「はっ!」
不意に響いた声は
皮肉めいた抑揚を帯びていた。
次の瞬間
音もなく窓が開き
ふわりと何かが飛び込んでくる。
レイチェルの目は
飛び込んできた影を捉えた。
あのウェイターだ。
ダークブラウンの癖のある髪を跳ねさせ
琥珀色の瞳を細めた
ぶっきらぼうな男。
「よく言うなぁ⋯時也?」
男は窓の縁に片足を掛け
もう片方の足は窓の外で
まるで其処に床でもあるかのように
安定した姿勢をとっていた。
風に吹かれるカーテンが
彼の後ろで揺れ
窓の外には月が鈍く光を放っていた。
レイチェルは
その窓の向こうに目をやり
思わず息を呑んだ。
(⋯⋯こんな高さ
外から窓を乗り越えて来るなんて⋯⋯)
ー有り得ないー
窓から見える景色は
割と高さがあるように見える。
見える街灯の様子から
此処が一階では無い事は
明らかだった。
(⋯この人、今⋯⋯飛んだの?)
思考が追いつかず
言葉が出ない。
「まだ嬢ちゃんが⋯⋯
記念すべき〝第1号〟だろうが?」
男は口の端を釣り上げ
皮肉めいた笑みを浮かべていた。
「貴方⋯⋯
女性の部屋に入る時は
ちゃんとノックと
お伺いをたてるものですよ?」
時也が深くため息を吐きながら
溜め息混じりに言う。
「礼儀の躾直しが⋯⋯必要ですね?」
レイチェルは
そんな二人のやり取りを
呆然と見つめた。
「はいはい」
男は面倒くさそうに
手をひらひらと振った。
「どーせ俺は
躾もなってねぇ野良犬様ですよっと」
口調は軽く
投げやりな言葉の端々に
何処か不機嫌さが滲んでいた。
「店の血溜まり
掃除終わったから
アリアと青龍を迎えに来てやったぜ」
男が投げかけた言葉に
レイチェルの呼吸が止まる。
血溜まり⋯⋯
さっきのあの惨劇を
何とも思わないかのように
男は当然のように口にした。
ー掃除終わったー
その言葉が
あの出来事が夢ではなく
紛れもない現実であった事を突きつける。
男の服の端々には
点々と赤黒い血の痕がこびり付いていた。
乾いて黒ずみ
部屋に既に
鉄臭さが漂い始めている。
(⋯⋯やっぱり、あれは⋯っ)
夢ではなかったのだ。
手の平に蘇る
ナイフを握った感触。
肉を裂く嫌な音と
指先にまで伝わる
血のぬるりとした感触。
喉の奥が苦くなり
胃が軋み出す。
(⋯⋯私⋯本当に⋯彼女を⋯⋯刺した)
レイチェルは
言葉にならない声を飲み込んだ。
自分の手で
彼女を刺したのだ。
目の前の男の服に染み込んだ血は
その事実を残酷に物語っていた。