はい!凛音です!
病気パロ?みたいな感じです!
それではどうぞ!
りうら 骨折
ほとけ 看護師(女)
初兎 白血病
ないこ 医者
いふ 医者
悠佑 医者
『光のそばにいる』
第一章 出会いとつながり
りうらが病室に運び込まれたのは、春の終わりの午後だった。バスケットボールの練習中、足を滑らせて激しく転倒し、右足の脛骨を複雑に骨折した。高校最後の大会を目前にした出来事だった。
ギプスで固定された脚を見下ろしながら、彼はため息をついた。身体が動かせないというだけで、これほどまでに無力感に苛まれるとは思ってもいなかった。枕元に置かれたスマートフォンには、クラスメイトからの励ましのメッセージがいくつも届いていたが、どれも遠く感じられた。
「お昼のお薬、持ってきましたね」
カーテンの向こうから現れたのは、やわらかな笑顔をたたえた女性だった。看護師の制服を身にまとい、明るい茶色の髪を一つに束ねている。名札には「ほとけ」と書かれていた。
「りうらくん、初日だからつらいよね。でも、骨はきちんと治る。焦らずに、ゆっくりいきましょう」
ほとけは手際よく水と薬を用意し、ベッドサイドに座った。
「……ありがとうございます」
りうらはぎこちなく礼を言った。表情は硬かったが、どこか救われる気持ちもあった。だが、それも束の間、彼はふと気づく。カーテンの向こう、隣のベッドから、誰かの咳き込む音が聞こえた。
「隣の方も入院中なんですか?」
「うん。初兎くんっていうんだけど……ちょっと長い間、ここにいるの。彼の病気は、白血病。けど、すごくがんばってる」
ほとけは、まるで家族のことを話すかのような優しい目をした。
「白血病……」
その言葉が胸の奥に重く沈む。りうらは、まだその名前の意味を完全に理解できていなかった。
その日の夕方、りうらはようやく身体を少しだけ動かせるようになり、カーテンを少し開いて隣を見た。そこには、少し痩せた少年が座っていた。年齢は自分と同じくらいだろうか。点滴につながれた腕を膝に乗せて、静かに本を読んでいた。
「……こんにちは」
思わず声をかけると、少年は顔を上げた。
「やあ。君、新しく来たんだね」
それが、初兎との出会いだった。
第二章 日々の支え合い
りうらが病院生活に少しずつ慣れ始めたのは、入院してから三日目のことだった。
ギプスをつけた足はまだほとんど動かせないが、痛み止めが効いている間は、起き上がって本を読んだり、テレビをぼんやり眺めたりできるようになっていた。
そして、何よりも彼にとって大きかったのは、初兎との会話だった。
「君、スポーツやってたんだね」
ある日、りうらのベッドの脇に置かれたバッグから、くたびれたバスケットボールのキーホルダーを見つけた初兎が、そんなことを言った。
「……バスケ。ポジションはシューティングガード」
りうらは少し照れくさそうに答えた。まさか病院で、誰かに自分のことを聞かれるとは思っていなかったからだ。
「すごいじゃん。僕、バスケの試合、テレビでしか見たことないんだ。あんなに走ったり飛んだりできるなんて、信じられないよ」
「……いや、今は飛べない。骨、折れたし」
りうらが肩をすくめると、初兎は小さく笑った。
「でも、また飛べるようになるんでしょ? それって、いいなあ」
初兎の目は、ほんのわずかに憧れを含んでいた。
りうらは返事に詰まった。自分は、また跳べるのだろうか。以前のように。……そんな保証は、どこにもない。
けれど、初兎の目を見ていると、素直にこう思えた。
――また、跳びたい。
それからというもの、二人は自然と話すようになった。
同じ病室で、同じ時間に目を覚まし、同じ窓の外を眺め、同じ食事を取り、同じ夜を迎える。
話題はささいなことばかりだった。好きな食べ物、見ていたアニメ、学校での出来事、兄弟の話。
けれど、どんな話をしていても、初兎はどこか少し遠くを見るような目をしていた。
「……初兎、つらくないのか?」
ある日、思い切って聞いてみた。午前中の検査から戻ってきたばかりの初兎は、顔色がいつもより青ざめていた。
「つらいよ。点滴も、薬も、検査も。毎日、なにかしらで苦しい。でも……それだけじゃないよ」
初兎は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ほとけさんが、優しい。君が来てくれて、少し楽しい。家族も、時々来てくれる。……そういうのがあると、がんばれるんだよ」
「俺は……たいしたこと、してないけど」
「そんなことない。話すだけで、気がまぎれる。ううん、それだけじゃない。君は……前を向いてる」
りうらは目を見開いた。
「……俺が?」
「うん。ちゃんと、外に出ようとしてる。そういうの、わかるよ。僕も、そうなりたいなって思うから」
初兎の声は、決して大きくなかった。けれど、その言葉は、りうらの胸に深く刻まれた。
ほとけは、そんな二人の様子を静かに見守っていた。
ときには微笑みながら、薬を運び、ときには熱を測りながら、二人の会話にそっと耳を傾ける。
「初兎くん、今日はよく話してたね。りうらくんの顔を見ると、元気が出るのかな」
「……僕、たぶん、誰かと一緒にいるのが好きなんだと思う」
「うん。私も、そう思う。人ってね、一人じゃ乗り越えられないときがある。誰かがそばにいるって、それだけで、全然違うのよ」
ほとけの言葉は、あたたかくて、りうらの傷にそっと手を添えてくれるようだった。
数日後、外科医の悠佑が病室にひょっこりと顔を出した。
「よっ。初兎くん、りうらくん。体調はどうだ?」
「まあまあかな。先生、また手術帰り?」
「うん。今日の子はね、ちょっと難しかったけど、うまくいったよ」
悠佑は手を腰に当てて、にっこりと笑った。その笑顔は、どこか少年のようで、病室の空気がふっと軽くなる。
「元気出していこうぜ。ほら、俺なんか、手術室じゃ汗だくになってるんだから。君たちのほうが、楽してるくらいだよ?」
