テラーノベル
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数ヶ月後。
俺はすっかり回復した。
そして………今、仁人と温かい食卓を囲んでいる。
大層むせながら叫んでるけど。
「お前俺が目を離した隙に何した!!!!」
2人で何回もキッチンに立ってるのに結局意見が対立して、結果できたものがなかなかにアバンギャルドな味になることもしばしば。
「ねえ仁人が作ったこれもヤバいってビネガーの味しかしないんだけど!!こいつマジでやだ!!」
言い合いをしてても結局は笑ってしまうので、なんだかんだうまくいってるんだと思う。
仁人もあの件から新しく変わった…俺が間違えて連絡した…部長と仲良くやってるらしく、あの人本物の天使すぎて俺が消し炭になる、とよく言っている。
ならねえよ、本物の前でならなかったんだから。
植物状態に近しいあの姿から目が覚めること自体奇跡だった上に障害もほぼ残らず、起きて数日もすればリハビリで歩けるようにもなり、1週間で定期的なリハビリを条件に、退院を言い渡された。
医師も研究対象にさせろと言っていたが、それは丁重にお断りした。
まるで天使の加護を受けたようだと噂され、それに対して俺は仁人と顔を見合わせて気まずそうに笑うしかなかった。
あながち否定できないことでもなかったし…。
そして必死こいて高卒認定を獲得し、仁人の家へ転がり込むこと前提に進路も確定させた。
本気になればなんでもできるというのは、マジのことだからね。
それを言ったら仁人はヤバいものを見るような目で見てきた。
「勇斗ってさあ、天使になる『前』のことは知ってるの?」
たまたま今日、食事を終えたタイミングでその話題が出た。
「覚えてるよ」
それだけ答えておいた。
事故の記憶から始まるから、言わないほうがいいかなと思っていた。
……その日、気づいたらめり込んだトラックの下で斃れる自分と、その目前で手を出したまま固まった仁人の姿。
その仁人の白い制服のワイシャツは、白い肌色の顔は、返り血で真っ赤に染まっていた。
何かと思ってトラックの下を見やると、自分でもえずいてしまった。
真っ赤に染まって、到底言えないような、惨たらしい姿で、驚いたような顔のまま時が止まっていた。
…最悪だ、仁人にこんな姿見られるなんて。
すぐにそう思った。
でも仁人は違かったらしい。
「思い出した?」
「無理だね」
「俺は思い出されるの嫌だけど」
でも、と続けた。
これは言っていいかなと思って。
「嬉しかったのは、仁人が俺の瞼を閉じてくれたことかな」
「はいダウト。解釈違い。そんなことするか俺?」
「したした」
長らく立ち止まっていた仁人はその時、何を思ったのか、ゆっくり近づいた。
膝をついて余計に血に濡れるのも気にせず、恋人の惨状にも怖気つかず、黙って顔に触れた。
そして瞼に手のひらをやると、静かに瞼を閉じさせた。
側から見てるから、どんな顔をしているのかはわからない。
けど…。
「あれでもっと好きになったなー」
「あっそう……」
呆れ顔の仁人はさっさと茶碗とお椀をキッチンへ運んだ。
「仁人は思い出したいの?」
その問いかけに仁人が足を止めて振り返った。
「…極力思い出すのは控えたいかなあ…とは思ってる」
「だったら聞かなきゃいいじゃん。そこまでして知りたい?」
そういうと仁人は言葉に詰まったように唇を結んだ。
「その小鳥みたいな口やめて」
「ブッハ!!!!」
仁人が堪えきれずに吹き出し、俺まで耐えられるなかったのでそれで有耶無耶となった。
それでいい。
仁人が思い出しても辛いだけなんだから。
それにしても、とノートパソコンでオンデマンド講義のレポートを仕上げながら考える。
ーー因みに仁人はおじいちゃんだからもう寝てしまった。
おやすみのキスさえもしてくれない。
まあ、いつもしてないけど。
そう言って揶揄ってるだけだけど…。
それより、どうしてそんなにあの時のことを聞いてくるのかと不思議には感じる。
単純に気になるのか、それとも…。
多分知りたい情報は全部知っている。
俺が事故に遭ってからたくさんのクラスメイトが会いにきたことも、
卒業してから帰省すると仁人の話を聞かせてくれる柔太朗も、
6年間、親の次にお見舞いに行きまくった舜太と太智も。
事故の後にぼんやりと仁人が海際を歩いていた時に、背後から海へ突き落としたクラスメイトも。
別に本当に恨んでいた訳じゃなく、混乱に乗じたただの愉快犯だった訳だけど。
…あのせいで仁人の海洋恐怖症に拍車がかかった。
デート先に水族館とか提案するとものすごいスピードで拒否される。
事故当時はまだお気楽に「まあ体はあるなら、いつか戻れるっしょ」というスタンスだったし…。
だからどちらかというと、仁人と水族館デートできないじゃん、と腹立ててわざとすり抜けて悪寒させたりとかちょっとよくない嫌がらせを数回したけど。
ファイルを添付して『提出』のボタンを押したところで息をつき、ソファーの背もたれにもたれた。
…何故海嫌いの仁人はあんなとこにいたんだ?
