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開幕の第一幕と二幕の幕間まくあい(休憩時間)の時間、鬼龍院はどうにかアリスの隣で5分はじっといていたが、再び席を立った
「あそこに先ほどロビーで会ったDPコーポレーションの出羽桜ご夫婦がいらっしゃるので、ぜひともご挨拶にいかなければ、ちょっと失礼してもいいですかな?」
「もちろんですわ」
アリスは反射的に答えとって貼り付けたような笑顔を返した
「あなたは私の宝です。出羽桜様にいつもあなたのことを話しているんですよ(ITOMOTOジュエリーの真の宝石)をやっと手に入れたとね」
鬼龍院はそうアリスにウィンクして桟敷席を出て行った、思わずぞくっとアリスの全身に鳥肌が立った
その反対席を振り向くと母達が扇子の裏で顔を寄せあい、ひそひそ話に花を咲かせている
さっきより見知らぬ夫人方が増えている、きっと母の知人の知人のそのまた知人だろう、うじゃうじゃ湧いてくるので誰が誰かもうわからない
今なら誰も自分を見ていないアリスはそっと袖に隠していた。小さな紙切れを取り出しカサカサ音を立てずに手の中で開いた
紙切れだと思って開いてみるとそれは10センチ四方のメモ用紙ほどの大きさがあった
:*゚..:。:. .:*゚:.。
出だしはこうだったとても丁寧な四角い整った文字で始まっていた
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私はあなたのお祖父様の伊藤会長にただならぬ恩義を感じている者の一人です。
その私が鬼龍院忠彦と懇意にしているのでその本性について僭越ながらご忠告申し上げます
鬼龍院は「淡路の岬埠頭のSMクラブ」の「常連客」で現時点で重症の「梅毒」に感染しております
直接ご質問なさりたければ鬼龍院の担当のSMクラブの女王の名前もお教えしますし、その本人から直接証言を取りたいと言うことであれば、私が手筈を整えます
ご結婚はその後でもお考えになればよろしいかと思います
敬具
成宮北斗
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先ほどの前座役者たちが舞いながら出てきて第二幕の開催を告げる
今はその三味線がアリスの耳にやけに大きく響く
アリスは劇場の喧騒に息苦しさを覚えながらじっと手紙を見つめた
真っ白な紙にくっきりとした黒い字で綴られた言葉は何度読み返しても変わらない
SMクラブ?梅毒?
隣の鬼龍院の空の席を見つめる。懸命に空気を肺に吸い込むなりキツイ腰ひもが締め付けあばらに痛みが走った
慌てて隣の母を振り返ると、他の貴婦人たちと拍手して第二幕が上がるのを観ている
アリスは振袖の内側に手紙を戻して立ち上がった
狭いオレンジの布張りの桟敷席の椅子が、傾いているように見えてきて思わず手すりを掴んだ
アリスの母が驚きの目を向けた
「あら、アリス?どうしたの? 」
アリスは咄嗟に席を立つ言い訳を言った、長年この母親の子供を務めれば取り繕ったり、言い訳をすることががとてもうまくなった。今や母を騙す些細な技はプロフェッショナルの域に達している
「それが・・・女学院時代のご学友の浦霞様から急にlineが入って・・・」
「まぁ!あの元華族のご親戚をお持ちのお嬢さん?」
母が顔を輝かせて言った。浦霞さんは母のぜひともお近づきになりたい社交人リストの中でも上位の人だ
「何でも私に相談があるとかで・・・とても困っていらっしゃって・・lineではもどかしいので。少し失礼して彼女に電話をかけにロビーに行きます」
母の扇子の仰ぎ具合が速くなる
「そう・・・大切なご友人のためですものね講演中ならあなたがここに一人いなくたって支障はないでしょう・・・でも大喜利(クライマックス)までには帰っていらっしゃい」
「ハイ」
アリスはそそくさと桟敷席の外に出た
ありがたいことにロビーにはあまり人がいなかった。視界がぼやけて手の中の手紙がアリスの手汗で少し湿った気がする、それほど強く握りしめている
成宮北斗という人はどういうつもりで、この手紙を書いたのだろう
鬼龍院が言うように彼が「変人」だからという理由で片付けていいのだろうか?
とはいえ手紙で非難されていた行為が、頭のおかしな男性の妄想だとするならば、その証人と合わせる機会を整えようと提案するだろうか?
それにお祖父様が恩人だと書いてあったわ
ああ・・・お祖父様・・・・
祖父の事を考えると胸が痛み涙が溢れてくる
老いて認知症が進んでしまったアリスの祖父は、今は遠い神戸の海辺の特別養護老人ホームにいる。それでも西日本でも最高のサービスを受けられる場所だ
最終的にこのホームに入居する決定打となったのは、認知症に侵された祖父が凶暴になってしまい、家の庭に火を付けたからだ
その時の事を思い出すだけでも、辛く心が締め付けられる