「……いや、それはないかな」
初兎が苦笑しながら返すと、悠佑も笑った。
「じゃあ、また来るよ。今度、面白い話でもしてあげようか?」
「聞きたい」
りうらも、つい声を上げていた。
医師である彼が、患者にただ「人」として接してくれること。それは思いがけず、心強い支えになっていた。
夜、カーテン越しに、初兎の寝息が聞こえる。
りうらは天井を見つめながら、そっとつぶやいた。
「……初兎。ありがとうな」
この入院生活が、こんなふうに変わるなんて、思ってもいなかった。
動けないことに怒り、夢が遠ざかることに絶望していた自分が、今は違う。
隣にいる誰かの存在が、こんなにも力になるなんて。
りうらは目を閉じた。
心の奥で、何かが少しずつ変わっていくのを感じていた。
第三章 困難と希望
初兎の体調が、目に見えて崩れ始めたのは、七月に入ったころだった。
蒸し暑さが病院の廊下をじっとりと包む日々、初兎は起き上がるのも苦しそうな日が増えていた。咳が止まらず、食事も喉を通らず、日に日に頬がこけていく。
「検査結果……少し、悪かったね」
いふ医師が、初兎のベッドの横で、そう呟いた。
彼は若いながらも優秀な血液内科医で、どんなときも冷静だった。しかしその表情には、確かな苦悩の影が滲んでいた。
「白血球の値が下がってるし、感染のリスクも高まってる。抗がん剤の副作用も強く出てるね。正直、今は無理をさせたくない」
「……でも、治療を止めるわけにはいかないんですよね?」
初兎の声はかすれていたが、確かな意思があった。
「そうだね。けど、少しアプローチを変えてみよう。体力を維持しながら、できることを考えるよ」
いふはそう言って、そっと初兎の肩を叩いた。
その日の夜、ほとけはいつもより長く病室にいた。
誰もいない静かな時間。初兎の手をそっと握り、言葉少なに寄り添っていた。
「つらかったら、言ってね。無理しなくていいの。がんばってるって、知ってるから」
初兎は目を閉じたまま、かすかにうなずいた。
「……こわいよ。でも、君がいると……まだ、少しだけ、平気になる」
ほとけの指先が、初兎の額の汗をやさしくぬぐった。
一方で、りうらの骨折は順調に回復していた。
装具に切り替えられた脚で、少しずつ病棟の廊下を歩く練習が始まっていた。ないこ医師の指導のもと、リハビリも本格化していたが、心は晴れなかった。
病室に戻るたび、初兎の顔色が悪くなっていくのがわかる。
「……俺だけ、良くなっていくみたいだな」
そう呟くと、ないこは穏やかに首を振った。
「りうらくん。それは違うよ。初兎くんだって、今日をがんばって生きてる。それを見守ることが、今の君にできることだと思わないか?」
りうらは、答えられなかった。
ただ、自分の足で歩いて初兎のベッドに行き、何も言わず椅子に腰を下ろした。
「……君、歩けるようになってきたんだね」
初兎は、目を閉じたまま言った。
「うん。今日は、20メートル。明日は30メートル、いけるかも」
「すごいなぁ……。なんか、映画みたいだね。努力が実るって、ちゃんとあるんだな」
「……お前も、がんばってんだろ」
「うん。がんばってるつもり。けど……この病気は、ちょっと手ごわいな」
初兎はふっと笑った。それは強がりでも自虐でもなく、現実を受け入れた上での、静かな笑みだった。
「……痛みとか、怖さとか、きっと伝えきれないけど。誰かがそばにいてくれると、まだがんばろうって思える。りうらがいてくれて、良かった」
りうらは、少しだけ口元を緩めてうなずいた。
「お前がそう言ってくれて、良かったよ」
いふ医師とないこ医師は、夜のカンファレンスルームで沈黙していた。
モニターに映し出された初兎の血液データ。その数字は、専門家でなくとも危険を感じ取れるほど、赤く、低かった。
「いふ、正直どう思う?」
ないこの問いに、いふは腕を組み、目を伏せた。
「……治療は尽くしている。でも、これ以上は初兎くんの身体が持たないかもしれない。移植も難しい。時間との戦いだ」
「……つらいな。あの子の笑顔、あんなに強いのに」
「だからこそ、最期まで希望を捨てずにいこう。僕らが諦めたら、終わりだ」
ある日の夜、りうらは夢を見た。
広い体育館。バスケットボールを持った自分が、誰かにパスを出そうと振り返ると、そこに初兎が立っていた。
ユニフォーム姿の彼は、笑っていた。
「おい、走れんのか?」
「……今だけなら、ね」
二人は笑い合い、そのまま夢の中で走り出した。
りうらが目を覚ますと、まだ外は暗かった。
隣のベッドを見ると、初兎が眠っている。額には汗。呼吸は浅く、体が少し震えている。
りうらは、そっとナースコールを押した。
すぐに駆けつけたのは、ほとけだった。
「ありがとう、りうらくん。気づいてくれて」
りうらは、うなずいた。
ただ見ているしかできなかったあの日と違い、今はこうして、彼のそばにいることができた。
希望とは、奇跡ではない。
奇跡を願いながらも、一歩ずつ、今日という一日を乗り越えること。
そして、その隣に誰かがいること。
それこそが、希望なのだと。
第四章 最期の日々
八月の終わり、病院の窓からは蝉の声が遠ざかり、空には秋の気配が漂いはじめていた。
初兎の容態は、日ごとに悪化していた。
抗がん剤治療は中止され、代わりに痛みを和らげる処置が中心になっていく。いふ医師は、苦渋の判断を下しながらも、最後まで穏やかな時間を守ろうと尽力していた。
初兎の身体は、すっかり細くなっていた。それでも、彼は笑った。誰かが来るたび、少しだけ目を開けて、微笑んだ。
「……また、来たの?」
りうらがベッドサイドに腰をかけると、初兎が力ない声で言った。
「また、来たよ。……うざい?」
「ううん、ありがとう。ほんとに……ありがとう」
りうらは、初兎の手を握った。
細くなったその手から、かすかに体温が伝わる。それは、今にも消えてしまいそうで、怖かった。
「……怖くないか?」
りうらは、目を伏せて言った。
