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シイダン耕地を横断した翌朝、二人は暖かな日差しを背に浴びながら、ゆっくりと走り続けていた。
「おしっこ行ってくるねー」
「ど、どうぞ……」
芝が広がるここは、二つの地域の境目。理由は未だ解明されていないのだが、こういった曖昧な土地には魔物が寄り付かず、夜を明かすにはうってつけだ。
周囲には何も見当たらない。遠方には巨大な山脈が立ちはだかるが、少なくともここには人間が二人いるだけだ。
エルディアは急激に加速する。宣言通り、尿意を解消するためなのだが、ウイルとしてはオブラートに包んでもらいたい。
進行方向へ駆けていく彼女の後ろ姿を眺めながら、絶対に追い付けない走力の差に少年はため息をつく。
(ちんたら走っても筋肉ってつかないのかな? 後でしんどくなりそうだけど、少しペースアッ……、いや、今は止めておこう。してる最中に追い付いちゃったら本当に申し訳ないし……)
それは避けなければならない。どちらも気まずく、そもそもそのような情景を目に焼き付けたくない。
(というか、おしっこって……。いや、もう慣れたけども。母様やサリィさんは当然ながら、シエスタもそんなこと言わなかったけどなぁ)
このやり取りは既に何十回と繰り返されている。一日に数回は訪れる生理現象ゆえ、避けては通れず、報告義務などないのだが無言でその場を離れるわけにもいかないため、彼女は恥じることなくその単語を口にした。
ほんのひと時だが、単独行動だ。見えなくなった彼女を追うように、のんびりと駆ける。
朝日を受けて、白く輝くグレーの髪。
柔らかな黄色の衣服と、真っ黒なハーフパンツ。
色褪せた背負い鞄と腰の短剣を揺らしながら、西を目指す姿は誰が見ても旅人、もしくは迷子の子供だ。
残念ながら傭兵には見えない。幼い見た目も去ることながら、丸い顔と膨れた腹が最たる要因だ。
多少なりとも痩せたはずだが、外見上に変化は見られず、本人としても現状には首を傾げてしまう。
スマートな体つきを望んでいるのではなく、学校でデブだと罵られたことがトラウマになっている以上、体重を落とすことで悪夢を払拭したい。
傭兵になってから、既に何百キロメートルも旅をしている。
歩き、走り、休む。
その生活習慣は、少年にとって非常にきつい運動だ。
成果が出ないはずがない。
にも関わらず、体格は現状維持のまま。
ウイルとしてはおもしろくない。痩せることがこの旅の目的ではないのだから不必要に悔しがりはしないものの、副産物として無駄な脂肪は燃やしたい。
(あ、エルディアさん。もう済ましたのか。手を振ってるけど、来いってことかな?)
進行方向から少し外れた方角で、エルディアが茶色い髪を揺らしながらこちらを見ている。近寄ってくる様子はなく、右腕をぶんぶんと振っていることから、一先ずは合流だ。
「いやー、この先で傭兵の死体見つけちゃってさー」
「……え?」
彼女の報告に、少年は言葉を詰まらせる。
死体という意味では、ウイルは既に何十も見てきた。エルディアが殺し、もしくはウイルがとどめを刺し、時には食べるために解体した。
だが、それらは魔物であって、決して人間ではなかった。
ゆえに、少年は青ざめる。同業者の死体が転がっているという事実と、その原因に。
「背中に矢が三本刺さってたから、ゴブリンを狩りに来て、返り討ちにあったのかな。とりあえず、見に行こっか」
「矢が……? え? ゴブリンって弓を扱えるんですか?」
「そだよー。弓というか、クロスボウだねー。乱戦になったらめちゃくちゃ撃ってくるよ。シュンシューンって」
エルディアは平然と言ってのけるが、その事実がウイルに恐怖心を抱かせる。
当然だ。発射された矢を避けられるはずもなく、つまりは狙われたら最後、次の瞬間には自身のどこかに突き刺さっている。
致命傷だ。即死すらありうる。
一回だけならなんとかなるかもしれない。傷を癒す魔法の薬、エリクシルを一本だけ持参しているからだ。
しかし、たったの一回分。この程度では心もとない。
頭や胴体に命中したら、当然だが死に至る。
腕や足であってもエリクシルの使用は必須だ。
そんな条件でこの渓谷を越えなければならないのだから、少年は心底怯え、その結果、動けなくなる。
(授業でゴブリンについても少し習った……けど……、クロスボウ? そんなこと、教科書には載ってなかった……)
生物学の授業では、人間や動植物だけでなく、魔物の生態についてもお題目の一つとして学習する。
ゆえにウイルは素人ながらも、知識だけはある程度持ち合わせている。戦いに生かせるほどの実力もないため、役立ったことはなかったが、無知ではないという事実が自信に繋がり、エルディアの後ろに隠れていただけではあるものの、道中尻込みすることはなかった。
しかし、今は違う。
ゴブリンがクロスボウという凶器を使い、こちらを遠くから狙撃する。
未知の情報が重くのしかかり、恐怖という鎖で縛られた以上、次の一歩を踏み出せるはずもない。
「あれ? 行かないの?」
「あ、その……、足が動かなく……て」
歩き出したエルディアが、後方の異常を察知し、すっと振り返る。
立ち尽くし、小さく震える子供。傭兵に守られここまで来たが、突きつけられた現実に耐えられず、目的すらも忘れかけてしまう。
「だいじょぶ、だいじょぶ。ちゃーんと守ってあげるから。ほれほれー」
強引に、そしてやさしく、エルディアがウイルの手を取り、グングンと牽引し始める。
暖かな手の温もりが冷え切った心を解かしてくれるも、少年は未だ半信半疑だ。
その上、この先に敗者の亡骸が転がっている。それが何を意味するのか、ウイルは既に察知済みだ。
(ゴブリンは傭兵すら殺す。しかもその数は不明。ギルドが警戒する程度には異常事態……。ほ、本当に大丈夫なの?)
大きな鞄と巨大な剣を背負いながら、エルディアは軽快にウイルを引っ張る。
無鉄砲な、そして考えなしの行動にしか見えないが、今は頼るしかない。
それをわかっているからこそ、繋いだ手を放さずに、少年は黙って後をついていく。
「ほら、あれ」
「う……」
手が離され、代わりその指が正面を指さす。
緑色をした草原の上で、うつ伏せになって倒れている誰か。黄色い髪は短く、軽鎧を着ているようだが、エルディアのように体の前面だけを守る構造ゆえ、無防備な背中には三本の矢が深々と突き刺さっている。
遠目からでも明白だ。
あの人間は死んでいる。
動かない。
動こうともしない。
通常なら、気絶している可能性を視野に入れ駆け寄るのだが、今回は不要だ。エルディアが既に死亡を確認しているため、重い足取りのまま、歩み寄る。
「もう、この辺りにゴブリンが潜んでいる可能性が?」
「どだろー? 多分だけど、もっと奥でやられて退散したけど、ここで力尽きちゃったんじゃないかな? 私はもうちょい先でおしっこしたけど、何も見かけなかったしねー」
背に矢を受けたまま、追っ手を振り切り、そして息絶えた。死体の向きからしてもその可能性は高く、ウイルはわずかに安堵するも緊張感を緩めることは出来ない。
「あの人、どうするんですか?」
「本当ならギルドカードを持ち帰ってあげたいんだけど、私達はまだ旅の途中だから、今回は一旦スルーかな。多分、他の傭兵が見つけてそうしてくれると思うし」
傭兵の暗黙のルール。それは、同胞の遺体を見つけた際は、その人物が死んだことを伝えるため、身分証明書とも言えるギルドカードを傭兵組合に届ける。
いくつかの機関をえて、最終的には親族へその事実が通達されることから、その行いは非常に重要だ。
その役目を二人が担っても良いのだが、今回は心を鬼にして拒絶する。
ケイロー渓谷を目前にして、ルルーブ港のギルド会館まで戻るとなると相当なタイムロスだ。それでも、マチルダの期限には十分間に合うだろうが、病人を不必要に待たせることはしたくない。ならばその役目は他の傭兵に任せ、ここは前進を選ぶ。
「はい。先を……、急ぎたいです」
「おっけー。もう一回だけ、確認してくるね」
エルディアはひょいと走り出し、死体をごそごそと調べ出す。
(まだちょいとあったかいなー。死んでそんなに経ってないのかな? お、あったあった)
胸ポケットから見つかったギルドカード。そこには名前と等級が書かれており、その数字は二を意味していた。
(見た目も若い……。私より下、ウイル君よりは上って感じ? 背伸びしちゃったのかな。迂闊だねー。ゴブリンは案外手ごわいのに)
カードを草のカーペットにそっと置き、彼女はゆっくりと立ち上がる。ここでのやるべきことは済ませたのだから、次は依頼人を導かなければならない。
だが、その前にやるべきことが出来た。それを今から少年に伝える。
「お待たせー。さぁ、行こうか。それと、突っ切るんじゃなくて、ゴブリンを片っ端から倒して行こー」
「あ、はい。その方が安全そうですしね。帰りもここを通りますし……」
「んだねー。あの人の敵討ちも兼ねて、全部ぶっ倒すってことで」
暗い雰囲気を吹き飛ばすように、エルディアは明るく振る舞う。その言動がウイルをわずかに励ますが、実は単なる副産物だ。
(ワクワクしてきたー。やっと暴れられるぅ)
そう。殺された傭兵のため、という新たな理由付けによって、彼女は今から行う魔物狩りを正当化しているだけだ。
シンプルに、ゴブリン討伐を楽しみたい。
これが本心であり、ウイルはそのことを見抜けていない。
ここに至る道中も、立ちはだかる魔物は全て掃討してきた。避けてもよかったのだが、そんな回りくどいことをする必要もなく、彼女がスチールクレイモアを一振りすれば済む話なのだから、そうしない理由がない。
だが、この程度では準備運動にすらならない。彼女の欲求は満たされず、実はケイロー渓谷のゴブリン集結という事実には多少なりとも期待していた。
やっと、思う存分戦える。
そう思うと口元は緩み、元から蠱惑的な魅力の持ち主だが、その雰囲気は普段とは打って変わって面妖だ。
(え? なんでこの人、楽しそうなの? 頼もしいけど、ちょっと怖い……)
ウイルは見逃さなかった。傭兵らしくしゃんと立っているエルディアが、不気味に笑っている瞬間を。
「すぐには出くわさないと思うけど、念のため、私の後ろにいてね。んじゃ、ゴー」
「お、お~」
出発だ。
ここは境界付近だが、ケイロー渓谷というよりはシイダン耕地に近い。周囲は草原地帯のままゆえ、見晴らしは良いが凡庸だ。
二人は移動を開始する。彼女の足取りは軽く、傍から見ると警戒しているようには見えない。
そんな中、徐々に風景が移ろっていく。地面の雑草が減り始め、左右から巨大山脈が迫り始めれば到着だ。
「ケイロー……渓谷。岩山に挟まれた、急流の迷路……」
「お、詳しいねー。そう、ここがケイロー渓谷。元からゴブリンが隠れ住んでる場所ではあるけど、それ以外の魔物もちょい強めだから、注意してねー」
壁のような山脈が北と南に走るここは渓谷地帯。つまりは谷であり、西から東に流れる河川がこの地を二分している。ルルーブ森林やシイダン耕地ほど緑豊かではないが、川沿いには小規模ながらも林が点在する。
高低差が作り出す滝は一つや二つではなく、入り組んだ立地と段差によってこの地の横断は非常に困難だ。
「迷路みたいな場所……、なんでしたっけ?」
「そだねー。私もまだまだ迷っちゃうし。地図ないと絶対に無理だわ」
(地図があれば大丈夫、ってことかな? だとしても、僕が道案内がんばらないと……)
前後左右だけでなく、上下にも道が分かれている。河と滝の存在が進行方向の確認に役立つものの、それを差し引いても迷いやすい立地だ。
それを証明するように、ウイルは眼前の風景に息を飲む。
現在地付近には平坦な大地が広がっているものの、今のペースで五、六分も歩けば早速分岐点だ。
直進か左に曲がるか。
右側面には壁のような岩山がそびえ立っており、そこを登ることは出来ない。
直進は下り坂だ。緩やかな道が延々と続いている。
左方向へ折れるなら、草木が生い茂っているが今の高さを維持したまま進むことが可能そうだ。
下りながらの直進か。
左を選ぶべきなのか。
選択を突きつけられたのだから、どちらかを選ぶしかない。
「地図だと、真っすぐ進んで川沿いに進むようです」
「そだっけ? ここって本当に覚えられないなぁ。んじゃ、そーしよー。ところで……」
「はい?」
「もうゴブリンに見られてるよ」
手元の地図に視線を落としていたウイルだが、その発言には目を見開いてしまう。
(え……? ど、どこ?)