その時、寝室の方からトン、トンと物音がした。
もう夜も深い時間だ。
怪奇現象を疑い、思わず身震いした。
しかしその心配は要らず、おずおずと仕切を開けた仁人と目が合った。
「…どしたの、仁人」
「寝れないから寝れるまで待とうと思って」
仁人はそう言いながら出てきて戸を閉めた。
どことなくおぼつかない足取りでこちらに近寄って隣にボフ、と腰を落とした。
「珍しい。そんな昼間寝てたっけ?」
「いや…なんかその…」
仁人が言いにくそうに目を伏せた。
…なんだよ、気になるじゃん。
「…夢見悪くて」
「夢見?」
仁人は俯いていたが、突然袖をグッと掴んだ。
「…勇斗、俺ちょっと思い出したんだけど…あの日…」
「あの日?…ああ」
ふっと思い出し笑いをした。
「あの超絶痛がってたやつ?」
「本当にあれ裂けると思ったんだって……ウワーッ!!ってなるわそりゃ…」
思い出したのか表情を緩めた仁人に幾分安堵した。
…もしかしたら、その後のことも思い出したのかもしれないけど、聞きたくなかった。
「ま、安心して。俺だいぶ勉強したから」
「学生の本分の勉強はそれじゃねえだろ」
「まあまあ。…本当にいいってことね?」
改めて聞くと、仁人は少し考えて覚悟を決めた顔をして頷いた。
それに鼻で笑うと後頭部に手を回し、ゆっくりとソファーに倒していく。
手のひらに頭の重みと柔らかい髪の感触が触れる。
体を委ねた仁人の伏せ目は少し緊張を孕んでいるように思えた。
ソファーの腕掛けに頭を倒してさて、と思ったところで仁人がぼそっと口を開いた。
「……俺も…準備してきたから」
「へ?」
間抜けな声が出た。
仁人は高速で弁解を始める。
「あいや、まあね、そろそろかなーとは思ってたんだけどさほら前下手くそだったし俺がちょっと頑張ればスムーズに行くかなと思って適当に探したらたまたまね?たまたま見つかってそれが…」
その減らず口を塞いだ。
まず初めに思ったことは、驚くほど温かい。
むしろ熱さすら感じてしまうほどに。
そして、柔らかい、
湯気が出そうだ。
親がいない家のベッドの上で、気まずそうに正座した仁人に初めてキスした時のことを鮮明に思い出す。
それが、事故の当日だったから。
震える唇が合った時、もう元には戻れないとどこかで察していたし、高校生ながらにもうことの重さを知っていた。
ひぐらしをバックグラウンドに、西に傾きかけた日に照らされたせいか少し顔が赤らんだ仁人の表情がやけに色っぽくて。
……今も、暖色の照明に照らされて、耳には自分たちの上がった息遣いと、布擦れの音と、重なる湿った音だけが入る。
甘さに溶かされる仁人は眉間に皺を刻んで、口内を犯されている。
吐息に見え隠れする淡い声も一つ残らず聞いた。
押さえた頬は仕切りに動いていて、口を離すと突如頬は弛緩する。
は、と息をついた仁人は力が抜けたのか頬を手のひらに、寄りかかるように委ねる。
糸をつなげたままの仁人の唇はグロスを塗ったように艶やかで、大きくてしっかり周り を見る澄んで柔らかい眼差しが蕩けている。
その頬から紅潮した色白の肌が熱を放っていた。
「…あっつ…」
もう少しだけ、その体温が欲しい。
「……一回さ、ハグしていい?」
「どうぞ?」
なんだそれ、と拍子抜けした顔を無視してソファーから体を掬って胸に抱き留めた。
柔い身体と引き締まった筋肉、熱い体温、胸に重なる鼓動。
…1年経っても生身を自分の胸に収められる感動は飽きない。
「そのままベッド連れてっていい?」
「まだ筋力足りてないんだから無茶すんなほら。自分で行くから大丈夫」
俺が先に立ち上がり、次に仁人が よいしょ、と身体を起こして足につき、立ちあがろうとしたその時。
「え、仁人?」
急に目の前の視界から仁人の頭が消えた。
見下ろすと床にへたり込んでいる仁人がいた。
驚いたように目を見開いている。
