テラーノベル
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その日は早朝から酷い二日酔いで、午前いっぱいは仕事にならなかった。
体を起こそうとすると頭に鈍い轟音が響き渡り、碌に接客も出来かねるのだ。
だが店長からイギリスさんの店へ仕入れてこいと命を受ければ、スイッチを入れられたかのように、おかしなほどきれいに眠気が飛び、爽快な気分が蘇った。
或いは宵の口特有の蒼く冷えた甘い空気に絆されているようだ。
ほの暗い灯りが連なる歓楽街を、嬉色を隠しきれずに浮き足だってにんまりと嬉しそうに顔を綻ばせる。
平常なら胸騒ぎと悲観的に捉えるであろう心臓がくすぐったい感触。でも今は何もかも子供のように愉快に思えた。
そんなことも露知らず、イギリスさんは今頃素朴な生活から優雅な仕事に鞍替えしていると思案すれば、少し口角が窄まる。
不意に、端目に写る繁華街。電灯が眩し過ぎるせいか、今が深夜だということを忘れそうになる。
夜の繁華街を表面的に照らす寒色、暖色が連なる電灯。
イルミネーションなどという大層でも綺麗なものでもないが、少なくとも夜な夜な居場所を求め現れる素行不良の年端のいかない少年少女の心を浮き立たせているのは確固たる事実だ。
石ころを蹴って一人遊びをする小綺麗な純情少年も居れば、不適な笑みを浮かべる傷んだ金髪の軟派な青年まで、蓋を開けてみれば多種多様だ。繁華街は都会の闇やしがらみを一身に背負っている。
ふと自分に向かう鋭い、刺す様な視線を感じる。視線が首筋に注がれていることを意識すると少々窮屈に思えた。
視線に耐えかねて、一呼吸おいてから肩を半ば大袈裟に大きく回して振り向く。
青年だ。疲弊しているようで、目の周りが薄黒く隈どられている。
息苦しいほど膝に胸を押し当て、うずくまって此方を注視している。
二人の視線が縄のように一心に捩れて絡まる。
通常ならば繁華街などという掃き溜めで視線がかちあった時点で私は一触即発の危機にある。極めて危険という事を指し示している。
だが青年は浅葱色の澄んだ瞳をピッタリと私の瞳の上に据えて離さない。まるで矢を放たれている気分だ。
ぎこちない沈黙に心が曇り、目線をアスファルトの上に伏せる。
決まりが悪く気まずさを誤魔化すように笑みを貼り付け、居た堪れない空気から逃れ去ろうと棒のように突っ張った足を前進させる。
突如、小鳥でも絞め殺すのかという程の力で指先が肌に食い込んで痛いぐらい強く腕を握られる感触に襲われる。
輩にでも目を付けられたのかと固く構える。
諦念を抱きつつ、手に負えない悪童への対処法を教わらなかった自分に白く爛れた自己嫌悪に陥った。
革靴の踵を軸にしてゆっくりと身体の向きを変え、振り返る。
すると驚くべき事に、先ほどの色白で細くしなやかな身体つきの華奢な青年が鱶のような表情のない眼差しで此方を凝視して上下共に離さない。
「……アンタ、二丁目の夜職店の従業員だろ」
面前の彼は好奇の眼差しで、至って真剣な顔つきを崩さない。
思わず返事の代りに消え入りそうな細い吐息をつく。
「…要求は?」
「俺を雇ってくれ。不眠不休でも一向に構わない」
「……」
そう来たかと、渦を巻くようなため息を吐く。
「…お願いだ、もう2日はまともな食事を摂ってないんだ」
青年の声が頼りなく震える。
道理で。病的な迄に体の大部分が黒影で占められている痩せ萎びた体型は雛鶴のように貧弱だ。
悲痛で弱々しい声に日本は片眉を上げて、上面は同情するような表情を浮かべる。
しかしながら、此方も商売で食っているのだ。不本意だが、我々にも『選定』する権利はある筈だろう。
手始めに顔から生気の類を綺麗サッパリ抹消し、能面のように冷たいこわばった顔に変する。
顔から表情が抜け落ちた思慮のない顔を目視し、青年の顔がやや張り詰める。
「君…名前は何と言うのですか?」
「…!アメ、リカ…アメリカだ…‼︎」
「そうですか。実に宜しい名前ですね」
目を細め、事務的に称賛の言葉を浴びせる。
青年____アメリカさんは助かったと言わんばかりに嬉し気に端正な顔を歪め、息を弾ませた。
頬に紅が差し、みるみる内に顔に輝きが破れる。
眼前の彼には悪いが、手始めに小手調べを施させていただく。
「此処らの道って、寂しい位に人通りがまばらなんですよね。閑散としているというか…」
「…ああ、自動車が一台も通る訳がないのに未だ信号機は赤と青の点滅を繰り返してるよ」
「空しいですね」
「私も、貴方も」
アメリカはしおれかけた花みたいな笑顔を引っ込ませて眉を上げ、面食らって狼狽を顔に漂わせる。
「…可哀想ですね、こんな見るに堪えない陰惨な人生ならばせめて一思いに私が終わらせてあげましょうか?」
温度の低い笑みを浮かべるが笑い声は一切上げない。奇妙に顔を歪め笑う日本の胸中は苦い、渋い色で満ちていた。
彼は、苦い薬を目の前に出された小さな子供のような顔をした。
恐ろしい憂鬱が彼の肩にのしかかるのを感じる。
「…⁉︎⁉︎♡」
嘔吐の前触れのように苦々しい顔を両頬に現すアメリカを眼前に捉えた瞬間、目の前の彼に興味関心を失いどこか遠い処へ散り薄れかけている自分の魂が白く溶け落ちるような衝撃を受けた。
心臓が嫌な感じに脈拍を上げ、体内の熱い血が波打つ。
心臓の鼓動が、早鐘を撞くように乱れ撃ち初めた。胸が張り詰めるのを鮮明に感じる。
アメリカは今も尚、肉食獣に襲われた草食動物さながら怯え、極限まで背中を丸くする。
ああ、なんと愛らしいことでしょう!