顔を極力動かさず、眼球をぐりぐりと動かしてその姿を探すも、険しい渓谷地帯が映り込むだけだ。
大空は青く澄んでおり、朝陽がこの地を照らしている。樹木が遮蔽物としてあちこちに見受けられるも、その後ろに隠れているのだとしたら視認など不可能だ。
「今から行こうとしてるとこ。米粒より小さいけど、下り坂から顔出してこっち覗き見てるねー。数は二体、かな?」
「ほ、ほんとですか? 全然見えないです」
エルディアの発言に従って正面を凝視するも、ウイルの視力ではゴブリンの姿、正しくはその頭部を捉えられない。目が悪いのではなく、彼女が飛びぬけて優れているだけゆえ、そういう意味では少年の方が正常だ。
「挨拶代わりに先ずは二体狩ろー」
「このまま進むってことですか?」
「もち。私から離れないで、後ろに隠れててね」
お構いなしに進軍は継続される。最初の遭遇から怯んでしまったら、この地を抜けることなど不可能だ。時間に余裕はあれど、牛歩戦術は悪手でしかなく、彼女が先頭に立って道を切り開いてくれるのなら、信じて進む他ない。
「ここのゴブリンはちょい強いって印象だけど、それだって巨人と比べたら雑魚だし、まぁ、あの人はかわいそうだったけど、あちらさんも本気だしねー」
標的との距離はまだまだ離れている。雑談をする時間はあるため、エルディアは傭兵らしい話題を提供する。
人間がそうであるように、魔物の強さも個体毎にばらばらだ。
足が速いゴブリン。
斧の扱いに長けたゴブリン。
魔法が得意なゴブリン。
つまりは、侮ってはならない。
そのはずだが、彼女は平然と余裕ぶっている。
「あの人……、さっきの人ってどれくらいの傭兵さんだったんですか?」
「ん~、私と君の間くらい? 実力も、年齢も。少なくとも見かけたことのない顔だったから、経歴は浅そう」
死体との出会いと遭遇戦を控えているという状況が、ウイルをナイーブにさせる。母を救うための道中で、人間の死体を見かけるとは思ってもおらず、心中は未だにぐちゃぐちゃだ。
傭兵という生き方がいかに大変か。ウイルとしては既にわかったつもりでいたが、さらに厳しく、危険と隣り合わせだと改めて痛感する。ゆえに、気分は決して盛り上がらない。
(もしかしたら、これから戦うゴブリンが敵討ちなのかもしれないな。そう考えると怖い反面、やる気を出さないといけないのかな。僕は見てることしか出来ないけど……)
その推測は的外れではないはずだ。確率で言えば百パーセントからは程遠いだろうが、遺体の次に出くわすのだから疑いたくもなる。
(逃げないでよー。後ちょっとでそっちまで行ってあげるから。あ~、いっそ走りたいけど、この子を置き去りにするわけにもいかないし、むぅ)
前を歩くエルディア。盾の役割も兼ねているが、本人としては今すぐにでも突っ込みたい。うずく欲望を抑えられている理由は、護衛役の自覚があるからだ。
裏を返せば、その役目を誰かに押し付けることが可能ならば、彼女は本能のままに暴れるつもりでいる。
二人と二体。その距離はじわりじわりと縮まり続け、ついにその時が訪れる。
「あ、あれが……」
「動き出したねー」
怯むウイルとは対照的に、エルディアはうれしそうに目を細め、獲物を見定める。
坂道を登り切り、全身を現したゴブリン達。その数は二体ではなく、三体だ。一体はワンテンポ遅れての登場ゆえ、やや後ろで待機していたと予想される。
「本当に……、防具を着こんでる。しかも、三体……。だ、大丈夫なの?」
ウイルの勇気が再度萎む。
無理もない。想定以上の数で現れたこともあるが、それらの風貌に気圧されてしまった。
三体のゴブリン。多少の差異はあるが、どれもウイルと同等かやや低い程度の身長だ。手足も細く、遠方からではやせ細った子供のようにも見える。
だが、それは後方の個体にしか当てはまらない。
前をいく二体は、全身を闇色の金属鎧で覆っている。頭部もフルフェイスのヘルムを被っており、頭の頂点からつま先に至るまで、その素肌は一切露出していない。
ゴブリンがゴブリンのために作成した、彼ら専用の防具だ。黒い金属板は厚くはないものの、打撃には滅法強い。常人の腕力では斬りかかったところで跳ね返されるだけだ。それでいて軽さと動きやすさを兼ね備えており、近接戦闘を想定した優秀な鎧と言えよう。
顔を隠している二体と同様、後ろの個体に関しても素顔はわからない。黒色の頭巾を被っており、目や口のための風穴が三か所設けられてはいるが、そこから表情を伺うことは困難だ。
裾がぼろぼろなローブを着こんでおり、その色も黒一色に染まっている。
そこから伸びる灰色の手足は細く、ひ弱そうに見えるが、右手はしっかりと杖を握っている。つまりは、侮ってはならない。
鎧のゴブリンはそれぞれが黒色の剣を構えながら先行し、後方の一体が追従する。前衛と後衛におけるオーソドックスかつ理想的な陣形だ。
エルディアと魔物達との距離はまだまだ遠い。
にも関わらず、ひしひしと届く明白な殺意。人間を殺したいという意思の表れであり、もしここにいるのがウイル一人なら、恐怖の余り逃げ出していた。
「多いなら、それはそれで……。ウイル君、ちゃーんと私の後ろに隠れててねー。いっそのこと、スカートの中に入っちゃってもいいよ」
ここには彼女がいる。
エルディア・リンゼー。腕の立つ傭兵であり、その実力は信頼に値する。
それでも、ウイルが一抹の不安を抱く理由は二点。
(一対三……。数で劣勢だけど、本当に大丈夫? それに、なんだろう、この違和感。何かがおかしい……。何が? 何で?)
数の問題と抱いてしまった疑問。この二つが少年を惑わす。
加勢したところで二対三にはならないのだから、この場は託すしかない。その一方でもう一つの懸念点がただただ気持ち悪い。
(やばい……気がする。でも、わからない。考えろ、考えろ!)
戦えないのだから、それ以外の部分で貢献したい。そういった意気込みもあるが、この見落としは危険だと本能が訴えてくる。
ゆえに考える。
観察する。
未だ答えは見つからないが、三体のゴブリンはゆっくりと歩いており、二人のペースも同じようなものだが、だからこそ開戦はもう少し先だ。つまりは、猶予はいくらか残っている。
刺すような殺意が二人に向けられている。その数は一つではない。
二つ。
三つ。
四つ。
(そ、そういうこと!)
ウイルは即座に振り向き、目視と同時に叫ぶ。
「右後方!」
だが、遅い。その声が引き金を引かせてしまう。
クロスボウを構える、フルプレートのゴブリン。殺気の数が合わない理由はこれだ。針葉樹の陰で息を潜めていたのだが、獲物が眼前の集団に気を取られて通り過ぎたのだから、当初の予定通り、背後から狙撃するため姿を現す。
その目論見は成功だ。小さな人間に感づかれてしまったが、なんら問題ない。クロスボウから発射された矢は既にウイル目掛け突き進んでいる。
次の瞬間にも腹部に刺さり、致命傷を与える。この事実は揺るぎようがない。
そう思われた。
「ほい」
緊張感のない声と同時に、ガキンと甲高い音がこの地に響く。エルディアが愛用の両手剣で矢を払い落した瞬間だ。
「え……、えぇ⁉」
救われた。そう素直に喜べば良いのだが、ウイルはこの状況に驚きを隠せない。
それもそうだろう。前を歩いていたはずの彼女が、抜刀と移動を瞬時に済ませただけでなく、迫りくる矢を視認した上でさも当然のように切り落としてみせたのだから、混乱するに決まっている。
この少年の動体視力でも、正面から発射された矢を見ることだけは出来た。しかし、防御や回避への移行など間に合うはずもなく、茫然と見届けることが限界だった。
これを避けられる人間がいるのだろうか?
