教室の窓から見える空は、いつの間にか橙から群青へと変わっていた。
外から流れ込んでくる空気は冷え切っていて、思わず両手で自分自身を抱きしめる格好になる。
どれくらいの時間ここでぼんやりしていたのだろう、 壁の時計を見上げると、 1人で帰るつもりなら今が最後のチャンスだと、飾り気のない針が告げている。
分かってる。
もうすぐ部活の終わる時間だ。
終わったらきっと、藍は真っ直ぐここへやってきて、一緒に帰ろうと笑ってくれる。いつものように。
けれど、今はあまり会いたくない。
そう思うのに、私の身体はなかなか机を離れようとしてはくれない。醜く膨らんだ感情が、そのまま身体に物理的な重量として加わったかのように、重くて怠い。
ため息が漏れそうになったその時、
「お嬢さん、僕と一緒に帰りませんか?」
開け放した教室の後ろの扉、制服の上に濃紺のウールのコートを羽織った藍がにこにこと立っていた。
ハードな練習を終えたばかりとは思えないほど爽やかな笑顔で、頭のてっぺんからつま先まで完璧。一分の隙もない。
胸の奥がざらっとした。
「今どきそんなセリフで誘う人なんていませんよーだ。」
憎まれ口を叩いて立ち上がった拍子に、椅子がガタンと思いのほか大きな音を立てた。
気まずさを誤魔化すように、さっさと鞄を掴んで教室を出る。
顔も見ずに脇をすり抜けた私に何も言わず、キュッと小気味の良い音を鳴らして藍の上履きが廊下へと方向転換した。
すっかり暗くなった下校路を、2つの足音が並んで通り過ぎてゆく。
左肩に掛けた指定鞄のショルダーベルトを両手でしっかり握り、できる限り藍から身を離すようにして、足早に歩く。
不機嫌さに自然と唇が尖り、頬が膨らむ、今が冬で本当によかったとマフラーに顔を半分埋めて隠す。
私の右半身が、隣を歩く藍の気配を感じてピリピリと毛羽立つ。 野良猫の威嚇みたいに。
藍は何も言わない。
私の速さに合わせて、ただ黙って隣を歩いてくれる。
こういう優しいところが大好きで、今は大嫌い。
…違う。大嫌いなのは藍じゃなく、私自身。
「今日ね、トイレで先輩に言われた。」
耐えきれず、言葉がこぼれ落ちた。
「藍のことがね、好きなんだって。」
それなら直接本人に言ったらいいじゃないですか。
そう言うと、3年生だという先輩はきれいに整えた眉をヒュッと吊り上げた。
胸の前で組まれた細い腕、華奢な時計の巻き付いた手首、整えられ桜色に塗られたネイル。
「…きれいな、人だった。」
ふざけないで。
物凄く怒った顔をしたその人は、くるりと踵を返して出ていった。
柔らかそうな長い髪が踊って、きちんと香水の匂いを残して。
藍にはああいう人がお似合いなのかもしれない。
綺麗で、可愛くて、素直に自分の気持ちを伝えることができる、正しい女の人。
きっとああいう正しい女の人なら、こんな風にいきなり不機嫌に黙り込んだりしない。
正しい女の人なら、藍の優しさに甘えて、藍を困らせたりしない。
正しい女の人なら、
「好きだよ。」
突然抱きしめられて、思考回路も時間も止まった。
背の高い藍の胸に顔を押し付けられて、藍の匂いでいっぱいになる。
「ら、ん… 」
「今すぐここで抱きたいくらい、
… が好き。」
頭の上に降ってくる藍の声がとても切なそうで、堪えていた涙が溢れてくる。
なにも言わなくても、私の不安や不満は空気感染するみたいに全部藍に伝わってしまう。
嫌になるくらい自分に自信がない私が、もて余すどうしようもない感情を、藍は 無条件で受けとめ、浄化してかき消して、たちまち私を安心させてしまう。
優しすぎる魔法使いみたいな藍。
申し訳なさの塊が喉に詰まって、苦しくて、息ができなくて、それでも私の手は藍の背中に回ったまま離さない。
「……染みに、なっちゃうかも、」
ありがとうとかごめんねとか、伝えたいことが沢山あるのに、どれもが喉につかえて出てこなくて、小さな声でやっとそう言うと、藍は少しだけ身体を離して、ええよそんなんと笑った。
藍。
世界で1番、あなたが好き。
肩に手を乗せて、精一杯背伸びをして藍の唇にキスをしながら、私は頭の中の正しい女に中指を立てた。
アンケートにご協力頂いた皆さま、ありがとうございました🩷
コメント
4件
めちゃめちゃ良かったですっ♡ 藍ちゃんとこんな青春過ごしたいって思いました٩(๑òωó๑)۶♡ ヘンな名前の主人公とかヘンな設定の主人公が多くて嫌だったので、普通の主人公の小説が読めて幸せですっ♡ また夢小説書いてください待ってます(。>﹏<。)
最高すぎます 🥲🥲