「……ちょっと、怖い。でも、君がいるから。今は、なんだか安心する」
初兎はそう言って、目を閉じた。
病室のカーテンの隙間から、夕日が差し込んでいた。赤く染まる天井と、機械音だけが響く空間。
その光のなかで、ほとけが静かに病室へ入ってきた。
「お疲れさま、りうらくん。……今日も来てくれてありがとう」
「……俺の方こそ、何もできないのに」
「そんなことないよ。初兎くん、あなたの声を聞くと、ほんの少しだけ元気になるの。言葉は、思ってるよりずっと力があるから」
そう言って、ほとけは初兎の額にそっと濡れタオルを当てた。
「あなた、よくがんばったね。えらいね、初兎くん……」
声が、少し震えていた。
その夜、初兎の容態が急変した。
ナースステーションのアラームが鳴り響き、医療スタッフが駆け込む。
「心拍数、急激に低下しています!」
「酸素、もっと上げて。モニター、確認して!」
いふと悠佑が同時に現れ、手早く処置を始めた。
ほとけがその隣で、冷静に指示を受けながらも、初兎の手をずっと握っていた。
そして、りうらも、車椅子を自ら動かしながら病室へ急いでいた。
「……初兎!」
カーテンが開き、りうらの叫び声が響いた。
「入ってください。今、最期の時間かもしれません」
いふが小さくうなずいた。
ほとけが、りうらの手を引いて、ベッドのそばに座らせた。
酸素マスクの奥、初兎の唇がわずかに動いた。
「……りうら」
「……ここにいる。お前のそばにいるよ」
初兎の目が、ゆっくりと開く。だがその瞳はもう、遠くを見ているようだった。
「……君と、出会えてよかった」
「俺もだ。……ほんとに、ほんとに良かった」
ほとけが、肩を抱いてくれた。
涙が頬をつたうのを、止めることはできなかった。
そのとき、初兎の胸が、静かに上下をやめた。
ピーという音が、モニターから響いた。
いふが、深く息をついて言った。
「……時刻、23時41分。死亡確認します」
病室は静まり返っていた。
ほとけが、初兎の顔をやさしく拭い、髪を整え、白い布をかける。
「……おやすみ、初兎くん」
誰よりも涙をこらえていた彼女が、その言葉を最後に、肩を震わせた。
りうらは、ずっとその場にいた。初兎の手を握ったまま、時間が止まったように。
ないこが、そっと背後から彼の肩に手を置いた。
「……ありがとう、りうらくん。君の言葉が、初兎くんの支えだったんだ」
その言葉に、りうらはようやくうなずいた。
目に見えない何かが、確かにそこにあった。
それは喪失ではなく、繋がりだった。
数日後、病室には新しい患者が入り、また日常が流れていた。
しかし、あの空間には、確かに初兎がいた記憶が残っていた。
壁に反射する夕日も、そっと揺れるカーテンの音も、りうらの中で消えることはなかった。
第五章 新しい一歩
初兎が旅立ってから、病院の時間は少しだけ違って見えるようになった。
かつて彼が過ごしていたベッドには、今は別の少年が横たわり、同じように治療と向き合っている。白いカーテンが揺れるたびに、初兎の面影がそこに浮かぶ気がした。
りうらは退院後、定期的に病院を訪れていた。骨折は完全に癒え、リハビリも終わった。けれど心の中に残る痛みは、簡単には癒えなかった。
「あいつ、怒るかな。まだ泣いてばかりで」
ベンチに腰掛けて、空を見上げながらつぶやく。
隣に腰を下ろしたのは、ほとけだった。彼女はいつものように淡い笑みを浮かべていたが、その眼差しは以前よりも深く、どこか遠くを見つめていた。
「怒らないよ。初兎くんは、あなたに生きてほしかったんだもの。ちゃんと笑って、ちゃんと泣いて。……そうして生きててくれたら、それでいいって思ってる」
風が吹き、木々の葉がさわさわと揺れた。
「……ほとけさんは、もう泣いた?」
「たくさん泣いたよ。でもね……あの子のことを思い出すと、泣くより先に笑っちゃうの。『ほとけさん、泣き顔ださーい』ってからかってたから」
くすっと笑ったその横顔に、りうらもつられて口元をゆるめた。
いふは、変わらず病院で働いていた。
けれど彼の中にも、何かが確かに変わっていた。
研究室のデスクには、初兎が最後に描いてくれたという似顔絵が飾られていた。青い髪と白衣を雑に描いたそのイラストには、「いふ先生、ちょっと怖いけど一番信頼してるよ!」というメッセージが添えられている。
「……信頼、か」
ふと目を伏せ、いふはペンを置いた。
あの日、彼の判断が正しかったかどうか、答えは出ていない。ただ、今でも自分を信じてくれた少年の想いだけが、胸に残っていた。
だからこそ、次の患者には、迷わず最善を尽くそうと決めている。もう後悔はしたくなかった。
ないこもまた、手帳に挟まれたメモを時折見返していた。
それは、初兎が病室でひそかに回していた“秘密ノート”の切れ端だった。
「ないこ先生、怒るとちょっと怖い。でも実は一番やさしいよね?りうらくんのこと、すっごく気にしてたの知ってるよ!」
その文章に、彼は思わず吹き出した。
「……アイツ、ほんとに余計なことばっか書いて」
けれど、その一言が、胸の奥に暖かく残る。
りうらのことも、初兎のことも、自分なりに見守っていたつもりだった。今になって思うのは、もっと言葉にして伝えられたらよかった、という後悔だけだった。
それでも、前を向くと決めた。
患者たちは毎日、自分の“今”と向き合っている。医者である自分が、その姿勢に背を向けるわけにはいかない。
悠佑は、外科医として多忙な日々を送っていた。
あの夜、初兎の手を握っていたりうらの姿は、彼の記憶に強く残っている。
「命を救う仕事をしていても、救えない命がある」
それをあの日、嫌というほど痛感した。
けれど彼は逃げなかった。今ではさらに勉強を重ね、緊急対応チームの中心として活躍している。
「もう少しで終わるから、あと10分で処置室に回して」
スタッフに指示を出しながら、ふと窓の外を見上げた。
遠くに見える空は、透き通るような青だった。
