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199
渋川
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第十七章 バグの刺客と、闇の二柱 ~感染と修正の脅威~
一、夕暮れの帰り道 穏やかな日常の終わり
放課後、猫世話部での活動を終えた高木暸は、相変わらず眠そうな半目で、夕暮れに染まった校舎裏の細い路地をゆっくりと歩いていた。肩の上では精霊猫のシロが気持ちよさそうに喉を鳴らし、時折「にゃー」と小さく鳴いては、暸の首筋に柔らかい頭を擦り寄せてくる。
「…はーあ。今日も一日、平穏に終わったわ。四将が転入してきたっていうのに、案外俺には関係なく過ごせてるな。まあ、彼らもさすがにFランクの落ちこぼれには興味ないだろうし。」
暸はそうつぶやきながら、ポケットからコンビニで買ったミルクパンを取り出し、一口かじる。甘いミルククリームが口の中に広がり、彼は思わず口角が上がる。
「このまま卒業まで、この調子でいければ文句ないんだけどなあ…。シロ、そう思わないか?」
「にゃー。」
「そうだよな。やっぱり平穏が一番だわ。」
彼はそう言って、路地の角を曲がろうとした。
その瞬間だった。
ピコン。
どこからともなく、電子音のような、機械が起動する際の小さな音が聞こえた。
暸は思わず足を止め、目の前を見上げる。
路地の突き当たりに、一人の男が、ぴくりとも動かずに立っていた。
二、黒服の男 サイボーグの分析眼
男は全身を真っ黒なスーツで固め、ネクタイまでが黒で統一されている。顔は大きなサングラスで隠され、肌の露出は首元と手の甲だけ。その手の甲をよく見ると、皮膚の下に金属のようなものがうっすらと浮き出ているのが分かる。
――この男は、普通の人間じゃない。
暸の概念干渉の感知能力が、はっきりと警告を発していた。この男の体内の約六割は、機械や人工物で構成されている。生身の人間ではなく、サイボーグなのだ。
「…すみません、道を譲ってください。」
暸はとりあえず、関わらないようにしようと、低い声でそう言って脇を通ろうとした。だが、男は微動だにしない。それどころか、サングラスの奥の瞳が、キラリと赤く光ったのが見えた。
ピコピコピコ――。
電子音が更に大きくなり、男のサングラスが一瞬だけ透明なディスプレイに変わり、そこに暸の全身スキャン映像が映し出された。データの文字列が次々と流れ、身長、体重、筋肉量、能力値、心拍数、血圧――ありとあらゆる情報が、0.1秒足らずで解析されていく。
「――ターゲット確認。高木暸。16歳。天叢雲学園一年生。能力ランク表記F。――だが、潜在能力値…測定不能。エラー。エラー。――やはり、この男が『世界のバグ』だ。」
男の声は、どこか機械的で、人間の声とは思えないほど無機質だった。喉の奥に機械式の声帯が埋め込まれているのが、暸にははっきりと分かった。
暸は、思わず眉をひそめる。
「…世界のバグ? 何を言ってるんですか? 俺はただのFランクの落ちこぼれですよ。勘違いじゃないですか?」
「勘違いか。我々の分析に、勘違いは存在しない。」
男が、ゆっくりと右手を挙げる。すると、彼の手のひらから、奇妙な光の玉が浮かび上がった。
その玉は、見た目が明らかにおかしかった。
色が常に歪んでいて、虹色が崩れたような、ありえない色合いになっている。形が定まらず、球体だったかと思えば突然四角くなり、次には液体のように垂れ、また元に戻る。時々ピクピクと、古いテレビのノイズのようなものが走り、玉の一部が消えたかと思えば突然二つに増えたりする。まるで、ゲームの中のバグオブジェクトがそのまま現実に飛び出してきたかのような、不気味で、見ているだけで目が痛くなるような見た目だった。
「我が名は、コードネーム『バグスター』。――能力は、『バグ』だ。」
男が低く呟くと、手のひらのバグ玉が、ビュンビュンという、空気を切り裂くのとも違う、まるでデータが転送されるような音を立てて、一斉に暸に向かって飛んできた!
「ちっ…!」
暸は瞬時に体をかわす。
バグ弾が彼の鼻先をわずか1センチの隙間で通り過ぎ、背後のコンクリートの壁に直撃した。
ピコン――!
