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やあ、先生。息災であるかな? いや、君にこの言葉を綴るのは野暮だったか。
私の知る先生は、現在、そして未来永劫、我々生徒に身を尽くし、その度に体へ負担をかけているだろう。何、別に先生の信念を否定している訳ではない。むしろ、その一面も君らしさだと言っているつもりだ。詰まる所、無理をしないでくれ、先生。君は連邦捜査部シャーレの先生である以前に、異邦人なのだからな。こちらの遊戯程度の豆鉄砲は、君にとって致命傷になりかねない。そのような危険性があるのにも拘わらず、キヴォトスのあちこちを駆け回るとは──勇気か、無謀か。病床に貼り付けの私ですら、わざわざ目にかけてしまうのだよ。
もう少しだけ、御託を語ろうじゃないか。
君はこの文通を受け取り、いくつか疑問を抱くはずだ。一つ、何故文通なのか。これは私が置かれた状況を考えれば、推理小説に目を通さずとも容易に理解できよう。確かにトリニティの淑女、かつ病室に閉じ込められる身とはいえ、スマホは携えていた。だが如何せん、液晶に指を下す気力が湧かなくてね。矛盾とも言えるが、目は瞑っていただきたい。理由をあえて加筆するなら──この物語は、できるだけ私と私自身が手掛ける箱庭、そして先生だけの事に済ませたいのだ。もしこのシナリオが世界へ広まろうものなら、収拾がつかなくなるのは目に見えている。目前に控えた「エデン条約」の締結に、水を差すことだけは何としても避けたい。だからこそこの手紙は、条約が無事に結ばれた後に君へ届くよう手配するつもりだ。信頼に置ける友からの手渡しか、それとも陰謀に長けた配下が、変哲もない郵便の山に紛れ込ませたか。筋書きがどうであれ、著者が込めたい意味と結末さえ書ければ、私はよしとしよう。もっとも、私と君との間に電子的な糸は一つもないのだから、液晶を手にしたところで無意味だが。
二つ、綴られた文章がなんとも独特な文体で、抽象的な筆記に構成されているのか。私と君は、まさしく邂逅の積み重ねだ。この文字を見て、脳内に私の姿が思い浮かばない可能性もある。だからこそ、このような文体にしてもらったよ。そもそも私は手紙特有の堅い口調が苦手でね。せめて紙の中では自由でありたい。加えて、この文通を書いたのは深夜。それも光の一切灯らない暗闇の中だ。これでも努力を尽くしたつもりだよ。これ以上丁寧であれと言うのなら、いくら私であっても、少しは琴線に触れる。ここまで長々と語って、烏滸がましいだろうが。
どうか赦してくれたまえ、先生。これが最初で最後の、今ある世界でのやりとりになるだろう。
さて、楽しい御託を語る時間はここまでにしよう。
行間も読める先生のことだ。ここから先、この淡い文字たちが語るものは、単なる私の日記の類でも、夢の中で語るような抽象的な預言の眉唾物でもない。
そして何より──語れる真実は程度がどうであれ、先生を、そして世界をも揺るがしてしまう。ここまでの道のりを振り返れば、君もそう理解しているはずだ。
何、この物語はエデン条約の後日談に位置づけられるもの。が、疲れ切った心を落ち着かせる暇として扱うには、少し心が痛むかもしれない。
まずは深呼吸をしてくれたまえ。
そして次に、君の机の上。目に悪い書類の山の麓に置かれたコーヒーを、この手紙を掴んでいない方の手で取り、ゆっくりと嗜んでくれ。できれば紅茶を推奨するが、今回はその言葉を飲み込んでおくとするよ。
とにかく形から入って、安息を取るといい。ソファへ深く腰を下ろそうとも構わない。
いずれにしても、冗長という言葉にふさわしく、今焦るのには手遅れな物語が始まるのだからな。
先生がこの手紙を読んでいるとき。
私、百合園セイアは、もうこの世にいない。
一般的な物語の華々しい結末とは程遠く、脇役が静かに物語から消え失せるように。私の物語は、静かに幕を閉じたのだろう。
