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金貨の枚数を数えるのに、思っていた以上に時間がかかると言われた。
「さすがにあの量は……」と苦笑いされて、結局、協会の外で六時間ほど待たされることになった。
その間、ガラス越しに見えるカウンターの向こう側では、手の空いている職員全員が総出で金貨を一枚一枚積み上げては、数え、また別の山に移し……という作業を延々と繰り返していた。
途中からは、何人かが完全に「無」の表情になっていたので、見ているこっちが申し訳なくなってくる。
一応、私も形式上は協会側の人間ということになっている。
それなのに、膨大な仕事を増やした張本人がソファで待機しているだけというのは、どうにも居心地が悪い。
なので、せめてもの気持ちとして、作業が終わったタイミングで職員たち一人ひとりに、金貨を五枚ほどそっと握らせておいた。手間賃だ。
販売人のおっちゃんの話によると、娘さんが重い病気らしく、袋を売るのを急いでいたそうだ。
手術は外国でしか受けられない。その渡航費と治療費――全部、今日の「次元の袋」に賭けていたらしい。
金貨の山を見たおっちゃんは、その場で泣き崩れ、嗚咽混じりに何度も何度も私に感謝を伝えてきた。
最後には「今すぐ飛行機のチケット取ってくる」と言って、足早に協会を飛び出していった。
無事に手術が成功することを、心の中でそっと祈っておく。
「で、お姉ちゃんが大量に自前のゴールドで買ったのがこの袋?」
協会のロビーに戻ると、沙耶がソファに腰掛けながら、例の巾着袋をじっと観察していた。指先でつまみ上げて、裏返したりしながら。
「うん。私の持っているやつより性能が良くて容量が大きいんだ」
「それはすごいっすね……。でもこの大きさじゃ持ち歩くのに不便っすね」
沙耶が首を傾げながら、袋の口を覗き込む。見た目はただの地味な巾着だ。
彼女からしたら、私が変なものに大金をつぎ込んだように見えるのかもしれない。
でも、この袋は、私が登録するつもりはない。
待たされている間に【全知】に聞いて判明したのだが、「次元の袋」は三人まで使用者を登録できるらしい。
なら、これはパーティーの共有アイテムとして運用するべきだろう。
具体的には、沙耶と七海と小森ちゃん――物の出し入れや管理に慣れてほしい三人に任せる予定だ。
「関係ない話なんだけどお母さんが今、配信で米を買う人探してる……」
唐突に、沙耶がスマホ画面から目を離さずに言った。
「母さんが? 何で急にその話を……?」
「なんか『聖女』なら救貧とかしてるんじゃないかって、お姉ちゃんの噂に尾ひれがついて母親だって公言してる母さんのところにそういう情報が届いてるらしい」
……ため息が出そうになった。
そんなの無視していればいいのに。
でも、母さんの性格を考えると、来た相談をほったらかしにはできないんだろう。妙な義理堅さとお節介さを持ち合わせた人だ。
変な水とか、「奇跡の壺」とかを買わされてなければいいけど。
「そうだ、沙耶。母さんに電話して?」
「今度は何をするつもりなの……? 電話はするけどさ……」
訝しげな目をしながらも、沙耶は素直にスマホを取り出し、母さんに発信する。
最近はパソコンでもメッセージアプリが使えるようになったと気付いたらしく、昔みたいに家の電話や手紙だけ、ということはなくなった。
コール音の後、スピーカー越しに、いつも通り元気いっぱいな母さんの声が響く。
「あら、さーちゃん。今ね、お母さん配信中なんだけど……」
「ごめんね。お母さん。お姉ちゃんが電話しろって……」
「あきちゃんが!? ちょうど皆が疑ってたのよ! 本当にあきちゃんの母親なのかって……自称してるだけなんじゃないかってね? さーちゃん。ビデオであきちゃんを映して!」
母さんのテンションの高さに、こっちの胃が少しキリキリする。
沙耶が「はいはい」と言いながら、椅子に座っている私にカメラを向けた。
私が母さんに繋いでほしいと言ったのだから、これくらいは我慢しよう。
それでも、レンズが真正面から自分を捉えている感覚は、何度味わっても慣れない。背中の内側がむずむずする。
「うわ、SNSやばいっすよ。日本のトレンド1位っすね」
「本当ですね……後ろに立ってる青い髪は誰だ!? とかも言われてますね」
小森ちゃんが画面を覗き込み、七海が横からスマホを覗き込んでいる。
どうやらコメント欄がとんでもないことになっているらしい。
指摘されて後ろをちらっと振り返ると、いつの間にか小森ちゃんの影だと思っていた場所に、カレンが立っていた。
私は椅子に座っているので、ぎりぎり画面の端に、青い髪と角が映り込んでいるそうだ。
「えっと、母さん。元気?」
「そりゃもう元気よっ! あきちゃんから話したいなんて珍しいじゃないの? 何かあったの?」
「いや、特にこれと言ったことは無いんだけど。情報発信の場が母さんのところぐらいしか思い浮かばなくて……」
自分でも情けないくらい、気の利いた出だしが出てこなかった。
横で沙耶が、肩を震わせて笑いを堪えている。
手が震えてきたのか、沙耶は鞄から自立式の自撮り棒を取り出し、スマホを固定した。
これで少なくとも、手ブレで画面酔いする視聴者は出ないだろう。
「あきちゃん、SNSとかやってないの? フォローするよ?」
「上手く扱えないから苦手なんだよね、SNSって。早速本題に入っちゃおうか」