「……ちゃんと、前に進んでるよ。お前の分も背負ってるから」
心の中で、静かに呟いた。
その日、りうらは初兎の墓の前に立っていた。
季節はすっかり秋に変わり、墓前には小さなコスモスが供えられていた。
「よう。久しぶり」
墓石に語りかけるように、声をかける。
「俺さ、やっと分かったんだ。あのとき、何もしてやれなかったって思ってたけど……お前が笑ってたのは、俺と話せたからだって、今なら思える」
足元にしゃがみ込み、花を整える。
「だから、もう一度、前に進んでみる。お前の分まで、しっかり生きてみるよ」
立ち上がり、背筋を伸ばす。
風が吹いた。その風にコスモスが揺れ、どこか遠くで、初兎の笑い声が聞こえた気がした。
それぞれが、それぞれの道を歩き始めていた。
喪失は確かに重く、深い傷となって心に残った。
けれどその痛みは、確かな“つながり”として生きていた。
そして、誰かの記憶の中で生き続けるということが、どれほど強く、優しいことかを、彼らは知っていた。
だから今、新しい一歩を踏み出すことができた。
これは、ひとつの別れと、たくさんの出会いの物語。
そして、未来へとつながる静かな希望の物語だった。
完
と思ったそこのあなた!
まだありますよ!
エピローグ
病院の花壇に、新しい白い花が咲いた。
それは、初兎の好きだった色。
ほとけがこっそり植えた花だった。
りうらが、その前に立ち止まる。
そっと、花の横に短い紙を置いた。
「初兎へ――
お前の分まで、生きていく。
だから安心して、見ててくれ」
風が吹いて、紙が少し揺れた。
空は、高く、澄んでいた。
番外編 ― 風の手紙 ―
初兎が旅立った数日後。
ほとけは、病室の整理をしていた。白く静かなベッド。壁に貼られたイラストや、小さなぬいぐるみが、彼の温もりをいまだ残していた。
そして、棚の奥から一通の封筒が見つかった。淡い青色の封筒に、つたない字で書かれた名前。
「みんなへ」
それは、初兎が遺した手紙だった。
◇ りうらへ
りうらくんへ
最初は、ちょっと怖そうな人だと思ってました。でも話してみたら全然ちがった。
君と話すと、自分が普通の子になれた気がしたんだ。病気のことも、痛いことも、一瞬だけ忘れられた。
りうらくんが、また歩けるようになるのが嬉しかった。
自分はもう歩けないけど、君が代わりにいっぱい走ってくれるといいな。
できれば、あの坂の上まで行って、空を見てきてほしい。前に話したでしょ。僕が一番好きだった景色。
そこから、僕にも景色を分けてくれたら、すごくうれしいです。
りうらは、病室でその手紙を何度も読み返した。
「……お前、やっぱずるいわ」
涙をこぼしながらも、彼はその週末、坂をのぼった。
坂の上に立つと、空は広く、果てしなく青かった。
「おい、見てるか。ここだぞ。お前が見たかった景色」
風が頬を撫で、どこか遠くで笑い声がした気がした。
◇ ほとけへ
ほとけさんへ
一番最初に出会った看護師さんが、ほとけさんでよかったです。
優しくて、でもちゃんと叱ってくれて、嘘をつかなくて。だから、どんなに痛くても、安心して泣けました。
夜、僕が眠れないときに歌ってくれたこと、ちゃんと覚えてます。
ありがとう。ほんとにありがとう。
もし、ほとけさんがつらい日があったら、僕が代わりに「大丈夫だよ」って言いたいです。
いつかまた、どこかで会えるといいな。笑ってるほとけさんに。
その夜、ほとけは家でそっと涙を流した。
歌ってあげた子守唄。震える声で「まだ寝たくない」と言っていた夜。
今も、胸に響いていた。
「……また誰かに、ちゃんと伝えていくよ。君みたいな子のために」
そう呟き、彼女は次の日も変わらずナース服を着て、病院へ向かった。
◇ いふ先生へ
いふ先生へ
先生のこと、ちょっとだけこわかったです。無口だし、目が鋭いし、最初は「この人に任せて大丈夫かな」って思ってました。
でも、すぐにわかったんです。先生、いつも僕の痛みを全部覚えててくれて、前よりましな方法を探してくれてた。
ぼく、先生の声が好きです。短いけど、毎回ちゃんと届いてた。
「無理しなくていいよ」って言ってくれた日、ほんとは少し泣いてました。
先生がくれた言葉で、僕、最後まで自分でいられた気がします。
いふは、手紙を読んだ後もしばらく動けなかった。
「……お前、本当に全部見てたんだな」
壁のホワイトボードに、何も書かれていない行が一つだけ残されていた。
そこに、いふは黒ペンで一言、記した。
「忘れない」
◇ ないこ先生へ
ないこ先生へ
りうらくんのこと、大切にしてくれてありがとう。
先生、つい冷たく見えるけど、患者のこといつも見てるの、ちゃんと気づいてました。
手術のあとに来てくれて、「よく頑張ったな」って言ってくれたでしょ。あれ、ずっと大事に覚えてます。
先生がいなかったら、僕たちはきっと途中で立ち止まってた。
これからも、誰かのために立ち止まらない先生でいてください。
あ、でもちゃんと寝てくださいね。クマ、増えてきてますよ(笑)
ないこは、そっと笑った。
「……言ってくれるな、まったく」
封筒を胸ポケットにしまい、今日もカルテの山に向き合う。
けれどその心は、少しだけ軽くなっていた。
◇ 悠佑先生へ
悠佑先生へ
僕、外科の手術室ってちょっと憧れてました。だって、命を助ける場所なんだって思ってたから。
でも、悠佑先生を見て、もっとすごいと思ったのは、笑顔でした。
手術のあと、疲れてるはずなのに、僕たちの病室に来てくれて、冗談を言ってくれて、笑ってくれて。
僕たちがどれだけ元気をもらっていたか、知っててくれたらうれしいです。
先生みたいな人に、未来の誰かがまた救われる。だから、先生、どうかそのままでいてください。
悠佑は、処置の合間にその手紙を読んでいた。
無意識に頬を緩めながら、そっと言葉をこぼす。
「……お前の未来も、救いたかったよ。でも、ありがとな」
そしてその夜、彼はいつもよりも長く、病室に立ち寄っていた。