壁が、一瞬でバグった。
コンクリートの色が突然入れ替わり、灰色だった壁が鮮やかなピンク色になり、次にはシマシマ模様になり、壁の形が歪んで一部がへこんだかと思えば突然別の場所が盛り上がり、更には壁に元々描かれていた落書きの猫が勝手に動き出して壁の中を走り回る始末だ。まるで、コンピューターの画面がフリーズしてバグったかのように、現実そのものがおかしくなっていく。
更に別の弾が足元の石に当たると、石が一瞬でバグり、石の形が崩れて液体のようになり、次には煙になって消え、また元の石に戻るという、ありえない現象を繰り返した。
「…これが、バグの能力か。当たった物を、バグらせるのか。現実の物理法則すらバグらせて、正常な状態を崩壊させるということか。」
暸は更に次々と飛んでくるバグ弾を、片足も動かさずに首を傾げたり体をひねったり、指一本で弾き返したりして、全て完璧にかわし続ける。ミリ単位の隙間でかわし続ける彼の動きは、まるで最初から全ての弾道を知っているかのように、無駄が一切なかった。
「…なぜ、当たらない? 私のバグ弾は、速度も軌道も常にバグってランダムに変化する。予測不能なはずだ。」
バグスターが、驚きの声を上げる。彼のサングラスのディスプレイには、暸の動きを分析する数値が次々と表示されるが、どの数値も「測定不能」「エラー」「バグ」の文字で埋め尽くされていた。
「この男…動きがバグってる。いや、逆に、完璧すぎてバグってる。――やはり、この男が世界のバグだ。回収しなければ、世界が正常に保てない。」
バグスターが、更に力を込めてバグ弾を連射する。手のひらから次々と弾が生み出され、まるで機関銃のように暸に降り注ぐ。だが、暸は全てをかわし続け、やがて路地の奥まで下がったところで、ふと周りを見回した。
人気はない。この路地は普段誰も通らない。監視カメラも、この路地には一つも設置されていない。――ここなら、少しくらい力を使っても、誰にも見られない。
暸は、ゆっくりと目を閉じる。
次の瞬間。
彼の姿が、消えた。
三、一瞬の決着 強烈な膝蹴り
「――っ!?」
バグスターが驚いて次の瞬間、背後に猛烈な風切り音が響いた。
暸が、一瞬で彼の背後に回り込み、強烈な膝蹴りをバグスターの腹部に叩き込んでいたのだ!
ゴキュン――!!
バグスターの体が、サイボーグの金属部分を軋ませながら、まるでホームランのように路地の壁に叩きつけられた! コンクリートの壁が大きくひび割れ、彼は口から血を吹き出し、サングラスが粉々に割れ、そのまま地面に倒れ込んで、ぴくりとも動かなくなった。
暸は、ゆっくりと足を下ろし、手を払う。
「…はーあ。やっぱり、めんどくさいことになったわ。なんで俺のところに、こういうのが次々来るんだよ…。」
彼は倒れたバグスターをちらりと見下ろし、困惑したように頭をかく。
「世界のバグだとか、何言ってるんだか。まあ、気絶したし、このまま放置しておけば誰かが見つけるだろう。俺は、もう寝に帰るわ。」
暸はそうつぶやき、シロを抱き直して、路地を後にした。彼の背中は、いつも通りの無気力で、めんどくさそうで、まるで今の出来事が夢だったかのような、あっけないものだった。
だが、彼は知らなかった。
バグスターの割れたサングラスの奥の、高性能分析アイが、今しがたの戦いの模様を、全て記録し、遠く離れた場所にあるモニターにリアルタイムで中継し続けていたことを。
四、モニターの前の二柱 驚異の能力者たち
どこかの都市の、薄暗い地下の秘密基地。
二つの巨大なモニターが並び、そこには先ほどの路地の戦いの模様が、最後まではっきりと映し出されていた。モニターの前には、二人の男女が、険しい表情で画面を見つめていた。
一人は、全身を白い防護服のようなもので覆い、マスクで顔を隠した女。彼女の指先からは、常に細かい粒子のようなものが漂っていて、まるでウイルスのように空気中に広がっているのが見える。防護服の胸元には、小さく「VIRUS」という文字がプリントされている。
もう一人は、パーカーを深くかぶり、フードの奥に顔を隠した男。彼の左目だけが、フードの隙間からキラリと光って見える。その左目は、人間の目とは全く違う、機械のような、多角形のレンズが幾重にも重なった構造をしていた。右手には複数のタブレットがぶら下がり、指が常に画面をタップし続けている。周りの電子機器が、彼の指の動きに合わせて、勝手に起動したりシャットダウンしたりを繰り返していた。