これから紡ぐのは、私の遺書。或いは、孤独に苦しんだ狐の独白だ。
手始めに伝えよう。
私の人生の大半は、白い病室で占められていたわけではない。むしろそれとは対照的な、やんちゃでアグレッシブな女性だったと自負している。私が未だ存命なら、この一面を現実を生きる君に見せたかった。嗚呼、死ぬまでにやりたかったことの一つだろうな。彼岸に渡った後でも、きっと後悔している。
兎も角、私の大半の人生は悲痛とは言い難い、順風満帆な流れに乗っていた。異質な点を補足するなら、私は未来を自分だけの小説に引用することができる。この力が、良くも悪くも私の人生を左右させることになったのは、言うまでもない。
私は友に、歴史に、未来に振り回されてきた。その連鎖は止まることを知らず、遂には──私を病室に押し込む事態にまで至ってしまう。
きっと、先生である君は自責の念に囚われるだろう。それ故、今回の一連の物語は仕方のないものとして受け取ってくれ。どうしても、と声を上げるのなら、その選択も私は認めよう。だが、深く気に病まないでくれ。君は過去に囚われてはいけない牽引者なのだから。
人生は大まかに捉えると、物語とさほど変わりはない。
「起」。誕生。程なくして生理的に過ごす習慣から、ある日突然自我が芽生える。
「承」。父と母。その偉大なる存在から愛を、描写を、感情を与えられる。
「転」。外の世界。家族という枠組みを超えた、友。師。浅い関係でも構わない。娯楽を武器にする人間。偶然通り過ぎた人間。延いては、もっとも身近で駆け回る犬や猫。そして雄大なる自然。あらゆる源から、幾度もない知恵や教訓を得る。
「結」。死。物語として存在しなければならない要素でありながら、その実態はいまだに解明されていない。
これこそが最も普遍的で、最も望ましい人生だと私は考えている。その中でも「転」は、二つ目の「承」よりも筋書きに影響を与える要素だ。
病室で過ごした期間は、実に短いものであった。恐らく一年、否、三ヶ月にも満たないだろう。それでも私の物語を小説の一つにするなら、きっと内容の半分はこの白い病室で埋め尽くされる。
正確に言えば、私の肉体に、私の精神は残っていた。視界を染める病室の白い壁。私の頬を撫でる生暖かい風。鼓膜を静かに揺らす窓の外の喧騒。舌に転がる病院の食物の味。そして鼻腔を通る、ベンゼンの匂い。
先生、ベンゼンとは何か認知しているか? 敢えて庶民的な言葉で描写するなら、甘くも鋭い、不愉快な消毒の匂いさ。その感覚が何よりも頭にこびりついている。
病床に貼り付けられた私の娯楽は、夢の中での先生の会話、そして病室を構成する五感だけだった。酷く口にしてしまうが、あまりにもそっけない。私を満たすには、あまりにも足りなかったのだ。
静寂に包まれた箱庭。味気ないからこそ、私は気づいてしまったのだろう。私の物語が結末へと近づいている、という事実に。しかしながら、現実感、リアリティが無くてね。だからこそ、私は最期まで冷静でいられた。
そこで私は、唯一外の世界に目を向ける必要がなく、向き合えるこの瞬間に、一度自身について考える時間を設けてみたのだ。
先生。
美、という単語を耳にして、君はどう感じる? 換言するなら、その言葉に込められた背景とは何か知っているかな?
辞典を引くと出てくるのは、形や色彩が整ってきれいであることや、人の心を惹きつけて心地よい感動を与えるもの、らしい。つまり、整えられた上で完成する、万物を引き寄せる魅力を形容化すると、この言葉が生まれる。
しかし残念ながら、これは三人称視点から、客観的に観測した結果に過ぎない。この説明において、一番の盲点は主観がないことだ。
では一人称視点において、主観的に美を観測すると、結果はどう変わるかな? 自然が生み出す雄大で幻想的なものか? 芸術という名の色と形の集合体か? 極度に計算され尽くした建造物か? 利便性を追求することによって生まれる感情か? それとも、生理的欲求を刺激する完璧な異性か?