手紙は風に乗って、彼らの心に届いていた。
たった一人の少年が遺した言葉が、たしかな“灯”となって、それぞれを優しく照らしていた。
誰もが喪失を抱えながらも、それでも、今日を生きている。
未来へ向かう“新しい一歩”は、静かに、でもたしかに踏み出されていた。
「灯は、まだそこに」
◆ りうらの未来
初兎が亡くなったあと、りうらは何度も「何のために生きるのか」を考えた。
リハビリを終えて復学した後も、ふとした瞬間に思い出してしまう。あのやさしい声、笑顔、そして最後の言葉。
ある日、病院の外来に通っていたとき、看護師見習いの学生たちとすれ違った。
その中に、自分と似たような雰囲気の子がいて、初兎の面影が重なった。
「俺が…ここに戻ってきたら、あいつも少しは笑うかな」
そう思った。
やがて、りうらは医療の道へと進む。
選んだのは「小児病棟の看護師」。
かつて初兎がいた場所と、ほとけが立っていた場所。
命の傍にいて、寄り添う人になりたいと、心から思った。
数年後、白衣を着たりうらは、笑顔の子どもたちの輪の中にいた。
彼が語る物語の中には、「優しくて強い友達」のことが、たびたび登場する。
◆ ほとけの未来
初兎とりうら、どちらも担当していた日々は、彼女にとって忘れられない記憶となった。
あの夜、初兎が最期に見た景色。
その中に自分がいて、彼の手を握っていたこと。
そのぬくもりが、心の奥でずっと残っていた。
それから数年、ほとけは看護主任として後輩を育てる立場になった。
学生の研修のときには、毎年、初兎の話を語る。
「命は、いつか尽きる。でも、その子が誰かに何かを残していけるなら、命はそこで終わらない」と。
彼女の背中を見て、医療を志す人が増えていった。
◆ ないこの未来
冷静沈着な外科医だったないこは、りうらの成長を誰よりも静かに見守っていた。
かつての患者が、自分の選んだ道を歩き、命と向き合っていること。
それが彼にとって、何よりの報酬だった。
時折、ほとけと夜勤が被るとき、缶コーヒーを片手に交わす言葉がある。
「生きるって、不完全なまま進むことなんだな」
「でも、それでも前に進む姿は、美しいよね」
ないこは、今日もオペ室へと向かう。
静かな決意と共に。
◆ いふの未来
初兎の主治医だったいふは、一度だけ辞職を考えたことがあった。
自分が助けられなかった命の重さに、心が耐えきれなかったからだ。
だが、初兎の最後の笑顔を思い出した。
あの瞬間だけは、彼は救われたのかもしれないと、ようやく受け入れられた。
以降、いふは末期患者へのケアに力を入れ、「心の終末医療」を学び直した。
命を救えなくても、「生きていてよかった」と思える瞬間を届けるために。
◆ 悠佑の未来
オペ科のエース、悠佑はその後も手術の最前線に立ち続けた。
彼は多くを語らないが、初兎の死をきっかけに、術前の子どもには必ず一言添えるようになった。
「大丈夫。お前には、ちゃんと見てる人がいるから」
その言葉に励まされて、勇気を出す子どもたちがたくさんいた。
誰かの命を救うことに、使命感以上の「心」を込めるようになったのは、間違いなく初兎がいたからだ。
◆ エピローグ
春。
新しく咲いた白い花の前で、りうらがそっと立ち止まる。
あの日から、何年も経った。
「――俺、やっとちゃんと笑えるようになったよ」
その声に風が応えるように、花が揺れた。
見上げた空は、どこまでも澄んでいる。
初兎という光はもういない。
でも、その灯は確かに、誰かの中で生き続けていた。
「まだ、ここにいる」
白くて温かい光の中にいた。
痛みも、苦しさもなくなっていて、ただ、優しい気持ちだけが残っていた。
「……ああ、もう、終わったんだな」
初兎は、どこか安心したように目を閉じた。
だが、そのとき――遠くから誰かの声が聞こえた。
「お前の分まで、生きていく」
「だから、見ててくれ」
りうらの声だった。
涙で滲んだ瞳のまま、それでも前を向いていた。
◆ “未来を見つめる場所”
初兎の意識は、やがて、どこか懐かしい風景の中にいた。
そこは、病室でも、どこかの街でもない。
――それは、彼が願っていた「未来の景色」だった。
白衣を着たりうらが、子どもたちに絵本を読んでいる。
ほとけは後輩看護師を育て、命の傍に立ち続けている。
いふは末期患者の手を取り、「痛みよりも、ぬくもりを」と語りかける。
ないこは手術の合間、ふと空を見上げていた。
悠佑は忙しい手術の合間に、新人に「命を預かる責任」を語っていた。
みんな、生きている。
あの日、初兎が残した「想い」とともに。
◆ もし、もう少し生きられたら
もしも、初兎があと数年生きていたら――
彼は、きっと医療に関わる道を選んでいたかもしれない。
病室で見た、ほとけのやさしさ。
いふの必死な背中。
ないこの冷静さ。
悠佑の明るさ。
そして、りうらの涙。
それが全部、初兎の“未来を考える材料”だった。
きっと彼は、病を経験した人間として、「心のケアをする人」になりたかったのだろう。
もしかしたら、病院にいる子どもたちの「お兄さん」的存在として、笑顔を届けていたかもしれない。
◆ でも、叶わなかった未来は、どこへいくのか
初兎が見つめる未来は、もう彼が歩くことはできない。
けれど、その光景は、彼が残した想いが育んだものだった。
彼が生きていた証。
彼の「将来」は、もうこの世にいないけれど、確かに続いている。
りうらが初兎の名を語るたびに、
ほとけが新しい看護師に思いを伝えるたびに、
医療に携わる誰かが「人を救いたい」と願うたびに、
初兎は、“そこにいる”。
◆ 最後に
「もう少しだけ、生きていたかったよ」
初兎は、空を見上げながら笑った。
けれど――
「今、俺の分まで生きてくれてる人がいるなら、それだけで、十分だよ」
その声は、誰にも届かなくても、
たしかに「未来」の中に響いていた。
《完》
今度こそと思ったそこの貴方!