「何、どうした?体調悪い?」
「え、わかんない…何なに、わかんない」
仁人も首を振って大混乱している様子。
もしかして、と勘繰って色々察した。
「…あー、はい、うん、わかった」
「え、こわ、何」
「仁人おいで、抱っこはできないけど肩貸すぐらいはできるから…」
「できないだろ…最近歩けるようになった生まれ変わりたての子鹿に…」
屈辱そうな顔の仁人がベッドに向かって匍匐前進のように這って行った。
「俺怖いわ。この姿見ても全然萎えない」
「もうそこまで行ったら僕は変態ですって言ってるようなもんだけどな。俺はそんな勇斗に蛙化しそう」
「ねえやめて蛙化って…」
「まあ意味違うけどね」
「じゃあなんで使ったんだ…よっ、と」
近くまで来た仁人の腕を思いっきり引っ張り上げて2人でベッドにダイブした。
向かい合った姿勢から仁人を跨いで、ボタンを外しながら上から順に唇を落としていく。
唇が落ちるたびに息を堪え、身体をわずかに震わせる仁人。
露になる黒子に落とし、何もない白い肌にも落とす。
「ん…」
「キス好きだったよね昔から」
「幻想抱くなよこのドスケベ野郎が…」
ほんとだって。
昔もこうして始まって数秒、首筋のキスで耳真っ赤にしてたくせに。
脱がせながらだともっと反応良くなるの、今も昔も変わらない。
その流れで耳にもキスをしてあげると大きく跳ねた。
そのまま露になった2つの印にも優しく、執拗に唇で触れれば、息は不規則に揺れた。
ギュッと目を瞑って、口元を強く握った左の拳で隠して枕を握る右手が震えているのが余計に心臓を高鳴らせた。
それでも紅い頬は隠しきれていない。
身体を脈打つ鼓動に、久方ぶりの生の実感を体感した。
「…大丈夫?怖くない? 」
顳顬をかきあげるように撫でてやると、既に髪はじっとりと濡れていた。
仁人はふるふると首を振った。
ふ、ふ、と小刻みに肩で息をしているのを見れば、それだけじゃないのは一目瞭然だった。
…少し長くやりすぎたか?
まだ前戯にも行ってないけど…。
「ちょっと落ち着くまで待とうか」
撫でた髪をわしゃわしゃと乱してそう告げれば、仁人はまた頷いた。
脱力したように横を向いて腕で顔を覆い隠した。
「……もうやばい、限界すぎ…」
「まだキスしかしてねえんだけど俺…」
しばらくして仁人が顔に手を当ててぼやいた。
「言い訳させて…ごっつ緊張してんのこっちは…」
「そうやって言われると俺のいつまで経ってもギンギンなんですけど」
「あ゛ーーーー鎮まりたまへ…」
ふと、仁人がちら、と俺の腹の方を見た。
「…どうしたん」
「勇斗脱がないのずるくない?」
痛いところをつかれて顔を顰めた。
「いや…俺はいい…見ても萎えるだけだし」
「は?なんで」
「だって俺…事故でボロボロだし、病院にいた時に腹から栄養取ってたし…」
「治ったんじゃないの?」
「いや、だいぶ綺麗になった方。でも…ちょちょちょちょ!!」
話を続ける前にガバ、と仁人が服を掴み、そこまま引き上げた。
「早く脱いで。破るぞお前」
「ちょっとヤダー!!仁ちゃんのエッチ!!!!」
「うるっせえ早く脱げっつってんだろ!!!」
…人間生活6年のブランクはかなり大きく、力で負けたことのなかった仁人に、初めての敗北を喫した。
6年以上経ってもう十分に綺麗に、胃ろうの傷も開くことはないぐらいには癒えた。
それでもまだ縫合の後は残り、傷跡も薄くなるには半永久的な時間がいる。
手で覆い隠すにはあまりに範囲が広く考えあぐねていると、仁人はその様を表情も変えずじっと見ていた。
「もういい?服着ていいですか仁人さん」
「なんで?そのまましないの?」
「萎えるでしょ」
「別に。萎えない。勇斗がここまで頑張ってついたものだし」
手のひらをスッと伸ばし、腹をするすると撫でて、思わず体をぴくつかせた。
「崇め奉りたいぐらいだよ」
