白い蛍光灯の下。レナは病院のベッドに沈み込んでいた。
鼻の頭まで毛布を引き上げ、無言で天井を見つめている。
点滴の滴る音だけが、静かに室内に響いていた。
「……油断したわ。」
呟きはかすれ、少し熱を帯びていた。
前回の任務――吹雪の中で長時間待機したのが響いたらしく、帰還後に高熱を出した。
医務官の判断で強制入院。病室の中で、彼女は退屈そうに息を吐く。
扉が開き、カイとボリスが入ってくる。
カイは腕を組み、ボリスは果物ゼリーの袋をぶら下げていた。
「よう、風邪っぴき。」
「……うるさい。……ゼリーだけ置いて帰って。」
「はは、まだ元気はあるな。」
ボリスが笑う。
カイはベッド脇に立ち、体温計の数字を一瞥した。
「医者の話だと、最低でも二、三日は安静だってよ。」
「二、三日で済むならいいわよ。明日の任務は?」
「予定どおり。荒野ルートの護送支援。天候は問題なし。」
「ならボリスと二人で行きなさいよ。私抜きでも――」
レナが言いかけたところで、カイが首を振った。
「いや。念のため代役を立てる。ミッション成功に万全を期しておきたいしな。」
「……代役?」
「単発契約のスナイパー。即応で呼べる奴がいるか今からリクエストしてみる。」
カイは端末を取り出し、淡々と操作する。
数秒後、端末が小さく鳴った。
【マッチング成立:射撃手 ミラ・ハーシェル】
「……早っ。」
ボリスが眉を上げる。
カイは短く笑った。
「経歴は悪くなさそうだな。」
レナは枕に顔を半分埋めたまま、ぼそりと呟いた。
「……女?」
「名前からしてそうだな。」
「ふぅん。まあ、ちゃんと助手席、暖めておいてよ。」
「おう。冷やさねぇようにしとく。」
カイが退出し、ボリスもゼリーを置いて出ていく。
レナはひとり、静かな病室で小さく息を吐いた。
「……あの車の助手席、他の人が座るの……初めてね。」
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翌朝、整備区画の入口にひとりの女が立っていた。
背筋を伸ばし、無駄のない姿勢。
黒髪を後ろでまとめ、銀縁のメガネが朝日を反射する。
黒の軍服にはしわひとつなく、ブーツのつま先まで磨き上げられていた。
「カイさんとボリスさんで間違いありませんね。」
透き通るような落ち着いた声。
女は姿勢を崩さずに一礼した。
「ミラ・ハーシェルです。本日の支援射撃任務、代行いたします。よろしくお願いします。」
カイとボリスは、思わず顔を見合わせる。
「……なあカイ。」
「ん。」
「固ぇな。」
「うん、戦場で“よろしくお願いします”なんて久しぶりに聞いた。」
ミラはそんな二人のやり取りを無視して、すでにヴァルヘッドを見上げていた。
装甲車体のライン、砲塔の角度、助手席の高さ。
視線が正確に動く。まるで図面を読むように。
「射界は前後八十度までです。座席シートを調整しても?」
「お、おう、好きにしろ。」
「ありがとうございます。」
ミラは淡々と頷き、助手席のドアを開けた。
黒いグローブの指先が、金属の取っ手を滑らかに掴む。
ボリスが後方の荷台に機銃を据えながら、小声で言う。
「なあカイ、真面目すぎねぇ? ああいうタイプ、ヴァルヘッドの揺れで酔うぞ。」
「……かもな。でも見た感じ、完璧主義ってやつだ。酔っても顔色ひとつ変えねぇタイプ。」
「怖ぇな、それはそれで。」
カイは運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
低く唸る振動に、ミラがわずかに眼鏡を押し上げる。
「この車体、整備が行き届いていますね。エンジン音が均一です。」
「ほう、わかるか。」
「音の波形でおおよその状態は推測できます。」
「……理屈っぽいな。」
「よく言われます。」
ヴァルヘッドが荒野を走る。
乾いた風と砂がフロントガラスを叩き、エンジンが低く唸った。