まだあります!
もし、初兎が死ななかったらの世界です!
― そして、春が来たら ―
「……容体が、少し安定してきた」
いふ医師のその言葉を、最初に聞いたのはほとけだった。
夜勤明けのナースステーションで、彼女は思わず手に持っていた記録用紙を落とした。
「本当……ですか?」
「ああ。急な寛解の兆候がある。正直、奇跡だ。けど…まだ予断は許さない」
それでも、希望という言葉が、確かに胸に灯った。
◇ 冬を越えて
年が明けてすぐ、初兎の白血病に一時的な寛解が見られた。
長く続いた抗がん剤治療を一時中断し、体力回復に集中する方針に切り替わった。
りうらは、リハビリの帰りに病室を訪れるのが日課になっていた。
「お前、顔色よくなったな」
「だって、やっとごはんが美味しく感じるんだよ? すごくない?」
「……まぁ、俺の食欲にはまだ勝てねぇけどな」
「へぇ、負ける気がしないけど?」
そんな他愛もないやりとりが、かけがえのない日々だった。
◇ 桜の約束
「春になったら、外に出られるかもしれない」
そう言ったのはほとけだった。初兎の体調が安定し、免疫の数値も改善傾向にあった。
「ほんとに?」
「うん。でも無理はダメよ。付き添いは私と、りうらくんにお願いするからね」
その日、りうらと初兎は、桜並木の話をした。
坂の上にある小さな公園。りうらが見たことのある、あの景色。
「じゃあさ、春になったら一緒に行こうよ。坂の上の桜、見てみたい」
「ああ。お前が行けるなら、なんだって付き合ってやるよ」
それは、小さな約束だった。でも二人にとっては、世界のすべてのような約束だった。
◇ そして春が来た
三月末。桜が咲き始めた頃。
ほとけといふが付き添い、りうらが車椅子を押して、初兎はついに院外へ出た。
はじめて吸う、春の空気。
「うわぁ……」
初兎は、空を見上げた。花びらが舞っていた。
「本当に、来られたんだね」
「当たり前だろ。お前の回復力、なめんなよ」
りうらの声は少し震えていた。隣で、ほとけが静かに頷いていた。
いふは、少しだけ目を伏せた後、空を見上げる。
「……奇跡を“治療”と呼べるなら、それは医者冥利に尽きる」
「今の言葉、メモしとこうかな。カッコいいなー先生」
「やめろ」
笑いながら、皆の視線が空を仰いだ。
初兎の頬に、花びらが一枚ふれた。
それは、間違いなく「生きている」証だった。
◇ 未来の話をしよう
入院生活が続く中で、初兎は次の夢を語るようになった。
「俺さ、看護師とか、医療の仕事……ちょっといいなって思ってて」
「え?」
「ほとけさんとか、いふ先生とか見ててさ。俺も、誰かの命に関わる仕事がしたい。
今すぐじゃなくても、いつか。俺がもらった“助け”を、返したいんだ」
りうらは驚きながらも、ゆっくりと頷いた。
「……似合ってるよ。お前、結構真面目だしな」
「……なんかそれ褒められてる?」
「一応な」
二人の笑い声が、病室に響く。あの頃の苦しみは、まだ完全に終わったわけじゃない。
でも確かに、「生きている」日々がここにあった。
おわりに
あの冬、初兎は死ななかった。
絶望に飲まれかけた命が、奇跡のように留まった。
彼は今も、病院の一室で、回復とリハビリに励んでいる。
りうらは退院し、週に何度も見舞いに来ては、未来の話をしている。
初兎が願う未来。
それは、自分が生きることで、誰かを救える世界。
そして、それを支える周囲の人々もまた、あの春の日を忘れずに歩いている。
花が咲き、風が吹き、命が息をする。
――これは、もしもの未来。でも、願ってやまない、もう一つの現実。
「この手で、生きる方へ」
◆ プロローグ:白くて広い場所
手術室の灯りは、まだ苦手だ。
白くて、明るすぎて、あの夜の感覚を思い出してしまう。
それでも初兎は、そこに立っている。
白衣をまとい、研修医バッジをつけた初兎は、手術室の端で静かに患者の名を読み上げた。
「これから、心臓の手術を始めます。患者は12歳。先天性の心疾患」
あの頃の自分と、そっくりだった。
震える手を見て、彼はふと笑う。
「大丈夫。俺も怖かった。
でも、生きたい気持ちが、怖さを超える瞬間が来るんだよ」
その言葉は、患者にではなく、自分自身に言い聞かせていた。
◆ 高校時代:選択のとき
初兎は退院後、復学し、しばらくは体力の回復に専念していた。
病院に行くたび、かつての主治医いふや、看護師ほとけと再会した。
ある日、いふがぽつりと言った。
「お前が今ここにいること、俺は医学で説明できない。
でも、生きてるなら使え。お前の人生、絶対誰かの力になる」
その言葉が、胸のどこかで引っかかっていた。
そして決めた。
医療の道へ進もう。自分の生きた“意味”を、誰かの命につなげよう。
りうらは最初、反対しかけた。
「お前が無理してまた倒れたら、どうすんだよ」
でも、初兎の目があまりに真っすぐで、何も言えなくなった。
「俺さ、もう“かわいそう”な立場で生きたくないんだ。
“かっこいい”って言われるような生き方、してみたいんだよ」