少なくとも庶民には不可能だ。反射神経がどれほど優れていようと、虚を突かれた以上、対処のしようがない。
だが、そんな常識は通用しない。
少なくとも、彼女はそういった理屈の外にいる。
「待ち伏せかー。よく気づけたねー、すごいすごい。さて、と……」
スチールクレイモアを地面に突き刺し、エルディアは背負い鞄を一旦下す。ここが戦場と化したのだから、荷物は単なる邪魔者だ。
「挟まれちゃったかー。まぁ、いいや。ゴブリンが四体、これで全部だといいんだけど……」
当初は二体しか見つけられなかった。その後、数は三体に増え、ついには四体だ。
これ以上の増員も視野に入れて、対策を練る必要がある。
「あ、それなら大丈夫です。ここにはこの四体だけのようです」
「そっか。なら信じちゃうよー」
「あ、えと、その……、なんとなく、そう感じるだけなんですけど……」
根拠などない。それでもそう思える理由はウイル自身もわかっていないのだが、なんにせよ、自分達の周りにはゴブリンが四体。その事実は揺るがない。
エルディアはその発言を受け入れる。完全に信じ切れるわけではないが、半信半疑であろうと周囲には四体しか見当たらない。
ウイルが四だと言い切ったのだから、一先ずはそれが前提だ。仮に後から数が変わろうと、それならそれで構わない。その時に考えれば良いだから。
「さーて、どう来るどう来るぅ?」
彼女の視線の先では、クロスボウの使い手が次弾の装填を手早く済ませ、フルフェイスの下から鋭い眼光を人間に向けている。このゴブリンも全身を漆黒の鎧で覆っており、多少なりとも重いはずだが身のこなしは軽快だ。その証拠に、クロスボウを操作する手つきに淀みは一切見られない。
この状況は、二人にとって非常に不利だ。
人数差が増しただけでなく、前後で挟まれてしまった。
エルディア一人なら、なんら問題ない。しかし、今回は少年を庇いながらの戦闘だ。戦力としては数えられず、そればかりか単身では逃げることもままならない。
それでも、彼女は怯まない。
むしろ、追い詰められたこの状況を楽しむように、瞳を輝かせている。
実は、エルディアは先手を取れない。つまりは後手を強いられており、その理由は敵が二グループに分かれているためだ。
前方からのそりのそりと迫る、三体のゴブリン。
後方に潜んでいた、クロスボウのゴブリン。
そのどちらもが、遠隔攻撃を可能としている。
三体の内、ローブ姿の個体は杖を手にしていることから、攻撃魔法の類を使う可能性が非常に高い。
そして、後方からは矢が飛んでくる。
エルディアがどちらかに飛び出した場合、もう片方からはウイルへの狙い撃ちが可能になってしまう。
それだけは避けなければならない。
ゆえに、彼女は先に動けず、今はじっくりと相手の出方を伺い続ける。
訪れた、一瞬の静寂。
誰がそれを破るのか?
考えるまでもない。魔物が獲物を前に辛抱強く、我慢し続けることなど不可能だ。
キシュゥ。機械仕掛けの弓から、一本の矢が力強く放たれる。引き金にかけた指を少し動かすだけで済むのだから、この行為をためらう理由などなかった。
それを当然のように切り払うエルディア。
スチールクレイモアを一言で表すなら、巨大な剣だ。鋼から作られたこの大剣は、刃が幅広かつ長い。ゆえに重く、ウイルのような子供なら持ち上げることすら困難だ。大人でさえ振ろうとすれば、重量に引っ張られ、よろめきながら転倒するだろう。
それを片手で、矢に負けない速度で振り回すことが出来るのだから、ゴブリン達は認めざるを得ない。
この人間は前回の雑魚とは違う、と。
そう。傭兵を殺した犯人はこのゴブリン達だ。がら空きの背中に矢を撃ちこみ、怯んだ際にもう一本。三本目は逃げ出したその背中に命中させた。
その後、傭兵は負傷しながらもかなりの距離を歩き続けるが、最後は力尽き、ひっそりと息絶える。
どこにでもある、ありふれた結末だ。弱肉強食の世界ではこれが普通であり、人間と魔物が生存をかけて争っているのだから、敗者は負けを認めて死ぬしかない。
「ふんふん。よーし、決めたぁ。オーソドックスに倒しちゃうゼ」
(え、楽しそう? こっちは怖くて仕方ないのに……。でも、がんばって)
窮地のはずだが、エルディアの表情は笑顔だ。
なぜなら、この状況は彼女にとって危機ですらない。
ゴブリンという獲物が四体も出現してくれたのだから、今からそれらと戦える。この時間はそういうものであり、それ以上でもそれ以下でもない。少年というハンデを背負ってはいるが、普段とは異なる味付けでしかなく、エルディアはそれすらも楽しんでいる。
警戒しながらも、歩み寄る三体のゴブリン。
次弾の装填を手早く済ませ、クロスボウを構えるゴブリン。
そして、狙われている二人の人間。
三発目の矢が射出され、スチールクレイモアが当然のように切り落とす。これが合図となり、戦況は大きく動き出す。
「ウォーボイス!」
加速と共に、エルディアは単体のゴブリンに戦技を打ち込む。
即座に方向転換し、勢いそのままに今度は三体の敵へ駆け寄れば、思い描いた作戦は成功だ。
ウォーボイス。相手の行動を縛る、非常に強力な戦技。今回の場合、クロスボウのゴブリンが標的となったが、以降の十秒間は、ウイルがどれだけ無防備であろうとエルディアを狙うことしか出来ない。
この時点で、挟み撃ちというリスクはほぼ解消された。実際問題としては、前方に三、後方に一という配置関係は解消されていないものの、彼女にとっては単なる四対一でしかなく、ウイルを護衛する際の負担は大きく減ったのだから、ここからは思う存分暴れまわる。
前方の三体へ突き進むエルディア。その脚力と腕力は凄まじく、狙われたゴブリンは剣を構えるより先に、黒色の鎧ごと肩口から両断される。
この時点で魔物達も気づかされた。彼女が、今まで殺してきたどの人間よりも危険な相手だと。
怯んでいる時間すらない。死体と化した同胞に別れを告げるよりも先に、この女を殺すことから始める。
先ず、隣のゴブリンが片手剣で斬りかかる。最も近くでエルディアの動きを観察出来たため、小手先の戦法は通用しないと思い知った。ならばやるべきことは一つ、己の武器で迎え撃つのみだ。
エルディアはそれを後方へのステップで回避してみせたが、数の差が勝敗を決してしまう。無常にも、彼女の背中にクロスボウの矢が命中してしまった。
その瞬間を目撃してたのだから、ウイルは悲鳴のような声をあげる。
「エルディアさん! あ、あれ?」
「ん? だいじょぶー」
恐怖に引きつった少年の顔が、瞬く間に驚き始める。
当然だ。矢の先端が肉はおろか皮すら貫けず、矢自身がくしゃりと折れてその場に落下する。ありえない光景ゆえ、ウイルの理解は追い付かない。
「あ……、エルディアさーん!」
「これくらいなら平気平気~」
「い、いや! 燃えてます燃えてます!」
今度こそ大惨事だ。ローブ姿のゴブリンが火の玉を作り出し、よそ見をしている人間にドスンと着弾させる。その結果、彼女の上半身は炎に包まれ、火の粉を散らしながら轟々と燃え盛る。
生きながら焼かれているのだから、普通ならあっという間に倒れ、体の表面も内側も黒焦げだ。だが、エルディアは炎の中で笑顔を維持したまま、ウイルに左手を振っている。
「さて……」
戦闘再開だ。炎を置き去りにして、眼前の獲物との距離を詰めるや否や、力一杯の斬撃で鎧の上から切り殺す。
勢いそのままに、ローブ姿のゴブリンも叩くように斬殺完了だ。
ウイルも、クロスボウの持ち主も、一瞬の出来事に息を飲む。焼け死ぬはずの人間が単なる移動で炎を振り払ったばかりか、囮を兼ねた仲間達が完膚なきまでに殺されたのだから敵味方共に驚嘆だ。
「ラストは君だけだねー」
長身の傭兵が振り向くと、最後の獲物と視線が交わる。
遠方でクロスボウを構える小さな魔物。実は、現状が悔しくて仕方ない。同胞が殺されたこともあるが、ひ弱な人間がぽつんと立っているのだから、せめてそれだけでも殺したいと思っているものの、機械仕掛けの凶器はそちらに向いてくれない。未だウォーボイスは失効しておらず、あと数秒で自由の身になるのだが、時既に遅い。
エルディアの加速と同時に矢が射出されるも、彼女はそれを自由な左手でにつかみ取り、標的の目の前へあっさりと移動し終える。
力任せに振り下ろされる両手剣。金属同士の激しい衝突音が周囲に響く中、敗者はゆっくりと倒れこむ。真っ黒な鎧とその内側の肉体が力任せに破壊されたのだから、絶命は必然だ。
他の三体も既に息絶えており、四体のゴブリンはたった一人の傭兵にあっけなく敗れ去る。
(余裕ぶる……わけだ。だって簡単なんだ、この程度のことは……。弓矢はおろか魔法すら通用しないなんて、常識的に言ってありえないし。ゴブリン達をぱぱっと撫で斬り。本人は無傷。服はちょっと燃えちゃったけど、それだけのこと。本当に強いんだ、この人は……)
少年は思い知る。真の傭兵の実力を。エルディアの態度が常にひょうひょうとしていた理由はまさにこれだ。
草原ウサギやウッドファンガーなど、相手にすらならない。それ自体は以前からわかっていたのだが、より危険度の高いゴブリンですらこの有様なのだから、もはや疑う余地など微塵もない。
「ふぅ、終わった終わったー。無事に切り抜けられて良かったねー。私の服は焦げちゃったけど! そういえばさ、あの木のところに隠れてたってよくわかったね。何でー?」
「あ、その……、気配がしたような……。ほんと、なんとなくなんです」
今回の殊勲賞は間違いなくエルディアだが、ウイルの貢献も無視出来ない。彼女ですら潜んでいた狙撃手には気づけず、本来ならば背後からの奇襲が成立するはずだった。
ウイルの発言がそれを阻止したのだが、そう出来た理由は本人としても言語化しづらい。
「もしかして、近くに魔物がいるかどうか、わかっちゃうの?」
「そ、そうなのかも……しれません。あ、すごく集中した時だけっぽいんですけど……」
「それでも十分すごいよー。試しにもう一回やってみてー」
「は、はぁ……。んじゃ、トライしてみます。出来るの……かな」
エルディアが目を輝かせてしまった以上、ウイルとしても断りづらく、ダメ元で先ほどの真似事を実行する。
意識を集中。瞳を閉じて目の前に暗闇を作り出すと、自身の感覚を拡張するように研ぎ澄まし、他者の存在を索敵する。
(エルディアさんしか……感じられない。となるともういない? いや……、これは? さっきのみたいのが坂の下の方に……、二つ? これだ!)
