぶやく。
ふたりはもう、“怒り”ではなく、“残されたもの”と向き合っていた。
やがて、墓前に着いた。
花を供え、線香を立て、手を合わせる。
そのときだった。
「……久しぶりだな」
後ろから、低く落ち着いた声。
ふたりは、ハッとして振り向いた。
そこに立っていたのは――霧島 涼だった。
黒いシャツに細身のジーンズ、少し伸びた髪、そしてどこかやつれた顔。
けれど、あの頃よりずっと柔らかい目をしていた。
「……涼……?」
美咲の声が震える。
「なんで……ここに……」
「……お前らが来る気がしてた」
涼は静かに笑った。
「俺の父さんも、ここのすぐ隣に眠ってる。久々に来たら……案の定、お前らもいた」
沈黙。
蝉の声が遠ざかる。
陽翔が、口を開いた。
「――消えるなよ。何も言わずに」
涼は少しだけ視線を落とし、そして言った。
「言える資格がないと思ってた。でも……正直に言うと、あのあと後悔した。……俺、本当はお前らに“許されたかった”んだと思う」
美咲の目に、涙が浮かんだ。
「許すとかじゃない。私たち、ちゃんとあなたの痛みに向き合わなかった」
「……俺も、お前らの優しさを憎しみに変えた」
陽翔が少し前へ出る。
「もう終わりにしようぜ、全部。お前のせいで俺たちは変わった。けど、それでよかった。……だからもう、ひとりで苦しまなくていい」
涼の目が潤む。
それを隠すように、空を見上げた。
「そう言われると……余計に泣けてくるな」
風が、三人の間を通り抜けた。
「……また会ってくれるか?」
美咲が言った。
涼は少しだけ考え、頷いた。
「今度は、何も壊さないように会うよ。」
三人は、墓前で並んで手を合わせた。
壊れた関係は、完全には戻らない。でも、もう再生が始まっていた。
新しい季節
春の柔らかな日差しが校庭を包み込んでいた。
桜の花びらが風に舞い、三人の足元を彩る。
美咲、陽翔、そして涼は、同じ制服を着て並んで歩いていた。
以前のぎこちなさはなく、自然な笑顔があふれている。
「入学式、緊張したけど案外すぐ慣れたな」
陽翔が言うと、涼が小さく笑った。
「俺も。やっぱり、お前らがいるから心強い」
美咲も頷きながら、「これからは、三人でいろんな思い出作ろうね」
彼らは新しい教室へ向かう。
教室では、クラスメイトたちの明るい声が響き、まるで未来が開けていくようだった。
時折、涼が昔話を始めては二人を笑わせる。
陽翔はそんな涼を見て、微笑みを浮かべる。
美咲は二人の間に立ち、穏やかな時間を感じていた。
過去の傷跡は消えないけれど、それでも、彼らは互いの存在を認め合い、助け合いながら歩んでいく。
「これからも、よろしくね」
三人はそっと手を重ね合った。
春風に吹かれて、新しい物語がゆっくりと始まっていく。
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