ネット上で何を言われてるのか、とか気にし始めたらキリがない。
ああいうのは一度気にし出すと底の見えない沼だから、最初から距離を置くに越したことはない。
私はカメラの向こう側にいる誰かを意識しながら、少し姿勢を正した。
「日本の活性化。ってことでまず第一弾、古米や余った米を相場の金額で買い取ることにしたよ。支払いはゴールドでの支払いになるから米農家の方でよく分からない人は最寄りの協会支部に言って説明とかを受けてね?」
前提として、「人間が食べることができる米」に限ることも付け加えておく。
沙耶たちには具体的な話はしていないので、横から「本気か?」という視線が刺さる。
私は本気だ。
『次元の袋』には時間停止機能がある。
つまり、今のうちに余剰分を買い取って保管しておける――将来、食料供給が追いつかなくなる可能性を考えると、これはかなり大きい。
どうせ捨てられたりするくらいなら、こちらで買い取って保管しておこう、という魂胆だ。
ついでに言うと、年配層へのゴールド普及も兼ねている。
林さんが「年配層に全然浸透しませんね……」と頭を抱えていたのを思い出す。
キャッシュレス決済みたいに手数料が取られる訳でもないし、慣れてしまえばむしろ得なはずなんだけどなぁ……。
「あきちゃん、本当にそんな事して大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。これは私自身が今までに得てきたゴールドから出てるし……あ、ちゃんと送料とかも負担するから協会支部か協会本部に送ってくれればちゃんと買うよ。ただ、無言で送られても困るからちゃんとやり取りができてからだね」
最低限のルールを説明して、ひとまず今回伝えたかったことは言い切った。
一仕事終えた、と胸の奥で息を吐きながら、沙耶の方を見ると――小さく手招きされた。
「お姉ちゃん、本当に大丈夫なの!? 割と最初からお姉ちゃんとダンジョンに行ってる私でも手持ちの金貨って20万枚ぐらいなんだよ? 本当に足りるの?」
「足りるでしょ? さっきちょっと使ったけど3000万枚はあるし……」
「え゛? ごめん、お姉ちゃん。ちょっとあっちに……」
沙耶に腕を掴まれて、カメラの音声が入らないように部屋の隅へと連行された。
一番最初に、彼女には「私が過去に戻ってきていること」や「大量の金貨を引き継いでいること」を話した……ような気がする。
話した気もするし、話していなかった気もする。記憶が曖昧だ。
囁き声で、経緯をかいつまんで説明する。
数分後、「何で今までちゃんと説明してくれなかったの!」と、ぷすぷす怒りながら脇腹を指でぐりぐり突かれた。
笑いながら謝って、元の席に戻る。
「じゃあ、母さん。そういうことだから……」
「待って。あきちゃん。貴女にいっぱい質問が届いているのよ? 少しだけ答えていってちょうだい」
「3つまでならいいよ」
窓の外を見ると、すでに空はオレンジから群青へと色を変え始めていた。
金貨の枚数計測で予想以上に時間を取られてしまい、もう日が落ちかけている。
眠いわけではないが、体の芯にじわりとした疲労感がある。
今日はもう早く家に帰って、何も考えずに布団に倒れ込みたい。
だから、質問は三つだけ。
どうやら、コメント欄から質問をピックアップしてアンケートを取るらしく、母さんの方でも準備に時間がかかりそうだ。
「あーちゃん……おなかすいた……」
不意に、背後から甘えたような声が落ちてきた。
ずっと黙っていたカレンが、私の肩の上から前に手を回してくる。背中からぎゅっと抱きつかれているような体勢になった。
顎がそっと私の肩に乗る。横目でちらりと見ても、顔は見えない。
でも、声のトーンからして、不機嫌と空腹がほどよく混ざった表情をしているのは容易に想像できる。
私は左手を持ち上げて、カレンの頭を優しく撫でながら言った。
「ごめんね、もうちょっとだけ待ってね」
「むぅ……」
むくれているのが声だけで分かる。
そのまま、少しおもしろくなって、カレンの柔らかい髪をわしゃわしゃともみくちゃにしていたら、沙耶がわざとらしく咳払いをした。
ふと我に返って顔を上げると、小森ちゃんと七海も一緒になって笑いながら、カメラを指さしている。
あ、そうだ。
今の一連のやり取り、全部ビデオ通話の向こうに流れていたんだった……。
私は一つ手を叩き、仕切り直すように母さんの方を見る。
「それで……母さん。まだかかりそう?」
「まだまだかかりそうね。今日はもう遅いから次までに準備しておくわよ」
「わかった。それじゃあね」
沙耶にアイコンタクトを送り、通話を切るように目で合図する。
彼女はすぐにスマホに手を伸ばし、通話画面を閉じた。
私は椅子から立ち上がり、背筋を伸ばして大きく伸びをする。
一時間も話していた訳ではないのに、妙な疲労感がどっと押し寄せてきた。
やっぱり、人前に出るのは性に合わない。ダンジョンで竜の相手をしている方が、まだ気楽だ。
「沙耶ー、帰るよ。いつまでカメラ向けてるの……って、まだ撮ってる?」
「あ、いや、トッテナイヨ……帰ろっか?」
棒読みすぎる否定に、疑いの眼差しを向ける。
でも、彼女はさっとスマホを鞄にしまい込んだので、これ以上追及するのはやめておくことにした。
今日はもう、家に帰ってから料理を作る気力は残っていない。
途中で何かテイクアウトでも買って帰ろう。
そう心の中で決めて、私はみんなに「行くよ」と声をかけ、協会の外へと歩き出した。