そして少年は目を見開く。
「た、多分ですけど……、正面の坂を下っていくとゴブリンがいるっぽいです。数は二」
「おぉ~。ちょっと見てくるね!」
「え? えぇ⁉」
成否を確かめるため、エルディアはスチールクレイモアを担いだまま、飛ぶように駆け出す。
その脚力と判断の早さにはウイルとしても脱帽するばかりだ。
「ほんとにいた!」
「早すぎです……」
一分もかからずに帰還したエルディア。右手の大剣はさらに赤く染まっており、魔物の命を散らしたのだと如実に物語る。
「魔物がどこにいるかわかるなんて便利ー。前から出来たの?」
「い、いえ……。今回が初めてです」
隠す必要はないのかもしれないが、ウイルは思わず嘘をつく。
この能力、すなわち目視せずとも他人の存在を感知するという特技は、前回の旅の最中で身に着いた。
だが、対象は魔物ではなく、なぜかエルディアのみに限定されており、実はまだそのことを本人には告げていない。
そもそもそんなことを言えるはずもなく、隠すことにわずかな罪悪感はあるものの、当面は伏せるつもりだ。
そう。この不思議な能力ではエルディアの居場所しか感知出来なかった。それが今では魔物にまで拡張されたのだから、ありがたい反面、ウイルとしても戸惑ってしまう。
なぜ、こんなことが自分に出来るのか?
そもそもこれは何なのか?
わからない。思い当たり節はあるが、それでも困惑してしまう。
「それって、やっぱり天技なのかな?」
「……かも、しれません」
エルディアが口にした単語は、少年も思い描いていたものだ。
天技。魔法とも戦技とも異なる、第三の特殊能力。
魔法と戦技は、例外はいるものの基本的には誰でも習得可能だ。
ウォーボイスならエルディアのような魔防系に属する人間が、キュアなら魔療系か支援系、そして守護系の該当者が鍛錬の果てに会得する。
戦技と魔法。それらはそれぞれ三十種類ほど存在しており、その数は増えることも減ることもなく、言い方を変えるなら誰が使おうと効果は一緒だ。もちろん、魔法の威力は魔力によって変化するため、そういう意味では一様に同じとは言えないのだが、焼く、凍らせるという結果だけを切り取れば、その効果は変わらない。
人間は生まれながらにどれかしらの戦闘系統に分類され、将来的にどんな能力を習得するかも把握可能だ。その順番は決まっており、一つ目が判明すれば自身の戦闘系統もその瞬間に判別出来るため、それを加味して傭兵や軍人は自己の戦闘スタイルを確立する。
天技。これはそういう意味では全くの別物だ。
先ず、この能力そのものが非常に珍しい。なぜなら、使える者がほとんど存在しないからだ。
傭兵の中でこれを使えるものは現状見つかっていない。もちろん、隠しているだけかもしれないが、確率で言えば該当者無しがむしろ自然だ。
天技の特異性は習得者の少なさともう一つ、その摩訶不思議な効果に起因する。
魔法や戦技も神秘に他ならないが、それらはある程度分類可能だ。
破壊に特化した攻撃系。
自身ないし味方に影響を与える強化系。
相手を弱らせる弱体系。
傷を癒す回復系。
例外はあれど、それらの多くはこの四つに当てはまる。
だが、天技はこういった枠組みから外れていることが多い。
その上、彼らが使う天技は、個性のように一人ひとりバラバラだ。つまりは、魔法や戦技と異なり、天技はそのどれもが単一の存在なため、その能力次第では非常に重宝される。
覚醒者。天技を使える者をこう呼び、光流暦千十一年の現代において、確認されている人数は数十人と言われている。
その数を多いと見るか少ないと捉えるかは人それぞれだ。
実は、覚醒者のほとんどが軍人であり、その特異な能力を買われてスカウトされたのだが、ウイルに限ってはその可能性が低い。
なぜなら、この少年の天技には類似品とも言うべき戦技が存在している。
タビヤガンビット。探知系の戦闘系統にて習得可能なこれは、緑色の鳥を作り出し、それを使役して周囲を探索する。効果としてはそれだけに留まらず、遠隔操作の爆弾として標的を遠くから攻撃することも可能なのだから、使い勝手は優秀だ。
ウイルのそれとタビヤガンビットは、やれること自体は大差ないのだが、爆破能力の有無がその差を分ける。
つまりは、希少ではあるが軍人達が欲するほどの価値はない。大人しく探知系の人間を部隊に組み込めば済む話だからだ。
探知系の人間がいないのなら、代理として役立つだろう。その程度の価値しかないとも言えるが、そのおかげで命拾いしたのだから、ウイルはこの天技を大事にしたいと考えている。
「天技かぁ。使える人、初めて見たなー。あ、でもさ。おかしな制限なかったっけ?」
「はい。白紙大典があるから開き直れてますけど、かなりやばいのが……」
二人は素直に喜べない。
天技が使えるようになる弊害として、以降、どれほどの努力を積み重ねようと、自身の戦闘系統にて習得するはずだった魔法や戦技が、一切身につかない。
既に使えるものに関しては問題ない。天技と併用して存分に活用すれば良い。
だが、未習得のものに関しては諦めるしかない。天技の覚醒にはそういったデメリットがあり、だからこそ、覚醒者は世界に一つだけの能力に活路を見出す必要がある。
残念ながら、ウイルのそれは戦闘に不向きだ。本来ならば落ち込み、傭兵という生き方を諦めるしかない。
だが、この少年は別の角度から自分の立場を捉えており、結果、前向きな結論を導き出せた。
自分には白紙大典がある。コールオブフレイムしか使えないが、何も使えないよりは健全だ、と。
ましてや、この能力の探知対象はエルディアに限定されていたのだから、そこに魔物が追加された以上、素直に喜びたいくらいだ。
傭兵の仕事は多くが魔物討伐だ。そして、倒すためには先ず探さなければならない。そういう意味では、この能力はありがたい。ある程度近づく必要はあるのだが、それでも索敵能力はタビヤガンビットの習得者と同等なのだから、少なくとも傭兵として生きていくことを諦めるにはまだ早い。
戦闘面においては非常にリスキーだ。魔法や戦技を習得出来ない以上、残念ながらその事実は揺るがない。
それでも今は落ち込まない。エルディアという頼もしい傭兵が随伴してくれるのだから、今はこの旅を終わらせることに専念する。
母が待っている。変色病に侵され、高熱に苦しみながら寝たきりの状態だ。
薬の入手が息子の命題であり、それを言い訳にアーカム学校を退学したのだから、後戻りなど出来ない。
「母様……。実は、僕の母も同じ天技が使えるんです」
「へ~。天技って遺伝するんだ?」
「いえ、そういった因果関係はないらしいので、単なる偶然だと思います。もしくは……」
天技は親から子へ引き継がれない。そんな事例は過去になく、千年の歴史を誇るイダンリネア王国においても未発見だ。
ゆえに、ウイルは眉をひそめる。
彼女の言う通り、親子で天技が遺伝したのかもしれない。そうだとしたら、建国以来の大発見だ。
もしくは、偶然という可能性も捨てきれない。著しくゼロに近いが、裏を返せばいつかは起こり得る事象だ。
どちらにせよ、もしくはそれ以外であろうと、事実が変わることはない。
ウイルはレーダーのような天技を身に着け、エルディアだけでなく魔物さえも範疇とした。
弊害も大きいが、白紙大典という謎の魔道具を手中に収めたのだから、落ち込む必要はないと自分に言い聞かせる。
「お母さんも魔物を見つける人だったの?」
「あ、いえ。母は傭兵とかではなくて……。しかも能力の対象は僕専門でした。息子がちゃんと学校に行ったか、寄り道しないで帰ってるか、みたいな」
「おぉ、それは便利そう。あー、でも、君的にはわずらわしそうねー。ん? じゃあ、君もお母さんがどこにいるかわかるの?」
「あ、僕のは、その……、魔物と……、魔物専門です!」
「なぜ言い淀んだのか気になるけど、まぁ、いいか。頼りにしてるよー。ゴブリンいっぱい倒さないといけないからね」
勝利を満喫するように話し込んでしまったが、ここはケイロー渓谷。山と山に挟まれた険しい土地だ。その上、今はゴブリンの巣窟となっており、それを裏付けるように手荒い歓迎を受けたばかりだ。
二人は進軍を開始する。目的地はそう遠くなく、焦る必要はないが立ち止まっている場合でもない。
旅の再開だ。長い道のりは半分を過ぎている。この地の突破は今までとは比べ物にならないほど厳しいが、少しずつでも進むだけだ。
その時だった。
「あれ? どこかで見たことのあるお二人さんだ」
駆け足と共に男の声が響く。柔らかな声質に敵意はなく、足音を引き連れて颯爽と現れる。
「ん? あ、あの時の!」
(この人達、誰? エルディアさんの知り合い?)