…お前は本当に……。
だから容易にその顔が一瞬昏くなったのも見逃さなかった。
「…今仁人が考えたことわかるよ」
「あ?なに」
「『俺のせいでこんな』」
その言葉に一瞬口をつぐんだ。
また仁人はいつもの調子で、
「思ってない。自惚れんな?」
と返した。
「いーや思ったね。だいたい今日俺としたいって言ったのも全部嫌なこと思い出したからじゃねえの?」
「いや思ってな…うんまああったよ…そういう気持ちはあったけど…」
「海に行ったんだろ?あのときだって本当はよくないこと考えてたんじゃないの?」
痛いところをつかれたように仁人が鼻に皺を寄せた。
しばらくして観念したように仁人が白状した。
「…ああそうだよ。別に本気でそんなつもりなかったけど…」
言いづらそうに目は合わなかった。
「…でもそんな度胸なんかほんと、微塵もなかったからさ。街からも出て、全部忘れようとした。そしたらどんなに責められてもノーダメで済むし、楽だし。気づいたら記憶さっぱり消えてた」
自嘲するように笑うと、
「なかなかに最低じゃない?俺」
「最低じゃない」
即座に否定した俺に仁人は大きな瞳を向けた。
「それで仁人がここまで生きてくれてたなら、俺はよかった」
仁人の顔の両脇に手をついて真正面から見つめた。
「なんで仁人は俺に思ってくれてることを自分自身には思わないわけ?」
仁人は黙ったまま見つめている。
「…周りが許さなくても、俺が許すから。仁人のせいじゃない、仁人は悪くない、仁人は生きてていいんだって代わりに言ってやるから」
大きな目がさらに見開かれた。
「だからもう忘れな?そんな奴のせいで仁人が今いなかったら俺だってそのまま死んだってよかった。『俺が』仁人がいなきゃダメなの」
ヒートアップするごとに声は大きくなっていく。
仁人をビビらせやしないかとヒヤヒヤしながらも真っ直ぐに目を見つめて言った。
言い切った時には、ひどく息切れしていた。
「…声でかお前…」
間抜けな仁人の返事だけが残った。
「…本当に?俺開き直って図に乗るよ?めちゃくちゃ大船乗りまくるよ?」
「その時は撃沈させるから安心して」
「ふざけんなよお前。まあでもありがと」
口をまたぎゅっと結んで、両腕で目元を覆って隠した。
「お前泣くの早いって…この後散々泣くのに…」
「キモッ!あー最悪!非常にキショい!今ので引っ込んだ。誰だよこいつのこと好きになったの」
「お前だよ」
6年前の夕方も、同じように部屋には2つの息が混ざっていた。
指から伝わる相手の体の緊張と若干の湿りと滑り。
「……は、……ッぐ…ぅ、…」
片方の詰まらせた息に紛れた呻きに近い声に、おずおずと聞いてみた。
「きつい?やめとく?」
「…やめ、ない……」
「でもしんどいっしょ」
脂汗と苦悶の表情を浮かべながらもなお続けるという。
口を手の甲で押さえながら、即座に首を振った。
「…まだ…やめたく、ない……」
今この6年越しのリベンジは驚くほどにその過程を終え、最終段階へと突入していた。
中はあの時よりもしっかり熱く、柔らかく、緩く、しかし時折離れることを許さないように締め付けながら歓迎していた。
自身も息を切らせながら、今まで誰も知ることのなかった場所を間違い探しのように探り当てて、仁人を絶頂へ誘った。
相手を隅から隅まで余すことなく愛して想いを伝えられるまたとない機会に対してなのか。
それとも腰を弓なりにさせながら優しく受け入れて、いつも以上に体全体で反応を示してくれる仁人への想いが溢れたのか。
熱った体を放熱するためなのか。
…もうよくわからない。多分違うんだと思う。
ただ息が少し嗚咽のような引き付けを起こし始めたのは感じた。
仁人は固くつぶっていた目をこじ開けて思わず笑いそうになっていた。
眉をハの字にした困った笑顔で。
「なに、それ…鼻水…?…汗?」