助手席のミラはわずかに身体を傾けながら、走行中の振動に合わせて照準を補正している。
レナがいつも陣取っていた席――
今、その空間には黒髪をきちりと束ねた彼女が、冷静すぎるほどの姿勢で座っていた。
彼女がスコープを覗きながら呟く。
「前方、六百メートル。二人。」
カイがスピードを落とす。
「任せる。」
ミラは呼吸一つでスコープを覗き込み、トリガーを絞った。
ターーーン!という乾いた音。
敵兵が崩れ落ち、もう一人が逃げる前に次弾で沈んだ。
「……速っ。」
ボリスが荷台から感嘆の声を上げる。
しばらく走るうちに、ミラの口調が少しずつ変わってきた。
標的を狙う前、わずかに呟く。
「……あの位置で頭出すなんて、バカかしら。」
「お、おい、今なんて?」
「客観的な感想です。」
遮蔽物に隠れた敵が投げたグレネードが遠くで空を切る。
ミラは即座に撃ち抜き、空中で爆散。
「……雑。訓練してから出直してほしいわね。」
カイがちらりと横を見る。
「口が悪くなってきてるぞ。」
「抑えてます。これでも。」
ボリスが笑いをこらえる。
「射撃はうまいけど、怖ぇな……レナとは違う意味で怖い。」
そのとき、無線が鳴った。
『……こちらレナ。ヴァルヘッド、聞こえる?』
まだ少し掠れた声だが、もう病人の声ではなく滑舌ははっきりとしていた。
ボリスが苦笑しながらぼそっと呟く。
「……噂をすれば、ってやつだな。」
「こちらカイ。聞こえてる、どうした。」
『病室で…ずっと寝てても任務の結果が気になって落ち着かないのよ。……あと、助手席の子はどうなの?』
カイがちらりとミラを見る。
「腕は確かだ。落ち着いてて、仕事が速い。」
ミラが淡々と口を開く。
「レナさん、こちらミラ・ハーシェルです。支援射撃を代行しています。」
『へぇ、礼儀正しいのね。』
「職務上、当然のことです。」
『……そう。まあ真面目そうで何より。』
「必要最低限の発言を心がけています。」
『…なんかAIと喋ってるみたいね。』
「効率優先です。」
『……さっきの支援射撃なんだけど。』
ミラがちらりとモニターを見る。
「はい。命中しましたが、問題ありました?」
『悪くない。けど、癖が出てる。トリガーの入りが早い。撃つ直前で微妙にブレてるの、気づいてる?』
「自覚はあります。ですが修正中です。」
『“修正中”で済むのは訓練まで。実戦で出す癖じゃないの。』
カイがすぐに割って入った。
「おいレナ、今は任務中だ。後で指摘してくれ。」
『だから言ってるのよ。後じゃ遅い。』
『別にケンカしてるわけじゃないわ。ただ、プロとして指摘してるだけ。』
「ベッドで寝込んでいる方からの指摘は必要ありません。」
『……あんた今、皮肉言った!?』
ミラが小さく息をつく。
「……病人の割に、声量がすごいですね。通信ノイズが出てます。」
『ノイズ!? あたしをノイズ扱い!?』
「物理的な現象として言いました。」
『言葉の選び方考えなさいよ!』
「了解です。」
「おいストーーーーップ!」
カイが声を張った。
「はいはい、終わり。ミッション中だ、以上。」
通信機をカイが無理矢理切断した。
車内に静けさが戻る。
ボリスが苦笑する。
「あれだな。基地に戻ったら絶対ひと悶着あるぞ。」
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荒野の夕日がフロントガラスを照らし、砂塵の中をヴァルヘッドが走り抜けていく。
基地の前で彼らを出迎えたのは、すでに病衣を脱ぎ、腕を組んで立つレナの姿だった。
マスク越しでもわかる、いつも戦場で見せる攻撃的な目。
「おかえり。……助手席、どうだった?」
ミラが眼鏡の奥でまっすぐ見返す。
「精度の高い運転でした。」
レナは小さく笑う。
「そう。じゃあ――どっちが“相応しい”か、確かめてみましょうか。」