人によって解答は違う。十人十色とは正にこのことだろう。とはいえ、私は物申したい。それは完璧の上でしか成り立たない、実に不安定な概念だ。君も知っての通り、この世界に完璧という要素は存在しない。万物全ては不完全なのさ。加えて、今挙げた事象──雄大な自然も、芸術も、完璧な異性も──全ては「貴重」という言葉に飾られているに過ぎない。裏を返せば、身近には滅多に存在しない、ごく僅かなものばかりだということだ。
次に、私の考える美について、ゆっくり一つずつ整理しよう。
私はこの病室で、随分と夢を見た。先生、君の夢だ。閉ざされた四方の壁の中で、私はいつも君の見る景色を借りて、外の騒動を眺めていた。都合の良い話だろう? 現実の目で確かめずとも、私は知った気になれた。理解した気になれた。
だが、これは誤りだったと今なら分かる。
夢とは所詮、借り物の視界だ。そこに映る色も音も匂いも、私自身の網膜や鼓膜を通したものではない。ここではないどこか別の世界を夢見ることを、私は美徳のように扱っていた。だが違う。それは理解でも何でもない、ただの逃避だ。本当に何かを識るということは、自らの目でそれを見て、自らの手でそれに触れて、初めて成し得るものだと私は思う。夢の中でどれだけ美しい景色を見せられようとも、それは私の物語には成り得ない。所詮、他人の眼を借りた幻に過ぎないのだから。
ここまで語ったが、結局のところ私は、先生の夢という他人の眼が作り出す幻でしか、苦痛を和らげることができなかった。もしこの、君の夢を覗くだけの力すらなければ、私に残るのは色あせた過去と、漂白され切った現在だけだ。この空間に閉じ込められ、一度こうも考えたことがあった。美のない人生に、何の価値も存在しない。ないし、見出すこともできない。だから、あの時、命もともに散っていれば──この瞬間にでも終わっていれば。生きる苦痛に耐えるべきではない。だからこそここで終われば、と考えていた。
だが、先生。君なら私の考えに対して、こう反論する。
無限の可能性がある、我々生徒たちが未来に絶望し、その物語を打ち切らせてはいけない。心優しい君なら必然的にそう言葉を紡ぐ。非常に有り難い、それでこそ先生だ。
それでも。それでもだよ、先生。
私にとって、未来はひとつしかなかった。このまま体が衰えてゆき、未来がどう捻じれようと、私は病床の上で幕を閉じる。これは決して変えられない事実。そうなると、苦痛に耐えながらも、せめて明日を生きられるように延命し続ける人生か。それとも、美を精一杯手に掴み、短くも太い物語として幕を閉じる人生か。私なら必ず後者を選ぶ。
それ故、私はここまでの人生に憎しみを覚えた。
長くもなく、かつ美をも摂取もできない、幻想でしか満足できない、細く短い人生。先生なら、私の考えにも、同調はしないがせめて理解できるはずさ。
だからこそ私は、最期の瞬間まで、借り物ではない美を──この現実の中にある美を、この目で探し続けたかった。
つまり私が言いたいのはこうだ。美とは、遠い理想を夢見ることで得られるものではない。目を逸らさず、この不完全な現実そのものに向き合って、初めて見出せるものだ。ならば、美は最も身近な場所──手を伸ばせば届く、この現実の中にこそあるべきなのだ。摂取する機会は、多いほうがいい。だが、その機会は夢の中ではなく、現実の中に求めなければならない。
そう思わないかね、先生?
その上で、私が美と考えるのは、人波で沸き返る街。
一見すれば脈絡のない概念かもしれないが、この物語を真剣に読めば自ずと理解できる。不完全で、身近で、現実感がひしひしと体験できる。なにより、ひたすら強烈な、生気に満ちてる。静謐よりも熱気を。最期の私が望んでいたのはそれだった。
さて。ここまで独白を長々と語っていたが、君はまだ見当がつけられていない疑問がある。
私の死は、決して秘匿できるものではない。この手紙が送られるであろう時期は、まだ療養中だと隠してはいる。だがエデン条約締結後、あるいは数か月後、この事実は世間に必ず放出される。何故なら、ミレニアムサイエンススクールのような、高度な技術はこちら側に有していない。外部による告発を危惧して、トリニティは私の死を公に晒すだろう。本来ならな、先生。このことはトリニティからの知らせが無ければ知りえなかっただろう。
それでも、こうして手紙を君に送ったのには理由がある。
ある意味、私の最期のやんちゃだ。幾度も綴るが、どうか許してくれたまえ。
ここからは、公の知らせでも、決して語られない情報だ。