「ちが…涙、と…鼻水…、汗…」
もう自分でも何がなんだかわからない。
隠すように肩に顔を埋めた。
「仁人と……、ずっと、…こうしたかったからさ……」
「…ん、…」
「繋がってるのが……あったかいのが……なんか…やば…う、嬉しくて」
べそをかきながら肩越しに呟いた。
「…もう、変なこと、考えんなよ…お前……一緒に、いて…ずっと…」
思わず漏れた本音に照れる余裕なんてなかった。
仁人の反応を気にしている暇なんてなかった。
「……勇斗…」
小刻みに呼吸をしながら首元から抱き寄せた。
辛い身体で背中と首元に手を当てて、首から後頭部を優しく摩った。
「……ありがと…きもち、いよ……」
吐息から限界が近いことがわかる。
それでもその声は眠る子に語りかけるような、ソフトな声色。
…何を思ってそう言ったのかはわからない。
わからないが、今日はその優しさに甘えることにした。
6年分の時間を埋めるには、あまりにも短い夜に感じた。
西陽が柔らかい海沿いの歩道。
事故当日…まさに直前の時だ。
失敗した手前何故か気まずい雰囲気が流れてて、それを振り切るように数歩手前を歩いていた。
横断を歩道を渡る直前に、背後から声をかけられた。
勇斗、と。
振り向くと、仁人が何かいいたげに腰に手を当てて考え込むように俯いた。
仕方ないか、と言わんばかりの面持ちで息を吸った。
「また、明日。…出かけたいとこ、連絡する」
当時の自分はそれすらも嬉しかったんだ。
嬉々として手を振って、信号が青になって横断歩道へと踏み出した。
その夢は事故当時を見せず、ただただ幸せな夢として消化された。
「…ん?ああ、仁人」
翌朝、いつもの十字路で通話が鳴った。
翌朝といってももうすでに昼に近い時間で、太陽は高くなっていた。
「…ああ、今?ごめん勝手に出て。シャンプー切らしてたなと思って。仁人が起きたら風呂に入れようと思ってたからさ、黙って出ちゃった」
少し間をおいて恐る恐る聞いてみた。
「……体大丈夫?…え?やばい?…あー…うん、ごめんそれ以上はやめて。再発する。…え?きもい?しょーがないだろもーー俺健全な男なんだから」
ぶーたれていると凶暴なエンジン音が耳を劈く。
反射的に右方を見やると、大きなトレーラーがこちらに向かって走ってくる。
息を呑んでその瞬間を見守る。
そのトレーラーはゴオオ、という音と共に目の前を通過し、やがてその轟音はやんだ。
なぜか、その瞬間を見守っていた。
電話口からの呼びかけに我に帰った。
「え?ああ大丈夫。じゃああと3分で帰るから。うん…じゃ」
『てかさ、勇斗』
「ん?」
『ずっと思ってたんだけどさ、お前なんで急に天使になんかなったの?だって今まで霊体だったってことでしょ?』
「それは…」
ニヤッと笑ってみせた。
「俺は『仁人』の天使だから。必要だったら行くし必要ないなら行かないってだけ」
…通話を切って、軽い足取りで横断歩道を踏み出した。
明日の確証はない。
なんなら今日の確証だってない。
けど、今はそんなことに恐れを感じないほどに清々しい気持ちだった。
…家に帰ったら、また言ってもらおう。
目が覚めた時に聞いた3文字の言葉。
昨日も散々うわ言のように伝えてくれた言葉。
『好きだ』…ってね。
コメント
4件
素敵な作品をありがとうございます😭 佐野さんが生きてるのがわかった時の吉田さんの気持ちがすんごく伝わってきてもう涙涙でした😭

素敵なお話しを夢中で一気に拝読できてたいへん幸せに存じます!感動して涙がとまらないです。 ちりばめられている要素や物語の展開、濃密な描写等すばらしすぎてこちらのお話しに出会えたことにただただ感謝です。 これからのご活躍をたのしみにしております。
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