「…受けて立ちます。」
荒野の空気が、一気に張り詰める。
――次の瞬間、ボリスとカイは同時に顔を見合わせた。
「……来たな。」
「悪い予感しかしねぇ。」
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「カイ、ボリス。――準備はいい?」
レナが片手で髪を束ねながら、射撃レンジに立った。
薄い砂煙の向こうで、夕陽が沈みかけている。
カイは無造作に地面に空き缶を並べ終えてから答えた。
「へいへい~~。いつでも。けど、ほんとにやるのか?」
「やるに決まってるでしょ。上下関係は射撃勝負で決めるの。」
ボリスが笑いながらドローンを地面に設置する。
「じゃ、俺は審判兼ドローン係だな。空き缶部隊、発進っと。」
軽い風が舞い、数台のドローンが滑らかに上昇。
吊るされた缶がゆらゆらと揺れる。
ミラがスコープを覗きながら言った。
「ルールは?」
「十発勝負。倒した数で決まり。引き分けなら追加ターゲット……あっ ちょっと待って、出力落とす。」
レナは慣れた手つきで荷電粒子砲のレバーを操作した。
「頼むから、基地の壁だけは撃つなよ。」カイが苦笑する。
『スタート!』
ボリスの声が響いた瞬間、
二丁の銃がほぼ同時に火を噴いた。
――カンッ、カンッ。
最初の二発、両者命中。
空き缶が宙で跳ねて落ちる。
「おっと、いい勝負!」ボリスが歓声を上げる。
レナがスコープを覗きながら微笑む。
「反動の吸収が甘いわね。肩、まだ慣れてないでしょ。」
ミラは即座に返す。
「息止めのタイミング、早いですよ。撃つ瞬間に頬がブレてます。」
「……言うようになったじゃない。」
「あなたが言わせたんです。」
二発目、三発目――どちらもほとんど誤差なし。
カン、カン、カンッと乾いた音がテンポよく響く。
銃声、缶の破裂音、そしてドローンの風音。
次第に競い合いが、掛け合いに変わっていった。
「風向き読めてきた? 次、あの赤い缶!」
「了解です。私が左、あなたは右。」
二人の言葉に、最初の刺々しさはもうなかった。
代わりに、どこか楽しそうな笑みが混じっている。
「ラスト、同時に行く?」レナが言う。
「ええ。」ミラが頷く。
「右、任せます。」
「もらうわ。」
二発の銃声が完全に重なった。
缶が空中で弧を描き、同時に落ちる。
レナとミラはほぼ同時に銃を下ろし、互いを見やった。
「……引き分け、ね。」
「そうですね。」
ふっと、二人の口元に笑みが浮かぶ。
静かな余韻の中、レナが言った。
「撃ち合って分かった。――本当にすごいわ、ミラ。」
「光栄です。レナ、あなたこそ。」
一拍の沈黙のあと、レナがぱん、と手を叩いた。
「じゃあ、次は飲み勝負で決めましょうか!」
「えっ?」
カイとボリスの声が重なった。
ミラは眼鏡を押し上げながら、さらりと言う。
「お酒は大好きです。負けません。」
「そう。いい店知ってるから付いてきて!」
「料理は辛い方がいいです。おつまみで勝負です。」
「お、いいわね。辛口対決も追加!」
レナとミラはもう、並んでダイナーの方向へ歩き出していた。
カイが呆れ半分に笑った。
「女子って普通は大ゲンカしたら、もう仲直りしないと思ってたけどな…」
ボリスが肩をすくめる。
「ヴァルヘッドの助手席に乗る女子は、だいたい“普通”の枠じゃねぇんだよ…」
立ち尽くす2人に向かってレナは振り返り、声を張り上げる。
「ちょっと何やってるの!飲みに行くって言ってるでしょ!あと、ラビも、アレクセイも呼んで。」
「はっ!はい!」
再度カイとボリスの声が重なった。
「なぁ……俺たち、明日ちゃんと動けると思うか?」
「無理だな。」
笑いながら、二人もその後を追った。
夕暮れの基地に、銃声よりも大きな笑い声が響いた。
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