このまま私の命とともに、このことも静かに散らせようと、考えてはいたが、どうしても胸に突っかかってしまう。
トリニティの皆よりも、ハナコよりも、ナギサよりも、ミカよりも。
先生には、誰よりも最初に悲しんでほしかった。
誰よりも最初に、胸を痛ませてほしかった。
夢の中でしか会うことすら許されなかった私を、哀れみ、泣きじゃくり、名前を呼んでほしかった。
ここまで言ってなんだが、私は死ぬのが恐ろしかった。苦しいのは嫌だった。みんなと二度と会えなくなるのは悲しかった。
それでも、一人の少女の悲願で、筋書きを書き換えれるとは微塵も思っていない。ティーパーティーのホストである私のために、やんちゃで哀れで人間臭いこの想いを封じ込んだ。
それでも──私は。
私の孤独を、君に伝えたかった。私を想って泣いてほしかった。
トリニティの預言者も、ただの一人の女性として覚えてほしかった。
私は夢の中からずっと、こういったロマンチストな物語を願っていたのだ。
もし私が健在なら。
事が収まってから、あの清潔で広大なテラスで静かに、ミカやナギサと共に紅茶を嗜み。
オープンカーの座席に腰を預け、心地よい風に体を煽られながら、傍で通り過ぎていくなんでもない景色と夕日に、顔をほころばせたり。
最後は人波で沸き返る街の、陽射しが満ち溢れる路面電車の停車場で。
力強く搏動する心臓。
ふくらむ肺。
まだあたたかい唇。
その唇を、誰かの唇に強く、静かに押し当てること、だっただろう。
そんなひと時を過ごしたかった。
私、百合園セイアは、先生のことが好きだった。
これが、私の孤独の正体だ。長々と美について語り、生と死について語り、それでも最後まで隠し通せなかった、たった一つの本音。
だからこそ、君に伝えると決めた。この想いは、君にとって軽い荷物ではないだろう。むしろ、一生かけて背負うべき、重い十字架になるかもしれない。それでも構わない。私が君に遺せるものが、この十字架しかないのだから。
もう過去の女性であり、脇役として静かに消えるべき存在だ。この物語の主役は、あくまで先生、君自身なのだから。
だが、どうか忘れないでほしい。
夢を生きる狐は、現実を望んでいたことを。
君の体調を労わる人間がもう一人実在したことを。
君との邂逅を望んでいた女性がもう一人実在したことを。
一人の生徒が君を想い、この物語を書き終えたことを。
私の唇を押し当てたい相手が、先生だったことを。
だから最後に、重い十字架を背負わせた。
君が赦すか、赦さずとも、どうか覚えてくれ。
そして偶然思い馳せて、雫を落としてくれ。
私はそんな君の表情を、深い霧の中で思い浮かべながら、死ぬとしよう。
この紙切れは、未だにベンゼンの臭いが漂っているであろう。
もし視覚だけでは物足りないのなら、その臭いを堪能するといい。
きっと、私の孤独が伝わるだろうから。
最後にこの手紙は焼いて捨ててくれ。
この物語は、紙切れの上にではなく、君の記憶の中にだけ残ればいい。
ティーパーティーのホストの一人。トリニティ三大分派の一つサンクトゥス分派のリーダー。そしてトリニティの預言者は、過ぎ去る日々に飽和し、先生の心の中で霧のように満たす。
それでは、さようなら。
これからも、皆の頼れる先生であってくれ。
大好きだった、光である君へ。
「……わーお。これが、あの時の前に書かれてたものならすっごい複雑な気持ちだったんだけどなぁ……」
「あの、セイアさん? 恥ずかしいのは重々承知ですが……これは一体?」
「やめてくれ。本当にやめてくれたまえ。私が暇つぶしの一興に書き上げた小説を晒上げるのは」
わっぴー☆エンド
コメント
2件
今回も難しいこと言ってんなって思ってたらいきなり「この世には居ないだろう」って来てびびったけど最後の最後でミカ出てきて「あ、見たんだ」って思ってたらしっかりセイア生きてて良かった わっぴー☆エンドでめでたしめでたし
わあ……もう、本当に、すごいお手紙でしたね。セイアさんの孤独と、それでも先生にだけは伝えたかったという想いが、ひしひしと伝わってきました。病室のベンゼンの匂いや、夢の中でしか会えなかったもどかしさ。「美」についての哲学的な考察から、最後の「好きだった」というストレートな告白まで、ひとりの少女の人生と感情がぎゅっと詰まっていて、読んでいる間ずっと胸が苦しかったです。最後の「わっぴー☆エンド」で思わず笑ってしまいましたが、それがまた彼女らしくて……。素敵な作品をありがとうございます。
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