呼び声に反応して振り向くエルディアとウイル。現れた人物は二人にとって共通の知り合いなのだが、態度が一致しない理由は片方が意識を失っていたためだ。
「やぁ。そういえば、自己紹介がまだだった?」
「あの時はしなかった。その前に訊いてもいい? ゴブリンの死体が四つ、君達がやった?」
赤髪の男は気さくだが、隣の傭兵は長身も相まってどこか刺々しい。
「あー、うん。襲われたから、さくっと返り討ち」
そう答えるエルディアの視線の先には、四個の死体が転がっている。事情を知らない者からすれば、不気味な光景だ。
「すごいね。君も加勢したのかな?」
「僕は、その、見てただけです……。戦えないので……」
赤い髪の傭兵に笑顔を向けられ、ウイルは委縮する。人見知りということではなく、返答内容があまりに情けないからだ。
戦えない。
つまりは、エルディアを手伝えない。
それどころか、守ってもらわなければならないのだから、戦闘中は足手まといだ。
その事実を口にしたことで、少年は己の惨めさを改めて痛感する。
恥ずかしい。
不甲斐ない。
かっこ悪い。
そういった負の感情が、ウイルの脳内を駆け巡る。
「謙遜しちゃってー。伏兵に気づいてくれたじゃん。おかげで完全勝利! 私の服は少し焼けちゃったけど!」
ガハハとエルディアは楽しそうに笑う。慰めではなく本心なのだが、どちらにせよ、この発言がウイルを少しだけ勇気づける。
(伏兵のくだりはよくわからないけど、この人は相当の手練れなんだな)
(子供を守りながらゴブリン四体……。こいつの実力、イエスだ)
和やかな空気の中、二人組はエルディアの論評を心の中で済ます。見知った間柄ではあるが、その実、まだまだ赤の他人ゆえ、彼女の実力を測りかねていた。ゴブリンの死体という実績を見せつけられた以上、彼女の傭兵としての力量は二人から見ても称賛に値する。
「一先ず自己紹介からかな? 俺の名前はハイド。んで……」
「メル。よろしく」
ハイド・アーザラット。
メル・ジェネーレ。
ペアで活動する二人組の傭兵だ。ファーストネームしか告げない理由は、庶民の多くがそういう習慣だからだ。
フルネームを相手に伝えるのは貴族くらいであり、相手の苗字は一般市民にとってさほど価値はない。
(ハイドさんとメルさん……か。強そう)
四人の中での底辺は、間違いなくウイルだ。そんなことは本人もわかっており、突如現れた二人に劣等感のようなものを感じてしまう。
「今日も傭兵らしくお仕事をしにここまで……。そしたらどこかで見かけた先客がいたもんでね」
ハイド。身長はエルディアとほぼ同程度、隣の仲間よりは幾分低い。真っ赤な髪は情熱的だが、本人は温厚そうな雰囲気を醸し出している。赤色の軽鎧は魔物の皮を編み込んだものゆえ、軽量ながらも頑丈だ。腰にはスチール製の片手剣を携帯しており、背中の鞄も含めればかなりの重量のはずだが、本人は汗一つかいていない。
「僕達はゴブリン討伐の依頼を受けてここまで来た。君達も?」
メル。細見だがエルディア以上に背が高く、フード付きのローブが黒紅色なことも相まって高圧的に見えてしまう。ハイドとは対照的にフードの下の表情は変化に乏しく、素っ気なく見えるが内面は情熱的な男だ。左手には小麦色の長杖を握っており、鈍器ではないが乱暴に扱おうと簡単には折れない。
「あ、いえ、僕達は渓谷を越えて、まよ……、ミファレト荒野を目指してます」
(い、いちいち隠さなくてもいいかもだけど……。念のため伏せておこう)
ウイルは真の目的地を言いかけたが、動機を伝えられない以上、ここは嘘の情報を提示する。
「珍しいね。あそこは何もないのに。ところで君の名前は?」
「あ、ウイルです……。ウイル・ヴィエンです」
ハイドの反応はごくごく普通だ。ミファレト荒野は禿げ上がった寂しい大地ゆえ、足を運んだところで得られる物は何一つない。生息する魔物も手ごわく、それらも素材としての需要がほとんどないため、傭兵であろうと立ち寄ることは稀だ。
「ウイル君、ね。そして、あなたがエルさん……と」
「うん。あれ、あの時自己紹介したっけ?」
ハイドの視線が子供から隣の保護者へ向けられる。
あの時とは、負傷したウイルをルルーブ港のギルド会館で治療してもらった件を指している。
ウイルは当時のことを覚えていないが、後になってエルディアから事情を説明してもらうも、二人についての情報は聞いておらず、今もまだ状況が飲み込めていない。
「そこそこ有名だし」
飄々とした態度でメルが言い切る。言葉足らずゆえに冷たい言い方になっているが、本人に悪気はない。
(へ~、知らなかった。エルディアさんってやっぱりすごいんだ)
二週間近く一緒にいるが、第三者から彼女の評価を聞く機会はなく、このやり取りは非常に新鮮だ。
「そんなことないと思うけどー。あ、そうそう、改めて……、あの時はこの子を助けてくれてありがとう。危なかったと言うか、ギリギリだったと思うんだよね」
「キュア程度、お安い御用さ」
頭を下げるエルディアと、笑顔を返すハイド。
そんな中、ウイルはこのタイミングで命の恩人が誰なのかを知ることとなる。
「ルルーブ港で僕のことを治してくれた人達って……」
「うんー、この二人だよー」
「そ、そうだったんですね! ありがとうございました!」
ならばすることは一つだ。少年は背筋を正し、男達へ頭を下げる。ウッドファンガーの体当たりを受け止めた結果、両腕は当然のように砕かれたばかりか、その衝撃は腹部周辺の内臓を激しく損壊させた。手当すら施せないほどの致命傷だったが、エルディアの懸命な運送とハイドの回復魔法によってウイルは一命を取り止めた。
「元気そうで良かったよ。ウイル君とエルさんも二人で活動を?」
目元にかかる赤い前髪越しに、その傭兵はやさしい視線を向ける。
小さな子供と大きな女性。弟と姉に見えなくもないが、似ても似つかない以上、傭兵仲間と見るのが妥当だ。
「あ、いえ。旅の護衛を受けてもらって……」
「そういうことー」
目的地は遠く、なにより一人では絶対に無理だ。それを痛感した以上、ウイルは誰かに頼るしかなく、その役目をエルディアは買って出た。
その結果、数日足らずでケイロー渓谷まで来れたのだから、彼女の善意には感謝しかない。
「そして今日、ここに着いた、と。もしくは、足止めされてる?」
長身の傭兵が左手の杖をコツンと地面につける。それは非常に長く、持ち主ほどではないが、少なくともウイルを上回る長さだ。
「ついさっき着いて、ご覧のあり様。あ、そうそう、ちょい手前で死体見かけなかった?」
「ん? あぁ、あったね。きっとゴブリンにやられたんだろう。生きててくれれば、俺の回復魔法でなんとか出来たのに……」
「私達はここを越えるから、あの人のギルドカードを届けてくれないかな?」
エルディアがいかに強かろうと、ハイドが回復魔法の使い手であろうと、間に合わなければ意味はない。
息絶えた同胞にしてやれることはただ一つ。彼のギルドカードを傭兵組合に届け、死という事実を周知するくらいだ。
「ああ、そのつもりだったよ。俺とメルはもう何日もここに通っては、ゴブリン退治をやってるんだけど……。まぁ、何と言うか、酷いもんさ」
「この一週間で、さっきのも含めて四人殺されてる。この状況、イエスじゃないね」
ハイドとメルは二人組だ。そのメリットを活かすことで、多少危険な依頼もこなし続けてきた。今回の掃討任務もその一つと言えよう。
ゴブリンは手ごわい。そんなことは傭兵なら誰もが知る常識だ。
それでも傭兵はそれらに殺される。その理由は、己と相手の力量を見誤ったからであり、若輩者ほどそういう傾向にある。
ハイドとメルもエルディアと同程度の年齢だ。つまりはまだまだ若いのだが、ゴブリン相手に立ちまわれている理由は、一人ではないということに尽きる。
「被害者が、四人も……」
「へ~、そうなんだー」
青ざめるウイル。当然だろう。そんな危険な場所にこれから足を踏み入れるのだから、自分が五人目になるのでは、と恐れおののく。
対して、エルディアは眉一つ動かさない。傭兵である以上、生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、そういった環境に身を置いていると理解しており、他人が何人死のうと怯みはしない。
「今のケイロー渓谷はそれほどに危険。それでも越える?」
メルの鋭い眼光が二人に刺さる。脅しではなく事実であり、ましてはウイルというお荷物を抱えている以上、その行為は危険極まりない。
「はい……! そうしないと行けない理由が、僕にはあるんです」
(へ~。よっぽどのことなんだ。そういえば全然聞いてなかったなー。興味もないけど)
言い切る少年を他所に、保護者役は今更ながら思い知る。
この旅の目的は何なのか?
なぜ、急ぐのか?
これらは真っ先に確認すべき事柄だ。計画を立てるためにも必要な情報なのだが、尋ねなかった理由は単純に興味がなかったからであり、言い換えるなら己の欲求を満たせればどうでもよい。
「そうか。ハイド、どうする?」
「う~ん、悩むまでもないんだろうけど……。エルさんの戦力は頼りになりそうだし、ただなぁ、む~ん……」
そう。検討の余地すらない状況だ。
ここにいる四人は二つのグループに分かれており、それぞれが別の目的を持っている。それでも当面の間は協力し合えるはずだ。
ウイル達は渓谷を越えて、その先へ進みたい。
ハイド達は渓谷内のゴブリンを可能な限り討伐したい。
つまりは、利害が完全に一致している。
それでもハイドは即決出来ない。その理由はエルディアだけでなくウイルも巻き込んでしまうからだ。
「あ、一緒に突破するってこと? 私は賛成だよー。キュアは本当にありがたいしねー」
(なるほど、そういう風に捉えればいいのか。僕もそれで良いと思うけど、決めるのは僕達なのかな? あっちなのかな?)
