禪院家の呪力のない子ども。それが甚爾だった。呪力が皆無なことは生まれてすぐに分かったそうだが、少なくともワシより「マシ」な人間らしい暮らしをしていた。
ワシは生まれてこの方、ろくに人間らしいことを教えられていなかった。故に。
―――飯が雑に捨てられ、床には排泄物がまき散らされ、壁はズタズタに刻まれていた部屋。普通ならナントカって言った病気にかかっても全く不思議ではない環境。臭くて、汚くて、最悪なそこにワシは『い』たらしい。怪物の穴倉か、地獄の片隅。角の生えた子供が、汚いものすべてをぐちゃぐちゃと詰め込んだような地獄に居たという。這いずって、汚い床に捨てられた飯を貪っていたと。
その時はたまたま、ヒゲに殴られた後だったので、水に突っ込まれ殴られたままの、血の汚れ以外はまあまあきれいな状態だったらしい。(酷いときは近づくのをためらうレベルらしかった)
床の飯を食う子ども、汚い部屋、聞きしに勝る地獄のような光景。だから思わず。
「おい」
甚爾は声をかけたのだと。
――血筋的には異母兄弟である甚爾は、角の生えた化け物が生まれたことを聞いて「この家呪われてんのかな」と思ったらしい。ハハハ!呪術師の家が呪われてないわけがないな!呪力無しの次は角付きと来て(まあワシの場合は特殊じゃが)、大いに家は騒がしかったらしい。特に、昨年は六眼持ちが五条家で生まれていたというので、近い年代に女児でも生まれたら…と期待が高かったために、落差が激しすぎたらしい。こっちとしてはたまったものではないが。当時の宗家は子どもが少なかったし、今でも少ないから、実際ワシが女でも縁談の話なんてなかったんじゃろうけど。ていうかアイツ、五条悟。結婚する気あるのか?無理じゃね?たぶんホモなんじゃろ。知らんけど。
ともあれ、初めて甚爾に話しかけられた時、ワシは何も反応しなかったらしい。『話しかけられる対象として扱われる』ことが長いことなかったため、というか、部屋から嫌々やってきた人間に有無を言わさず連れ出され、水の入ったたらいで雑に洗われ、ヒゲに訓練という名の見せしめで殴られるクソルーチン以外のコミュニケーションを取ったことがなかったため、本当に『会話』という会話がワシ相手に発生したためしがなかった。甚爾がいなかったらたぶん本当に言葉も話せないままだったんじゃないだろうか。
まあ、甚爾がワシの生活を変えたのは間違いない。
多少人間らしい成長をした(躾けられた)ワシは、向こうから仕掛けてくる喧嘩を全部返り討ちにしたりヒゲを不意打ちしたり不意打ちしたり不意打ちしたり、適度に禪院家の連中をボコボコにしつつ甚爾と楽しい暮らしをしておった。ぶっちゃけ甚爾に勝てるやつが誰もいなかったから、なんだかんだ甚爾の庇護を受けられたのは運がよかった。ぐちゃぐちゃと文句を言うやつらを踏みつぶして、屈服させ、奴らを頭上から見下ろして高笑いするのはとても気分がよく、最高だった(ヒゲを除けば)。こんな日がずっと続くと思っていた。いいや。そもそも明日のこととか考える頭がなかったワシは、刹那的に人間を嬲るのが楽しかったし終わるとか考えとらんかった。
甚爾が禪院家から出ていくまでは。
禪院家最強(非公認)の甚爾がいなくなってからは、再び地獄が待っていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!