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放課後の校舎は、少しだけ薄暗くて静かだった。
夏の陽はまだ高いのに、空気の中にどこか切なさが混じっているような気がして、桐山真理亜はゆっくりと昇降口に向かっていた。今日は“ごっこ”はお休み――透真からそう言われたわけじゃない。けれど、なぜか彼は今日一日、真理亜とあまり目を合わせようとしなかった。
「……本気で好きになったらどうするんだよ」
昨日のあの言葉――
“好きな人を見る練習”をした後に、透真がふと漏らした声が、まだ真理亜の耳に残っていた。
(あれって……誰に対して言ってたんだろう)
彼の目を、彼の声を、思い出すたびに胸がきゅっと痛む。
ただの“ごっこ”だってわかってる。
でも、どんどん、本気になっているのは……自分の方だけだ。
そんな時だった。
「桐山さん」
背後からかけられた声に振り向くと、そこにはクラスメイトの――手塚律が立っていた。
「手塚くん……?」
「ちょっと、話せる?」
その目は真剣で、けれどどこか、悲しそうだった。
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人気のない図書室の隅。
静まり返った空間で、手塚は真理亜に向き合った。
「……実はさ、俺……気づいてた」
「え?」
「君と、櫻井。なにか、あるよね」
心臓が跳ねた。
(バレた……?)
けれど、手塚はすぐに続けた。
「付き合ってるわけじゃないよな。でも、普通じゃない。“関係”がある……そう見える」
真理亜は、何も言えなかった。
バレちゃいけない秘密。“ごっこ”のルールのひとつ。
だけど――
「俺……ずっと前から、君のこと、見てたんだ」
その言葉に、真理亜は一瞬、目を見開いた。
「透真みたいに目立たないし、モテもしない。けど、君が笑ってるのを見るのが、すごく好きだった」
静かな声。優しい目。
けれど、その中に隠された想いは、本物だった。
「……ごめんなさい」
気づけば、真理亜はそうつぶやいていた。
手塚は、微笑んだ。
「ううん、わかってる。今の君は、きっと俺じゃない“誰か”を見てるって。……でも、苦しくない?」
その一言に、胸の奥がひりっとした。
「“好きになっちゃいけないごっこ”なんて、君の優しさを踏みにじってるだけじゃないのかな」
「……!」
「俺は、君が泣くくらいなら、“ごっこ”なんかやめてほしい。たとえ俺の想いが届かなくても――」
そこで、図書室の扉が開いた。
「……何してんの?」
静かな声。
振り向くと、そこには――櫻井透真が立っていた。
鋭い目線。揺らぐ空気。
真理亜は、声を出せなかった。
「“ごっこ”って、他のやつに言いふらしてんの?」
低い声。
けれど、そこに含まれる怒りの気配に、真理亜は息をのんだ。
「透真くん、違うの、これは――」
「関係ないやつに話すなって言ったよな、“絶対バレないように”って」
いつもの軽さは消えていた。
その声の奥にあったのは――確かに、“嫉妬”だった。
手塚は静かに立ち上がると、透真に向かって言った。
「バラす気なんかないよ。ただ――彼女を、悲しませたくなかっただけだ」
そのまま無言で図書室を出ていった彼の背中に、真理亜はなにも言えなかった。
そして残されたふたり。
沈黙の中で、透真が言った。
「……俺、お前が誰と話してようと、どうでもいいって思ってた。けど」
ゆっくりと顔を上げて、真理亜を見た。
「今日、はじめて思った。――嫌だった」
その瞬間、真理亜の心の奥にあった“ごっこ”の枠が、少しだけ壊れた。
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【片想いごっこノート】
・6月18日(火)
見かけた回数:2回
目が合った回数:1回
図書室で、透真くんが怒った
“嫌だった”って言われた
「今日、たぶん、一生忘れられない日になった」