彼女一人でもこの子供を守れる自信はある。先ほどの戦闘で証明も済んだ。慎重に進むのならば、戦力の増加はただただありがたい。ましてや回復魔法は非常にありがたい。進行速度を上げるのなら多少の無茶はやむを得ず、急げば急ぐほど傷を負う確率は高まってしまう。
「判断はハイドに任せる。僕はどちらでも」
「そうだなぁ、俺達も攻めあぐねてるし。うん……。エルさん、一緒にやりませんか?」
「おっけー。あ、それでいいよね?」
「は、はい。もちろんです」
決まりだ。ここからは四人で力を合わせて、まい進する。戦力の増加は全員に利益があり、進行速度と討伐速度のどちらもが高まるはずだ。
「作戦なんだけど、あ、ちなみに私は魔防系。あなた達は?」
自己紹介は済ませたが、傭兵としてもう一歩踏み込む。協力し合うためにも、戦い方を確認するためにも、自分達の戦闘系統を知ることは必須だ。
「俺は支援系で、メルは魔攻系です。俺が使える魔法はキュアまでで……」
「僕は六属性」
「おっけー。私はエレメンタルアーマーまで。なかなかのバランスだねー。んじゃ、そうだなー……」
傭兵三人の情報は出揃った。ここからは作戦を立案する段階に突入する。
(バランス良いんだ……。言われてみれば、そうなのかな? 盾役も出来るエルディアさん、支援と回復のハイドさん、魔法で攻めるメルさん、か……。いや、ハイドさんは剣を持ってるから、接近戦も出来るんだ。確かに、隙がないのかも)
ウイルはまだエルディアのことしか知らない。だが、学校で習った知識だけは一級品であり、それを踏まえて分析を行うと、この場に揃った彼女らは攻防揃った集団と言えよう。
戦闘系統。その数は全部で十二種類。
戦術系。
加速系。
強化系。
守護系。
魔防系。
技能系。
探知系。
魔攻系。
魔療系。
支援系。
召喚系。
魔導系。
それぞれにそれぞれの得意不得意があり、その理由は覚える戦技や魔法が異なるからだ。
エルディア・リンゼーの魔防系は、戦技専門の戦闘系統だ。つまりは近接戦闘に特化しており、魔物の注意を自身に引き付け己を囮にしつつ、戦技にて腕力を高め相手を倒す。俗に言う盾役であり、集団に一人は必須の役割だ。
ハイド・アーザラットは支援系。最も多くの魔法を習得するのだが、その多くは補助を担う。ウイルが使えるコールオブフレイムもここに属する。また、回復魔法も一つだけだが使えるため、器用貧乏という側面は存在するが、それでもなお人気のある戦闘系統だ。
メル・ジェネーレの魔攻系は、その名の通り、魔法での攻撃に特化している。覚える魔法はほとんどが攻撃魔法なのだが、その威力は絶大ゆえ、どんな局面においても重宝される。
「よし。私達が前を進むから、後ろは任せてもいい?」
「わかった。俺としてはウイル君を取り囲むような陣形が良いと思うけど、エルさんに従うよ」
「同じく」
エルディアの方針よりも、ハイド案の方が護衛には適している。ゴブリンの奇襲を考慮するなら、守るべき対象には手厚い防御が必要だ。
「ハイドさんはキュアに専念して欲しいかなー。メルさんは、私が殺し損ねた奴とか、遠くのをお願い」
彼女の作戦に全員が頷く。
四人即席の新チーム、結成の瞬間だ。
傭兵ならば、こういった赤の他人同士での共闘は日常的であり、それが出来ない者は生き残れず、もしくは一人での活動を極めるしかない。
(なんだろう、ワクワクする)
ぞろぞろと歩みだした四人。その一人であるウイルは、一時とは言え仲間が増えたことに心躍る。
今まではエルディアとの二人旅だった。そのことに不満はないが、命の恩人とは言え見知らぬ傭兵が加入したことに驚きと期待を抱く。
言うなれば集団戦だ。自身は参戦出来ないものの傭兵が三人も集まったのだから、ゴブリン相手にどんな立ち回りが見られるのか、子供らしくときめいてしまう。
ぞろぞろと進み始めて三十分後、河沿いから少し外れた山中の平原にてウイルは前方の巨大な岩を指さす。
「あそこに二体のゴブリンが隠れてます」
「おっけー」
そのやり取りが、後続の二人を混乱させる。少なくとも岩陰に人影は見えず、何を根拠にそう発言したのか、確認しないと身動きが取れない。
だが、エルディアは駆け出す。そのまま背中の武器を抜刀し、岩ごと砕くような勢いで飛び掛かる。
遠目からでもハッキリとわかるほど、両者の戦力差は歴然としていた。彼女の大剣が振り下ろされると、そこにいた魔物達はあっさりと斬殺される。
時間にして数秒だ。走り出し、勝利し、余裕のピースサイン。
とことこと戻り始めるも、先ほどとは打って変わってゆっくりとした足取りだ。もっとも、残された三人も前進するため、合流までにさほど時間はかからない。
(どういう……)
(ことだ?)
ハイドとメルは未だ状況が飲み込めない。エルディアがゴブリンを倒したということだけは理解出来るも、それよりもわからないことが一つだけある。
「居場所がわかるって便利だねー」
「そうですね」
「あ、あの……!」
笑顔のエルディアと、ほっと胸を撫でおろすウイル。どちらも一仕事を追え、非常に満足気だ。
一方、ハイドは困惑気味に割って入る。
「なぜあそこにゴブリンがいるってわかったんだい? 戦技を使った様子もなかったけど……」
彼の疑問はもっともだ。ゆえに二人は事情を説明する。
ウイルは戦えないが、索敵を可能とする天技を身に着けている、と。戦力には数えられないものの、お荷物ではない。ゴブリンという小さな魔物を探す際には、この能力は役立つはずだ。
(天技の習得者か、初めて出会ったな)
(覚醒者。能力は良くも悪くない。まぁ、本人次第)
真の意味での状況把握はこれで完了だ。
ウイルが魔物を探す。
エルディアが討伐する。
メルもそれを手伝う。
ハイドは負傷者を癒す。
接近戦から遠距離戦までカバーしつつ、攻撃と防御も万全だ。二人組の傭兵もついに理解する。
手を焼いていたゴブリンの掃討を、いっきに進められそうだ、と。
そして、その予感は的中する。
「あ……、あの曲がり角に三体います」
ウイル達は山の麓を歩いている。
長い坂道を登り切り、新たな平地にたどり着いた一同。右手側には巨大な岩山が壁のようにそそり立つも、地図に従うならばここは真っすぐ進めば良い。
一人だけ息が上がっているが、他は汗一つかいていない。その証拠に非戦闘時は談笑を交わす余裕すらあり、出会って数時間の間柄だが、緊張感は払しょくされた。
しかしながら、おしゃべりは一旦中断だ。少年の視線は正面を見据える。そのまま前進した場合、突き当りを左に折れて細い道へ入り込む算段なのだが、障害が待ち構えているのなら取り除かなければならない。
山と平地と滝と川。この地はそういった地理的要素で構成されているのだが、実情としては迷路のように入り組んでおり、土地面積は近隣と比べると狭いものの、魔物という要素を除外したとしても移動は困難極まる。
その上、今はゴブリン達の巣窟だ。
複雑な進路を見極めながら、魔物を倒しつつ、前進しなければならない。
傭兵にしか出来ない芸当だ。そして、ここには三人の実力者が揃っている。
「あ、こっちに来ます」
(そこまでわかるのか……。思わぬ収穫、というと失礼になるのかな)
腰の片手剣に左手を添えながら、ハイドは少年の後姿を観察する。
小さな鞄は不釣り合いなほど色褪せており、そのサイズ感から荷物は非常に少なく、長旅の最中には見えない。
衣服はありふれた安物だが、グレーの髪だけは貴族のように整えられており、山道の険しさに時々ふらつくものの肥満気味な子供なら当然だ。
「この距離……、気づかれるか。僕が前に行こう」
黒紅色のローブをたなびかせながら、長身の男が先頭に躍り出る。
「メル、任せたよ。エルさんは追撃をお願いします」
「おっけー」
相棒の思惑をくみ取り、ハイドは後ろから指示を出す。
彼ら四人とゴブリン三体は遠く離れている。ここは渓谷地帯に存在する開けた場所ゆえ、いかに遠かろうと他者の存在は容易に視認可能だ。
ウイルの発言が真実なら、間もなく曲がり角からゴブリン達が姿を現す。そうなれば、あちらも人間という侵入者に気づくはずだ。
エルディアが先ほど同様単身で乗り込み、三体を問答無用で殲滅してもよいのだが、それではメル達もつまらない。
見せ場を作るためにも、そして魔攻系の実力を披露するためにも、その傭兵は先陣を切る。
「来たな」
「お、あちらさん驚いてるー」
杖を握りしめながら、鋭い眼光でゴブリンを捉えたメル。まだ魔法は届かない。ならば前進あるのみだ。
エルディアもその後ろで意気揚々とテンションを高め始める。魔物が姿を見せたのだから、ここからはお楽しみの時間だ。
「僕の魔法を叩きこ……」
「突撃ー!」
「な、何ぃー⁉」
早速、作戦変更だ。
早い者勝ちではないはずだが、エルディアは突風の如く走り出す。獲物を独占したいのか、我慢出来なかったのか、作戦を聞いていなかったのか、なんにせよ、彼女の暴走は誰にも止められない。
それを受け、メルも競うように駆け出す。格好つけた手前、一体は仕留めたいと思っており、ならば全力疾走以外ありえない。
しかし、その差は縮まらないばかりか開く一方だ。スタートがワンテンポ遅れたこともあるが、身体能力の差がそうさせる。
その結果、エルディアの到着が先に完了するも、今回はメルに軍配が上がる。彼女がスチールクレイモアを振り下ろすより先に、雷撃が横切ったからだ。
「スパーク!」
減速と共に薄茶色の杖で狙いを定め、詠唱へ移行。流れるような動作は美しく、その直後、杖の先端から雷のような電撃がほとばしり、空気を突き破りながら即座に標的へ突き刺さる。
スパーク。攻撃魔法の一つ。属性は雷。使い勝手に優れており、魔攻系の傭兵はこれを習得したら一人前と言われている。威力も去ることながら、雷撃の速度は音速を越えるため、この魔法は必中だ。ゆえに優れた攻撃魔法と認識されている。
鎧越しとは言え、雷の直撃に晒されたゴブリン。残念ながら、重鎧にスパークの威力を軽減する機能はなく、その内側で黒焦げになりながら、小さな魔物はあっけなく息絶える。
「さすが! 魔法!」
残りの二体はエルディアが自慢の大剣であっさりと斬り殺す。鎧を着ていようと関係ない。彼女の腕力なら鎧ごと斬殺可能だ。
「ははは。エルさんっておもしろい人だね」