女が、低い声でつぶやく。
「…バグスターが、あっさりやられたわ。しかも、相手はただの一回の膝蹴りで。――この高木暸という男、本当にFランクの生徒なの?」
男が、指を止めずに答える。左目のレンズがピカピカと光り、モニターの映像を更に高解像度で解析し続けている。
「データ上はそうだ。だが、バグスターの分析結果では、潜在能力値は測定不能。――つまり、我々の測定器の限界を、はるかに超えた力を持っているということだ。バグスターのバグ弾を全て、無駄なく完璧にかわす動き。あれは、人間の動きの限界を超えている。」
「ふうん。それで、あなたたちは、この男をどうするつもりなの?」
女が、マスクの奥から漏れる笑い声を上げる。
「当然、回収に行くさ。我々の組織『ノーマライザー』の目的は、『世界のバグ』を全て回収し、世界を正常な状態に『修正』することだ。あの男は、紛れもなく世界最大のバグだ。――放っておくわけにはいかない。」
男が、パーカーのフードを少しだけ上げ、鋭い右目をモニターに向ける。左目は相変わらず機械のようにキラキラと輝き、ありとあらゆる情報を吸い上げ続けている。
「コードネーム『ウイルス』。そして私は『ハッカー』。バグスターとは、格が違う。あの男を、必ず回収してみせる。」
ここで、二人の能力を詳しく説明しよう。
一人目:感染【ウイルス】
コードネーム・ウイルスの女の能力は、文字通り『ウイルス』のように、ありとあらゆるものに感染していく能力だ。
彼女の体からは常に目に見えない無数のウイルス粒子が放出されており、一度彼女の近くに行っただけで、知らず知らずのうちに感染してしまう。そして、彼女が生成できるウイルスの種類は、実に数十億種類以上に及ぶ。
一例を挙げれば、感染すると相手の能力が暴走するウイルス、感染すると体が徐々に石化していくウイルス、感染すると相手の記憶が少しずつ消えていくウイルス、感染すると相手が彼女の言いなりになる洗脳ウイルス、感染すると相手の生命力が彼女に吸い取られるウイルス、感染すると相手の能力が一時的に消えるウイルス、感染すると相手が幻覚に襲われるウイルス、感染すると相手の体がバグって正常に動かなくなるウイルス……数え上げればきりがない。
更に、これらのウイルスは彼女の意思で自由に組み合わせることができ、何十種類ものウイルスを同時に感染させることで、相手に複合的な効果をもたらすことも可能だ。最も恐ろしいのは、このウイルスは接触感染だけでなく、空気感染、水を媒介とした感染、更には「能力を通じて感染する」という点だ。相手が能力を使った瞬間、その能力の波動に乗ってウイルスが相手の体に侵入する。つまり、能力を使えば使うほど感染が進行するという、能力者にとって最悪の相性なのだ。
そして、感染した相手から別の人間にも、ウイルスはどんどん感染していく。一人感染すれば、あっという間に周囲数十人が感染してしまう。まさに、文字通りの「ウイルス」の能力であり、バグスターなどとは比較にならないほど厄介で危険な能力だった。
二人目:修正【ハッカー】
コードネーム・ハッカーの男の能力は、『ハッカー』の名の通り、ありとあらゆるものを「修正」する能力だ。
この能力が発現した瞬間、彼の左目は自動的に「超高性能万能サーチ・ハックアイ」に変換された。能力が発現してからずっと常にその状態が続いているため、彼はもう何も思わないほど慣れきっていて、左目が機械であることすら忘れて生活している。この左目は、ありとあらゆる情報を瞬時に検索し、解析し、ハッキングすることができる。人間の能力の仕組みから、国の機密情報まで、彼の左目の前では全てが丸裸だ。
そして、彼の能力の種類は、実に多岐にわたる。
まず一つ目が『能力消去』。相手が能力を発動しようとした瞬間、彼がその能力の発動プログラムを「修正」して消去し、相手の能力を一時的に使えなくすることができる。
二つ目が『サイコキネシスの科学的精巧再現』。彼は、超能力であるサイコキネシスを、科学的な原理で精巧に再現することができる。指一本で数トンの物体を浮かべ、ビルを一発で倒すことも可能だ。