そう言って笑ったその顔は、誰よりも眩しかった。
◆ 大学時代:限界と葛藤と、少しの希望
医大での6年間は、想像以上に厳しかった。
体力の限界も近く、免疫の低さに悩まされる日も多かった。
夜遅くまで勉強しては、早朝に薬を飲み、講義に向かった。
「なんで俺だけ、こんなにしんどいんだろうな」
時折、独り言のようにこぼすこともあった。
それでも彼は諦めなかった。
かつて、命をつないでもらったあの夜の記憶があるから。
「命って、渡せるんだよ」
いふがかつて言った言葉を、今度は自分が後輩に伝えるようになった。
◆ 医者になった日:白衣の誓い
初兎が医師免許を手にしたとき、誰よりも最初にそれを見せたのは――りうらだった。
「お前さ、…本当にやったのかよ」
「ふふ。やったんだよ」
泣き笑いしながら白衣を受け取り、「絶対、着てよね」と言われたその日。
初兎は鏡の前で白衣を着て、自分に向かって小さく誓った。
「誰かの生きたいを、支えられる人になる」
◆ 初兎が選んだ科:小児血液内科
彼が選んだのは、自分と同じ白血病の子どもたちを支える「小児血液内科」。
治療の苦しさも、孤独も、誰よりも知っているから。
病棟で初兎の噂はすぐ広まった。
「先生、前は患者だったんだって!」
「いつも笑ってるけど、夜になると泣く子のとこに行ってくれるの」
子どもたちにとって、彼はヒーローのようだった。
ときには、「今日の注射がんばったら、先生が変な顔してくれる!」と笑いながら耐える子もいた。
命を扱う場で、笑いと希望を届けられる人間――
それが、初兎だった。
◆ エピローグ:奇跡のあとに
ある夜。
新しく入院してきた少年が、初兎にぽつりと聞いた。
「先生も、怖かった?」
初兎は微笑んで、そっと答える。
「すごくね。だから今、君の気持ちがよくわかる」
「……じゃあ、先生みたいになれるかな」
「なれるさ。君は、もう勇気を出してここに来てるんだ」
少年は小さくうなずいて、手を差し出した。
初兎はそれを握り返した。
命のバトンが、またひとつ、つながった。
「命に触れるその日まで」
「手を取り合える場所で」
◆ 二人のはじまり
きっかけは、あの病室だった。
初兎が患者で、りうらが同室の骨折患者だった頃。
その後、初兎は一度命を失いかけ、そして戻ってきた。
りうらはその奇跡を、ただの“奇跡”で終わらせたくなかった。
「お前が生きてること、ちゃんと意味にしてくれよ」
その言葉は、励ましであり、願いでもあった。
そして今――ふたりは病院の同じ病棟で働いている。
初兎は小児血液内科の若手医師。りうらはその病棟の看護師。
◆ 病棟の二人
朝のカンファレンス。
医師たちが診療計画を確認し、看護師チームが現場の様子を報告する。
「8番の子、昨夜少し熱出てました。初兎先生、今日の抗がん剤調整、どうします?」
りうらの質問に、初兎はうなずいて答える。
「微熱が続くなら、いったん中止して様子見ようか。白血球も下がってるし…」
仕事中の二人は至って真面目で、他人から見れば“普通に息の合ったチーム”だ。
だが、ナースステーションの裏では――
「りうらくん、今日のお弁当、卵焼き焦げてたよね」
「お前な、そういうの会議中に言うか?殺意湧くぞ」
と、やり取りするのが日課だった。
職場で「息が合ってる」と言われれば、
初兎はにやっと笑い、りうらは照れ隠しに舌打ちをする。
◆ 初兎が倒れた日
過労と、持病の影響で初兎が診察中に倒れた日。
誰よりも早く駆け寄ったのは、りうらだった。
「しょう!しょう!!……っ、誰か呼んでこい!!」
そのときの取り乱し方は、病棟中の誰もが驚いたほどだった。
数時間後、意識を取り戻した初兎は、ベッドの横で膝を抱えて座るりうらを見つけた。
「お前さ、ほんと…何回ヒヤヒヤさせれば気がすむんだよ…」
かすれた声で笑う初兎。
「…心配、した?」
「バカ心配したに決まってんだろ。…ったく。もう、絶対置いてくなよ」
その日、初兎ははじめてりうらの手を、自分から握り返した。
◆ 二人の暮らし
数年後。ふたりは同居を始めた。
職場では医師と看護師。
家では、なんでもない日常を重ねる二人。
夕食のあと、リビングでドラマを見ていたりうらがぼそっと言った。
「…今思えばさ、最初から、こうなる未来が決まってたのかもな」
「ん?」と聞き返す初兎に、りうらは少しだけ照れて言った。
「だって、俺、お前が生きてるだけで安心するんだよ。…意味わかんねぇけど」
初兎は黙って、りうらの肩にもたれた。
「俺も。お前が横にいると、ちゃんと“今”を生きてるって思える」
◆ エピローグ:命のそばで
ふたりは今日も、命のそばにいる。
患者の笑顔のために、
その夜を乗り越えるために、
自分たちの痛みと記憶を力に変えて――
そして、ふたりの時間を、少しずつ未来へ重ねていく。
「命を見つめるとなりに」
【完結編】
「さよならを越えて」
◆ 穏やかな日々
ふたりは、同じ屋根の下で暮らしていた。
毎朝、りうらがコーヒーを淹れ、初兎はゆっくりと新聞を読む。