軽薄な愛嬌では量れない、気が狂いそうな恐怖、畏怖の念が眉間に刻まれた皺と共に心へすとんと堕ちていく。
壊れた玩具のように痛々しい目の前の青年は、奇跡とは到底言い難い。
街行く誰も彼もか見出される可能性がある平凡な『美しさ』を顕著に表していた。
「…軽い冗談です。さぁ、私についてきて下さい」
近年稀に見る私情採用。果たして店長は赦免してくれるだろうか。
「は…?どこに……??」
訝し気に探る様な視線で此方へと首を据わらせる。
「私の店で働きたいんでしょう?このチャンス逃す手はないと思いますけど」
目の前の霧が晴れ、一点の曇りもなく言葉の意図を閃光の如く理解したアメリカは水中を泳ぐように上体をふらつかせながらやって来る。
足元が定まらないあっちへよろよろ、こっちへよろよろと幽鬼のようにふらりふらりと歩く。
「誰も貴方のことなど眼中にありませんよ。ほら、肩の力を抜いて」
絡まり、粘りつく甘い声色でアメリカの背面に回り込んで耳に触れるように囁き交わした後、大振りに容赦なく背中を小突く。
アメリカは脳天に衝撃が貫いたかのように絶句し、驚目を瞠る。
その姿態が、醜態が、蕩けそうなほど甘美で耳が落ちる位に誘惑の毒が胸に滲み込む。
此方を焼き殺すように収束された瞳に如何にして情緒纏綿を詰め込んでいるのだろう。
敵愾心やら嫉妬やら、憎しみやらを執拗な甘さのホイップクリームのように絞り出すその星の如く澄んだ飴玉みたいな瞳。
我ながら核心を突いたその甘く色づいた蜜のような言霊に恍惚の吐息を洩らす。
「貴方は…可愛いですね」
可愛いなんという生温い感情では済まされない激情。存在が加虐心を煽ってくる、とでも形容すれば小さな顔の幅目一杯に鬱血した倦怠が広がるだろう。
「……そーかよ」
無愛想に吐き捨て、口を噤む。心根では気色悪いと突き放してやりたいだろうに。
恩義を重んじる性分だと見て取れる。
胸が轟くように躍る。脳の芯まで犯されるような痺れが心地良い。
またもや悪心が込み上げてくるがこれ以上目障りに思われるのはあまり快くない。
そう澱みなく自身に言い聞かせ、衝動に駆られた心を持ち直す。
吐く息がはっきりと見えるほど凍てつく夜とは裏腹に暖かい感情に身震いする。
「…さぁ、此方です。私から離れないで下さいね」
上背のある、恐怖を持て余す男と、罪悪感とささやかな充足感で顔を綻ばせた男は、しばらく空から降るような冷気の中で立ち止まり、また足を速めた。
大分日アメ要素強くなってしまった…どうしてこうなった……
巻き返さないと読者が減る………気がする……
♡500は勝手ながらいきたいです!どうかよろしくおねがいします!
love it?聴いてると良い意味で(?)他責思考になる
コメント
2件
こんなに早く続きが読めるとは思っていませんでした! 満を持してのアメリカさん登場ですね…… 優位に立ててご満悦の日本さんがとってもかわいいです この二面性がある感じ最高だなぁ…… 今回も萌えの供給ありがとうございました!
ありがとうございます大好きです。