三つ目が『ステータス万能改竄』。自分自身や相手のステータス――筋力、敏捷性、耐久力、知力、運まで――を自由に書き換えることができる。自分の筋力を一時的に100倍にしたり、相手の敏捷性を極限まで下げたり、自由自在だ。
四つ目が『高速自動ハッキング』。彼の左目が自動的に周囲のありとあらゆる電子機器をハッキングし、自分の思い通りに操る。防犯カメラを全てオフにしたり、敵の持つ電子機器を暴走させたり、ネットワークを通じて世界中の情報を一瞬で手に入れたりする。
五つ目が『複製能力』。彼が一度見た能力や技術は、左目で解析して完全に複製し、自分のものにすることができる。複製した能力は、元の能力と全く同じ威力で使うことができる。
そして、これら以外にも、彼の能力には未知数なものが多々ある。自分でもまだ気づいていない能力が、左目の奥に眠っている可能性が高い。バグを生み出すバグスターとは対照的に、全てを正常に「修正」する彼の能力は、バグスターの能力すらも修正して無効化することができる。組織の中でも、彼は「バグスターの完全な上位互換」と呼ばれ、三人組の中で最も強力で、最も危険な存在とされていた。
この二人が、バグスターの何倍もの実力を持って、高木暸の回収に乗り出そうとしているのだ。
モニターの中で、暸が路地を去っていく姿が映し出されると、ハッカーはゆっくりと立ち上がり、指をパチンと鳴らした。左目がキラリと赤く光る。
「――よし、そろそろ行くとしよう。高木暸。世界最大のバグを、我々の手で修正してやる。」
ウイルスも、にっこりとマスクの奥で笑みを浮かべ、立ち上がる。指先から漂うウイルス粒子が、より一層濃くなっていく。
「ふふっ。楽しみにしてるわ。あの男の能力に、私のウイルスが感染したら、どんなことになるのかしら。――世界最大のバグが、ウイルスに侵される瞬間を、見てみたいものだわ。」
二人は、暗い地下の部屋を後にし、それぞれの装備を整え始めた。
五、寮での安堵 そして迫り来る影
一方、暸は無事にFランク寮にたどり着き、ボロベッドにバタンと横になった。シロが彼の胸の上で丸くなり、気持ちよさそうに眠り始める。
「…はーあ。今日は本当にめんどくさい一日だったわ。黒服のサイボーグだなんて、いったい何だったんだろ…。世界のバグだとか、意味不明なこと言ってさ。まあ、気絶したし、これでもう来ないだろう。」
彼はそうつぶやきながら、天井をぼんやりと眺める。だが、心のどこかで、嫌な予感がよぎるのを抑えきれなかった。
あの男は、明らかに自分を標的にして現れた。そして、あの男が一人で来たとは、到底思えない。何かの組織の一員である可能性が高い。――ということは、今後も同じような刺客が、次々と現れるかもしれない。
「…まあ、でも今回は何とかなった。次が来たら、その時考えればいいさ。とりあえず、今日は寝る。」
暸はそう言い聞かせ、シロを抱きしめながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
だが、彼の寝顔を知らないところで、二人の最強の刺客が、既に天叢雲学園のある街へと向けて動き出していた。
ハッカーは、飛行機の窓から夜の空を眺めながら、タブレットに表示された暸のプロフィールを指でなぞり、にっこりと笑う。左目がキラキラと光り、暸の全ての情報を吸い上げ続けている。
「…高木暸。あなたの正体を、私の目で直接確かめてやる。そして、世界のバグを、完璧に修正してみせる。」
ウイルスは、隣の席で指先からウイルス粒子を漂わせながら、マスクの奥でねっとりと笑う。
「ふふっ。あの猫の精霊も、きっと美味しいウイルスの巣窟になるわね。――楽しみだわ。」
こうして、高木暸の平穏な生活に、再び暗い影が迫り始めていた。
次回、ハッカーとウイルスが学園に乗り込み、暸を巡る新たな戦いが始まる。果たして暸は、自分の正体を隠し通しながら、この最強の二人組をかわすことができるのか。そして、世界のバグを巡る組織の思惑とは――。
(次回に続く)
コメント
1件
おお、第16話読み終えたよ。バグスターが一蹴された後の伏線の張り方が良いね。「バグを生み出す」バグスターに対して「修正する」ハッカーという対比、「能力を通じて感染する」ウイルスという相性の悪さ。高木暸が「世界のバグ」って呼ばれる謎も気になるし、設定の作り込みが丁寧だな。次回楽しみにしてます。