「おもいっきり作戦無視してましたけど……。傭兵ならこれが普通なんですか?」
遠方の勝者を眺めながら、ハイドが目の前のウイルに話しかける。彼女の自由奔放な戦闘スタイルがおもしろいのか、はたまたメルの必死さがツボに入ったのか、心底楽しそうだ。
「まさか。野良でチームを組んだ時ほど、皆真面目に取り組むよ。もちろん、立案した作戦が妥当だったら、だけどね」
「なるほど。エルディ……、エルさんは不真面目な傭兵だったんですね」
「う~ん、一概にそうとは言い切れないかなぁ。だって、あの人からすればゴブリンなんて格下も格下、雑魚でしかなさそうだからね。ふざけてはいないのかもだけど、本気を出すまでもない、って感じなのかな?」
ハイドの推測を受け、ウイルは静かに納得する。彼女が全力を出してはいないことは、前から常々感じていたからだ。
その態度が不真面目に映るのだろうと心の中でフォローしたいが、力を持たぬ少年には少々難しい。
「本気……、確かにそうなのかも……しれません。いつも鼻歌交じりで倒してる、というと大げさですが、そんな雰囲気でした」
「俺達と比べても、エルさんの実力は頭一つ抜きんでているよ。まぁ、こちとら一年にも満たない新参者だから、そこは贔屓して欲しいね」
二人は合流のため前進しながらも、話を膨らましていく。
ウイルはエルディアと。
ハイドはメルと。
普段はこの組み合わせなため、この状況は両者としても新鮮だ。
「ハイドさんもすごく強そうですけど……。メルさんもゴブリンを一発で倒しちゃいましたし」
「メルの魔法はバカにならない威力だからね。あ、もちろん俺だって、一対一ならまず負けないよ。メルと二人でなら、ゴブリンだろうと四体くらいなら一度に相手出来る……かも? さすがにそんな無茶はしないけどね。キュアがあるとは言え、痛いもんは痛いし」
少年のつぶらな瞳を受け止めながら、ハイドはやさしく笑う。
傭兵なら、臆病なくらいが丁度良い。危険を冒し、その結果が己の死では代償としては大きすぎる。
自身の力量をしっかりと把握し、身の丈になった依頼をこなすことが長生きの秘訣であり、ハイド達は若いなりにそのことをしっかりと理解している。
(無茶……か。エルさんの変な噂はそういうところに関係してるのか? 本人に直接訊くことは出来ないし、この子も知らなそうだから、今は黙っておこう)
前だけを見据え、男は唇をぎゅっとしめる。
噂は噂だ。そう自分に言い聞かせ、右足と左足を交互に前へ進ませる。彼女の素性がどうあれ、今は仲間であり貴重な戦力だ。変な詮索はせず、協力し合って目的の達成を優先する。
その後、四人は合流を果たすのだが、ウイルは熱い視線を感じ取り、ゆっくりと顔を上げていく。
「僕の魔法、どうだった?」
まさかの問いかけだ。声の正体はメルなのだが、予想していなかった事態に少年は茫然と立ち尽くすも、即座に頭を働かせ、返答の言葉を用意する。
「ピカッと光って、す、すごかったです!」
「だろう。これがスパーク。他に見たい魔法があれば使ってあげる」
「おいおい。無駄に魔源を消耗するんじゃない」
誇らしげな傭兵と、呆れる相方。
その間に挟まれながら、子供は子供らしく感想を述べるも、半分は本心だがもう半分は相手を煽てるための方便だ。
「フレイムもアイスクルもストームもグラニートもスプラッシュも使える。リクエストはある?」
「あ、じゃあ……、ストームをお願いします」
実は何でも良いのだが、素直にそう言うわけにもいかず、ウイルはとっさの判断で風の魔法を選ぶ。
「いいだろう」
子供からの熱い要望に応え、男は杖を握りしめる。ターゲットはやや離れた位置に鎮座する大岩。杖の先端を向けると同時に、メルの全身から魔力の泡が浮かび上がり、儚くも美しく散っていく。
詠唱時間は一秒。つまりは一瞬だ。
黒色のローブをゆらゆらと漂わせながら、その言葉が力となって具現化する。魔源という代償を支払うことで発現する、神が作り出した模倣の神秘。それこそが魔法だ。
「ストーム」
その声が風に乗り、見えない刃となって何度も何度も岩を切り裂く。まるで透明人間が目に見えぬ刃物で切りかかっているような、一方的な攻撃だ。
刃先が短いのか、岩ゆえに硬いからか、傷の深さだけを見れば浅いものの、何度も何度も斬られれば、決して軽傷では済まない。
風という現象だからこそ、視認出来ない。この属性の強みだ。
属性。この世界の根幹であり、エネルギーの成分であり、魔法の分類だ。その数は八個と言われており、その多くは相克関係にある。
火。
氷。
風。
土。
雷。
水。
そして、光と闇。
合計、八種類。そして、魔攻系が使える攻撃魔法はこの中の六種類に当てはまる。残念ながら、光と闇は扱えない。この二つは少々特殊であり、例外的存在だからだ。
これらは強弱関係にあり、どこから始めても良いのだが、仮に火を選んだ場合、最終的には一巡して火に戻ってくる。
火は氷を溶かし。
氷は風を減速させ。
風は土を削り。
土は雷を落ち着かせ。
雷は水を痺れさせ。
水は火を鎮火する。
つまりは、火の魔物と相対した際は、水の魔法が有効だ。傭兵なら必ず押さえるべき要素であり、魔法を専門とする魔攻系の人間ならなおさらだ。
メルは火から水までの全てを習得しており、そういう意味でもその実力は本物と言えよう。
光と闇。この二つは特殊な間柄だ。どちらもが互いを苦手としており、攻撃魔法としても存在しておらず、そのような背景からも他の六つとは区別される。
「ス、スゴーイ、カッコイイ……」
「だろう」
自分で要望しておきながら、ウイルの声には覇気がない。ストームという魔法は他とは異なり目で見えず、もちろん、そんなことは初めからわかっていたのだが、その地味さは予想以上だった。
誇らしげなメルを他所に、ハイドとエルディアは歩き出す。茶番は終わったのだから、移動およびゴブリン掃討のために前進再開だ。
険しい山道を下り、穏やかな川沿いを歩き続けること三十分。目当ての魔物はなかなか姿を現さず、ピクニックのような雰囲気が彼らを包み込む。
「ゴブリン、全然いませんね……」
ウイルの発言はもっともだ。このペースで進めば、明日か明後日にもケイロー渓谷を越えられてしまう。それはそれでありがたいのだが、多数のゴブリンが集うという情報が嘘のように感じられ、不満ではないのだが自然と違和感が言葉として出てしまう。
「あぁ、俺達や、多分もう何人かの傭兵もこぞってゴブリン狩りに励んだからね。実は、このあたりまでは何度も来てるんだ。まぁ、言い方を変えると、もうそろそろ未知の領域って感じかな。ほら、あそこの滝。あの向こうは俺達二人だけでなく、他の傭兵も足を踏み入れていないかもしれない。少なくとも、傭兵の死体はこの手前で見つけたしね。だから、気を引き締めていこう」
「は、はいぃ……」
脅しではないのだが、ハイドの助言が少年を委縮させる。そんなことを言われれば、恐れを感じずにはいられない。
遥か前方には二、三メートルの段差が小さな滝を作っている。
その先も当分の間は、小河を右手に眺めながら直進する予定だ。つまりは、ここで引き返すわけにはいかず、そもそもそんな選択肢はウイルとエルディアには存在しない。
「ゴブリンが周囲にいないのなら、お昼ご飯にするー?」
「お、いいですね。賛成です」
実はすっかり空腹だ。エルディアだけでなく、四人が四人ともそうなのだから反対する者などいない。ウイルのセンサーによりここは安全だと保障されたのなら、まさしくピクニックのように一旦腰を落ち着かせる。
「ウイル君、今日のお昼は何~?」
「えっと、少々お待ちください」
要望に応え、少年はマジックバッグを漁りだす。干し肉は確定だがそれだけでは心もとない。主食かおかずかはさておき、もう一品程度は提供したいところだ。
「朝食と変わり映えしませんが……」
「いいよいいよー。干し肉大好きだし」
取り出された料理は、大きな干し肉二枚と焦げ茶色の黒パン四個。ここ最近はこのパターンが多く、言うなれば鉄板だ。
一方、ハイド達は各々背負い鞄を漁りだし、今朝購入した料理を眼前に並べていく。
「俺はおにぎりいっぱい。芋もけっこうあるから、茹でない?」
「あ、いいですね。お鍋用意します」
パンパンに膨張した小袋の中身は、採れたてのジャガイモ達だ。このままでは食べられないが、焼くなり蒸すなりすることで極上のおかずに変化する。調理に多少の手間暇はかかるが、四人もいれば準備も含めてあっという間だろう。
「僕はこれ」
メルは白いサンドイッチと大量の草餅を取り出す。主食は三個だが、対して緑色のお餅は八個とかなりの数だ。
「相変わらず甘いもん好きだな……」
「まあね。ほら、二個ずつどうぞ」
相棒の発言をさらりと受け流し、メルは草餅を他の三人へ配り始める。綺麗な緑色の中にはつぶあんが隠されており、練り込まれた薬草がもたらす風味は好きな者にはたまらない。
「なら僕も、おにぎりを提供しよう」
「ありがとうございます。お米もお餅も久しぶりだからうれしいです」
「だねー。どうもー」
二人からもたらされた品々のおかげで、簡素な食事がいっきに彩る。パンと干し肉の組み合わせに不満などなかったが、それでも品数の追加には大賛成だ。
その後、ジャガイモが手早く茹でられ、四人は川の流れを眺めながらゆっくりと昼食を楽しむ。
普段ならゴブリンの奇襲を警戒しなければならない。魔物でありながら知性が高く、クロスボウや魔法による死角からの攻撃がありえるからだ。
それでも今は問題ない。ウイルがいることでその可能性は除外出来る。ゆえに食事を心の底から満喫しつつ、会話も自然と弾んでしまう。
「この草餅、美味しー」
「だろう?」
「メルはほんと、そういうの好きだよな。いや、俺も嫌いじゃないけども」
(え? いきなりお餅? 普通、最後に楽しむもんじゃ……。まぁ、いいか。誰も気にしてないみたいだし)
ここは渓谷の底辺地帯。北と南を巨大な山脈に挟まれ、眼前の川が横切るように流れている。
四人は東から出発し、西の方角へ進行中だ。
数時間の移動にて十体程度のゴブリンを討伐出来たが、結果としては上々だ。
(おにぎり、美味しい。パンも良いけど、お米の方が好きかも。いや、どっちも、かな。干し肉はちょっとしょっぱいから、そういう意味ではおにぎりの方が合うのかも?)