休日には一緒に近所の公園を散歩し、仕事の話はなるべくしないようにしていた。
「病院以外の顔も、俺は知ってるから」
そう初兎が笑うと、りうらは照れくさそうにそっぽを向いた。
季節は何度も巡り、
病棟で見送った命も、つないだ命も、数えきれなくなっていった。
◆ 小さな変化
ある日、初兎はふと、処方された薬の量を調べていた。
無意識だった。でも、りうらは気づいていた。
「おい。最近、無理してないか」
初兎は笑った。
「お前は相変わらず勘がいいな」
「お前は相変わらず顔に出すぎなんだよ」
再発――それほど深刻ではなかった。
けれど、前のように“全てを乗り越えられる確信”はなかった。
「大丈夫。怖くはないよ」
「…バカ。お前だけの話じゃないだろ」
夜、手を握ったまま眠るようになったのは、それからだった。
◆ 最後の出勤
その日、初兎は白衣を着て、病棟に立った。
長年の患者だった少女が退院する日。どうしても見送りたかった。
「先生、約束して。まだまだ頑張って生きるから、次もちゃんと会おうね」
その言葉に、初兎は笑って頷いた。
「もちろん。また君の成長、見せてもらうんだからね」
そしてその夜、初兎は家で静かに倒れた。
眠るようだった。
りうらは、何も言わなかった。
ただ、初兎の手を両手で包んで、頬にあてて、しばらくずっと黙っていた。
◆ 葬儀のあと
初兎の葬儀は、病院の人たちの協力で小さく温かく行われた。
子どもたちからの手紙、同僚たちの涙、いふやほとけの沈黙、
悠佑の背をぽんと叩くだけの別れ。
そして、りうらだけが遺影に語りかけた。
「お前はさ、俺の人生を変えた人間だったよ。
…お前に出会えて、ほんとによかった。ありがとう。愛してる」
◆ 数年後
りうらはまだ、同じ病棟で働いていた。
若い医師が、新人看護師に尋ねた。
「この病棟の“伝説の医者”って、ほんとにすごかったんですか?」
りうらは少し笑って、こう答えた。
「ああ。すごかったよ。あいつは、命を諦めなかった。
患者に、家族に、俺にまで希望をくれた人間だった」
沈黙のあと、少しだけ笑って言った。
「今でも、たまに夢に出てくるんだ。
白衣のままで、『コーヒー、苦い』って文句言ってくる」
「……愛されてたんですね」
「ああ。俺の人生で、いちばん、だな」
◆ エピローグ:夢のなかで
夜。りうらはベッドに横になって目を閉じる。
ふと、誰かの気配を感じる。
「…しょーと?」
返事はない。でも、あの匂いがした。
あの笑い声が聞こえた気がした。
「…そっちで、待っててくれよな。
もう少し、こっちで頑張るからさ」
そして、静かに目を閉じた。
【最終章】
「光の向こうで、君が待ってた」
◆ 最後の夜
その夜、りうらは病室の窓辺に座っていた。
老いた体に点滴が繋がれ、医療機器の音が静かに鳴っている。
もう、食事もほとんど摂れず、会話も減っていた。
でも、りうらの表情はどこか穏やかだった。
「なぁ…そっちは、どんなとこなんだよ。
…あいつがいるなら、案外、悪くねぇのかもな」
窓の外には、夜空が広がっていた。
街の灯が小さく揺れて、まるで呼びかけるように瞬いている。
心臓の音が、静かに、静かに、遠のいていく。
そして――すべての音が消えた。
◆ 真っ白な世界
気がつくと、りうらは真っ白な空間に立っていた。
風はなく、音もなく、ただ、やさしい光に包まれていた。
足元に草原が広がり、少し先に木陰が見える。
そこに、誰かが座っていた。
白衣を着て、脚を投げ出し、風に髪をなびかせて。
まるで昔と何も変わらない。
その姿に、りうらの胸がきゅっと締めつけられた。
「…しょう…?」
振り向いたその人は、やっぱり初兎だった。
あの頃のままの笑顔で、少し泣きそうな目で、言った。
「…おかえり、りうら」
その瞬間、りうらは何も言えなくなった。
胸の奥から、こみ上げてくるものが溢れてくる。
ようやく、ようやく――
「…遅ぇよ、バカ」
「ごめん。待った?」
「ずっと、ずっと待たせやがって…」
でも、初兎は笑って答えた。
「でも、ちゃんと来てくれた」
そして、初兎がそっと手を差し出した。
「これからは、もう離れないから。
ここには、時間も終わりもない。
一緒に、ずっといよう」
りうらはその手を取った。
震えながら、でも確かに、強く。
「二度と、お前をひとりになんてさせねぇからな」
◆ 永遠のとなり
ふたりは並んで歩き出した。
誰もいない草原に、ふたりの笑い声が響いていく。
過ぎていった季節も、別れも、涙も、
すべてはこの再会のためにあったように思えた。
そして、ふたりの背中が、やさしい光のなかに溶けていく。
――その先に、終わりはない。
タイトル
「また、君に会える日まで」
約二万字
終わってる😭
読むのお疲れ様!
それでは!
コメント
8件
うぎゃあああああ読み終わったああああああ😭 え、あのさ、手紙のとこまじで泣きそうだった!! 凛音ちゃんノベルうますぎるの!!マジで!!!!!!!!!!!!!!