久しぶりの白米に、ウイルの顔が自然と綻ぶ。長旅の最中ではなかなか食べられず、もちろん村に寄れば話は別だが、今回は最短距離を突き進んでおり、食糧の補充は一度も行えていない。
(あそこにもカニ。美味しいのかな? って、エルさんのせいで食べられる魔物を見ると、そういう風に思っちゃう。もう毒されちゃったのかも)
小川のあちこちで、ヤドカリのような魔物がカサカサと直進している。丸っこいシルエットのそれらはカニの魔物だ。貝殻を背負っているわけではなく、体そのものが球体のような形をしており、カニ特有の横歩きもせず、そういう意味では海洋生物のカニとはあまり似ていない。
(ゴブリンは……うん、やっぱりいない。感じられるのはカニが七体と、後はエルさんだけ。ここにはハイドさんとメルさんもいるのに、なんでエルさんのことしか察知出来ないのかな? ほんと、自分の天技なのに良くわかんないや)
ウイルは硬い干し肉を少量噛みちぎり、濃厚な味わいを楽しみながら思考を巡らせる。自分の置かれた状況から考えなければならないことは多く、ましてや傭兵としての経歴も浅いため、経験から得られた情報の整理等、頭の中は大忙しだ。
(それにしても……、疲れたぁ。ここは登ったり下ったりが多すぎるよ。このまま川の横を進めればいいんだけど、確か地図だと少し歩いたら右折だったかな? あっちの山を登ってくってことか)
河の向こうは北側を支配する岩山のふもとだ。緩やかな上り坂となっており、少年の体力を奪うには十分な傾斜だ。
(足がパンパンだ……。しんどすぎる。今の内に少しでも疲れをとっておかないと、午後の移動に支障が出ちゃう。それだけは避けないと……)
楽しそうな三人の談笑に付き合わず、ウイルは一人黙々と食事を続ける。話題についていけないということもあるが、この時間を疲労回復にあてたいことから、一秒でも早く食べ終え、体をほぐしたいと考えている。
「エルさんくらいになると巨人と戦ったこともあるんですか?」
ハイドは三つ目のおにぎりを食べ終えるや否や、新たな質問を投げかける。
巨人族。非常に手ごわく、傭兵であっても出会った際は逃げることを最優先としなければならない。薄緑色の巨体な伊達ではなく、常軌を逸した怪力は人間程度容易く潰すことが可能だ。
「けっこうあるよー。一人で倒したこともあるしね。もぐもぐ」
「さすが。となると、等級は四?」
リスのように頬を膨らませながら、エルディアは思い出すように答える。その態度は威張るわけでもなく、普段通りの凛とした雰囲気だ。
頭のフードを脱ぎ、長い白髪を晒しながらメルは冷静に問いかける。巨人族を単身で討伐出来るのなら、傭兵としての等級は四が相応しい。昇級試験の内容がまさにそれだからだ。
「ううん、三のまま。お金かかるしねー。もぐもぐ」
「そっか。もったいない。試験の費用っていくらだっけ?」
「知らん」
「同じくー」
エルディアの等級は三だ。言わば普通であり、もちろんそれで困ることはないのだが、ハイド達からすればもどかしく感じてしまう。
試験の申込時に支払う費用は五十万イール。その金額を稼ぐだけなら数か月程度で可能だろう。しかし、日々の出費が所持金をすり減らすのだから、予定通りの貯蓄は傭兵にとってなかなか困難と言える。
「実は、俺達ってまだ巨人と遭遇したことがないんです。この仕事を始めて一年経ってないですしね」
ハイドとメルは等級二の傭兵だ。彼の発言通り、まだまだ経歴は浅く、だからと言って実力不足というわけでもない。
二人でならゴブリンに遅れを取ることはなく、なにより豊富な魔法を既に習得済みだ。このまま経験を積めば、等級三は当然ながらその上も夢ではない。
言ってしまえば、エルディアのおかげで形だけ等級二になれたウイルとは根底から異なる。
非凡な体力。
傭兵足りえる身体能力。
揃っている魔法。
長生きに必要な慎重さ。
これらを兼ね備えているのだから、ハイドとメルは既に一人前の傭兵だ。
「ジャリリヤ草原とかまで遠出すれば、ちょいちょい見かけるよ」
「そのようだな」
「遠いよね。俺達はまだ巨人関連の依頼を受けられないし、近辺の魔物退治で地道に稼ぎます。ゴブリン掃討は数こなさないと悲惨ですけど……」
ジャリリヤ草原。方角は異なるが、迷いの森よりもさらに遠い土地だ。巨人族の砦がいくつか存在しており、傭兵と言えども迂闊に立ち寄ることはご法度だ。イダンリネア王国からはかなり離れているため、よほどの理由がなければ誰も足を踏み入ることはない。
「傭兵って一年の大半を金策に励むもんねー。やる前のイメージとはだいぶかけ離れてたわ。不満はないけどー。もぐもぐ」
「武器防具が高すぎますよね。俺のこれだって、最近やっと買えましたし。次はメルの杖を新調しないと」
エルディアの言う通り、傭兵は日々のほとんどを金稼ぎに費やす。そうしなければならない理由は報酬額が少ないからではなく、剣や鎧といった装備品が非常に高額だからだ。
ハイドのスチールソードが七十万イール。
エルディアのスチールクレイモアが九十万イール。
平均的な収入が月二十万から三十万イールと言われているのだから、その金額は決して安くはない。
一か月毎に五万イールを貯蓄にまわしたとしても、一年程度はかかる見込みだ。無理をして十万イールに増やしたとしても半年以上。鋼製の武器を買うことは、それほどまでにハードルが高い。
もちろん、それよりも安い装備品はあるのだが、魔物の頑丈な鱗や皮を貫くためにはそれ相応の切れ味や頑丈さが求められる。
その結果、一人前の傭兵なら最低でもスチール製を選ばざるをえず、とは言え武器は消耗品の側面があり、一本買えたからと言って一生安泰というわけではない。
つまりは、出費が多い。三食分の食費だけでなく、商売道具も用意し続ける必要がある。
だからこそ、傭兵は常に金欠だ。避けられぬ宿命であり、それを受け入れながら活動を続けるしかない。
「世知辛い世知辛い。折れない剣とかってないのかな?」
「ミスリルはおろかダーク製の武器でさえ、ダメになるみたいですしね。残念ながら、夢物語ですよ」
エルディアは心の底からぼやく。金策がつまらないからではなく、それに没頭せねばならない現状から解き放たれたい。
現実は非情であり、ハイドの口から真実が伝えられ、この話題も静かに終わりを告げる。
金策からは逃れられない。傭兵は自由人だが、実際のところは働きアリの如く、汗をかき続けるのが宿命だ。
(そうなんだ……。聞きたくない話だったなぁ)
夢のないやり取りを耳にし、ウイルはなんとも言えない気持ちになる。
(あ、この草餅、美味しい。疲れた体にしみる)
とは言え、落ち込む必要はない。今は昼食の最中であり、口の中でつぶあんの甘さが主張し始める。ならばそれを楽しめばよく、傭兵であろうと十二歳の子供なのだから、素直に幸せを噛みしめつつも二個目の草餅に手を伸ばす。
今日という一日はまだ終わらない。
時刻は正午過ぎ。
腹は満たされ、活力がじわりと戻ってくれた。
ならば午後も山道を進み続ける。
四人で力をあわせ、道を切り開く。
ここからが本番だ。
(それって草餅って言うんだ。おいしそ~)
(うわっ! ビックリし過ぎて吐きかけた!)
久しぶりの客人だ。頭の中に彼女の声が走る。
(どんな味なの? 私の時代にはなかったのよね~)
(えっと、薬草の風味が甘さと融合して……、とっても美味しいです)
草餅の緑色は薬草の色だ。味も匂いもしっかりと根付いている。それに加えてつぶあんの柔らかな甘さが加わるのだから、甘未としては極上と言えよう。
(く~、死ぬ前に食べてみたかった! あ、一応生きてるのか? 半分死んでるようなもんか! じゃ、おやすみ~)
(お、おやすみなさい……。ほんと、寝起きにも関わらず、毎回騒がしいな)
白紙大典。数日に一度程度の頻度で意識を覚醒させ、ウイルに話しかけてくる。
彼女のおかげでこの旅が始められたのだから、感謝の気持ちしかない。
この本との出会いが、全てを変えてくれたのだから。